天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

今必要なのは剣じゃない、温かいスープとパンさ

 なぜかちょっとかっこよく言うエリヤに女性が嘆息する。やれやれと言うが、その後表情を引き締め直しエリヤを見つめた。

「神官庁はあてになりません。ですが、総教会庁ならお力になってくれるかもしれません」

「ほんとうかよ」

「私から話をしてみます。それで予算を回してもらえれば」

 女性も諦めているわけではない。彼女もエリヤと同じ、できることなら少年を救いたいと思っている。ただし、その表情から伺うに勝算は高くはないようだ。

「どれくらいでなるものなんだ?」

「そればかりはなんとも」

「そうか……」

 できるかどうかは分からない。やってはみるものの成功するかどうか。

 未来は未だ不安定なままにある。

「当分が凌げればいいんだよな?」

「?」

 しかし、それは同時に希望だった。

「そうですが。ですが、あくまで可能性の話です。通るかどうか、まだ分かったわけではないのですよ?」

「そこは先生に期待してるさ」

 確かに未来は分からない。どうなるかはやってみなければ分からない。だけど、この男が選ぶのは無難な平穏なんかより、仲間を信じ、仲間と共にいる未来だったから。自分には無理でもエリヤには彼女がいる。彼は先生と呼ぶ彼女を信じた。

 そして、エリヤは背負っていた大剣を持ち上げた。

「売るか、これ」

 エノクにはエリヤが背負っていた彼の背丈ほどもある白い大剣が見える。エリヤはそれを手に持ち見定めるように見つめていた。

「いいのですか。お気に入りだったのでしょう。それに騎士にとって剣とは誇りそのもの。手放すことになるのですよ?」

 エリヤの発言に女性がその意味を確認する。

 彼は騎士だ。騎士にとって剣とはただの武器ではない。この道を進んでいくという決意の証のようなもの。そこには誇りや誓い、数々の思いが詰まっている。それを手放すとは、いわば騎士の誇りを捨てるに等しい。

 だが、しかし、言うのだ。エリヤはなんの気兼ねなく、それが当たり前だと言わんばかりに。

「人の命より重い誇りがあるかよ」

 呆気ないほどにそう言い切った。それほどまでに彼は思っているのだろう。

 人を救うこと。それを、なにより大切だと思っている騎士だから。

「いいんだよ、こんなの買い戻せば済む話だ。人の生き死にはそうはいかないだろ」

 彼は騎士であって騎士ではない。その中身はただ困っている人を助けたいという、

「今必要なのは剣じゃない、温かいスープとパンさ」

 一人の人間だ。

「な?」

 そう言ってエリヤは笑った。エノクに話を振って。

 その温かな笑みは、まるで太陽のようだった。

 エノクは見た。その笑顔を。その優しさに、エノクは初めて涙を流した。

 そうしてエノクはエリヤたちの家族になった。彼を兄とし一員に加わった。

 彼に、命を救われたことによって。

 憧れだった。その大きな兄の背中に憧れていた。誰にでも明るく、誰であろうとも臆さない強さに惹かれていた。彼に、弟だと呼ばれることが誇りだった。

 彼に近づきたい。偉大な兄の隣に立てるような男になりたい。彼に認められたい。そう思って、そう願っていた。

 だから、エノクの道は決まっていた。

 騎士になろう。兄と同じ騎士に。そこで立派な騎士となることが自分にできる恩返しだ。あなたのおかげで、私はここまで立派になれたと。偉大な兄にそう胸を張って言えるように。

 それが始まり。エノクという男が騎士になる、最初の一歩だった。

 そして、第一の目標が、彼にあのときの剣を返す。そのためにエノクの騎士道は始まった。

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