永久欠番

増田朋美

終章

野村教授のスマートフォンがなった。
「はい、野村です。」と、はなしはじめたが、一気に喪心した顔になった。
そして、話がおわると、パタン、と、スマートフォンが落ちた。
「どうしたんですか?教授」
と、博がきくと、
「常静が死んだ。」
と、一言だけいった。
「遺体を引き取りにきてほしい、とのことだ、昨日、眠ったまま逝ってしまったらしい。」
「でも、手術は、成功したんじゃ、、、。」
「僕は運転ができないから、二人で、遺体を引き取ってきてくれ。身よりもないから、ここで、ささやかな葬儀をしよう。あいつは、儀式みたいなのが、きらいだから、みんなで、ジャスミンの歌を歌って、送り出そう。」
「華子さんには、どうします?」
「僕が伝えるよ。」
博と和代は、でていった。
野村教授は、寮にいき、華子の部屋の戸をたたいた。
「華子さん、ちょっといいかな。」
「はい。」
華子は、ドアをあけた。
「華子さん、落ち着いてきいてくれ、須田君が昨日亡くなった。眠ったまま、目をさまさなかったそうだ。手術は、成功したけれど、体が多臓器不全だったらしい。つまり、手術できない体だったのを、見抜けなくなったそうだ。いま、博君と、和代さんが、遺体を引き取りにいった。もうじき帰ってくる、かれは、日本には身内がない。みんな大地震で亡くなったからね。だからここで、送り出してやろう、」
華子は、何もいえなかった。もう二度と不正確で美しい古筝の音はきこえない。もう二度と、もう二度と、、?
もう二度と!
華子は、床に崩れおちた。
その時、博と和代が帰ってきた。二人は車のドアから、古筝位の大きさの、桐の箱を取り出した。そして、本部の中に置いた。
華子は、野村教授の指示で本部にいった。常静の遺体をみて、
「なんと美しい死に顔だ。」
と野村教授がつぶやくほどその顔は美しく、長年の負担から、解放された喜びの顔であった。
華子は、床に突っ伏してないた。
「先生は嘘つきだわ、手術ができたら、二人で暮らすつもりだった。二人で、古筝おしえて暮らすつもりだった。」
壊れた噴水のように、泣きはらす彼女の言葉をきいて、他の者は、この女が、この男をどう想っているのかを知った。ただでさえ、この感情はつらい。男と女があるかぎり、取り払うことは、できないものだ。しかし、危険もはらんでいる。野村は、朗子の家に電話し、華子を預かってもらえないか、と頼んだ。朗子は、すぐ承諾した。華子は朗子の家に預けられたが、誰とも口をきかなかった。朗子も、玲も、そっとしておいた。この場合、やたら施術してしまうと、悪化するかもしれないからだ。母も、仕事が無いときはきてくれて、朗子と三人で、近くの百貨店などに連れ出してくれたが、華子は、ことばがでなかった。時々野村が電話をかけてくれたが、華子は、喋れないままだった。
そんな中、病院から、忘れ物という、小包が届いた。野村教授があけてみると、常静の筆跡でかかれた、和装本が見つかった。

ある日、朗子の家に大掛かりな荷物が届いた。朗子があけてみると、古筝が一面入っており、手紙も入っていた。
「兄さん」
朗子は、兄にいった。
「華子さんを呼んで、」
玲は、その通りにした。
華子がやってきた。
華子は、古筝をみて、
「常静先生の、古筝!」
と、口が動いた。
「華子さん、これをよんでみてよ。」
朗子が和装本を手渡した。
「あなたが、」
華子は、涙ながらによみはじめた。
「強く想ってくださったのは、しっていました。期待にできる答えができなくてごめんなさい。これは、僕の安物の古筝ですが、使ってください。そうすれば、僕は、いつでも音をだして、あなたを慰めてあげられます。もう悲しまないで。あなたを必要としてくれる人があらわれるでしょう。そして、今を生きてください。さようなら。須田常静」
「華子さん、」
朗子が華子の肩をたたいた。
「その古筝で何かひいてよ、」
「簡単なのしか、」
「いいからいいから。」
華子は、古筝を調弦し、ジャスミンを
ひいた。
「華子さん、華子さんの奏法が、須田先生になってる!」
「本当だわ!」
玲と朗子は、立て続けにいった。
「やっぱりまだ、生きているんだよ、須田先生は。」
「そうね、上村華子さんの体にお引っ越しされたんだわ。」
「ほんとうさ。あの人は、永久欠番だ。僕らも永久欠番に、なれるように、いきたいね。」
「そうね。」
二人が交わしていたころ、優しい風がふきはじめた。春がきたのだ。

