童話集2

増田朋美

花籠

「角田あやさん。」
と、看護師が呼んだ。
病院の待合室で待っていたあやは、動かない体を無理やり動かして診察室に行った。
「今日はどうされましたか?」
優しそうな女医さんだった。
「頭が痛くて死にたいんです。」
そのあと、二言三言交わしたような気がするが、覚えていない。
「鬱病だね。」
と、言われた。
「そうですか。」
答えは大体予測していた。
「薬出すから飲んでみて。飲み忘れや、紛失はだめよ。効くまでに多少時間がかかるかもしれないけど、必ず治るから。できれば、仕事はしばらく休ませてもらえない?」
「無理ですよ。」
と、あやはつっけんどんに答えた。
「そう。だったら、半日勤務にするとか、工夫して会社に行ってね。鬱病には休養が必要なのよ。」
「わかりました。」
「じゃあ、来週もまた来て。」
「はい。」
あやは、何も言わずに診察室をでた。
「どう伝えようかな、、、。」
あやは社会人一年目だ。長期休暇などとれるはずがない。上司に言ったらこっぴどく叱られるだろう。
「私が悪かったんだ。生まれてきたのが悪かったんだ。」
あやは、本来は看護師を目指していた。大学より専門学校に行きたかったが、高校ではそれを許してくれなかった。そんなわけで福祉学部に進学し、この会社に就職したわけであるが、看護師と似ているようで違っていた。看護師であれば、所属によるかもしれないが、けがや病気の人が回復して、飛び切りの笑顔が見られる。しかし、今の職場では、残り時間の少ない人たちが相手だし、認知症などを持っている人にも振り回される。回復していく人なぞ、いるわけがない。まるで、天と地の差があるきがした。あやが中学校に仲の良かった友人たちは、高校にはいっても、何かしらの助けがあって、自己実現を完遂している。しかし、あやの身の回りには、進学率しか頭にない人たちばかりであった。そのため、ほとんどの者と関係は絶ってしまっていた。
「なんで私だけよい人に恵まれないの!」
思わず、そこにあった壁を怒りを込めて蹴飛ばした。
と、足の指に鈍い痛みが走った。靴を脱いでみると、小指が真っ黒になっている。建物をみると、相当古い物だったらしく、塀に穴が開いてしまった。その音を聞きつけたのか、玄関のドアがガチャンと開く音がした。きっと、塀の修理代を求めてくるのだろう。万事休すだ、と、あやは思った。
「もう、死にたい!」
思わず叫んでいた。
「それではだめですよ。」
穏やかな男性の声だった。あやはふっと我帰って周りを見渡すと、白い着物に黒い羽織を身に着けた男性が立っていた。
「申し訳ありません!塀の修理代は必ず出しますから、どうか、、、」
「いいんですよ。」
一瞬、腰が抜けた。
「お入りください。足の指、酷い怪我ですから、手当して差し上げます。」
「え、、、。」
「塀のことは気にしなくていいです。何かわけがあったのでしょうからね。それよりもその、足の指が心配です。貴女が悪いわけではないと思いますので。」
と、男性は手を出した。顔は真っ白で、げっそりと痩せていた。でも、物腰が柔らかく、悪い人とは思えなかった。
「あ、ありがとうございます。」
あやは、力の入らない足で無理やり立ち、男性のあとについていった。建物の表札には「角田」と書かれていた。
「私と同じ苗字、、、。」
「そうなんですか。ちなみに僕の名は、角田新五郎と言います。」
どこか、テレビドラマのそのような名があったような気がしたが、あやは名前など気にかけなかった。
「角田あやです。」
「角田あやさんね。どうぞよろしくです。僕のことは、新五郎でいいですよ。」
と、角田新五郎は、家のドアを開けた。中は、イグサのにおいで一杯だった。あやの家に畳はないので、不思議な感触だった。
「歌織さん、彼女、ケガしているから、包帯してあげて。」
「はい、今行きます。」
と、中年の女性が現れた。その表情から見て、何かわけがある人だな、とすぐにわかった。いまどき、着物で家事をするようなことはないだろう。前掛けをしていたが、それは銘仙柄であった。銘仙は、格としてよくない着物であると、あやは母から聞いていた。
「角田歌織です。宜しくお願いします。」
「角田あや、、、です。」
「同じ苗字は珍しい。どうぞあがってください。」
