永久欠番

増田朋美

概要と第一章

上村華子
高校で、存在を否定されたために、中退し、ヒーリングアカデミー野村に、山村留学する。健忘失語にかかるが、克服し、成長していく。
上村葉子
華子の母親。保険のセールスをしている。決断力があり、華子に退学をすすめ、山村留学させるが、重大な秘密があった。
野村教授
ヒーリングアカデミー野村の主宰者。民族楽器を専門としている。常に車椅子にのり、自動車も運転できないが、生徒たちを心配している。
須田常静
アカデミーの古筝教授。重い障害をもち、余命は短い。華子を最期の生徒として、忠実な愛情をよせていく。
花村博、近藤和代
二人ともアカデミーの、生徒。
吉田玲
気孔師。かつては、酷い悪童であったが、常静の指示で、華子に気孔を施術するなど、協力している。
吉田朗子
その妹。華子のクラスメートで、華子からは担任教師の下僕のように見えていたが、実際は進学などどうでもよかった。
徳松百合子
朗子と華子の担任教師。進学率しか頭になく、体罰で国公立大へいかせることにこだわっている。
長野淳子 
スクールカウンセラー。自分の人生は自分で、と主張したが、学校に消され、活動できなくなる


上村華子は、学校からとびだした。鞄も持たず、くつも履かず、制服と上履きのまま。
全速力で走り抜け、自宅アパートのまえにたった。しかし、鍵がなかった。鞄のなかに、入っていた。電源をきった、スマートフォンもなかった。
雨が降ってきた。華子は、大粒の涙を零してないた。
どれくらい時間がたっただろう、辺りは真っ暗になっていた。
「華子」声がした。母の春子の顔が見えた。
「お母さん。」
あまりにくやしすぎて、先がでなかった。
「とにかく、入って、おふろであったまりなさい。」
春子は、優しくいった。父親は、すでに亡くなっていた。たった一人の家族である春子は、保険の外交員をやっていた。春子は、鍵をあけてやり、華子は、風呂にはいった。風呂は、そっと心の傷をいやした。
華子は、風呂をでた。
「華子」
母は、優しくいった。
「学校、やめちゃおうか。また、ひどいこといわれたんでしょう?あんな教師ばかりの学校じゃ、何の意味もないじゃない。あの、徳松っていう、教師に、池波っていうカウンセラー。またなにかいわれてきたのよね。」
「そうよ、お前は、生きてはいけない人間だな、そんな点数しかとれないんだから、っていわれたの。池波は、あなたは、お母様を殺す気か、あんな大学いくなんて、学費がたかすぎるし、なにも学ぶ者はない、そういったの。げんに、お母さんみろ、全然違う仕事しなきゃいきていけないじゃないかって。」
華子は、志望している大学があった。
そこは、彼女の母の母校でもある。母は、大学でまなんだことを生かすには一切関係ない仕事をしている。だから、教育者は、それにつけ込み、進学率がどうの、就職がどうの、と脅かすのだった。
「華子、山村留学してみない?私の師事した教授が主宰してるところよ。楽器をまなんだり、精神療法もしながら、BDで授業をやってくれるところなの、現役の高校生もいれば、おじいさんおばあさんまで、学べるし、カウンセリングとか、催眠療法も、充実しているのよ。卒業すれば、高卒の資格がえられるわ。だから、大学は、受験できるわよ。ねえ、どう?」
母は、鞄のなかから、パンフレットをとりだした。
「ヒーリングアカデミー野村」という、そのしせつは、富士山の二号目にあった。東京では、けっして無い場所だ。専攻楽器は、箏や、胡弓などの和楽器や、古筝や、笛子などの中国の楽器だった。
「あたし、ピアノしかできないわ。」
「大丈夫よ、基礎から丁寧にやってくださるから。」
「うーん、、、。」
と、華子は考えた。どっちにしても、今の学校はつらすぎるし、卒業できるじしんもなかった。
「いってみるわ。」
華子は、決意した。
翌日、華子は、高校に退学届けをだし、その足で静岡にむかった。
華子は、新幹線をおり、バスに乗って、指定された場所へむかった。バスは、走れば走るほど、田舎になってきて、とうとうあたり一面森ばかりの所へきた。そこで華子は、バスをおりた。停留所に、中年の女性が待機していた。
