狐の婿入り

たんぼ

其の四 雲がこんなに近いなんて

面の中で今までを考えた。
日は暮れ、川には小さなたくさんのほたるが灯る。
膝を机替わりに頬杖をつく。
少し涼しい夜風が吹く。






僕はどういう人でいて、どういう奴で。
どんなやつと関係を持っていたのか。
それは、良い奴?それとも恐ろしく悪い奴? 

…やっぱ、僕はどんな奴だったんだろう。
人を傷つけたことがあるかもしれない。
人を救ってあげられたことももしかしたらあるかもしれない。

あるいは、傷つけられて、傷つけられて。
どこへ行っても、傷つけられて。

そんな僕を救ってくれた人もいたかもしれない。

信頼のおけるたった一人のそいつが隣にいると感じられれば、僕はそれだけで救われる…。

そんな奴だったかもしれない。

肝臓癌のろいにかかって死にかけた爺さん、あるいは社会のろいに疲れ自ら命を絶った若い青年だったかも。

確証はないんだ。ただ、ただ……。

ある季節になればアバンチュールを追いかけて、ぺトリコールに命を覚まし、何気なく空を見上げ、大きな大きな入道雲があれば、何気なくすぐさま写真をパチリと撮る、そんな人であったんだったら、かなり高い確率で、例えるなら今夜も月が光るように、僕は良い奴だったと思う。





「やっ」
そう言って、彼女は入ってきた。
色を拒絶したような、殺風景な病室。
「また本読んでるの?頭おかしくなるよ」
「おかしいのは君のほうでしょ」
まねー、と彼女は言う。
ボクがこの部屋にこもり始めてから、彼女は足しげく通って見舞いに来てくれる。
「はい、これ。桃」
桃はボクの好物だ。彼女はきっとそれを知らない。
多分、今が旬だからという理由で持ってきてくれたのだろう。ありがたい。
病院の食事は美味しくないし、何も楽しいことなんてないからボクは彼女が見舞いに来てくれるのを毎日の楽しみにしていた。
「調子は?」
「今日はだいぶいいよ」
「そっか、早く出かけられるといいね」
「うん」悲しく笑って頷く。
「まってて、桃、剥くから」

彼女って言ってるけど、彼女は別に恋人なんかではない。
かといって友だちでもなく…微妙な関係だ。家族、とまではいかないがそれに近いもの、例えば幼馴染的なところに近いと思う。
桃を切り終えて、彼女は丸椅子に腰を下ろす。
「今年、初桃だわー」
「ボクもだよ。持ってきてくれてありがと」
「気にすんなって、安売りしてたから買ってきただけだもん」
予想は若干外れたみたいだ。
フォークがないから爪楊枝でぱくぱくと、口の中へ桃を運ぶ。とても甘くて美味しい。
「そういやさ、さっきまで何読んでたの?」
「カフカの毒虫だよ」
「なにそれ」
「朝起きたら、ムカデになってましたーっていうお話」
「えっ、きも」
「まぁね、けど面白いんだよ」
「ふーん、私には分からんわ」
だろうね、と返す。
彼女はだろうねとはなんぞやー!と怒って言ってくる。
おかしい人だ。まったく。
そんな会話を続けて、空が赤くなった頃に彼女は部屋を出ていった。
またね、と手をヒラヒラさせながら。

「出かけられるといいね、か」
答えとしては不可能に近い。
どうやら、この弱い体には悪魔が潜んでいて日々順調にボクをむしばんでいく。
今の医学じゃ治せないとボクを診てくれている医者は言った。
不治の病。
次に発作がでたら危ないかもしれないとも医者は言った。
悲しくなる。
余命なんてない。この数分後に発作が起きれば、ボクはもうどこかへ逝ってしまう。

両親は泣きに泣いた。
なんであなたがそんな目にあうの…
そんなこと言われたって仕方がない。悪魔をこの身に入れたボクが悪いんだ。
両親はボクのことを何不自由なく育ててくれた。色んな習い事を受けさせてくれたし、学校もかなりいいところに行かせて貰っていた。そのために使ったお金が無駄になってしまうことだけが悔やまれる。
こんなことになるのなら、何もしてくれなくてよかったのに。

最初に発作が出たのは五年くらい前だ。
学校の廊下を歩いていたら、今までにない衝撃を受けて、気づいたら目の前に床があった。そしてすぐ意識がなくなった。
救急車に運ばれて、すぐに手術をしたらしい。けど時既に遅し。
ギリギリの時間制限タイムリミットにボクの体は間に合わなかった。
結局そのせいで、ボクは今こんなことになっている。
いつ死んでもおかしくないので、遺言みたいなものはもう書いてある。ベットの横にある引き出しの奥にしまってある。
ただ、それはいつまでも未完成でボクはそれにたまに書き足したりしていた。
多分完成することはないと思う。