歌織は、彼女を居間に連れて行った。狭い部屋だったが、綺麗に整頓されている。歌織は椅子に彼女を座らせると、湿布薬を出してくれて、テープではり、包帯で固定してくれた。どこかの病院の看護師よりよほど上手だった。
「あやさん、どうぞ軽いものを召し上がってください。」
新五郎が、陶器の器を持って来て、居間のテーブルの上に置いた。中にはそばが入っていた。実を言うと、あやはそばが少し苦手だったが、手当をしてもらった以上、食べなければならない。用意された割り箸を割って、恐る恐る口にすると、
「おいしい!」
と、思わず言葉が出てしまうくらい美味だった。あやは、緊張がほぐれたのか、ライオンのようにそばを掻き込んだ。
「旦那様、いいんですか?お体に障りは出ませんでしたか?」
歌織は、何か心配そうな様子だった。それに気が付かないで、掻き込んでしまうほどおいしいそばだった。
「新五郎さん、で、構いませんか?ごちそうさまでした!ありがとうございます!」
あやは、スープを飲みほして、器をテーブルの上に置いた。しかし返事はなかった。代わりにのどを震わせるような咳がでた。と、なるともしかして、と、あやは思ったが、医学が進歩しているこの日本で、ここまで重症の人がいるのだろか? 首をひねって考えていると、
「あやさんも、信じられないですよね。このような症状を出すなんて、テレビの時代劇で見る程度でしょう。」
新五郎がそういったので、それは立証された。
「ええ、、、。信じられないです。」
「仕方ないんですよ。」
すごく重い一言だった。
「大人になっても子供の時の影響ってでるんですよね。僕は、いわゆるBCGというんですか、予防接種を受けたことがないんです。親が僕のことを放置していて、病院に連れていってくれなかったんですよね。妹はまだよかった。僕は満足のいく食事を貰ったことさえなかったので。理由は単純でした。僕が妹のような、好成績ではありませんでしたから。」
「それって、児童虐待にあたります!誰かに助けてもらうことはできなかったのですか?」
「そうですね。まあ、お役所は役になんてたちませんよ。警察だって、テレビのようにはいきません。中学生、高校生の時は、ブルーシートで寝起きして、きたない話ですが、排泄物は垂れ流しのままでした。幸い、高校三年に時に親が捕まって、解決したようにみえたけど、それ以降は何にもしてくれませんでしたよ。お役所なんて。妹は、そこまでいかなかったので、自力で祖父母の家に逃げていきましたけど、一切交流もないですからね。きっと、自分を守るために。
まあ、それは仕方ないですよ。僕は、そのころは立って歩くこともできなかったので。」
「どうして、逃げられなかったんですか。私なら、逃げるが勝ちと思うけど、、、。」
「あんまりにもひどいと、それすら考えられなくなりますよ。きっとね、戦時中はみんなそうだったのではないかな。」
「高校以降は、どうだったんですか、それでも、何とかできたでしょう?仕事して、一人で暮らすことだって、できるんじゃないですか?」
「それがね。」
と、新五郎は肩を落とした。
「幼い頃、いい思い出がないせいか、仕事も何も全然できなくなっていくんですよ。いろんな職場にエントリーしてみたけれど、続かないんです。どうしてなんだろう。必ず、その時の情景がリンクしてしまう。何か、キーワードのようなものがあり、そうなると、確実にだめで、必ずトラブルをおこすんです。長くて半年しか続かない。妹がどうなったかは知りませんが、結婚して、子供をもったとききました。幸せになれたのかな。」
「うちの母も、本当に感情的になりやすかったし、なんか成績のことでってなると、私も似てますね。まあ、母が子供のころどうだったかってのは、一切しゃべりませんので、私は何も知らないんですが。」
「そうですか。そのお母さんが、子供のおかげで親になる、ということを考え直してくれるといいね。僕は、精神障害者になりましたから、病院も容易くいけなくなりました。症状を言っても、みんな精神関係とかいって、取り合ってくれなかったから。」
と、再びせき込んだ。口をふいたそのハンカチーフが赤く染まりだした。
「ああ、あやさん。ごめんなさい。暫く休んでもいいかしら。あんまり話をすると、旦那様が疲れてしまうといけないから。」
歌織は、台所に走っていき、
「旦那様、鎮血の薬。」
と、粉薬と水を渡した。新五郎はありがとうだけ言って、薬を飲みほした。
