君と僕と壊れた日常

天野カエル

欠けた記憶、その中にいる大切な人 後編

 「思ったより時間掛かったな……」

 僕は公園の手前まで来ていた。
 家を出てパンナコッタを買いにコンビニへと向かったのだが、最寄りのコンビニには1つしか残っていなかった。 
 異常な程にパンナコッタを愛している空見華月。 1つしか持っていかなかったら罵詈雑言の嵐が僕の身に吹き荒れることだろう。
 なので僕は10分かけて別のコンビニへと向かい買ってきた。
 現在時刻7時40分。 それでもまだ時間に余裕があった。 が、心には余裕がなかった。

 「ちょっと待てちょっと待て。 え!? なんでパンナコッタ食ってんの? しかも2つ!」

 公園に着くなり叫んでしまった。
 それも仕方のないことだろう。 目の前のパンナコッタ、それにはとあるコンビニのシールが貼られていた。 
 LAWWSON と書かれている。
 そう、家を出てはじめに向かったコンビニのシールだ。 この辺りにLAWWSONという名のコンビニはひとつしかない。 同名店舗は一番近いものでも歩いて20分ほどかかる。 
 よって目の前の2つのパンナコッタは僕が買ったパンナコッタ1つだけを残してLAWWSONから旅立っていった罪深きパンナコッタである可能性が高い。

 「買ってきたのよ。 LAWWSONに行ったのでしょ? 1つだけ残したのはあなたをテストするためよ。 きちんと2つ買ってきたの?」

 こいつの性格は治さないとダメだと思う。
 
 「買ってきたが……気が変わった。 お前にはやらん!」

 「そう、あなたは約束を守らない人なのね」

 空見華月はそう言った。 それも、何かを酷く諦めたような落胆した様子で。
 約束を果たさなかったからか、パンナコッタを食べれなかったからか。 どちらにせよこんな空見華月の相手はしたくはない。
 
 「……渡すから、そんなに落ち込むな」

 「ちょろいわね」

 落胆した様子から一瞬で切り替わった。 演技だったようだ。
 こいつが男だったら殴っていたかもしれない。
 そう思いながら僕はビニール袋に入った2つのパンナコッタを渡した。

 「入って……るわね。 見直したわ」

 何が「見直した」だ。
 そう仕向けたのは空見華月である。 僕はただ空見華月の思い描く方向へと誘導させられただけだ。

 「はぁ……まあいいや。 それで、そこの道がダメな理由ってなんなの?」

 僕は早速本題に入った。
 そこの道と言うのは、昼寝の最中に見た夢に出てきた"ハルカ"という少女が使っていたこの公園の入り口に面した東西に伸びている道で、その道を東に進むと空見華月の家がある。
 だからと言って、空見華月が理由を知っているなんてことはまず有り得ない。
 来ておいてなんだが、はじめから期待はしていない。
 そんな僕に、空見華月はこう尋ねた。

 「何から聞きたい?」

 「は?」

 「全て話せばすごく長くなるのよね。 一文でまとめることも出来るけど、あなた多分理解できないだろうし」

  
 この口ぶりからすると、空見華月は本当に理由を含め全てを知っているのだろう。 驚きである。
 だがしかし、僕が知りたいのは理由だ。
 
 「まとめたのでいいよ」

 「オススメはしないけどそれでいいのなら」

 空見華月はそう言うと、僕の方へ一歩踏み込んできた。

 「あなたは忘れているようだけど、あなたの体と心は覚えているのよ」

 「ごめん、ちょっと何言ってるか分からない」

 「でしょうね」

 空見華月の口ぶりから察するに、ここまでの流れは予想できていたようだ。

 「詳しく聞きたい?」

 「すまん、頼む」

 僕は知りたくなった。 
 今までも何故ダメなのか知りたいとは思ったことはある。 しかし、直ぐにその興味は失せていた。
 単にどうせと諦めていただけなのかもしれない。
 今、目の前にいる答えを知るという空見華月。 彼女の存在が僕の好奇心を助長させる。
 そして僕はこの気持ちの先にあるものをきちんと理解しなければならない。 そんな気がした。