「なんで、こんな身体になっちゃったんだろうなぁ…」
病室の天井を見上げながらぽつりと呟いた。
差別的になってしまうかもしれないけど、きっとボクよりも死んだ方がいい人間なんて、ごまんといるはずなんだ。
ボクは何も悪いことはしてこなかったし、世間的に見れば普通の人間だと思われているだろうし。
悲しいな。
死んだら、彼女とも会えなくなってしまうし、多分死んだ後はひとりぼっちになってしまう。そんな気がする。
淋しいな。
まだ死にたくはない。

「やほ」
彼女はそう言って病室に入ってきた。
先日とは打って変わって、どんよりと曇った日だ。
「今日、調子は?」
「ちょっと良くないかも」
朝起きてから、ずっと咳込んでしまっていて呼吸が苦しい。
それを看護師さんに伝えたら、酸素注入器を付けてくれた。
今までにも何回かそんなことはあった。これを付けていればだいぶ楽になる。
「それ付けてるからね。大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「ならよかった」彼女はほっとしたように笑う。可愛らしい顔だ。
この顔をあと何回見ることができるのだろう…。
「今日は、じゃん!メロンです」
「メロンいいね!じゃごめん、切ってくれる?」
彼女は、あたぼうよ!と返す。
江戸っ子かよと思う。

「わたし、さ。『ボク』君と神社巡りとかしてみたいなあと思って」
メロンを切りながらボクに話しかけてくる。
「これ買ってきた!」
と言って切り分けたメロンを机に置いてから、ビニール袋から取りだしたのは京都の観光雑誌だった。
「清水寺、金閣寺、伏見稲荷大社とか平安神宮とかさ。『ボク』君が退院したらいっしょに行こうよ」
「うん、いいよ」
ごめんね。
「すごく楽しみにしとくね」
「おっけー!じゃちょっとこれいっしょに見てみようよ」
パラパラとページをめくっていくと、寺社、食べ物、場所の情報が沢山掲載されていて、彼女はそれにいちいちおーとかうわーとか言って感動していた。
彼女の目は輝いて見える。それを見ると本当に申し訳なく思ってくる。
ボクが死んだ後に仲良い人といっしょに行ってきてね。
「どしたの?」
しょげた顔をしていたのだろう。
彼女は心配した顔でボクの顔を覗き込んだ。
「なんでもないよ、大丈夫」
「ほんとに?…ぜったいだよ。いっしょにいこうね」
腐った心臓にグサッとなにかが刺さった気がした。

メロンを食べ終えてまた少しだけ京都談義をした後に彼女は手をヒラヒラさせながら帰っていった。
あの時に感じたものは、今までに味わったことがないくらい、痛かった。
手術よりも殴られるよりも、何よりも痛かった。
大切な人からの約束。叶えてあげたいのに叶えられない。
それが痛くて、つらくて、少し泣いた。


パンッパン!
二回手を打つ。
『[ボク]君の病気が治っていっしょに出かけられるようになりますように』
家の近くにあるお稲荷様と病院に通うのが最近の習慣だ。
もちろん油揚げをお供えしてある。昨日供えた古い油揚げをレジ袋の中に入れて、家路につく。

彼の病気を知ったのは、彼も入会していた高校の弓道同好会に入ってから半年ほどたってからである。
入会理由としては元から武道をやってみたかったというのもあるし、何より見学の時に見た演武が果てしなくかっこよかったからだ。
いつか、私もあんなふうに弓を引きたいなと思ってそれはそれはやる気をだして稽古に励んでいた。
彼は、他に一緒に入った男子部員と違って初めから気さくに話しかけてくれた。
友だちになった女子の部員も、あの子話しやすいねと言っていた。

いい人そうだから、連絡先も交換して部活の事以外も話すような仲になった。
はたから見れば、付き合ってるように見えていたかもしれない。
事実、同じクラスの女子に弓道会のあの人と付き合ったりしてる?とか聞かれたりもした。(その時は全力で否定した)

私も彼のことが好きになっていたかもしれないけど、何となく男女の垣根をこえた友だち止まりなんだろうなと思って、気持ちは隠していた。

そんな片思いチックなことをしていた夏のある日のことである。
弓道の基礎練習が終わってとうとう道場から矢を的に向かって放ち始めるという、忘れもしないあの日。

道場の裏の木陰に倒れている彼が発見された。


状態は良くなかったみたいだ。
痙攣けいれんを起こしていて、手は道着の胸の辺りを掴んだままだったらしい。
先輩が一一九を呼び大騒ぎになった。
私は、というと何もできなかった。
いや、何もしなかった。状況が理解できずただただ怖くて動けなかった。