徳松は、朗子が中退したショックがものすごくおおきかった。はじめのうちは良かった。自分を裏切るならそれでいい、しかし、当てが見つからなくてまた戻ってくるだろう、と考えていた。ところが、朗子は、戻ってこない。さらに、以前退学した華子も、戻ってこなかった。同じクラスから二人退学者がでた、という噂は、あっと言う間に広まってしまった。
さらに、いつも通り受験のこと、学費がかかるから私立にはいくな、という根源は、徐々に覆されるようになった。不況であり、大学にいくより、働く生徒が増えてしまった。生徒が全員大学にいける時代になり、大人になって大学へ行けばよいのだ、という考えも広まった。シニア入試という、おじいさん、おばあさんを大学に入らせる制度も登場した。これにより、いまは、大学にいかなくても、いいや、という生徒ばかりになった。ちゃらんぽらんな生徒ではなく、いわゆる優等生がそういう。徳松は、ひたすら体罰を繰り返して、進学率を上げようとしたが、もはや、叩く力も弱り、ぎっくり腰も何回も再発した。
長野も、徳松ににていた。スクールカウンセラーという身分では、学校にはむかえるほどつよくない。長野は、自宅でカウンセリングルームを開発したが、自分の人生は自分できめられる、
それは、確かだ、しかし、いまきめるものではない。長い長い人生は、放浪の旅のようなところがあり、ある程度、力を抜かなければならない者も、現れるようになった。学校は何も教えてはくれない。社会にでれたけど、疲れ果ててしまう。そんな者がおおい。時代は、正しいとおしつけ、マインドコントロールすればうまくいく、という時代では、なくなっているのであった。
徳松のもとに、合格の安否をしらせる、電話がかかっていた。そのコールに、徳松は、合格の知らせとおもって、受話器をとった。
「はい。」
「せんせい。」
売春婦のような、媚びるようなこえだった。
「あなたは、国公立大学にいけば、しあわせに、なれるといってましたよね。」
「え?」
思いつかなかった。彼女は、老いたのだ。それに、彼女は、きづかなかった。
「私、吉田朗子です。私がどうなったか、教えてあげましょうか?」
「朗子さん。」
さらに電話は続いた。
「私、いま、ヒーリングの勉強してるんです。だって、この仕事、大好きだから。先生は、医療、介護、福祉の道が一番正しい生き方だと私にいいました。でも、ヒーリングサロンにくるのは、そういうひとばかり。みんな、世の中の不条理ばかりはなしますよ。それが、正しい進路なんですか?それらを否定はしないけど、そんなつらい仕事なんて、やれませんよ。私はそういう人を癒やすほうが、むいてると、おもいますわよ。」
「あなた、小論文では、必ず福祉のことばかり書いていたじゃない。」
「あ、生徒のうそも見抜けないんだ。
逸れじゃあ、だめですね、小論文に本音を書いていけないと言ったのはだれですか?」
「あなた、何を、」
「じゃあ、小論文と、実際にいった大学を比べてみてください。ふふふふ。」
気味の悪い声で朗子の声は消えた。
徳松は、目をさました。ふふふふ、ふふふふ、朗子の笑い声が耳に響いてくる。どこから聞こえてくるのか、わからないし、姿がみえない。徳松は、外へでた。すると、中央分離帯に朗子の姿があった、、ようなきがした。
「朗子さん!」徳松は朗子のもとへ走った。しかし、鈍い痛みを全身に感じ、それっきりわからなくなった。
信号機は、青だった。すごいスピードで走ってきた、トラックは、彼女が飛び出してきたため、急ブレーキをふもうとしたが、間に合わなかったのだった。一番の殿であった朗子の幻影が、彼女を事故死においやったのだ。

長野は、カウンセリングルームを続けていた。しかし、ある知らせがまいこんできた。母が倒れたというのだ。弟から電話をもらい、病名は認知症だという。とりあえず母には、家の近くのデイサービスにきてもらい、長野はカウンセリングルームをつづけた。頼りにする男もない。弟は、姉がカウンセリングの技術があるから、認知症の相手もできるだろう、と初めは思っていたが、そのうち違和感を感じはじめた。
「姉さん」と、弟は、いった。
「お母さんの顔をみてやってくれないかな?僕ばかりで、淳子はどうしているのか、よく口にするんだ。」
「いかないわ。」と、長野はいった。
「私の人生は、私がきめるわ。私は、親の死にたちあうんだったら、逃げた方がいい。」
「ネパールの竹かごの物語をしらないのかい?主人公がお父さんを捨てようとしたら、子供が、大人になったとき、お父さんをすてるから、かごは持ってね、というはなし。いくら認知症でも、お母さんじゃないか。姉さんは、お母さんをデイサービスという竹かごにいれてすてるのかい?」
「まあ、そういうことね、あたしは生きがいがほしいの、必要とされたい。家の中ではなく、そとで。」
長野は、冷たくいった。弟は、ついに我慢できなくなり、
「もう、僕はね、あしたから、また、病院に戻らないといけないんだよ。先月、足に腫瘍があるから、とろう、といわれてるんだ。」
そういって、弟は、袴をあげた。すねに、メラノーマがでん、とたっていた。
「あるならあるで取ればいいじゃない、あたしにはかんけいない。」
「姉さんは、洗脳されたんだ、カウンセリングにね!」
弟は、なきながらでていった。
その数日後、弟の妻が彼女の家にやってきた。妹は、うつ病で働くことができない。蓄えはみるみる、そこをつき、長野のクライアントも減っていった。とうとう、一銭もなくなった。長野は、破産手続きを開始したが、すでに遅く、長野は、飛び降りて、自殺した。

常静がなくなり、五回春がきて、皆の悲しみも消えた。年を取った野村教授は、朗子の兄であり、セラピストである、玲にアカデミーを譲り、自信は故郷へ戻っていった。朗子は、セラピストとして、自宅でルームを開いた。
博も、和代も、和代は介護士に、博は、看護師となり、アカデミーを去った。
アカデミーは、生徒が増え、履修する楽器の数がふえた。上村華子の古筝科は、やっぱり正確な音ではないから、生徒が集まりにくかったが、華子は、それでも良いとおもいながら、古筝を教えつづけた。
古筝を弾くと、感じるのだ、常静の音がすると。
彼は消えてはいない、華子は、そう感じていた。そして、母葉子も華子の下でくらすようになった。
常静は、自分のそばにいる、彼は永久欠番なのだから、と考えながら、華子は、新しく入った生徒を迎えにでかけていった。

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