増田朋美

第三章

五年後。
東京のある小さな町。マッチ箱を二つ重ねたような小さな家。表札は斉藤と書いてある。
居間には仏壇があり、そこにはまさ子の父親の写真が置かれている。そのそばには、小さな女の子が、スケッチブックを広げて何か絵を描いている。
そして、鼻歌を歌いながら、リンゴを切っているまさ子。その近くには、男性用のスーツが干してある。
と、インターフォンが鳴る。
声「ごめんください。」
娘「あ、パパ?」
まさ子「いいえ、この時間じゃまだ帰ってこないわよ。」
娘「おばあちゃん?」
まさ子「おばあちゃんは、旅行に行っているでしょ?それに、今の人は男の人よ。」
娘「じゃあ、誰かな?」
まさ子「たぶん、宅急便のお兄さんか、、、。」
娘「じゃあ、美紀子が出る。」
と、机の上から印鑑をとって、玄関に走っていった。ところが、
美紀子「怖いおじさん!ママ助けて!」
と、まさ子のところへ駆け寄ってきた。
まさ子「怖いおじさんって、、、。」
声「申し訳ありません、どうしてもお伝えしたいことがありまして、、、。」
まさ子「何が怖いの?」
美紀子「小指に絵が、、、。」
まさ子は、とっさにそばにあった物差しをもって、
まさ子「二階にいってなさい。」
とだけ言い、自分は玄関先に行った。
まさ子「あの、どちら様でしょうか、、、?」
玄関には青白い顔をした男性が立っている。年はおそらく四十代だろう。やせてやつれており、確かに娘が言った通り、両手には炎の刺青があり、着物を着用していることから、暴力団の関係者だろうか?しかし、それにしてはやつれた姿だった。
男性「初めまして。徳永芳樹と申します。」
まさ子「い、一体何なんです?サラ金に借りたような覚えはありませんが、お宅間違いでは、、、?」
男性「いえ、斉藤まさ子さんですね。旧姓小野まさ子さん。」
まさ子「なぜ、私の名を知っているのですか?」
男性「ええ、僕の店に来た女性がそう漏らしていました。唯一のお友達だったそうですね。」
まさ子「い、一体誰のことです?私は、ここの人間ではありません。結婚して、こちらに来たんです。」
男性「長須はるかという女性をご存じありませんか?」
まさ子「ながすはるか?ええ、、、ああ、、、。」
男性「僕は、芸名を彫一といいます。彫刻の彫に漢数字の一。それで、僕の職業は大体わかってしまうと思いますが、、、。」
まさ子「なんですか、背中を預けてくれとでも?」
男性「それより、長須さんのことを本当に覚えていらっしゃらないのですか?彼女のラインを見せていただきましたが、登録されていたのは、あなた一人しかいなかったのですよ。だから僕はどうしてもあなたに力を借りたくて、散々調べてここにたどり着いたのです。どうか、彼女を救うために、協力していただきたい。きっと、唯一の友人であるあなたなら、何とかすることができるでしょうから、あ、、、。」
早口にそういって、彼は座り込んでしまった。そして咳をした。それがまた、単なる風邪とは明らかに違う、何か別のものだと、まさ子にもわかった。
まさ子「お、おからだでもお悪いの?」
なお、咳をし続ける、男性。これは演技ではなさそうだ。それがしばらく続いて、頭もふらふらとしているらしい。
まさ子「あ、あぶない!」
といったが、彼は下駄箱に、ごちんと頭をぶつけてしまった。
まさ子「美紀子、こっちに来て!怖いおじさんじゃないわ。この人。」
美紀子は恐る恐るやってきた。
まさ子「居間へ運ぶから手伝って。」
と、彼を背負い、居間のソファーに寝かせてやった。父が亡くなる数か月前に、この行為をさんざんやったから、慣れていた。
美紀子「本当に怖いおじさんじゃないの?」
まさ子「ええ。大丈夫よ。」
と、彼の眼が動き出し、やがて意識が戻った。
まさ子「あの、もう一度、説明してくれませんか?どうして私たちを訪ねてきたのか。」
芳樹「ええ。一月ほど前のことだったのですが、、、。」
と、彼は、ソファーに座り直し、手拭いで顔を拭きながら語り始めた。
芳樹「突然、予約もなしに長須はるかという女性が訪ねてきたのです。その日は別の人が予約をして、終わった後だったのですが、、、。」
まさ子「つまり、タトゥーのお願いをですか?」
芳樹「まあ、英語で言えばそうなります。」
