怠惰の主
深層意識
俺は目を逸らせなかった。あまりに生々しい、凄惨な場面を焼き付けるように目を見開いた。
「……ダメです」
式谷に首根っこを掴まれたうえ、水路側に引き寄せられる。無意識に、その惨劇の場へ向かっていこうとしていたようだ。
大丈夫だ、死にはしない。と反論でもしてやろうかと思ったが、自分の口から出たのは、「あ、ああ悪い」という謝罪だけであった。
水路より外の兵士達が何かをやかましく言い合いながら、恐らく北の入り口側へと走っていった。水路周辺からは騒々しさが消え、遥か遠くから雄叫びと金属音、そして悲鳴が聞こえるのみになった。
「行きましょう」
俺とデルは式谷に言われるまま、水路から潜水しながら泳ぎ出た。息継ぎをすれば捕まってしまうかもしれない。他の客のようになるかもしれない。その恐怖心だけが体を支配し、川の流れに身を任せて潜水し続けた。
途中からは垂れ流されている血で水が濁り始めた。澄み切った川ではなくなり、いよいよ息もきつくなってきたところで、顔だけ水面に出した。
土手や辺りには死体が転がっているのみで、兵士らの姿はない。
「油断はできません、もう少し離れましょう」
再び潜水した俺達は、どこまで川を下っただろうか、アトラヴスフィアが彼方に見える程度には距離が取れた。兵士らはもういない。安堵のため息をつきながら、陸へ上がった。
式谷はにやけながらもさすがに肩で息をしていた。デルはといえばまるで散歩をしてきたかのように、平然と遠くで赤々と燃えゆくアトラヴスフィアを眺めていた。
「あ、あれ、女将は?」
「水路の時点からついてきてはいませんね」
なんだと。
「御影よ、お主は神言は理解できようとも、我のように他人の気を察知することはできんようじゃな」
「どういう意味だ」
「────あの人間は死ぬ覚悟であったよ。深い青色と赤黒い気を纏っていた。哀しみと闘志の、稀に見る美しい見事な色合いであった」
「女将が……?」
俺は思わず火の手が上がり続けているアトラヴスフィアへ顔をやった。さぞ間抜け面だっただろう。だがそんなことを気にしている余裕はなかった。
「女将の荷物からは、火薬の匂いがしていました。周囲に香るほどの、相当量の火薬を持ち出していた、ということは────」
「助けに行く」
「御影さんらしくないですね。このまま逃げてしまえば良いのでは?」
そう、口から出たのは俺が想像だにしていなかった言葉だった。助ける、何をどうやって? 俺のような凡夫に何ができる。怠惰の権化として生きてきた俺が、今更何をやり直せる。昨日今日知ったような町も、そこに住まう人々も、どうだっていいだろう。
嘘をつくな。本当は、あの名も知れぬ女将に同情したのだ。名も知れぬ俺達を庇う、あの笑顔が頭から離れない。水路から隠れ見たあの惨劇が目に焼き付いてしまって消えない。冒険者ギルドの好き者集団の安否だって気になっている。
────俺は、平然を装っておきながら、実のところ酷く動揺していたらしい。
「……ダメです」
式谷に首根っこを掴まれたうえ、水路側に引き寄せられる。無意識に、その惨劇の場へ向かっていこうとしていたようだ。
大丈夫だ、死にはしない。と反論でもしてやろうかと思ったが、自分の口から出たのは、「あ、ああ悪い」という謝罪だけであった。
水路より外の兵士達が何かをやかましく言い合いながら、恐らく北の入り口側へと走っていった。水路周辺からは騒々しさが消え、遥か遠くから雄叫びと金属音、そして悲鳴が聞こえるのみになった。
「行きましょう」
俺とデルは式谷に言われるまま、水路から潜水しながら泳ぎ出た。息継ぎをすれば捕まってしまうかもしれない。他の客のようになるかもしれない。その恐怖心だけが体を支配し、川の流れに身を任せて潜水し続けた。
途中からは垂れ流されている血で水が濁り始めた。澄み切った川ではなくなり、いよいよ息もきつくなってきたところで、顔だけ水面に出した。
土手や辺りには死体が転がっているのみで、兵士らの姿はない。
「油断はできません、もう少し離れましょう」
再び潜水した俺達は、どこまで川を下っただろうか、アトラヴスフィアが彼方に見える程度には距離が取れた。兵士らはもういない。安堵のため息をつきながら、陸へ上がった。
式谷はにやけながらもさすがに肩で息をしていた。デルはといえばまるで散歩をしてきたかのように、平然と遠くで赤々と燃えゆくアトラヴスフィアを眺めていた。
「あ、あれ、女将は?」
「水路の時点からついてきてはいませんね」
なんだと。
「御影よ、お主は神言は理解できようとも、我のように他人の気を察知することはできんようじゃな」
「どういう意味だ」
「────あの人間は死ぬ覚悟であったよ。深い青色と赤黒い気を纏っていた。哀しみと闘志の、稀に見る美しい見事な色合いであった」
「女将が……?」
俺は思わず火の手が上がり続けているアトラヴスフィアへ顔をやった。さぞ間抜け面だっただろう。だがそんなことを気にしている余裕はなかった。
「女将の荷物からは、火薬の匂いがしていました。周囲に香るほどの、相当量の火薬を持ち出していた、ということは────」
「助けに行く」
「御影さんらしくないですね。このまま逃げてしまえば良いのでは?」
そう、口から出たのは俺が想像だにしていなかった言葉だった。助ける、何をどうやって? 俺のような凡夫に何ができる。怠惰の権化として生きてきた俺が、今更何をやり直せる。昨日今日知ったような町も、そこに住まう人々も、どうだっていいだろう。
嘘をつくな。本当は、あの名も知れぬ女将に同情したのだ。名も知れぬ俺達を庇う、あの笑顔が頭から離れない。水路から隠れ見たあの惨劇が目に焼き付いてしまって消えない。冒険者ギルドの好き者集団の安否だって気になっている。
────俺は、平然を装っておきながら、実のところ酷く動揺していたらしい。
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