鋏奇蘭舞

炎舞

静寂

「……よし、とりあえず終わったな……」
 作家は、パソコンの光だけが目立つ部屋の中で、安堵のため息をついた。それから、満足そうに今書き上げた文章を眺めた。
「これで後は推敲すれば仕上がり、だな……」
 締め切りに間に合ってよかった、彼はそう思い、小説を保存しパソコンを閉じた。
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[Data file Accessed…]
ファイル-131-ヘタレ勇者が世界を救う!? .txtを保存します……
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PCをシャットダウンしています……
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 突如、世界が停止した。俺はその中にただ一人残された。
 俺は魔王を倒して大陸に平和を取り戻し、たった今勲章を授かって嫁と共に家に帰ってきた。俺は嫁に
「次に村が襲われたらどうする?」
と冗談気混じりで聞かれ、俺も冗談で
「この剣で魔物を斬りつけて逃げちゃうかもな」
と返し、二人で笑いあっていた……はずだ。
 その嫁は今、俺の目の前で止まっている。いつみても美しい笑顔を顔に貼りつけたまま、人形のようにその場で止まっている。
「……え?リン?」
 俺は彼女に話しかけた。しかし、何の反応も示さない。俺は彼女をそっと指でつついてみた。いつもならたしなめられるところだが、微動だにしない。今度は少し強めに押してみた。後ろ側に倒れそうになった彼女を慌てて抱きかかえた。彼女の温もりは感じられたが、腕も足も動かないその様子は、死体の様であった。
「嘘だろ……」
 ふと、嫌に静かなのに気が付いた。さっきまで感じていた暖炉の心地いい音は静寂に変わり、内部には静止した炎の柱が立っていた。近くを流れていた川の水の音は無音と化した。
「な……なにが起こったんだ……?」
 俺はまだ笑顔を貼りつけているリンをそっとベッドに寝かせ、外へ飛び出した。
 家の近くを流れる川は、水を湛えたまま氷の様に止まっていた。手を入れても普通の水と変わらない。しかし抜くと、水面には手の跡がくっきりと残った。
「間違いない……」
 この世界は、何故か、全て、止まっている。
 俺は街に向かって走った。

 街灯は揺れ動かない。

 草のなびく風も吹かない。

 太陽は煌々とした光だけ放つ。

 空を飛ぶ鳥たちは翼を広げたまま空にとどまる。

 やがて街にたどり着いた。先ほどまでの勲章授与式の後片付けをしているらしい。いや、正確に言うと、全員片づけをしているポーズのまま止まっている。
「ホントに……何もかも止まっちまった……」

 よく回復薬を売ってくれた薬屋の親父は気前の良さそうな笑顔で固まっている。
 野菜屋の前は行列ができている……動くことのない客でできた行列が。
 動く鎧である武器屋の商人はいまや単なる鎧と化している。
 魔導具店の店主は怪しい装束を身に着け、不気味な表情を湛えたまま店奥の受付に鎮座している。
 この街の全てが止まっている。
 俺はどうすることもできずに、その場にへたり込んだ。こんな状況でも、俺のヘタレさは健在なのだった。俺は苦笑した。周りの人間が見たら、国を救った英雄が急に座り込んで笑っている様子が映るだろうが、この世界で俺の失態など見る者はいない。

 俺は森へ出向いた。そこが「帰らずの森」と称されるのは、優秀なエルフの射手が警備しているからだが、幸か不幸か、エルフ共は皆固まっていた。
 母なる自然……と言えば聞こえはいいが、如何せん生えている植物からは生気を感じられない。なびく風も無ければ、呼吸も光合成もしない。生きていると思わせる行動をしない。だが死んでいるわけではない。“停止しているだけ”なのだ。

 俺は魔の都へと向かった。一昨日魔王が倒され、喧騒と混乱に満ち溢れていたはずのその都は、静寂に包まれ、敵対的な魔物ですらもおどろおどろしい顔を混乱に歪めたまま静止している。ただならぬ雰囲気と気迫を備えたその都は、見る影もないほど変貌していた。
 魔城へ向かった。魔王はもう死亡した故、警備は居らず、城の扉は開いたままだった。魔物を倒しまくったおかげで、ただでさえ閑散とした廊下が余計にさみしく感じられる。
 俺は一番奥の部屋の扉を開けた。そこには、玉座が鎮座している。もうそこに座るに値する者……すなわち、魔王が居なくなったおかげで、その神々しかったであろう玉座から威厳は感じられなかった。
 俺はそこに座ってみた。魔王がそうしていたであろう姿勢……足を組み、頬杖をついてみる。自分がこの止まった世界の支配者であるような、そんな感覚に囚われた。
 すぐそこに剣が放置してあるのを見つけた。見覚えがある。それは間違いなく、魔王が使っていた魔剣であった。その剣は、戦いの中で結局俺の血で染まることはなかった。
 俺はその剣に惹かれるように近づき、手に取った。鞘に納めていない刀身からは、どす黒い気迫が感じられる。
 俺は刀身をぼーっと眺めた。疲れ切った心を無にするように。本当に疲れていた。今日一日で絶望を味わい過ぎた。何処からか幻聴も聞こえてきた。
 ____________物語は、終わったのだ。
 何を言ってる。
 ___________お前は、魔王を倒した。世界は平和になった。
 ああ、その通りだ。
 ____________ならこの世界の物語はそこで終わりだ。
 どういうことだ。
 ____________この物語を作り出した者も、それを楽しむ者も、これ以上は望んでいないという事だ。
 だめだ、頭が痛い。理解が追い付かない。
 ____________何が望みだ。
 分からない。嫁も、友達も、仲間も、敵も。皆もう動くことはない。どうすればいいのか分からない。
 ____________楽になりたいか。
 ああ。
 ___________望みを聞き入れよう。
 俺は剣に意識が吸い込まれていくのを感じた。

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 [Data file Accessed…]
ファイル-131-ヘタレ勇者が世界を救う!? .txtを変更します……
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[Data file Locked…]
[Shutdownning…]

 次に作家が自分の保存したテキストを確認した時、ファイルは編集不可能になっていた。アクセスすら拒否されていた。
 バイナリで解析して開くと、多くの文章が追加されていることに気が付いた。無論、彼が書いたものではない。
「いったいどうなっているんだ…」
 ふと、テキストの末尾に、手書きの文章が見つかった_____ふつうはありえないことである。テキストファイルに手書きなどできないのだから______。
「オマエラハツクリダシタセカイニアキタノカ」
 作家は、文章の意味を読み取ることが出来なかった。ただ、どことない恐ろしさを感じるのだった。
 

                  <了>



「ん?やけに静かだな…」

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