まさ子「ああ、有名人の中にもそういう人はいたような、、、。」
芳樹「そうなんですけどね、彼女が依頼したのは、般若とか、不動尊のようなものだったんです。まあ、暴力団とかがよくやりますよね。それなんですよ。」
まさ子「ええっ!彼女が?」
芳樹「はい、嘘ではございません。本当のことです。」
まさ子「ちょっと待ってください。東大へ行くような人が、なぜそんな、あ、徳永さんには大事なお商売ですけど、そんな、、、。」
芳樹「この仕事ですから、非難されて当然です。東大へ行くと、彼女はあなたに伝えたのですか?」
まさ子「ええ、さんざんいってましたよ。ほかの生徒が先生に叱られている中、彼女は特別に扱われていました。成績もすごくよかったし、きっと私は、東大へ行くんだろうなと思ってたんです。私は、高校を中退してしまったので、その後の彼女はわからないのですが、、、。」
芳樹「そうですか、、、彼女、東大にはいっていないんですよ。」
まさ子「ええ!」
芳樹「はい。不合格だったといっていました。浪人することは、親御さんの方針で許されなかったそうです。そこで仕方なく、介護施設で働いているそうで、僕のところにやってきたのは、そのころからですね。」
まさ子「そうだったんですか、、、。」
芳樹「僕は、彼女のような職種の人は、彫るのをやめろと説明しました。彫れば、彼女は不利になってしまいます。きっと、なんのメリットもないといいました。でも、まったく聞こうともしないのです。そのうち、彼女は、障害のある人のせいで、自分の人生はだめになったと言い出して、、、。」
まさ子「で、どうして私のところへ?」
芳樹「ええ。僕では、説得するにも力不足です。彼女のスマートフォンを見させてもらいましたが、ご家族と、あなたのラインしか登録されておりませんでした。彼女は、はじめてきたときから、自分には友達が一人もいない、と言っていましたが、このままでは彼女の人生もめちゃくちゃになってしまう。どうか、説得を手伝ってください。お願いします!」
まさ子「でも、私は、、、。」
この人と一緒に外へ出るなんて、、、。
芳樹「たった一人の友人である方に、説得してもらえば、彼女も納得してくれると思うんですよ。」
まさ子「でも、彼女とは、面識はありません。私は、」
芳樹「そんなことないですよね。彼女からあなたの話は聞いています。彼女は、あなただけを本当の友達だと思っていたようです。」
まさ子「私には、時間の余裕もないし、、、。」
芳樹「もしはるかさんが、事件を起こしたりしたら?」
まさ子「事件?」
芳樹「はい。だから、協力してほしいんです。もちろん、このプロジェクトが終わったら、もう決して、ここには来ませんから。それは約束します。」
まさ子「わ、わかりました。私も協力しますので、、、。」
芳樹「ありがとうございます!」
と、いい、改めて咳をする。
まさ子「ただ、私は子供もいますので、影響のないようにお願いします。それだけは守ってください。お願いします。」
芳樹「ええ、わかりました。」
と、改めて手拭いで顔を拭き、まさ子に最敬礼した。
まさ子「よろしくお願いします。」
美紀子が心配そうに母を見ていた。

翌日、まさ子は指定された場所に車でいった。芳樹は、カフェの中で待機していた。
まさ子「こんにちは。」
芳樹「来てくれてありがとうございます。では、早速ですが、、、。」
まさ子「ええ、まずは、彼女がどこにいるのかをおしえてください。」
芳樹「はい、いまは、奥多摩にいるみたいですよ。奥多摩の精神障害者施設である、東樹園という。」
まさ子「奥多摩ですか?もちろん都内ですよね。」
芳樹「まあ本当に東京なのかわからないくらいのところでしたけどね。」
まさ子「そんなところがあるんですか?」
芳樹「はい。電車は一両しかないですし、すごい辺鄙なところですけど、東京なんですよね。まあ、障害者施設はこういうところの方が、
たてやすいという理由もありますけど。」
まさ子「都心からはどうやっていくんですか?」
芳樹「中央線で、二時間くらいかな。」
まさ子「そんな遠いところ!」
芳樹は、スマートフォンを出して、「東樹園」と、検索する。
芳樹「ここですよ、はるかさんが勤めているところは。」
