怠惰の主

足立韋護

強い、破壊、得意


「んハァッ……!?」


 気づけば強い鼓動とともに、草むらから夜空を見上げていた。まるでひどく不快な悪夢のあとのように、全身に冷や汗をかいていた。その場であぐらに座り、「あれれ?」とわざとらしく体の隅々まで眺めてみるが、何も異常はない。そう、異常がないことが異常なのだ。

 つい先ほどまで、腕一本動かすことすらままならなかったはずである。それがなんだ、元気ハツラツ、勇気百倍なのだ。ついでに言えば、栄養失調によりツヤを失っていた肌も、まるで生まれたての赤子のようなツヤ感がでている。

 あーそうか、栄養失調のあまり気を失っただけだったのだ。よく考えてみれば、この飽食の時代に餓死などあるはずがない。体が動くこと、肌のツヤ感、何よりスマホを叩き割ったときにできた傷が塞がっていることについては、まあ、なんだ、勘違いか何かだろう。

「ふう、よっこらしょ」

 フラつくことなく立ち上がれた。
 まあなんにせよ、一文無しに変わりはない。だが一度死を覚悟した命、もう少し足掻いてみるのもやぶさかじゃない。

「い、いや……!」

 さてこれからどうするか、と考え出した矢先、女性の苦しげな声が聞こえてきた。時刻は夜、ひと気の少ない公園、さては暴漢が女性に襲いかかっているのではと予想しつつ、声のほうへ確認に向かってみた。
 体格の良い男と中肉中背の男、それらに腕を掴まれている女がいた。ちなみに男らは金髪で、俗に言う不良のようだ。女は社会人なのか、髪の毛を黒く短く揃え、ピシリとパンツスーツを着こなしている。

「ナンパなんか、誰がついていくなんて言ったんですか!」

「エェ〜、良いじゃん良いじゃん。お仕事終わったなら、どっか遊び行こうよォ〜」

 うーん、男の猫撫で声とはここまでキモいのか。ちなみにでかい方の男が出している。
 状況としては限りなく悪い。大の男二人に言い寄られて、女一人で解決できるとは思えない。

「離してください、離して!」

「あー、メンドクセェ。ちょっと男の部分出しちまうか」

 少し待ってみたが人も通り掛からなさそうだった。人助けなどそれこそメンドクセェのだが、この茂みで倒れたのも何かの縁か、やれることはやってみよう。
 のそのそと茂みから体を出していき、「おーい警察呼んだぞー」と声をかけてみると、「アァ!? 何してくれちゃってんのテメェ!?」と逃げるどころか、女の側頭部に肘鉄喰らわせた挙句こちらに向かってきたではないか。
 話が違うぞ。ああもう目の前まで男どもが寄ってきた。

「あー、あはは、あの、だだ、だから警察呼びましたって。ほら、逃げないと、ほら」

 途端、視界が大きく揺さぶられた。体の軸がぶれ、思わず尻餅をつく。頬にジワリと熱が広がっていった。口の中で鉄の味がする。でかい方の男の剛腕でぶん殴られたらしい。自覚したらだんだんと頬に痛みを感じ始めた。
 視界が眩んでいる間に、男どもの背後に肘鉄を喰らったはずの女性が佇んでいた。

「肘鉄に顔パン、十分ですね」

 女は中肉中背の男の襟を掴み、真下へと引き下げた。仰向けになった男の鳩尾みぞおちへ向けて、全体重が乗った肘を落とした。「ぐべら!」と聞いたこともない悲鳴を上げた男は、ぐったりと動かなくなった。

「テメ……! 女ァ!」

 体格の良い男の繰り出した拳は、女を真正面に捉えた。女は上体を逸らして拳をかわし、両足を男が突き出した腕に絡ませたうえで、足と同様に腕も絡ませ、逸らした上体を引き寄せた。女は男の背中側へ男の腕ごと体重移動した。
 腕先に勢いづけた女性の全体重が、不意に乗っかったことで男は前転し、仰向けに転がった。

 「ちょっと、反撃が怖いので、壊しておきますね」

 男に放ったのか、独り言を呟いた瞬間、女の全身が強張ったと思えば、何かが折れる音が二、三度ほど鳴った。男の野太い悲鳴が夜の公園にこだまする。
 もはや俺の出番などなかったかのように、女は華麗に男二人に対処してみせた。
 普通ではない。普通の女は大の男の腕を芋けんぴのようにポキポキ折るなどできるはずがない。

「立てますか?」

 不意の声に「お、お! お!」としか応えられなかった。恥ずかしながら女の手を借りて立ち上がった。「場所を変えましょう」と女に言われるがまま、公園から出て大学付近へとやってきた。ここまで来ると、周囲には比較的人が多い。
 女は改まった様子で向き直り、深々と頭を下げてきた。

「先程は助けてくれようとして下さりありがとうございました」

 決して助けたことにはならない、勘違いするなホームレス、ということをちゃんと伝えるあたりしっかりした方だ。将来良いお嫁さんになるに違いない。

「え、いやいやいや、お礼言われることなんて何も」

「いえ、殴られて下さったじゃないですか」

「はは、へ?」

「私、さっきの通り強いんです」

「強い」

「ええ。臓器の破壊や骨の破壊がですね」

「破壊」

「はい、得意……というか、まあ得意になっちゃうかぁ」

「得意」

「ただやり過ぎてしまうので、もし訴えられても良いように正当防衛にしておきたかったんです。女性らしさのかけらもなく、お恥ずかしい限りです」

 女はもじもじしながら頬を赤らめた。人骨折りたてホヤホヤの体でもじもじするな。音が聞こえてきそうだ。
 だが言いたいことはわかった。万一事情聴取で正当防衛が認められなかった時を考えて、警察を呼ばず、逃げるようにしてわざわざ場所まで変えた、というところか。

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