鋏奇蘭舞
癒着
「最近下向いてスマホ見っ放しの人多いよねw」
そんな投稿を見て、目の前の機械から顔をあげた。
俺と癒着していた蔓と機械がほどけて、そのまま床に落ち、ヒビ割れた。
帰宅ラッシュで混み合う電車の中。しかし、夕方にもかかわらず、三〇度に迫る猛暑の中でも、だれも暑苦しそうにしている様子もない。ただ電車に揺られながら、己の目的地へと向かっているだけだ。そして乗客は皆、手に持った四角い機械を見ている。その機械からは蔓が伸び、あたかも持ち主と融合しているかのようだった。
俺は電車から降りた。人であふれかえる街は、かつての様に熱や盛り上がりを帯びてはいない。みんな、半目で手元の機械を注視しているだけだ。
俺はしばらく歩いた。街の街灯は壊れかけて、薄暗く点滅している。以前は賑わいを見せていたこの歓楽街も、今はシャッターが下りている店が多い。でも、そんなことを気にしている暇があるものはこの街にはいない。少なくとも、先ほどまでの俺がそうだったのだから。
この街に進出して以来、異様に繁盛しているレストランに入った。赤い看板に黄色いマークを掲げているこの店は、異様に短時間で料理が出ることに定評がある。客たちは皆、カウンターに敷かれたメニューシートを見ることもなく、手元の機械を店員に差し出している。店員も小型の四角い機械をレジスターに取り付けて操作している。ボタン式の旧型のレジスターは最近見かけなくなった――――あるいは俺が今まで気づいていなかったか――――。ボタンを押すのも、人々にとっては面倒で大変な作業らしい。
カウンターの裏ではせわしなく動く店員――――ではなく、ロボットたちがいる。労働力自動化政策が執られてからは、重労働や機械的作業はもっぱらロボットの仕事になった。店員は手元の機械をみて、ロボットたちが異常を起こさないかチェックしているようだ。ロボットたちは手元の肉片とおぞましい量の薬品、粉末をこねて、それをグリルに並べて焼いている。この店では、客に安心感を与えるため、注文を受けてから料理を作っているのだ――――最も当の客がそれを気にしている様子はないが。
俺はほんの少量の肉片から普段食べていたバーガーができることが信じられず、吐き気を催した。俺は失態を見せる前に店から出た―――たぶん誰も気にしないが。
街に出ても、やはりいるのは機械と癒着した人々と、最近増えている捨てられた動物たちだ。増えているという情報だけは機械から入手できていたが、こうして箱に詰められている様子を実際に見たのは初めてだった。こんなに近くで起きている問題を、俺たちは見逃していたのか。しかし、俺にはどうすることもできなかった。分かっていても何もできない。俺はそのまま、無人動物回収車が通りかかり、アームで乱暴に箱をもって荷台に詰め、そのまま走り去っていく様子を目の当たりにした。機械と癒着していた頃は抱かなかった感情が込み上げてきた。
さらに街を歩いた。機械と癒着した人々が行く当てもなく彷徨っている。すると、夕方にしては妙に明るい光が差し込んできた。光の差す方向を向くと、7階建てビルの3階から出火していた。俺は慌てふためいて近くの公衆電話にかけこもうとして、機械のことを忘れていた自分にひどく落胆した。機械をポケットから取り出そうとして、俺は躊躇った。機械を立ち上げたら、また癒着してしまうかもしれない。全ての人々がこの機械と癒着している様子を俺は目の当たりにしてきた。また俺も癒着したくない。この機械に支配されたくない。結局、無人消防車が来て鎮火するまで、俺はしばらくその場で固まっていた。
さらに街を歩く。俺は人々のことがだんだん醜く見えてきた。それどころか、今の人々は蔑まれるに値する存在なのではないかと思い始めた。目の前の機械にとらわれて、何もしなくなった人々。かのパスカルは、「人間は考える葦である」と言っていた。なら、思考することすらやめている今の人々は、まさしく単なる「葦」ではないのだろうか。俺は、かつては目覚ましい発展を遂げ、繁栄した自らの種族が、植物以下にまで成り下がっている様子に危機感を抱いた。
何処へともなく街を歩く。俺は先ほど面白いことに気が付いた。人々は皆能面の様に表情が固まっているのに、感情は失っていないのだ。それをこの現実で表現する手段を失ったのだ。現実ではとても楽しそうには見えないのに、手元の機械では:-)とかXDといった顔文字がとてもカラフルに踊っている。そんなカオスな情景に、俺は少し苦笑した。そして、つい数時間前の俺がそんな状況だったことに、悪寒を覚えた。
俺は段々街を歩くのに疲れてきた。俺は人々が何をしているのかに異常な興味を持ち始めていた。現実ではひどい顔をしているのに、機械でそれを加工して、あたかも美形に見せている人。料理を食べずに写真を撮って、そのまま店から出る人。存在しもしない架空の怪物を捕まえるために、わざわざ線路や発電所にまで足を踏み入れる人。手元の機械に映し出された絵に向かって話しかける人。……俺は、そんな人々を見て、そして今までの自分もそうだったと知って、嘆きたくなった。
