狐の婿入り

たんぼ

其の三 屋敷にて

ひたひたと素足で、廊下を歩いている。
床は暑いのにも関わらず冷たく、そして少し湿っていた。
きっと雑巾をかけたばかりなのであろう。
埃は見当たらない。
「……」
彼。
彼が、その者であるのならばあれは元から決められていたことなのか……。
まぁ、私には関係はない。

全てはあいつらが決める。
私はそれに従うまでのこと。

さてと、次の仕事は……。




その屋敷は、彼らが住まう所。
何処にあるかは、誰にも分からない。

彼やそのほかの限られた者だけが、そこに出入りできる。
彼らから与えられた仕事を実行するために。
そして、報告するために。

ミズチはそのうちの一つであった。
命ぜられた仕事はきちんとこなす。今までで失敗をしたことは一度もなく、彼らからの評判は回を重ねる毎に
上がっていった。

「……」
この屋敷は広い。ぼうっとしながら歩いていたらすぐに迷ってしまうくらい。
あぜ道、とまでは行かないがここの屋敷の廊下もかなり続く。
またこの屋敷では、面をとることが決まりだった。
掟として、偽りを申してはいけない、というものがあるからだ。

彼のもとへ辿り着くまでにかなりの時間がかかった。
襖を軽く叩くと中から、入りなさい、と聞こえた。
ミズチは、それに従う。
「呼んだかい」
「ええ……。新しい仕事です」
「……ふーん。そうか」
「言葉使いはどうにかならないのですか?」
「あっちでは、かしこまるから疲れる。こっちではこれでもいいだろう」
「やれやれ、一応、私あなたの上司なんですけど」
フン、と鼻を鳴らす。
「いいから手っ取り早く、仕事の内容」
「まぁ、とりあえず座んなさい。お茶でも入れますよ」
「いや、だから早くしてくれ。商売があんだから」
「商売ったってあなたのは道楽のようなものでしょう。そんなものほっといたって誰も文句は言いませんよ。仕事は別ですがね」
「ちっ……。はいはい、上司の暇に付き合ってやりますよ」
「あなたがここに務めてからもうどれくらいたちますか?」
「ん、うーむ。もうわからんな」
「でしょうね。そういうとこ適当ですから、あなた」
うるせえよ。
「しっかり帳面も提出して下さい。あなたのために監視係を何人つければいいと思ってるんですか」
「そのままつけといてくれ」
「……。承知しました。変わりませんね、その性格」
答えるかわりに、ずずっと茶碗から熱い茶をすする。
「そういえば、刀はどうしました」
「今は鉄打所てつうちじょだ。だいぶ脆くなってきたからそろそろ交換時だな」
鉄打所てつうちじょとは鍛冶屋のようなもの。刀を鍛えたりする)
「そんなことだろうと思いました。これを差し上げますよ」
そう言って彼が差し出したのは新しい脇差しだった。
髪結ノ太刀かみゆいのたち…。これって…」
「一応、あなたもそろそろと思ってね。気に入らないなら……いえ、なんでもないです。どんな顔してるんですか、あなた」
「いや、悪い。ずっと欲しかったもんだからな」
「いいんですよ。上からの土産物です。……さてそろそろ仕事の話にしますか」
「あぁ、頼む。私もこいつを早く使ってみたいんでな」
「ほどほどにして下さいね」
「あぁ、分かってるよ」
「次の仕事はある物を探してきて欲しいんですが」
「何を探してくればいい」
「本、です」
「なんのだ」
大蛇オロチ
「……。厄介だな」
「ええ……。大蛇オロチの書庫。かなり遠いのですが行けますか?」
「どうせ、断れねぇんだろ。行くしかねえよ」
「そう言ってくれると助かります。なんせ人手不足ですからね」
「あんたらが大量に仕事を押し付けてくるからだろうが」
「それは言わないでください。上の意向ですから」
「ほいほい、承知してるよ」
「まぁ、かなりの距離を行くことになりますから、あなたの道楽も捗るはかどるんではないですか」
「まぁな。そこは助かるよ」
「では、また」
「あぁまたな。茶ありがとな」
「粗茶だったのですがそんなに美味かったのですか?さすが鈍感なだけありますね」
「死ね」
襖を思いきり閉めてから元きた道を戻る。

大蛇おろちの書庫。一度だけ行ったことのある場所だ。
書庫と言っても、本はあまり無い。
あるのは拝殿と本殿、そして書庫。神社のようなものだ。
まぁ神社と言うにはあまりにもお粗末なものだが。
ここには名前の通り大蛇おろちがいる。
この神社の番人だ。かなり腕が立つという。
舐めてかかると逝くなぁと思いながら、さっき貰った刀を見る。
髪結ノ太刀かみゆいのたち、はるか昔、カンヒモという者が使っていた業物だ。
しかし当初は太刀自体が彼女を受け入れず、カンヒモは呪いにかかり、それを解くために自分の艶やかな長い髪を使って呪いを封印した。
そんな伝説が残る太刀をなんであいつが……?
まぁいい。この太刀は今となっては私の物だ。何をしても文句は言われまい。
言われたらその者を斬るだけだ。

