永久欠番

増田朋美

第三章

ある日。
吉田朗子が兄の玲に連れられて、アカデミーにやってきた。華子は、ぎょっとした。なぜ、こんな場所に!
「華子さん」朗子は、花壇に水をあげていた華子に声をかけた。
「吉田さん。」
「朗子でいいわ。」
朗子は、右腕に傷があった。傷ではなく、龍の刺青だった。髪も、長くのばしていた。髪を厳格に短く切り、囚人服のように、制服を着ていた高校にいたときとは、また違っていた。華子は、もっていた、シャワーをおとした。朗子は、水道の蛇口をしめた。
「華子さん、ぬれてるわよ。髪を拭きなさいよ。」朗子は、笑った。
「どこかにタオルはないの?」
「本部のなかにあるわ。」
華子は、本部にもどろうとした。すると、朗子もついてきた。
「少し話したいの。」
朗子は、いった。真剣な目つきだった。とても、高校にいたころみせた、目ではなかった。
華子は、こんらんしながら、朗子をとおした。
二人は、テーブルにすわった。
「私ね、」朗子は、話し始めた。
「もう、学校はやめたの。いまは菊川にいるの。特殊学校というか、ヒーラーになるために、専門学校に通っているの。兄が大学受験に失敗して、多重人格障害になって、祖父とよく衝突したけれど、祖父が中国人の方にお願いして、兄をしばらく中国に住まわせて、兄は気孔師の国家試験もうけて、いま菊川で、やっているの。だから、私、大学受験ばっかりいうあの学校は、本当にいやだったのよ。まあ、はじめの頃は、優等生は、いいなと思っていたけれど、大学は、いま行かなくても良いんじゃないかな、とおもうわ。まあ、お金はかかることはたしかだけど、あたしは兄と同じように、ヒーラーになって、ある程度、実践して、それから大学にいきたい。専門的な勉強は、その方がいいって、祖父がいっていたわ。だから、大学へはいるための勉強なんていまは、必要ないの。この刺青は、その証拠。だから、もう高校は、いかないわ。」
「朗子、、、。」
華子は、複雑なきもちだった。徳松や、長野の殿だった朗子が、刺青をし、こうやって自分の夢を語っている。学校では見せない程の笑顔だった。
「華子さんは、生きたい道とかあるの?」
「わからないわ。だって、そんなこと考えては、いけないと先生方にそういわれてきたし。お母さんも、なにもいわないもの。」
「ねえ華子さん、学校と口にするのは、やめましょうよ。学校じゃなくても、学ぶことはできるのよ。学校は、自分になるためのただの手段よ。いま、須田先生に習ってるんでしょう?古筝。だったら、もっともっと疑問や、質問を投げつけて、古筝弾きになっちゃいなよ。須田先生、お体が良くないってしってるでしょ、あんな優秀な先生だけど、もう終わりになるかもしれないわよ。」
「常静先生、すごい人なの?そんなに。」
「知らないのあなた、須田常静と言えば、セラピーの世界で、知らないものはいないわよ。東大の医学部をでて、大学院の博士号ももって、古筝と、催眠療法を融合させた治療を発明して、大評判になったのよ。合計で、千人近く治したのよ。でも、もう、終わりになるかもね。」
「もう終わり?どういうこと?引退されるの?」
「ちがうのよ、須田先生、もう長くないのよ。兄の話では、かなり弱ってしまって、もう、一年もてば上出来っていわれたらしいわよ。いまも、貴女には見せないで、苦しそうにしてるわ。だから、貴女を最期の生徒として、みてるのよ、そんなことも知らなかったなんて、学校は、なにも、教えてくれないわよね。」
「常静先生が、そんなに、、、。」
「そうよ、だから、常静先生の教える事を全て掴みなさいよ。そうしなかったら、悔いがのこるわよ。」