俺は家に帰ることも忘れて街を歩き続けていた。手元の機械に夢中になっている数人に、俺は話しかけてみた。振り向きもしない。幾人かの服を引っ張ってみた。気付いてすらいない。大声で叫んでみた。誰も顔も上げない。その時、近くで笑い声が聞こえた。随分と楽しそうだ。俺は笑っている女に近づき、機械の画面を覗きこんでみた。とても楽しそうに踊っている中年の男性の姿が映し出されていた。おそらくこの男性も、機械との癒着から解放されたか、或いはもともと持っていないのだろう。笑っていた女はおもむろに笑うのをやめ、また能面のような無表情に戻ると、その動画にコメントを付けた。
「うっわwwなにこいつwwwダンスへたすぎじゃねww」
俺は憤りを感じ、その女に注意をしようとしたが、コメントはそれに乗じるようにどんどん増えていく。
「ほんとwwwwへたくそだなwww」
「たぶんおれのほうがうまくおどれるぞww」
「これをおどろうとおもったせいしんがわからんwww」
「かいし10びょうでもう草www」
「ワロタwwwww」
「なぜおどったしwww」
俺は泣きそうになった。何もせず何も感じなくなった人々よりも、動画に映った楽しそうに踊る男性の方がずっと有意義で、人間として勝っているはずなのに、どうしてここまで批判を受けなければならないのか。ならお前らはそんな風に楽しく踊れるのか。「楽しい」という感情をお前らは持っているのか。俺は最初にコメントしたその糞野郎を殴り飛ばして、また街を歩きだした。唯一救いがあるとすれば、その男性は多分だが機械を持っていないから、批判には気付かないことだろうか。
気が付いたら俺は街から離れ、家に着いていた。生活感のない、静かなマンションの一室に俺は住んでいる。他の人は見たことが無い。俺は自分の部屋の鍵を開けて、入ってすぐにソファに倒れこんだ。
人々と、数時間前の俺自身に失望した。己等の生み出したものが、己等を狂わせ、堕落させた。希望が見えない。
……逃げたい。
俺は現実から逃げようと、再び機械の電源を入れた。しかしそれはもはや、俺を夢中にさせるほどの魅力を持っていなかった。
蔓はもう、伸びない。
〈了〉
そんな投稿を見て、目の前の機械から顔をあげた。
俺と癒着していた蔓と機械がほどけて、そのまま床に落ち、ヒビ割れた。
帰宅ラッシュで混み合う電車の中。しかし、夕方にもかかわらず、三〇度に迫る猛暑の中でも、だれも暑苦しそうにしている様子もない。ただ電車に揺られながら、己の目的地へと向かっているだけだ。そして乗客は皆、手に持った四角い機械を見ている。その機械からは蔓が伸び、あたかも持ち主と融合しているかのようだった。
俺は電車から降りた。人であふれかえる街は、かつての様に熱や盛り上がりを帯びてはいない。みんな、半目で手元の機械を注視しているだけだ。
俺はしばらく歩いた。街の街灯は壊れかけて、薄暗く点滅している。以前は賑わいを見せていたこの歓楽街も、今はシャッターが下りている店が多い。でも、そんなことを気にしている暇があるものはこの街にはいない。少なくとも、先ほどまでの俺がそうだったのだから。
この街に進出して以来、異様に繁盛しているレストランに入った。赤い看板に黄色いマークを掲げているこの店は、異様に短時間で料理が出ることに定評がある。客たちは皆、カウンターに敷かれたメニューシートを見ることもなく、手元の機械を店員に差し出している。店員も小型の四角い機械をレジスターに取り付けて操作している。ボタン式の旧型のレジスターは最近見かけなくなった――――あるいは俺が今まで気づいていなかったか――――。ボタンを押すのも、人々にとっては面倒で大変な作業らしい。
カウンターの裏ではせわしなく動く店員――――ではなく、ロボットたちがいる。労働力自動化政策が執られてからは、重労働や機械的作業はもっぱらロボットの仕事になった。店員は手元の機械をみて、ロボットたちが異常を起こさないかチェックしているようだ。ロボットたちは手元の肉片とおぞましい量の薬品、粉末をこねて、それをグリルに並べて焼いている。この店では、客に安心感を与えるため、注文を受けてから料理を作っているのだ――――最も当の客がそれを気にしている様子はないが。
俺はほんの少量の肉片から普段食べていたバーガーができることが信じられず、吐き気を催した。俺は失態を見せる前に店から出た―――たぶん誰も気にしないが。
