天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

まあまあ二人とも落ちつきなさい

 ことの深刻さにエリヤの叫び声が部屋中に響きわたった。想像なんかではない、本当に戦争になりかねない今を放っておくなんてことはできない。

 もしそんなことが起これば、自分だけではない。

 自分の大切な人までもが傷つく。そんな顔を想像してしまうだけでエリヤの声は小さくなっていった。表情が翳り目線が下がる。

「エリヤ君」

 そこへ、モーセの声がかけられた。

 瞬間、表情はそのままなのに全身が痺れるほどの重圧が部屋を覆った。

「君の意見は分かった、と私は言ったんだ」

 壁が軋むくらい、空気がさきほどとはまったく違う。深海に沈んだように体が重い。とてつもないプレッシャーだ。

 この男は神官長。慈愛連立の中から選ばれた最高責任者だ。ただ気のいいだけの老人でも善人でもない。

 底知れない信仰心。それがこの男の正体だ。

 そして、それはここでは極限の力となる。

「ならばもう言うことはあるまい。出て行きなさい」

 彼の余裕は穏やかさではなく威圧に近い雰囲気となってエリヤに襲いかかる。巨人が小人に言い寄るような、そこには絶対的な力による風格があった。

 エリヤを前にしてもモーセの笑みは揺るがない。

「言いました、分かりました。だからお終い。そうなるとほんとに思ってんのか?」

 けれどそれで引き下がる男ではない。エリヤはさらに語気に力を入れ叫んだ。

「モーゼ。こんなことは止めろ! まだ他にやれることはあるだろ。今すぐ取り消せ、先走り過ぎだこんなこと! 止めないっていうなら、力ずくでも止めてやる」

 そう言ってエリヤは大剣を両手に持った。明らかな敵対行為だ、この場で射殺されてもおかしくないほどの重罪。なのにこの男は頓着せず剣を向ける。

 馬鹿だ、大馬鹿だ。こんなことをしても変わるわけがないのに。だけどエリヤは本気だった。冗談でも自棄を起こしているのでもない。本当にこの決定を変えようと躍起になっている。

 その目は、今にもモーセに切りかからんとしていた。

「待てえ!」

 扉から声が掛けられる。そこにいたのはサリエルだった。荒々しい歩調で入室し剣を構えるエリヤに銃口を向けている。その表情は怒りに歪んでいた。

「サリエル?」

 彼の登場にエリヤは振り向く。剣先はモーセに向けたまま顔だけを動かした。

 そんなエリヤにサリエルは乱暴に言い寄った。

「てめえエリヤふざけんじゃねえぞ! 馬鹿な真似すんなって言っただろうがボケ! 裁判なんて面倒くせえ、ここで死ね!」

 バン!

 そう言うなりサリエルは本当に発砲してきた。それをエリヤ慌てて躱す。

「うをお! 馬鹿はてめえだ! あぶねえだろうが!」

「てめえこそ動くんじゃねえよ、壁に穴が開いちまっただろうが!」

 サリエルがずかずかと歩いてくる。そのままエリヤの額と額がぶつかり超至近距離でにらみ合う。

「仕方がねえだろ、こうでもしなきゃ変えられないと思ったんだから! じゃあ他にどうすればよかったんだよ!」

「なんもするんじゃねえよバカ! 綺麗事抜かすなよ、お前のやってることなんてただの業務妨害だろうが! ていうかテロじゃねえか!」

「ああ! ったく、俺が悪いっていうのかよ!」

「当たり前だ!」

「まあまあ二人とも落ちつきなさい」

 いがみ合う二人をモーセがなだめる。それでしぶしぶサリエルが顔を引いていった。

「サリエル君も落ち着いて。それと君がそれを言っちゃいかんでしょう」

 さすがに司法に携わる者が裁判なんて面倒くさいは問題がありすぎる。

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