「あなたが、上村華子さん?わたし、大内和代です。専攻は、生田の箏。」
やさしい、静岡訛りであった。
「ええ、上村華子です。よろしくおねがいします。」
「じゃ、行きましょうか。五分もかからないから。」
と、和代は、あるきだした。華子も、ついていった。
「若い人が山村留学なんて、何年ぶりかしら。ここも、後一人、おじさんしかいないのよ、笛子やっている、31のおじさんよ、名前は花村博。先生方は希望者がでたら呼び出すの。ここに住んでいる先生方もいたんだけど、いまは、野村教授と、須田常静っていう、古筝の先生しかいないの。」
「古筝?それなんですか?」
「もうすぐ、きこえてくるわ。」
すこしあるくと、日本の箏のおととは、まるで違う、甘い、不正確なおとがかきこえてきた。もし、音大であれば、邪道といわれるのではないか、と思われるほど、不正確だった。
「これが、古筝の音。貴女には不愉快かしら、ピアノやってるんだし。」
「いえ、」華子は、口が勝手に動いて入るようなきがした。
「すてきだわ。音が正確じゃない楽器って、人間みたい。」
「そう?若いのに、変わってるわね。」
すこしあるくと、ひとまわり大きい建物があった。これが、本部だった。その、げんかんに、車椅子の男性と、笛子を持っている、男性が微笑んでいた。
「ようこそ、上村華子さん。野村昭男といいます。」車椅子の男性がいった。母が大学生のときに、非常勤講師として、胡弓をおしえ、教授となったが、くも膜下出血で、車椅子生活となり、大学を退いたときいている。
「よろしくおねがいします。野村教授。」華子は、最敬礼した。
「僕は」、笛子の青年があいさつした。和代は、おじさんといっていたが、とても凛々しい青年であった。
「花村博です。じゃ、お入りください。」
全員、建物にはいった。
まず、野村教授が学校のしくみを説明した。この、ヒーリングアカデミー野村は、富士市内の定時制高校と、れんけいしており、午前中は、各々、寮に置かれているパソコンを用いて授業をうける。それにより、学校に出席したことと、同格になる。
食事は、全て自炊で、コンビニ弁当など、既製品は、禁止され、わからなければ、教わるなどして、壱から十まで、全てつくらなければならなかった。
午後からはとくに時間割もなく、音楽の時間だった。ほとんどの講師は、大学教授を定年退職した、一流の人々だった。そのなかで、カウンセリングや、多種多様なセラピーが行われる。
「で、」野村教授は、いった。
「希望する楽器とかある?」
「古筝をやらせてください、」
華子は、迷いなくいった。
「あら、珍しいな。」と、博が笑っていった。
「わらってはいけないよ、花村君。すぐ、須田常静のもとへおつれしてあげて。」
野村教授の指示で、博と、華子は、須田常静の自宅兼レッスン室にいった。
まだ、古筝のおとがきこえてきた。
「常静先生、あけてください、新しい生徒がきましたよ。これでいつまでもひきつづける必要はありませんよ。」
博は、戸をたたいた。
「どうぞ、入ってください。開いてますので。」細いこえがした。
二人は、中にはいった。部屋は一つしかなく、ワンルームの和室のようだった。そこで、男性が古筝をひいていた。華子は、音色と裏腹に、美しくつくられている楽器に驚いてしまった。
そして、その奏者は、まるでテレビタレントにでも、なれそうなほど、美しい男だった。髪を長くのばしていたが、逆にその方がふさわしかった。紫色の羽織袴がさらにそれをつよめていた。
「先生、古筝を希望されるそうですよ、上村華子さんです。」
博は、常静のからだをポンとたたいた。常静ははじめて演奏をとめた。
「は、はじめまして。上村華子です。どうぞ、よろしくおねがいします。」
華子は、しどろもどろにいった。
「須田常静です。こちらこそ、」
常静は、華子と握手した。
「常静先生は、サイコセラピーとか、カウンセリングもお上手ですよ、ぜひ、やってあげてください。彼女に、」
「ええ。わかりました。」
常静は、静かにいった。
そのとき、一瞬胸に手を当て、かおをしかめたのを、華子は、見逃さなかった。