華子は、なにも言い返す事ができなかった。いまも、自分には苦しいものが、まだとれない、という力もなくなってしまった。では、どうしたらいいのか、自分の病気を直そうとしてくれる人が、まもなく自分の元をさり、二度と戻ってこないひとになってしまう。それは、いかりに変わった。先生は、おおぼらを吹いた、私の知らないところで、そんな重大なことをかくしていた。なんという裏切り、なんという悲しみ、なんという怒り、華子は、幼児のように、泣きじゃくった。
「華子さん!」
朗子は、華子をひっぱたいた。
「早く、先生のもとに戻りなさいよ、一分一秒、先生の命は短くなるのよ!しっかりしなさいよ!」
華子は、ぱっとたちあがり、常静の部屋に飛び込んだ。
常静は、古筝をひいていた。
「華子さん、どうしたの?土足で。」
「先生!」
華子は、叫んだ。怒りと悲しみが混じっていた。
「どうして、私にはいってくださらなかったんですか!」
常静は、華子が何を言おうとしているのか、すぐわかった。常静の目に、涙が浮かんだ。
「仕方ないんですよ、」
常静は、やさしくいった。
「貴女には、あなたが躓いた原因を告げてから、言おうと思っていたけれど、もう知ってしまわれたのですね。
僕には、、、二度と正月はきませんね。自分でもわかりますよ。でも、自分の責任であり、自分の過失です。誰にも、変えることもできませんよ。」
「先生が、いなくなったら、あたし、」
「ええ、吉田朗子さんのお兄さんに継いでもらいます。あなたのお母様にも伝えてあります。」
「そういうことじゃないんですよ、先生は悪い人です。先生はあたしを裏切りました。」
「そうですか。」と、常静は、いった。
「明日、一時にこちらにきてください。」
何か、強い迫力を感じた口調だった。
華子は、その剣幕に驚き、はい、と言わざるをえなかった。

翌日、常静の前に、華子がやってきた。
「今日は、誘導をやります。」
常静は、静かに言って、古筝の前にすわった。華子は、マッサージ機の上にすわれといわれた。
華子がそこに座ると、
「目を閉じて。僕が弾く音楽だけ聞いていてください。」
常静は、古筝を弾き始めた。
その曲をきくと、酷く涙が溢れ出し、止まらないほど流れおちた。目をつぶっているはずなのに、朝靄のような、霧がかかっている、景色がみえてきた。霧はどんどん取れていき、やがて具象的な映像になった。
そこは、学校だった。すると、背中に痛みが走った。徳松に叩かれたのだ。物差しでバーンと。次は、学校の保健室が見えた。長野がいた。長野は、徳松に叩かれた顛末をきいても、何も反論しなかった。
「いい加減にしてください!」と、華子は、叫んだ。実際に口にだしていったのであるが、華子は、覚えていなかた。
「あなたはもう退学しなさい、点数もとれなくて、そんなに弱い子は、学校の評判をおとすことになるから。」
「わああああ!」と、華子は、床に頭を叩きつけながらいった。この、長野の言葉は、いつまでも、あたまにこびりついてはなれない言葉だった。
長野は、校内の公衆電話で、華子の母、葉子をよびだした。五分位で、葉子は、学校にきた。
「華子!」
「お母さん、ちゃんとしつけて頂けないと困ります。教師に反抗する生徒は、邪魔者ですから。他の生徒にも、こまりますし。」
「先生、それはちょっと言い過ぎますよ。たしかに、上品な育て方はしてきませんでしたが、邪魔者って。」
華子の体は怒りでいっぱいになった。
「殺してやる!」
華子は、テーブルに載せられていた、果物ナイフをとりだした。それをもち、長野に迎って突進した。すると、母が、長野の前にたった。
母は、手のひらを軽く斬られただけで何もなかった。そして、優しく華子をだきしめた。
映像は、そこまでで、ぷちんときれた。
「私、、、お母さんのこと、、、殺そうとしたのでしょうか?」
「そうではないとおもいますよ。」
常静は、答えた。
「あなたは、長野さんに、強い怒りを感じたのは、確かです。でもお母さんが長野さんをかばおうとした。だから、お母さんが長野さんに、見方したのと勘違いしていて、怒っていたのですね。」
「母は、本当に長野に見かたしたのでしょうか?」