その日は先輩も私たちもそわそわしてしまって部活どころではなくなってしまい、その後顧問の先生からの簡単なミーティングをやってから解散となった。
普段は自転車で通っているが、今朝は雨が降っていたこともあり親に車で送ってきてもらっていた。
親は共働きなので、それが裏目に出て私は徒歩で帰ることになってしまった。
弓と矢を持ってゆっくり歩いていく。
あまり重くないはずの弓も矢もずっしり肩にのしかかる。
ショックの加減は半端ではなかった。
救急車で彼が運ばれている姿、生死を彷徨さまよっている彼の姿を見ることが辛かった。
ミーティングが終わったあとすぐに先生のもとに行って、彼の容態について聞いたら、
「心臓に持病があったらしくてな。それの発作だそうだ」
彼が心臓に病を抱えていることをその時はじめて知った。

彼のことについて不安な事しか頭をよぎらず、気が気ではなかった。
彼が死んでしまったらどうしよう、彼と会えなくなったら……。
家についてから、一命は取り留めた、という先生からの連絡を受けて安堵はした。
が、やはり不安と心配は重なっていくばかりで彼にメールを送った。
返事はそれから大体五時間後に届いた。
『ごめんねー。今気がついたわー笑びっくりさせちゃったでしょ?ごめんね』
ひとまず意識があって元気なことは分かった。
『しばらく入院になるそうだから、部活にはもういけないんだ。これから上手くなるっ!って時だったのに…。悔しいけど仕方がないからね。じゃまたね。おやすみ。先輩たちによろしくー。』
「入…院……」
彼の体はどこまで蝕まれているのだろう…。
もしあの時自分が動けてなにか機能していれば、どうにかなったのではないかというどうにもならない後悔に頭を抱えた。



「油揚げ…2円高くなってた……」
今となっては花の?大学生。こういう細かい値段の変移にも気を配らなければ、ボロアパートに住みながらのギリギリの生活はやっていけない。
通っている大学のキャンパスは街の中にある広いところで、自然もたくさんある気持ちのいいところだ。
それに彼が入院している病院も近い。
他にも自分の頭のレベルや、やりたいこと、色々と考慮して今に至る。
彼と違って友だちは作るのが得意ではないからたくさんはいないけど、大学生活を楽しめる程度には充分なほど信頼できる友だちも何人かできた。
社会的に見ても学生生活を謳歌する人間になれているだろうと思う。
ただ、やっぱり心のどっかしらには穴が空いていて北風が吹き込んでいる。
大好きな彼とずっといっしょに暮らせたりしたらな、と何回も考えた。
その度に少しだけ泣いてしまう。
そんな妄想をしても、彼の病気は治らないし私の顔はくしゃくしゃになる。
だからできるだけ、今のままで一番と考えながら生きている。

生きることには死があって、死があるからこそ生がある。
きっと死ぬことがなければ生きることもないんだろう。
彼は死が間近にあって、私のは遠くにある、はずだ。
死ぬってなんなんだろ…。
死んだらどこに行くんだろ…。
そんなことを思って哲学の本を数冊買って読んでみても、理系の頭には理解ができない。
ただ、自分の中で生まれた小さなしょうもない答え。
答えと言うよりかは考え。
最低な、幼稚な考え。

こんな辛い思いをするのなら、最初から自分なんて…生きなければよかったんだ。



カラカラと聞きなれた音と共に彼女がやってきた。
「よー」
「あ、よー。また来てくれたんだ」
「それ以外やることがないというか……」
「大学は?」
「今日はぜんぶの授業休みだったから」
「そうだったんだ、ありがと」
「うん…」
しばしの沈黙。彼女は浮かない顔をしている。悔しさを握りつぶしたような、そんな顔だ。
「あの、さ」
沈黙の壁を破ったのはまたも彼女だ。
「うん、どしたの?」
「……『ボク』君はほんとに…その」 
あぁ、うん。
「……死ぬか?」
「…うん。ごめん、こんなこと聞いて」
彼女から視線をそらして窓の外の裸の木を見つめる。いつの間にか季節は変わっていた。大事に生きていかなければいけないのに、感じる時間はそうゆっくりではない。
「死んじゃうよ。医者が言ってる。いつかっていうのは分からないけど、近いうちに必ず」
「そう、なんだ……」
彼女の顔はくしゃくしゃになった。


