ラブロマンスは始まらない
ラブロマンスは始まらない
曲調が変わる。「fore score in seven」。
どこかの世界に迷い込んだような。冒険の導入のような。恋の試練の始まりのような。
これを聞くと、あぁ、私はこのため生まれて来たんだなぁ。なんて思う。大袈裟に。
グラスに入っている氷をカラカラとまわしながらしばらく聴き入っていたが、香織が顔を歪ませている気がしてとっさに向き直った。
ポケットに入れた財布がいずいところに動いた感じがした。
「ホント、人って強欲。その後はもうそれどころじゃなくて…」
香織は羽織っている深緑のカーデガンの袖手を、指で伸ばしながら言った。話は全然聞いていなかったが、最後の言葉から察するに、大変であったらしい。ということだけは分かったので、とりあえず同情をして宥めた。
店内のピアニストが5曲ほど奏でた後に、お辞儀をした。私も拍手をしたかったが、香織の話にそれは邪魔された。恋の試練はついにその全貌を見せずに終わった。
「今日は一段とウワノソラね。」
香織はなんだか嬉しそうに言う。
あら。気づいてたか。
彼女は、人への気遣いは飛び抜けて出来る子だった。それでも私と話す時は、ドラマのクサイOLが如く、口を休めることなく話す。私たちの関係はいつもこうだし、大事で聞いて欲しくて、それでいて答えの欲しい話には、なぜか自然に耳を傾けている。
それが間柄がなせる技なのか、はたまた彼女の話し方が上手いのかは分からないが、私はその空気感がとても気に入っていたし、香織だって同じだと思う。
「香織。指だけじゃなくて、口も気にした方がいいよ。」
私は指で口を指すジェスチャーをした。
香織は、えっ嘘。と呟いて、口元を手で覆う。
私はそれをただ眺めていたつもりだけれど、顔は緩んでいたと思う。 
タバコを嗜む彼女は指や服に匂いがつくのを気にしていた。とは言っても、吸うのは私とバーに行った時だけだったし、普段は吸わない。
袖手を指でつまむ動作はきっとこれが癖になったものだろうと推測する。
店全体を軽く見回す。演奏が終わり、しばらく間が開いたので、みんな声のボリュームの感覚が鈍ってきている。香織の声にだけ耳を集中させて、恋の試練の始まりを思い出していた。
奏者のいないピアノは演奏時と変わらずスポットライトに照らされていた。それは少し埃っぽく、霞んで見えたが、あまり気にならなかった。私は次の曲を催促するように視線を送る。今日この瞬間をロマンチックに演出したいと思っていたし、そうならなくても、私はこの記憶に日々酔倒して、しまいには墓まで持って行きたかった。もちろんその頃には、私の記憶は膨大な書庫のようになっていて、出会った日からその最後の瞬間までが順に並んでいる。さぞ壮観だろう。
香織がつられてピアノに視線を泳がすと、ちょうど次の演奏が始まるところだった。しかして私はさっきまであれほど急かしていた演奏の始まりに目もくれず、彼女の横顔だけを見ていた。
スポットライト以外の照明は最低限に絞られ、ステージからの光に照らされた横顔は、それはもう綺麗だった。
私たちは友達だ。親友と言ってもいいかもしれない。こんなに居心地の良い場所は彼女を感じられるこの席だけだと思うし、気の合う同性の友人に、また出会えるかどうか、わざわざかけることなんてしたくない。だから、心の中で何度もこれで良いんだと、このままが一番幸せだと、そう言い聞かせた。
このラブロマンスは試練だらけだなぁと思った。人間は強欲だ。
どこかの世界に迷い込んだような。冒険の導入のような。恋の試練の始まりのような。
これを聞くと、あぁ、私はこのため生まれて来たんだなぁ。なんて思う。大袈裟に。
グラスに入っている氷をカラカラとまわしながらしばらく聴き入っていたが、香織が顔を歪ませている気がしてとっさに向き直った。
ポケットに入れた財布がいずいところに動いた感じがした。
「ホント、人って強欲。その後はもうそれどころじゃなくて…」
香織は羽織っている深緑のカーデガンの袖手を、指で伸ばしながら言った。話は全然聞いていなかったが、最後の言葉から察するに、大変であったらしい。ということだけは分かったので、とりあえず同情をして宥めた。
店内のピアニストが5曲ほど奏でた後に、お辞儀をした。私も拍手をしたかったが、香織の話にそれは邪魔された。恋の試練はついにその全貌を見せずに終わった。
「今日は一段とウワノソラね。」
香織はなんだか嬉しそうに言う。
あら。気づいてたか。
彼女は、人への気遣いは飛び抜けて出来る子だった。それでも私と話す時は、ドラマのクサイOLが如く、口を休めることなく話す。私たちの関係はいつもこうだし、大事で聞いて欲しくて、それでいて答えの欲しい話には、なぜか自然に耳を傾けている。
それが間柄がなせる技なのか、はたまた彼女の話し方が上手いのかは分からないが、私はその空気感がとても気に入っていたし、香織だって同じだと思う。
「香織。指だけじゃなくて、口も気にした方がいいよ。」
私は指で口を指すジェスチャーをした。
香織は、えっ嘘。と呟いて、口元を手で覆う。
私はそれをただ眺めていたつもりだけれど、顔は緩んでいたと思う。 
タバコを嗜む彼女は指や服に匂いがつくのを気にしていた。とは言っても、吸うのは私とバーに行った時だけだったし、普段は吸わない。
袖手を指でつまむ動作はきっとこれが癖になったものだろうと推測する。
店全体を軽く見回す。演奏が終わり、しばらく間が開いたので、みんな声のボリュームの感覚が鈍ってきている。香織の声にだけ耳を集中させて、恋の試練の始まりを思い出していた。
奏者のいないピアノは演奏時と変わらずスポットライトに照らされていた。それは少し埃っぽく、霞んで見えたが、あまり気にならなかった。私は次の曲を催促するように視線を送る。今日この瞬間をロマンチックに演出したいと思っていたし、そうならなくても、私はこの記憶に日々酔倒して、しまいには墓まで持って行きたかった。もちろんその頃には、私の記憶は膨大な書庫のようになっていて、出会った日からその最後の瞬間までが順に並んでいる。さぞ壮観だろう。
香織がつられてピアノに視線を泳がすと、ちょうど次の演奏が始まるところだった。しかして私はさっきまであれほど急かしていた演奏の始まりに目もくれず、彼女の横顔だけを見ていた。
スポットライト以外の照明は最低限に絞られ、ステージからの光に照らされた横顔は、それはもう綺麗だった。
私たちは友達だ。親友と言ってもいいかもしれない。こんなに居心地の良い場所は彼女を感じられるこの席だけだと思うし、気の合う同性の友人に、また出会えるかどうか、わざわざかけることなんてしたくない。だから、心の中で何度もこれで良いんだと、このままが一番幸せだと、そう言い聞かせた。
このラブロマンスは試練だらけだなぁと思った。人間は強欲だ。
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