「私も、いつまでこうして一緒にいられるのかを考えると、不安でしかたないんですよ。ここまでひどいんじゃ、もう、、、。」
「病院さがすとか、いろいろ手だてはあるんじゃないですか?」
「いいえ、それはできないんです。私も過去というものがあります。」
「過去?」
「ええ。私も、若いとき、やっぱり罪を犯してしまって。でも、旦那様が一緒にいてほしいといってくれたから、できる限りおそばにいようと思ったのですが、、、。」
新五郎が再びせき込んで、咽喉にたまったものを吐いた。
「旦那様、きょうはやけにひどいですね。お布団しいて休みましょうか。」
答えは出なかった。それすら出せなかったのだ。歌織は、彼に肩をかしてやり、隣の部屋に連れて行った。
数分後、歌織が戻ってくると、あやは、少し語勢を強くして質問した。
「私にはわかりませんね、どうして病院に連れて行かないんです?」
「できないんですよ。」
「だから、そればかりじゃなくて、なにか方法はあったのではありませんか?」
「できないんです、、、。私は、人殺しだから。」
「人殺し、ですか?」
「ええ、出所したあとに、旦那様と結婚したんです。私、子供を一人産んだんですけどね、、、。産むなんてかっこいいことを言っておきながら、結局殺してしまいました。その子は今の旦那様の子供ではありません。旦那様が親切に許してくれましたけど、私はどうしようもなかったです。」
「つ、つまり、歌織さんは、加害者であるということですか?」
「テレビのニュースを見なかった?」
テレビ?見たことはない。禁止されていたから、無理やり悪事と思い込んだのだ。
歌織は、親近感を持ったらしく、敬語を無視して話始めた。
「私の名前、当時は旧姓の佐藤歌織だったけど。逮捕されたのが、十年前だから、わすれてるかな。私、大学を出たくせに、こどもの頃から女優になりたかったのを、忘れられなかったのよ。それで、ある有名な事務所に飛び入りで入ったの。お稽古は辛かったけど、充実してた。そこの同期の方と結婚して、二人一緒に芸能界へいこうって話していたんだけど、四年後に子供が与えられた。それで、私たちは別れなきゃならなかった。」
みると、涙を流していた。
「離婚して、私はシングルマザーとして、工場で働いたりしたの。でも、子供を保育園に預けたりしていたら、保育園から文句がでたりして。なんか、問題ばかりおこしていたんですって。だんだん、産んだときの感動も忘れていって、子供のせいで私は、夢もなくしたと思った。そうなったら、自然に手がでたわ。食事作るのも嫌だし、熱を出しても病院につれていきたくないし。ずっと、放置してた。結局、二歳で子供が餓死して、私は警察に逮捕された。テレビでも、私の実名がながれたし、私が警察に話した言葉も報道された。子供のせいで夢が絶たれたから、と、正直に話して、刑務所にいったけど、そこにいた方が楽だったかもしれないわ。」
「出たあとで、新五郎さんと知り合ったんですか?」
「ええ、刑務所の受刑者による作品販売で、初めて知った。仮出所のときにも、会いにいったの。旦那様が、虐待の被害者で、そのころからものすごく体が弱い人だったと聞かされたとき、わたし、殺した息子が大人になったら、こうなっていただろうなと、すごいショックだった。だから、この人に会ったときは、、、。罪を償うつもりで、一緒にいよう、と決断したのよ。」
歌織は、さらに、涙をこぼしながら言った。
「 もしかしたらこれが、私がもっている、愛情なのかもしれない。若いときには、それを知らなかったから、子供を殺してしまったかもしれないわね。私ね、思うんだけど、多かれ少なかれ、人間は間違いをしなければ愛情と言うものは持てないんじゃないかなって。だって、東大とか京大を出た人の子供が、必ず偉くなるよりも、どこかで破綻を来してしまう方がよくあるし。私のような、大きな間違いでなくていいから、失敗した方が、愛情を持って、生活できるのよ。」
その言葉はずんときた。
「でも、最近の人は、今までの辛さから、一番大事なものを手放してしまう。そこからの手助けだって、いまは、商売になる時代なのよ。それをもっとハードルを落としたら、いきるのを、また、楽しめるかもしれない。」