「それは、僕がいうことではありません。ご自分できいてみるといい。あなたが心を病んだのは、これが決定的な真実です。」
「先生。」
華子は、涙を浮かべた。
「先生は、やっぱり、すごい方ですね。」
これまでにない、笑顔だった。
「セラピーをおわります。」
常静は、最敬礼し、華子は、外へでた。そして、寮に戻ろうとすると、野村教授が、近づいてきた。
「華子さん、ちょっと常静を呼んできてくれないかな。」
「はい。」と、華子は、常静の部屋にもどり、野村教授が呼んでいると、告げた。
常静が本部にやってきた。青白いというより、蒼白なかおだった。
「まあ、座りたまえ、」
二人はテーブルにすわった。
野村は、とある病院のパンフレットを差し出した。心臓に特化した病院で、規模こそ大きな所ではないが、最新式の設備を整えていた。
「須田君、君は自分の病気を治すには心臓移植しかない、といっていたね。ドナーを待つことができないから、余命がないとも言っていた。しかし、それを覆すことができるかもしれないんだ。」
「どういうことですか?」
「これをみてくれたまえ。」
野村は、パンフレットをパラパラとめくった。すると、「バチスタ手術のご案内」と書いてあった。
「これは?」
「うん、君と同じ病気の人が何十人も、これで治っているらしい。肥大しすぎた心臓の一部を切り取るというものだが、劇的な回復ができるそうだ。高橋医師や、この病院の医師にも相談したんだけど、君はまだ、三十五だし、手術に耐えられると思うと言っていた。費用は、僕がだすから、受けてもらえないだろうか。」
「しかし、、、。」
「君は、日本の古筝界の大物だ。さらに優秀なセラピストだ。上村華子を初めとして、君のセラピーを必要とする人はこれからもたくさん出るだろう。そのためにも、死ぬのではなく、生きていてほしい。」
野村は、頭を下げた。
「教授」と、常静は、いった。
「お話はわかりました、頭を下げないでください。手術、うけます。」
静かな、しかし、決意に満ちた声であった。
常静に呼び出された母葉子は、アカデミーにやってきた。娘の様子をみにきたつもりだった。丁度華子は、常静と、レッスンをしていた。
「ごめんください。」
葉子は、戸をたたいた。
常静がどうぞ、というと、母が、入ってきた。
「お母さん、」と、華子は、いった。
「ごめんね、いままで。あたし、いままでお母さんはあいつの見方をしていたんだ、と思ってた。でも、それは、勘違いだって、常静先生に教えてもらったの。だから、もう平気よ。」
華子は、涙を流しながらいった。口ではそういうが、まだ、腑に落ちないようなきがしていた。
「お母さんも、ごめんね。あなたが長野さんに、飛びかかったとき、本当に怖かったのよ。あれだけの怒りをためて、あそこまでしようとして、お母さん、何回も自分をせめた。なにも、力になれなかった。ただ、学校をやめて、こちらに来させるしかおもいつかなかったのよ。悪いのはお母さんよ、」
「どちら側が悪かった、ではなくて。」
と、常静がいった。
「多分、どちらのせいでもないとおもいますよ。だから、一番大切なのは、相手や自分を責めるのではなく、赦す、ことじゃないかな。もう、これっきりにして、新しい人生、新しい自分になること、これが一番だと、おもいますよ。僕はね。」
華子と、葉子は、涙を流しながら抱き合い、これまでのいきさつを、語りあった。こんなこと、何十年ぶりだっただろう。かつては、母も子も関係なく対立していたときもあったのだ。
酷い叩き合いになることもあった。お互い責め続けていたけれど、いまこうして、ことばが、かわせる。それがうれしくて、ならなかった。
と、そのときだった。
ふたりの後ろで、うめき声と共に、バタンという音がした。ふたりが振り向くと、古筝の前に、常静が倒れていて、熊のような唸り声を立てながら、胸を抑え、立ち上がろうとしていた。