華子の新しい生活がはじまった。勉強の進め方は酷く遅かったが、だれもその事で怒るものはいないため、特に気にしなかった。
なによりも、午後の音楽の時間が大好きだった。古筝という楽器は、見かけの割に単純なので、すぐに曲をひけるようになった。
それが終了後、常静と一緒に、「セラピー」をする。常静のやり方はいわゆるカウンセリングのような、ただ黙ってきいて、本人に気づかせるというものではなく、クライアントがはなせば、セラピストが質問をしていく、というものだった。
「古筝やっていれば、あまり気にならないんですが、」
と、華子はいった。
「時々、まだ、あの担任教師がこっちまでくるんです、そして、お前はバカだというんです。」
「担任教師は、なぜ、君がこっちにきていると、知っているの?」
「はい、担任教師が私の考えを抜くんです。担任教師は、私のことを壱から十まで知っている。」
また、華子は、こんな事をしゃべったこともある。
「私は殺されたんです。担任教師と、カウンセラーに。あのふたりこそ、あたしを陥れたひとです。今頃他の生徒も、ターゲットにしているんじゃないかしら。」
「あたしだけがいけなかったんです。いい子じゃなければ学校にはいれないから、試験の成績が良くないと、物差しで叩かれる。」
華子の話は、学校の担任教師と、カウンセラーの指導における病的なはなしばかりだった。常静は、それについては、なにも指摘しなかった。クライアントは、矛盾したことをいったり、健常者からみれば、いい加減に恨むのをやめろ、と思われることをいつまでも、続けていたりすることは、ざらにある。それを怒ったり、否定しては、いけない。クライアントに、取っては、いままさにここで起こっているのだから。
さらに、華子の話は続く。
「いまも、あの二人はいきているなんて、しんじられない、ぶっ殺してやりたい。」
常静は、その二人が何をしたか、しりたかったが、華子に質問しても、答えは得られなかった。彼女が相当な傷を負ったことは確かだ。しかし、「思い出せない」しか答えがないため、おそらく、その記憶は、抜け落ちている、いわゆる解離性健忘と、推量した。
常静は、ただ聞くだけでは意味がない、と考え、カウンセリングのことを
傾聴セラピーとよんでいた。華子は、傾聴セラピーをうけたあとは、とても気持ちよかった。だれもが、「違う、そんなことは、ありえない。」として、いわれるが、いまここで、おきていることであり、自分で違うと思えなかったからだ。常静は、なにも否定しなかったし、自分の話にオウム返しのような、質問もしなかった。
セラピーが終わると自由時間だった。周りは森ばかりだったが、ふしぎなことに、町へいこうとは、おもわなかった。
その日も、傾聴セラピーをうけていた。華子は、同じことばかり繰り返していたが、
「華子さん、そろそろ、言わなければならないんですが。」
と、常静は、いった。
「あなたは、学校で傷ついていますね、そして、度をこして、学校の先生に、こうされたと、思い込んでしまうことで、相手の気を引こうとしている。それは、おそらく、あなたが傷ついて、助けてほしいからです。お医者さんのことばを借りると、精神分裂病と、いえるとおもいます。まあ、病名は、あまりあてにならないから、気にしなくてかまわないけど、早くなんとかしてしまわないと、大変なことになる」
「病気?どこがですか?体の方は悪くないのに。」
「急に、悲しかったり、過去の辛さを思い出して、ないたりするでしょう。」
「私は、よくわからないけど、感情が湧き上がって、パニックになるんです。それが病気ということですか?」
「こうは、考えられませんか。病気といわれたら、多少時間がかかっても、なおると。病院、いってみましょうか。」
「はい。」
華子は、常静を信頼していたから、迷わず即答した。
常静と華子は、和代に運転をたのみ、五分ほど車を走らせて、近くの精神科にいった。
精神科というより、どこか外国の庭園のような庭をもつ、観光施設だった。
中はまるで、立派なホテルのようだったが、異様な雰囲気だ。口を半開きにした、患者や、怖い目つきで睨みつけるものもいる。
「上村さん、どうぞ。」
看護師が診察室へあんないした。
「はい、上村華子さんね。常静君のお知り合いでしたら大歓迎ですよ。彼はいつも良い患者さんを、つれてきますから。僕は高橋朋樹といいます。よろしくね。今日は、どんな症状できたのかな。」
華子は、常静に話したことと、同じことをはなした。優しい高橋朋樹は、ただ、うんうんときいてくれた。
「そうか、それは、大変だったね。きみは、常静のいう病気だね。でも、じかんは、かかるけど、きっと良くなるよ。薬だしておくから、常静君の治療と一緒に、頑張ってやろうね。」
高橋医師は、笑顔だった。80歳をこえた、白髪頭の高橋医師は、常静の方をみた。
「常静君、君の体はどう?相変わらず蒼白いじゃないか。」
常静は、かおをしかめながら、
「いえ、大丈夫です。」
といった。華子は、このやりとりの意味がわからなかったが、それは、大変重要なものだった。

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