そう、そう、そこだった。あやが求める世界だった。あやも、居場所のない学生時代、誰に聞いても答えがでないで泣いてばかりいた時期がある。教師は、自分で考えろと、カッコいい台詞をいう。しかし、机に座り、点数を追いかけるだけの学校は、答えなんぞ教えてくれなかった。他の人にもきいてみたが、答えはいつもおんなじだ。あやは、そのつらさをまず聞いてくれて、そこから答えを導き出す人がほしかったのだ。そういう人は身近にはいない。ところが、中学生のころ、風邪のために地元の病院にいったら、一人の中年の看護師が、積極的に話しかけてくれたのだ。今でも感謝している。その人の存在から、あやは看護師になりたいと思ったのだった。
「愛情って何でしょうか。歌織さんは、どう思いますか?」
あやは聞いた。
「そうだな。一番の美しいけど、獲得するのは、一番難しい感情じゃないかな。そのためには、うんと沢山修行をしなければならないと思うわ。そして、机に座っていることは、なんにも役に立たない。」
「ああ、なるほど、、、。」
あやが考えていると、激しい咳のおとがした。歌織は、隣の部屋へ直行した。あやも、それに続いた。
「旦那様!大丈夫ですか?」
布団は、鮮血で朱に染まっていた。それでもなお、彼の口に当てた指からは血が流れ落ちている。
「ああ、、、。」
歌織は黙り混んでしまった。もし、以前のあやであれば、先程の台詞は何だと責めたかもしれないが、いまのあやには、ちゃんとわかった。歌織は、新五郎に愛情を持っているのだ。だからこそ、どうしたら良いものなのか、わからず黙り混んでいる。
「お医者さん、呼びましょうか!」
と、あやはいった。
「ダメよ!お金が無いわ!」
「少なくとも、保険証はありますよね?」
とあやがきくと、
「私には、ないのよ。犯罪者だもの。」
歌織は、静かにいった。そして、
「でもなんとかしなければ!」
と、急に立ち上がり、台所へいった。そこには、いくつか薬のはいった瓶がおいてある。しかし、どの瓶も空っぽだ。しかもそれらは、安く売られている市販薬にすぎない。歌織の目からみるみる涙があふれでていた。あやは、自分の鞄から財布を取り出して中身を調べると千円しかない。せめて、市販薬くらい買ってやれたら、と、あやは、スマートフォンをだして調べてみた。新五郎の咳の音は日増しに強くなってくる。そして、なんとか鎮血の薬にたどり着いたとき、突然、すっと、咳が止まった。
「旦那様、旦那様!」
歌織は、新五郎にとりすがってないている。あやも、何がおきたのか、すぐ理解できた。あやは、急に力が抜けてしまい、何もわからなくなった、、、。

「あや、起きなさい。」
と、母親の声がする。気がつくと、自分の家だ。さらに自分はベッドに寝ている。
「早くしないと、遅刻するわよ、会社に。」
あやは、急いで起き上がり、服を着替えて鞄を整えた。
ダイニングへ出ると、母が目の前に朝御飯を置いた。目玉焼きに、サラダ、スープにホットケーキ。贅沢な食事だった。
不意に、その視野に、小さな仏壇が見えた。そこにおかれている遺影の人物を見て、
「新五郎さん!」
人違いではない。さきほどまで会っていたのだから、はっきり覚えている。
「知ってたの?兄のこと。」
母は、冷たく言った。
「お母さんのお兄さん?」
「そうよ。でも、馬鹿な人だったわ。あたしたちは、子供のころ、両親に虐待されたことは、あやも知ってるわよね。あたしは、すぐに逃げて、幸せになれたけど、兄はそこへ残っていたのよ。そうして、働けなくなって、しかも、犯罪者の女と結婚して。今だったら一発でなおるはずの病気にかかって、あの女が犯罪者だから、治療のためのお金も作れないで、そのまま死んじゃった。本当に馬鹿な人だったのよ。」
「凄いお兄さんだったじゃない。あ、そうだ、お母さん。いまの言葉で決意したわ。看護大学、行っていいかしら。やっぱり、本来やりたいことを、やりたいのよ。」
あやは、恐々と、母を見た。
「あたし、看護師になりたいの。弱い人の味方でいたいの。」
しかられるか、と、思いあやは、縮こまった。
「変な言葉は要らないわよ。行ってもいいわよ、看護大学。」
あやは、飛び上がりたくなった。もう、天にものぼる気持ちだった。急いで退職願いを書き、丁寧に封筒に入れて、家を飛び出していった。

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