ミズチは魂斬りだ。
斬りつけた瞬間にその者の実体がなくなり面だけがコトリと地面に落ちていくのを見ることが彼は好きだった。
仕事以外でも、彼はたまに魂を斬った。
斬ったとしても常に手応えはない。
虚空を斬るように、スッと刃を立てると大抵の魂はすんなりと斬られた。




初めてミズチが魂を斬ったのは幼少の時だった。
なぜ、と聞かれれば答えるのは難しい。ただなんとなく。そうなんとなくだ。
一種の好奇心のようなものが働いたのかもしれない。
まずはその辺にいた老婆に包丁を刺した。
老婆は呻きうめもせずにそのまま消えていった。
次に斬ったのは、自分よりも小さな子供だった。
これから何が起こるのかわからない子供は、包丁を持ったミズチを見ても泣かなかった。
そこからはもう覚えていない。日が沈んでから目についた者を刺し、撃ち、首を絞めた。
決まって彼らは呻きうめもしなければ、恐怖することもなかった。
なぜかというと、ミズチは殺意というものを一切持っていなかったからだ。
歩きながら知らずにありを踏み潰すように自然に、それでいて機械的にミズチは事に及んでいた。
ミズチは、自分自身が悪だとは一度も思ったことがない。
ありを踏むことになんの罪悪感も感じなかった。

ミズチがそんな日々を送っていた頃だ。
魂を斬り、呪いを受けた者がいるという噂を聞いた。
ミズチは思った。
何十という魂を斬った自分が呪いを受けてないのに対し、その者は一つの魂を斬っただけで呪いを受けた。
自分は特別な何かを持っているとその時自覚した。
それ以降もミズチは、ありとあらゆる者を送った。
男、女、少女、少年、青年、青女、老婆、老父。
蛇のように彼らの体に絡みつき、首元に刀を置いて一心に斬る。斬る、斬る、斬る、斬る……。
ミズチはとっくに壊れた人形になっていた。

ある時、あぜ道ではないところをいつの間にか歩いていた。
戻ろうかとも思ったが、振り返ってもあぜ道は見えないので、仕方がなくそのまま足を進めた。
たくさんの植物が背丈よりも遥かに高く茂り、日の光は入らないほど暗かった。
突然、目の前に一つの建造物が現れた。
大きな屋敷だった。

門番は言った。
「通れ」
彼らはミズチがそこに来ることが分かっていたように平然と表情をひくりとも変えなかった。
ミズチもそれに従った。
自分がここに来ることが分かっていたように平然と歩を進める。
屋敷に入ってしばらく歩くと、一つの者が声をかけてきた。

きみはこわれたにんぎょうだね
「うん」
だいじょうぶだれもきみをばっしはしない
「うん」
かみでさえもわたしでさえも
「うん」
きみはしゅらだ
まっかにもえるほのおのようにうつくしい
「うん」
きみはぼくのにんぎょうになる
それともほのおになる
「……どっちでもない」
それもいい
きみのみちだ
きみいがいにそれをかえることはできない
「なにを……すればいい」
わたしたちにいわれたことをせっせとおこなえばいい
きみにはひつようがないかもしれないが
かんじょうはすべてなくしなさい
そうしなければきみはしゅらにもほのおにもなれやしない
「うん」
いいんだね
「ほかにすることもない」
わかった
けいやくはせいりつしたね
ではめをかえるよ

ミズチの目はなくなった。それと同時に新しい目が埋め込まれた。
目はミズチに新しい世界を見せた。
どれだけこの世界が美しく、素晴らしく、たくましく、汚いのか。
「あぁ……最高だ」
ミズチは昂っていた。
そして思った。
「僕は、私は?え、えおれ?あははなんでもいいや。だって楽しいもの。なんだこれ笑いが……止まらない」
ミズチは笑った。
狂ったように高らかに。
たのしい!たのしい!たたのしい!すごいすごいすごい!けんけんぱけんけんぱ!
手をうち身体をよじらせミズチは狂喜乱舞した。
落ち着いてからミズチは言った。
「ひっくり返そう……。あはは……」

あぁかれはいいよ


さいこうだ


かれにまかせておけばすべてかいけつする


さぁすきなようにみちをいきなさい


わたしのかわいいおにんぎょう


ミズチは壊れていた。





気づけば屋敷の門の所まで来ていた。もう夕方を過ぎ西日は無くなっていた。
しかし、いくら時が経とうとも変わらない、うだるような暑さはいつも気分を重くさせる。
「さぁ僕。朝だよ。仕事だ」

ミズチは面を付ける。
その瞬間ミズチはミズチではなくなる。
一つの修羅として、あぜ道を行く。
……
「仕事……か」
上を見上げると、星空。

今度は遠いぞ
「それでもいいさ」
そうだな……。
「行き先には」
どんな面が落ちているかな……。
「楽しみだね」
……
「寝ちゃったか」


おやすみ、螭



屋敷にて fin

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