 「まず、あなたが前に私に話してくれた夢のこと、それは全て事実よ」

 「嘘だろ?」

 「本当。 黒髪の女の子も、事故のこ……」

 「アラタ先輩!」

 空見華月の声を遮る声。 
 振り向くと、そこには和泉沙奈がいた。

 「なんでここに」

 「新奈から連絡があって、アラタ先輩が話あるって」

 「…………」

 新奈が暗躍したらしい。
 そう言えば新奈は僕が家を出るときに何故か僕を止めようとした。 止められなかったから刺客をよこしたのだろうか。
 空見華月は黙っていた。 少し難しい顔で。
 
 「ごめん、それ新奈の嘘だよ」

 「え……」

 和泉沙奈は何が起こっているか分かってないような顔をした。

 「てことは私はただフラれた相手の逢引風景を見せつけられただけですか」

 「逢引じゃないけど……まあ、無駄足だな」

 「え、フったの!?」

 ついさっきまで難しい顔をしていた空見華月はどこへ行ったのだろう。 今度は驚いた顔である。

 「は? 空見さん、告白のこと知ってたの?」

 おかしい。 普通だったらこういう時は「え、告白されたの!?」が先に来るはずだ。 順番がおかしい気がする。
 
 「ごめんなさい。 聞くつもりはなかったんだけど、この前教室を出たあとに大声で告白してるの聞いてしまって」

 「大声だったんだ……。 恥ずかしい!」

 空見華月がそう言うと、和泉沙奈は赤面した。

 「なんでフったの? 別に悪い話じゃないと思うのだけれど」

 空見華月は妙に興味津々だった。
 やはり女子と言うのはこの手の話は大好物らしい。

 「あのときは昔会ったことがあること忘れてたし、突然過ぎた」

 「あのときは……ってことは今は違うんですか?」

 ゆでダコが如く赤くなっていた和泉沙奈が目をギラギラさせて聞いてきた。

 「うん、昼寝してたら夢に出てきて。 ほら、ちょうど最初にあった時の、おじいさんと植え込みの手入れした時の」

 「あ……」

 そう言うと、和泉沙奈は泣き出した。

 「お、おい大丈夫か?」

 「ごめんなさい! 昔のこと思い出しちゃっただけです。 大丈夫です!」

 昔のこと、つまりおじいさんや僕達との思い出のことだろう。
 どうやら僕にとっても和泉沙奈にとっても、あのおじいさんは涙が出てくるほどの人物だったようだ。

 「それで、先輩は今ならOKしてくれるんですか?」

 「それはない。 思い出したのも少しだけだから君がどんな人かも分かってない」

 「あなた、最低ね。 年下の女の子泣かせたと思ったら再度フルなんて、鬼畜よ」

 「う、そう言われるとキツい」

 空見華月の言ったことももっともだが、僕は和泉沙奈を対象として見れていないので仕方のないことだ。

 「決めました……」

 「え?」

 和泉沙奈は小声で何か呟いた。
 
 「私決めました! 先輩を、アラタ先輩を何としてでも振り向かせます!」

 「お、おう」

 本人の目の前で言える勇気がすごい。
 逆に、言われた僕はなんと返せばいいか分からない。

 「まあ、今は無理そうなんで一旦置いておきます。 それにしても、空見先輩ってハルカちゃんに似てると思いませんか? アラタ先輩」

 ハルカ。 それは夢に出てきた黒髪の少女である。 昼間見た夢では、その少女を見たときに以前見たトラック事故の夢を思い出した。
 僕は和泉沙奈に言われ、夢で見た少女と目の前の空見華月を照らし合わせる。

 「……そう言われると似てる気がする」

 黒髪という点は言うまでもない。 
 夢に出てきた少女だが、年相応の幼さはあったが、とても綺麗な顔立ちをしていた。 成長すれば、そう、空見華月のような容姿になりそうだ。
 よく似ていると思う。
 そして空見華月はなんの躊躇もなく、始めから教えるつもりでいたような様子で答えた。

 「ハルカは私の双子の姉よ。 そうね、昔からそっくりだったから彼女が成長していたら今の私と同じ顔だったかもしれないわね」

 『…………』

 空見華月は懐かしむように語った。
 僕と和泉沙奈は、空見華月の言ったことに何も言えなかった。
 しかし、聞かなければならない。 
 これはきっと僕に関係する。
 直感だが、そう感じた。

