増田朋美

第一章

平凡な住宅街。斉藤と書かれた表札。リビングでは、男性と小さな女の子
が、テレビを見ている。奥の台所では、妻の斉藤まさ子が、朝食の支度を
していた。
と、突然画面が消え、ニュースキャスターが映る。
アナウンサー「ここで、番組の途中ですがニュースをお伝えします。本日
午後三時ごろ、障碍者施設に一人の女が侵入し、利用者全員と職員を殺害
し、施設は放火により全焼、犯人の女性は、その後の捜査により、逮捕されました。名前は、ながすはるか、、、。」
まさ子「長須、、、はるか、、、?」
と、持った湯呑を落としてガチャンと割ってしまった。
娘「ママが変だよ。」
夫「おい、まさ子、大丈夫か?」
まさ子「私、、、止められなかったんだわ!」
と、顔を覆って泣き出す。
夫「どうしたんだよ、関係ないよ、こんな事件とは。」
まさ子「亡くなられた、徳永先生も、本当にやるとは思わなかったので
は、、、。ああ、私、責任があるわ!」
夫「おい、徳永先生って誰だよ?」
まさ子「徳永先生は徳永先生よ!ああ。もう、私ときたら、何もできない
で!殺された人は、もう帰ってこないし、徳永先生だってもう帰らないの
に!」
夫「一体どうしたんだ?何かこの事件にお前がかかわったのか?」
まさ子「私、その犯人知っているのよ、、、同級生だった!」
夫「そうだけど、同姓同名ってのもあるぞ。」
まさ子「いいえ、これは真実よ。きっと、あなたは離婚してというでしょ
う。私はもうだめだわ、、、。ごめんなさい、妻として失格よね!」
夫「そうか、、、。しばらくどこかで休め。今は、誰かに話を聞いてもら
うことが悪い時代ではなくなっているから、だれかカウンセリングの先生
を探して、話を聞いてもらって来い。そのほうが、プロだから、もっと効
率よく、解決してくれるだろうし。」
まさ子「でも、もう離婚では?」
夫「まあ、お前が誰かに話を聞いてもらいに行かなかったらそういうかも
しれない。簡単に離婚したら一番の被害者は誰なのか。それを真剣に考え
てから、離婚してくれ。」
まさ子「わかったわ、、、。その、カウンセリングの先生を探してみる。」

翌日、案内された地図を頼りに、まさ子は小さな事務所へ行った。思い切
ってチャイムを鳴らすと、
カウンセラー「どうぞ、お待ちしておりました。」
と、ドアを開けてくれた。自分の母親よりも年上だと思われる、やさしそ
うなおばさんだった。
カウンセラー「どうぞ、お入りください。」
まさ子「はい、よろしくお願いします。」
まさ子は、カウンセラーについて、一つの部屋にはいった。
カウンセラー「ここで座ってください。」
部屋はお香の香りが漂っていた。まさ子は、言われた通り椅子に座った。
カウンセラー「お茶をどうぞ。」
と、彼女の前に紅茶を置いた。そして、まさ子に向き合って座った。
カウンセラー「今日は、何を相談に来られましたか?」
まさ子「あ、あの、、、平たく言えば、、、今日凄惨な事件がありました
が、、、。」
カウンセラー「確かにあったわよね。」
まさ子「その犯人と私、、、面識があったんです。」
カウンセラー「ああ、それを誰かに話したかったね。安心して。ここでは
他言することもないから、あなたの苦しみを全部話して御覧なさい。そう
すれば、楽になれるはずよ。」
まさ子「本当にそうでしょうか?」
カウンセラー「なんでもいいわ、話して御覧なさい。」
まさ子「はい、あの犯人である長須はるかは、私の高校の同級生だったの
です、、、。」

回想、中堅の公立高校。授業も聞かずメールを打っている生徒たち。
教師「こら、こっちを向け!」
いくらどなっても効果はない。」
教師「こっちを向け!」
それでもだめだ。
教師「そうか、お前たちは犯罪者になりたいんだな。よし、警察に通報を
するか。」
と、いうとやっと授業を聞くようになるが、三十分したら、元に戻ってし
まうのである。
生徒たちのほとんどは茶髪で、男子は腰でズボンをはき、女子は尻が見え
るほど、スカートを短くしていた。ところが、その中にただ一人、スカー
トを規定道理にしている生徒がいた。
教師「長須、お前は模範生なんだからな。もっと勉強しろよ。」
教師は、彼女の前では優しくなる。それは入学した直後から変わらない。
その生徒が、長須はるかだった。
はるか「先生、質問があるのですが。」
教師「なんでしょう?」
はるか「あの単語は何て読むのですか?」
教師「Vacationとかいて、バケーションと読みます。休みとか休暇とい
う意味でね。」
はるか「わかりました。ありがとうございます。」
と、その答えを再びノートに書き込むのは、まさしく優等生そのものだっ
た。