彼は唖然としている。
私、なんでこんなこと聞いてしまったんだろう……。
「死んじゃうよ。医者が言ってる。いつかっていうのは分からないけど、近いうちに必ず」
「そう、なんだ……」
嫌だ。
いやだ、いやだ!
別れなければならないなんて…
そう思ったら最後、とめどなく川が流れ始めた。
声がでない。しゃくりあげて、川をせき止めることしか出来ない。
「泣かないで」
彼を見た。笑っていた。にこやかに。
「ボクは今楽しく生きているんだ。だから悲しいことなんてひとつもない」
「でも、私…『ボク』とさよならしたくない…」
わがままだ。最低で、幼稚などうにもならない自分勝手な考え。
「私…『ボク』君といっしょに生きていきたかった……」
彼は…
彼はもう笑っていなかった。ただ、悔しそうに顔を歪ませていた。
「ボクも、〇〇と生きたいよ……!」
はっとして顔を上げる。
そうだ、辛いのは私じゃないんだ。
一番、辛くて、寂しくて、悲しくて、我慢しているのは私じゃない。
彼はベットからシーツを剥いで立ち上がる。
「何回も考えたよ。なんでボクは死ぬんだろうって。その度〇〇と会えなくなるんだなって思うと……」
不意に暖かいものに包まれた感じになった。
いや、包まれた。
彼の顔が見えない。不安定な私は、私よりも弱かったはずの人の二つの腕にしっかりとぎゅっと支えられていた。
なにが起こっているのかよく分からなかったけど、なんだか不思議と安定した。
「ごめんね、こんな奴で……こんな何にもできないボクで……」
私の耳元で彼が優しく悔しそうにつぶやく。
彼がそんなことを思う必要はない。
だって勝手に私が好きになっただけだから。
彼は優しい。
そう思って、彼の優しさを受け止めた瞬間に、また沢山涙がでてきた。
「そんなこと…思う必要…ないからぁ…このばかぁ……」

収拾がつくまでかなりの時間がかかった、と思う。多分時間はそんなに経ってはいないはずだけど。
看護士さんが来なかったらいつまでああしていたのだろうか。まぁ、それはそれでよかったかもしれないけど。
ベットに戻った彼は言った。
「来週、退院する」
耳を疑った。
「ほんと…?」
「だからさ、そしたら」
彼はまた笑った。人を安心させるような不思議な笑みだ。
「遠出はできないと思うけど」

いっしょにでかけよう!

また泣いた。今日は泣いてばっかだなぁ…私。


空が暗くなった。
彼女は面会時間のギリギリに帰っていった。
「よかった…」
ずっと何年も、何回も会いに来てくれて元気づけてくれた優しい彼女にたった一回だけど恩返しができる。
退院のことで多少の無理は承知している。
ただ、あんなこと言われてそれを叶えられなかったら死んでも死にきれない。
少ない、短い人生だけど、最期の最期まで彼女になんかしてあげられたらな…と思う。
どこへでかけようかな。
彼女が喜ぶところにしよう。
だってこれが最初で最後のデートになるから。

今日の昼、まだ彼女が病室の戸を開ける前の事だ。
ボクは先生に直談判しに行った。
「退院ね、それに外にあそびにいく、か。相当な負担を自分にかけることになるよ」
「先生、ボクそれでも構いません。一日でもいいから時間が欲しいんです」
「そのせいで命が無くなるとしても?」
「…もちろん。大切な人のためですから」

「先生、『ボク』さん…退院しても大丈夫なんですか?」
「彼がそう言っているんだ。まあ退院と言っても一時帰宅みたいなもんだけどね」
「彼の担当として不安です…」
「恋は盲目だよ。君も『ボク』君の担当看護士として、しっかりとサポートしてあげなさい」

失礼します、と言って先生の部屋を出たあとそんな会話を聞いた。恋は盲目…笑ってしまう。
最初で最後、短い一生の最高の思い出になるようにちゃんと準備をして、たった一日だけど彼女と楽しもう。
それにしても、人と話すことがうまい訳ではないボクがよく赤裸々にべらべらと先生に彼女への思いを言えたものだ。
しみじみとつまらない天井を見上げながら思う。
ベットが少し軋んだ。
「ゴホッ…ゴホッ…カフッカフッ…」
あーあ、またいつものだ。これが始まるとキツい……
あれ?なんで手が真赤になってるんだろ。
赤いのに触ると少しねばっとした。
口元をぬぐったら、手の甲が赤くなった。
「はぁッ…はアッ…はあっ…え?」
吐血。



このことは何がなんでも
隠さなければ。






風が髪をなびかせた。
かなり長い間、川を見ながら思い出そうとしたけどこの世界はそれを許してくれないらしい。
「さて、と」
また歩きますか。


机替わりにしていた膝が少し痺れる。
面の中の顔はどんな顔をしているのか、この世界に身を委ねてしまった以上それは分からない。
川は相変わらず小さな音をたてながら、自分が歩いてきた道を辿って進行方向と逆に流れていく。
いつのまにかほたるも消えた。
「よいしょっ…と」
面をしっかりと取れないようにきつく付け直して自分を追うことを再開してみる。
どんな結果になろうとも、自分を知りたい。


雲がこんなに近いなんて fin

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