 「たらって……どういうことなんだ?」

 まずい事だと分かっているから、少し遠慮気味に聞いた。

 「分かっているのでしょ? もういないわ。 7年前にトラックに引かれて、死んだわ」

 「ごめん」

 僕は謝った。
 予想は出来ていたのに。
 そして7年前のトラック事故。 僕は最悪のケースを想定した。

 「なにがごめんなの? 今、何に謝ったの?」

 「え、あの、空見さんに言わせてしまったこと
に……」

 「気づいているんでしょ? あなたが夢で見たトラック事故、被害者はハルカとあなた。 ハルカは即死で、あなたはぶつかりこそしなかったけど意識不明で倒れたの」

 想定しうる最悪のケースだった。
 隣で聞いていた和泉沙奈は泣いていた。 さっきとは違う、悲しみの涙を。
 空見華月は続けた。

 「転校初日、私はあなたに許さないと言ったわよね? あれはその時のことよ。 私は許せない。 なぜあのときハルカを選ばなかったのか。 それと、なんで忘れているのか」

 「…………」

 空見華月の言っていること、それは事実なのだろう。 言葉の一つ一つに思いがこもっている。 怒り、悲しみ、それと後悔。 僕と和泉沙奈はそれらを肌で感じていた。
 そして分からなかった。 
 選ぶとは何か。
 なぜこんな大切な記憶が僕に欠けているのか。
 僕の記憶には大切な何かがない。
 人との出会い、繋がり。 和泉沙奈やハルカという少女がその最たる例である。
 僕は知らなくちゃいけない。
 大切な記憶を取り戻すために。

 「ごめん。 僕にはその時の記憶が無い。 だから、言われても全く分からないんだ。 でも、だからこそ、僕はもっと知りたい。 教えて欲しい」

 気づけば、僕は涙を流していた。
 今日は二度目だ。
 この涙がなんの涙なのか、分からない。
 全て知れば分かるのだろうか。

 「そう言ってくれると思ってたわ。 ありがとう」

 空見華月は先程までの怒りや悲しみ、後悔の念が入り交じった複雑な表情から一転、笑顔でそう答えた。
 しかし、その笑顔は長くは続かなかった。

 「アラタ!」

 後方から声が聞こえた。
 僕達三人はその方へ視線を向けた。
 そこには僕の父、耕一と母の雪江、妹の新奈、そして海斗の姿があった。

 「父さん母さん新奈! 海斗も。 どうしてここに」

 「それはこっちのセリフだ! 何をしている!」

 父さんは言いながら近づいてきた。
 そして、怒りの方向は僕ではなく空見華月に向かっていった。
 
 「君が空見さんか。 アラタに何を言ったか知らんが、やめてくれ!」

 「違う! 僕から聞いたんだ! 悪くない」

 「アラタは黙ってなさい。 君は何がしたいんだ? これ以上アラタを苦しめないでくれ! もう散々だ!」

 父さんはとても怒っていた。
 普段あまり怒らないからこそ、その怒気が凄まじいものだということが伺える。
 ここまで言われても空見華月は黙っていた。
 僕が言っても信じてはくれない。 このままではダメだ。 そう思っていた時だった。

 「アラタ……帰ろう」

 海斗と新奈が手を引いてくる。

 「ま、待って! 話は……」

 「ごめん、言うことを聞いてくれ」

 その時の海斗と新奈の顔は酷く哀しそうな顔だった。
 僕はその顔を見ると何も言えなくなった。
 ごめん。 心の中で空見華月に謝る。
 幸い、明日は学校だ。 きちんと謝ろう。 そして、叶うならば今日の続きを。
 僕はそう願いながら遠くなっていく空見華月を背中で感じていた。
 空見華月には今は和泉沙奈が付いている。
 人任せになるのは不本意だが、この際しょうがない。
 明日が来ることを祈る以外できない僕を許して欲しい。 
 
 「ごめん」




 帰りも、家に着いてからも、誰も何も言わなかった。
 海斗は別れ際も謝っていた。 見たことないような哀しい顔で。
 それは他のみんなも同じだった。
 関係も、日常も、記憶も、何もかもが崩壊していく。
 これは記憶が欠けた弊害なのかもしれない。

 

 僕は決意する。
 何としてでも、何があっても、どうなっても……。

 「思い出す!」

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