「先生!」
と華子は、常静のもとに、かけよった。どうしたらよいかわからなかった。
「華子、いま、救急車よぶから、先生についていてあげて。」
母は、冷静だった、ある意味、美しかった。
「華子さん、、、」
常静が、かの泣くような声をあげた。
「大丈夫、いつもの、、、いつもの、、、こと、、、だから、、、。」
といって古筝に手をのばしたが、届かず、手をバタンと投げ出し、いままでよりもさらに、強く強く強く、唸り声をあげていった。
まもなく、救急車がきてくれた。葉子から、連絡をうけた野村は、パンフレットをもらった、心臓特化型の病院へまわさせた。
「あたしたちも行こう。」
葉子は、そっといった。
「怖いわ。」
と華子は、いった。
「馬鹿!」
葉子は、華子をひっぱたいた。
「しっかりしなさい、門下生でしょ!」
華子は、我に帰り、葉子の車にのった。和代も、博も、野村も、彼女たちをおいかけた。
幸い、病院までは、五分程度しかなく、手早く処置が行われ、常静は、一時間程度で、意識をとりもどした。
そして、全員に、こんな説明があった。彼の心臓は、画像診断したところ、スイカほど肥大していた。病名は突発性拡張型心筋症。心臓の筋肉に力がなくなり、血液を送り出すことが出来なくなる、非常に珍しい病気であった。心臓移植のドナーを待っていては間に合わない、すぐにバチスタ手術をしなければ、と説明された。朗子と、玲もかけつけてきて、全員、常静のバチスタ手術に同意した。費用は、とてもかかるが、全員で、割り勘しよう、と玲の意見で一致した。
午後、手術が行われた。何十時間もかかる大変難しい手術であった。人工心肺を使い、肥大した所をきりとり、残りをつないでいく。あまり、例がない手術でもあるため、成功するか、さえもわからないものだった。
「こうなってしまうなんて、」
野村教授は、ぼやいた。
「僕らはなんで、みつけてやれなかったのだろう。」
博もいった。
「もっと、いい、医療をはやくみつけてやれば、ここまで、ならなかったのかもしれないね、あんなスイカみたいな心臓になるまで、ほっぽらかしにしすぎたのかな。」
「しかたないわ。」と、和代は、博をなだめた。
「そう言うところが、須田常静なのよ。」
博と和代が愚痴をいっている間、華子たちは、静かに歌を口ずさんだ。
常静が、よく口ずさんでいた、「ジャスミン」。中国に古くからある歌。
美しいメロディーであった。

やがて、手術室の明かりがきえた。
全員、立ち上がると、常静がチューブでぐるぐる巻きにされながら、ストレッチャーではこばれていった。 

意識を回復した須田常静は、げっそりとしていたが、目の光りだけはあった。毎日、華子は、見舞いにいった。母葉子も、忙しくなければきてくれた。野村や、他の者は、全くいかなかった。博たちは、18時間の大手術に耐えられたのだから、回復するだろう、と考えていた。
その日、華子は、いつも通り病院にいった。
常静は、布団の上にすわった。
「今日は、」
と、常静は語りはじめた。
「ある、馬鹿な男の物語をきかせてあげます。」
華子は、椅子にすわった。
「その者は、4歳から古筝をならいました。十年後に彼は、師範の免状をとります。でも、弱点がありました。かれは、義務教育を受けていなかったんです。かれは、近親交配で生まれたために、非常に虚弱であったため、学校にいけませんでした。」
「なぜ、近親交配で?」
「かれの祖父の妻は、死亡しました。しかし、古筝の家元はつくらなければならない。祖父は、後妻をもらいました。それが馬鹿の母でした。しかし、祖父は、亡くなった祖母の間に子供がいました。その少年は、馬鹿の父でした。父が一番性欲の強い、十八歳のとき。祖父の後妻の部屋に忍び込んで。」
「つ、つまり、レイプしたと?」
「はい。その通り。そして生まれたのは、馬鹿でした。彼が四歳から古筝を始めた云々はのべましたね、」