放課後
同級生「まさ子さん、お茶しない?」
まさ子「ああ、いいわよ。」
同級生「じゃあ、行こうか。」
まさ子「でも私、この町の地理はよく知らないわ。」
まさ子は、高校に入学したのと同時に父の転勤で引っ越してきたばかりだ
った。
同級生「案内するから大丈夫。」
まさ子「じゃあ、行くわ。」
と、何人かの同級生と学校を出ていく。

喫茶店
同級生「ねえまさ子さん。」
まさ子「なんでしょう?」
同級生「あの、長須って女、どう思う?」
まさ子「偉い人だと思うわ。」
同級生「どうなんだかね。気取り屋で、先生のご機嫌ばかりとっててさ。」
同級生「逆にさ、私たちもおんなじことを押しつけられて、迷惑だわ。」
同級生「それ同館!あたしたちまで、気取ったことを押し付けられる原因に
なっているのを気が付かないのよ!」
まさ子「そうかもしれないわね。」
同級生「まさ子さんも気をつけなさいよ。まだ、こっちに引っ越したばかりなんでしょ?ああいう女を見たことないでしょうから。もう、洗脳されるから、こうしてバリアを作ってね。」
まさ子「は、はい、、、。」

数時間後、まさ子は喫茶店を出て、電車の駅に向かった。空は曇っていて、今にも雨が降り出しそうだ。まさ子は急いで改札をスイカでとおり抜け、電車に飛び乗った。
ところが、窓からは、いつまでも見覚えのある風景が出てこない。
まさ子「あれ、間違えちゃったのかしら。」
アナウンス「間もなく、東田子の浦駅に到着いたします、、、。」
まさ子「あれ、次の駅は富士川駅では、、、?」
よく見るの、電車の座席の色も、いつもの色ではない。
まさ子「まあ、間違えたんだわ、どうしよう!」
はじめての経験だった。前に住んでいたところでは、ほとんどの電車は単線だったから、こんな間違いはしたことがない。首をひねって考えていると、
声「まさ子さん」
まさ子「え?」
振り向くと、はるかだった。
はるか「どうしたの?」
まさ子「いえ、、、その、、、。電車を間違えてしまって、、、。」
はるか「本来ならどこへ?」
まさ子「ええ、富士川なんだけど、、、。」
はるか「なら、東田子の浦駅で、下りの電車に乗り換えて。要は、戻る形を
とれば、富士川駅に着くわよ。まあ、二度手間になるのが嫌なら、バスも出
ていて、富士川で降ろしてくれるのもあるわ。」
まさ子「この次の駅のどこにバス乗り場が?」
はるか「ええ、バス乗り場なら、改札出てすぐのところにあるわ。」
まさ子「それでいいの?」
はるか「ええ。目の前に大きなバスが止まっているからすぐわかる。大体富士川駅は停車するから、どれに乗っても心配することはないわよ。」
と、電車が止まってドアが開く。
はるか「じゃあ、ここを出てくれれば帰れるから。また明日。学校でね。」
まさ子は言われるがままに電車を降りた。改札口行の出口は一つしかなかったからすぐわかった。改札を出てみると、確かに大きなバズが五台程止まっていて、行先は様々だが、ほぼすべてのバスに「富士川駅経由」と書いてあった。まさ子はその一つに乗った。ちょうど帰宅ラッシュの時間であり、多少混雑していたものの、バスはまさ子の家までちゃんと載せて行ってくれた。

自室。勉強をしていたまさ子は、雨の音を聞いて、急いで窓を閉めた。
まさ子「あんなに親切に教えてくれるなんて、、、。」
確かにそうだ。それがなかったら、ずぶぬれになって帰ったかもしれない。
まさ子「あのひと、そんなに気取り屋じゃないわね、、、。あ、お礼しなくちゃ。」
と、慌ててスマートフォンを取り出し、学校の連絡網を引っ張りだして、はるかの電話番号を、ラインでつなげることに成功した。
まさ子「今日はどうもありがとう。必ずお礼します。」
と、メールを打ち、再び机に戻った。同時に雷が鳴ったが、まさ子は気にしなかった。しばらくすると、はるかかから、かわいい猫のスタンプが送られてきた。
まさ子「なんだ、よくはやってるスタンプじゃない。普通の人と同じだわ。」
確かに、何も送ってよこさないほうが怖いかもしれない。
まさ子「スタンプをありがとう。これからもよろしくね。」
と、次のように帰ってきた。
はるか「ありがとう。受験、頑張ろうね。」
まさ子「うん。お互いにね。」
はるか「本当ね。」
意外に明るいな、と、まさ子は思った。
まさ子「また学校で会いましょう。」
学校は、黒雲で覆われていた。まさ子の家からは見えないが、肝試しでもできそうなくらいだった。

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