まさ子「見せてください。」
と、スマートフォンを拝借して内容を把握した。
まさ子「病院みたいですね。精神障害者というと、学習障害みたいなものかしら、、、?」
芳樹「ついのすみかですよ。」
まさ子「ついのすみか?」
芳樹「ええ。うつ病や統合失調症の方で、身内がない方を引き取る施設ですよ。もう高齢の人ばかりだから、ついのすみかというのです。つまり、長期入院していて、親が亡くなったことにより、かえる家がないという人を引き取っているのです。」
まさ子「そんな施設があるんですか、私は知りませんでした。」
芳樹「ええ。多分どこにでもあると思うのですが、知らないだけですよ。」
まさ子「でも、彼女はなぜそのような施設に?」
芳樹「はい。高校を卒業して働き口がなかったのだそうです。辛うじて、そこに入ったみたいで、、、。」
まさ子「そして、刺青を、ですか?」
芳樹「そうみたいですね。」
まさ子「本当にそんなことがあったのですか?」
芳樹「ええ。誓約書を持ってきたのですが、ご覧になりますか?」
まさ子「誓約書?」
芳樹「はい。これです。」
と、一枚の紙を見せた。そこには、長須はるかの名前が書かれていて、住所は確かに奥多摩、職業は施設職員と書かれている。しかし、その先は何も書かれていなかった。
まさ子「当店は、芸術的なものとして、刺青を行っています。なので暴力団関係者、犯罪者の施術は固くお断りいたします。また、一生消えず、痛みを伴うものですので、ご理解していただけたなら、ここに印鑑と氏名をお書きください。でも、彼女、サインしていないのですね。」
芳樹「ええ。僕は断固として、彫らないといったのです。しかし、彼女は何回も押しかけてきて、ほかのお客さんも困っているくらいでした。」
まさ子「困ってる?」
芳樹「ええ。ほかのお客さんに彫る間は、いつもスマートフォンなどの電源は切っておいて、何かあれば、後でかけなおすようにしているのですが、電源を入れなおすと、彼女の着信が大量に表示されたりして、、、。」
と、いいまた咳をした。
まさ子「本当にそうなのでしょうか?」
芳樹「また、それを言うんですか?だって、、、僕みたいな者と接点を持つのは、こういうときしかないとおもいますよ。」
まさ子「まあ、確かにそうですが、、、。」
芳樹「とにかく、はるかさんにはいろいろ問題があることは確かです。何しろ、親御さんとももめているらしい。」
まさ子「ええ?私、授業参観とかで、彼女のご両親にもあったけど、二人とも優しそうな顔でしたよ。」
芳樹「他人からみるとそうしか、見えないでしょうね。この仕事をしていると、それがなんとなく感じ取れるのですが、」
まさ子「だって、彼女、お父様は学校の先生で、お母さまが声楽とかされていて、、、。お金には困っていない様子でしたよ。」
芳樹「ええ、それは高校生の時のはなしですね。でも、今は違います。お母さんは、病気で倒れたと聞きました。」
まさ子「ええ?そんなことほんとに?」
芳樹「まさ子さん、今の時代、健康だった方がある日突然心の病に襲われるのは珍しいことじゃないんです。そして、そのせいで、一気に家庭が崩壊するのも。」
まさ子「でも、心の病なら自分次第で何とかなるんじゃないですか?私の父のような、末期がんとは違うんですよ!」
芳樹「まさ子さん。それこそ、心の病を持つ人への落とし穴です。心の病というのは、ガンと同じ。下手をすると死ぬことだって大いにあり得る。それに、ガンの治療と同じくらい、いや、それと同じくらい、かかることだってあります。そして、大概のひとは、自分で何とかしろと言いますが、それは不可能なことです。」
まさ子「でも、福祉制度だってあるでしょ、」
芳樹「はい。まあ、そう言えばだれでも、その人に振り回されないようになりますね、、、。」
と、言い、再びせき込んだ。
まさ子「そうですよ。そう言ってあげればいいんです。悪いんですが、私は子供もいるんです。他人の話を聞いたり、介入したりする余裕はありません。じゃあ、これで帰らせてください。」
と、伝票をたたきつけるように彼の前に置き、さっさと店を出てしまった。

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