「はい。」
「しかし、祖父も、父も、後妻も、大地震で被災してなくなり、かれは、古筝を背負って、放浪の旅に出ました。
ある、廃墟の寺院に居座っていたときでした。彼は、警察に保護されて孤児院にいきました。でも、古筝の家元の私生児であることは、すぐに知られてしまって、かれは、悉くいじめられて。」
「ひどいわ!その人の親!」
「で、かれは、学校にいかないまま、精神科にいって、暫く隔離室にいて。その中で心理セラピーを学んで。」
「ええ。」
「セラピーを施す人として、やって行くようになり、やっと人並みに暮らせるようになったけど、段々に胸が苦しくなって。もう最後、と野村教授のもとに、おいてもらって。」
「じゃあ、その、バカな男って。」
常静は、そっと、自分をゆびさした。
「先生は、学校にいかなかったんですか?」
「ええ、でも、その方がかえって楽なこともありますよ。いまは、ほとんどの人が学校にいけるけど、僕が若い頃は、たくさんいましたからね。学校に行かない人。学校にいったから、何がえらいか、というと、何もないとおもいますよ。学校が苦しくて、行かないひとも、いるからね。華子さんは、学校をどう、捉えているのですか?」
「わからないわ。ただいけと言われるだけで。」
「本当は、そうあってはならない所ですよ。学校は。だって、学ぶとは、これから生きていく術を身につける事ですからね。それが、僕にはあこがれでしたけど、結局できないまま、ここまで来たんですから。」
「先生、先生は、まだ三十五なんですから、夜間中学とかで学ぶとか、通信教育とか、あるじゃないですか、病院をでたら、あたしも協力しますよ。まだまだ学びたいってきもち、あたしもありますもの。あたし、先生のそばにいます。あたしを救ってくださった、先生のそばにいたい。」
常静の目に、涙が浮かんだ。
「華子さん、あなたは、広い世の中へ出て行かなくては。本当のあなたが、世の中を歩くすべを学んで、また、苦しんでいる人たちに、それを伝えていく。そうすれば、これから生まれてくる命たちに、世の中の素晴らしさを教えられる。そのためにも。」
「先生、それは、一人では、やっていけないんじゃないでしょうか。私はそうおもいます。先ほどはなしてくれた男性は、一人で全てしようとしたから、お体をもぎとられてしまわれたのでしょう。だから、二人でやっていけば、また違うとおもうんです。一人ではなく、二人で。それは、できませんか?」
「そんなこと、、、。」
「私が、先生のそばにいます。」
華子は、常静の肩にそっとてを置いた。
常静は、その手を握りしめ、二人の間に置いた。二人とも、目の色が深くなっていた。
看護師が
「面会時間、おわりましたよ、」
と、つげにきた。
「あら、もうそんな時間?」
華子は、立ち上がり、上着を着用した。
「また、明日きます。バイバイ。」
華子は、手をふった。
「また明日」
常静も手を振った。
華子は、軽やかにはしって帰っていった。明日は、アカデミーをでて、アパートにでも移りたい、そんなことを語ろうと思っていた。

翌日。
朝日が地平線から降り注いでいた。
朝食を届けにやってきた看護師が、常静の部屋の戸を叩いた。
「須田さん、朝食ですよ、おきてください。須田さん?」
看護師は、常静の部屋の鍵をあけた。
そして、持っていた朝食のお盆を落としてしまった。すぐに、踵をかえし、ナースステイションに飛び込んで、
「先生、いらしてください、個室の須田さんが!」
まだ朝が早いため、担当医はいなかった。寝ぼけまなこをした当直医は、急いで常静の部屋に飛び込んだ。
常静は、もう息絶えていた。眠ったまま、あの世の人になったのだ、と医師は、かくしんした。
これが、臨終か、と思われるほど、彼の死に顔は、うつくしかった。

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