街に出ても、やはりいるのは機械と癒着した人々と、最近増えている捨てられた動物たちだ。増えているという情報だけは機械から入手できていたが、こうして箱に詰められている様子を実際に見たのは初めてだった。こんなに近くで起きている問題を、俺たちは見逃していたのか。しかし、俺にはどうすることもできなかった。分かっていても何もできない。俺はそのまま、無人動物回収車が通りかかり、アームで乱暴に箱をもって荷台に詰め、そのまま走り去っていく様子を目の当たりにした。機械と癒着していた頃は抱かなかった感情が込み上げてきた。
さらに街を歩いた。機械と癒着した人々が行く当てもなく彷徨っている。すると、夕方にしては妙に明るい光が差し込んできた。光の差す方向を向くと、7階建てビルの3階から出火していた。俺は慌てふためいて近くの公衆電話にかけこもうとして、機械のことを忘れていた自分にひどく落胆した。機械をポケットから取り出そうとして、俺は躊躇った。機械を立ち上げたら、また癒着してしまうかもしれない。全ての人々がこの機械と癒着している様子を俺は目の当たりにしてきた。また俺も癒着したくない。この機械に支配されたくない。結局、無人消防車が来て鎮火するまで、俺はしばらくその場で固まっていた。
さらに街を歩く。俺は人々のことがだんだん醜く見えてきた。それどころか、今の人々は蔑まれるに値する存在なのではないかと思い始めた。目の前の機械にとらわれて、何もしなくなった人々。かのパスカルは、「人間は考える葦である」と言っていた。なら、思考することすらやめている今の人々は、まさしく単なる「葦」ではないのだろうか。俺は、かつては目覚ましい発展を遂げ、繁栄した自らの種族が、植物以下にまで成り下がっている様子に危機感を抱いた。
何処へともなく街を歩く。俺は先ほど面白いことに気が付いた。人々は皆能面の様に表情が固まっているのに、感情は失っていないのだ。それをこの現実で表現する手段を失ったのだ。現実ではとても楽しそうには見えないのに、手元の機械では:-)とかXDといった顔文字がとてもカラフルに踊っている。そんなカオスな情景に、俺は少し苦笑した。そして、つい数時間前の俺がそんな状況だったことに、悪寒を覚えた。
俺は段々街を歩くのに疲れてきた。俺は人々が何をしているのかに異常な興味を持ち始めていた。現実ではひどい顔をしているのに、機械でそれを加工して、あたかも美形に見せている人。料理を食べずに写真を撮って、そのまま店から出る人。存在しもしない架空の怪物を捕まえるために、わざわざ線路や発電所にまで足を踏み入れる人。手元の機械に映し出された絵に向かって話しかける人。……俺は、そんな人々を見て、そして今までの自分もそうだったと知って、嘆きたくなった。
俺は家に帰ることも忘れて街を歩き続けていた。手元の機械に夢中になっている数人に、俺は話しかけてみた。振り向きもしない。幾人かの服を引っ張ってみた。気付いてすらいない。大声で叫んでみた。誰も顔も上げない。その時、近くで笑い声が聞こえた。随分と楽しそうだ。俺は笑っている女に近づき、機械の画面を覗きこんでみた。とても楽しそうに踊っている中年の男性の姿が映し出されていた。おそらくこの男性も、機械との癒着から解放されたか、或いはもともと持っていないのだろう。笑っていた女はおもむろに笑うのをやめ、また能面のような無表情に戻ると、その動画にコメントを付けた。
「うっわwwなにこいつwwwダンスへたすぎじゃねww」
俺は憤りを感じ、その女に注意をしようとしたが、コメントはそれに乗じるようにどんどん増えていく。
「ほんとwwwwへたくそだなwww」
「たぶんおれのほうがうまくおどれるぞww」
「これをおどろうとおもったせいしんがわからんwww」
「かいし10びょうでもう草www」
「ワロタwwwww」
「なぜおどったしwww」
俺は泣きそうになった。何もせず何も感じなくなった人々よりも、動画に映った楽しそうに踊る男性の方がずっと有意義で、人間として勝っているはずなのに、どうしてここまで批判を受けなければならないのか。ならお前らはそんな風に楽しく踊れるのか。「楽しい」という感情をお前らは持っているのか。俺は最初にコメントしたその糞野郎を殴り飛ばして、また街を歩きだした。唯一救いがあるとすれば、その男性は多分だが機械を持っていないから、批判には気付かないことだろうか。
気が付いたら俺は街から離れ、家に着いていた。生活感のない、静かなマンションの一室に俺は住んでいる。他の人は見たことが無い。俺は自分の部屋の鍵を開けて、入ってすぐにソファに倒れこんだ。
人々と、数時間前の俺自身に失望した。己等の生み出したものが、己等を狂わせ、堕落させた。希望が見えない。
……逃げたい。
俺は現実から逃げようと、再び機械の電源を入れた。しかしそれはもはや、俺を夢中にさせるほどの魅力を持っていなかった。
蔓はもう、伸びない。
〈了〉
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