天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

当然だろ?

『でも、彼は違った。人間を、愛していたんです。愛玩動物のように。だから彼は苦しまない。理解を求めない。たとえ盗賊に襲われようと、圧政者に迫害されようと、まるで子猫に噛まれたくらいにしか思っていなかった』

 それは愛情ではない。愛玩だ。人間すらペットのようにしか思っていない歪な愛情。

「でも、それって要は人を助けてたんだろ?」

 神愛は聞くが、ミルフィアは激しく顔を横に振る。

『違うんです。確かに見かけはそうですが、彼は人間を人間扱いしていない。だからすべてを愛せますが、同時に彼は平気で難民を監禁できるんです』

「監禁?」

 方向性が急カーブする。怪我を治し争いを収める一方で、監禁とはいきなり物騒だ。

『彼は苦しむ難民たちのために住居を用意しました。それに難民たちも最初は喜んでいましたが、彼は彼らをそこに閉じこめたんです。これ以上誰かに傷つけられないように。それは彼なりの愛だったかもしれませんが、自由を奪われた難民たちは反抗しました。出してくれと。しかし、彼は聞く耳を持たず閉じこめ続けたんです』

 たとえばとてつもない愛犬家がいたとする。その人は犬が大好きでどんな犬も好きだった。雑種であろうが血統書付きの犬であろうとも公平に愛し、噛まれようが犬がいたずらして壺を割ってしまっても許してしまう。それくらい好きだ。

 だが、出さない。たとえ頼まれても家からは出さないし首輪は外さない。当然檻か小屋に入れる。それが人間とペット、愛情と愛玩の違いだ。

 愛玩動物とは愛されている奴隷のようなものだ。どれだけ愛を注がれようと、本質は奴隷のまま。自由など存在しない。独立、自立。そんなもの支配者が認めるわけがない。

『彼は、人間を人間と思っていない。生まれたときから精神構造がおかしいんです。だから無償で愛せる。同時に躊躇いなく支配できるんです』

 それがイヤスの愛。まるで巨人の感性だ。生まれた時から人間を蟻と同じくらいの小人くらいにしか思っていない。同類などとんでもない。すべて可愛らしい、愛すべき格下なのだ。

「人間を人間と思っていない、か。なかなか面白いことを言う」

 ミルフィアの話を黙って聞いていたイヤスだがここで口を挟んだ。不敵な表情はそのままに敵視を飛ばすミルフィアを見つめる。

「分かっていないね、ルフィアの系譜。人間の素晴らしさは君もよく知っているだろう。なにせ君が信奉する者が作った傑作だ。人間は素晴らしい。喜び、怒り、悲しみ、楽しみ。その姿の魅力ときたら、胸が張り裂けそうだ。そのすべてが見ていて愛おしい。なんて愛らしいんだ。人に数あれどそこに優劣も貴賤もない。男も女も、老人も子供も。金持ちに貧乏人、病人、怪我人、聖人、罪人、すべてが愛おしい!」

 話し声はいつしか大声に変わり、不敵な笑みは興奮に輝いていた。目は熱を帯び、胸に渦巻く情念が噴出する。

「私は、すべてを愛してるんだ!」

 その愛は、宇宙を覆うほどだ。

「だから人間をペットのように檻に入れようって?」

「? 当然だろ? むしろ放し飼いなんて危険すぎる。人類は放っておけば戦争に飢餓、犯罪とよからぬことをしてしまうからね。私が守ってあげなければ」

 その想いは優しさかもしれないが、やはり歪なものだった。

「傷ついて欲しくない。誰一人。争って欲しくない、傷つけ合うな。すべて愛おしい人間たちよ、傷つけ合うのを止めよ。だが彼らは傷つけ合う。争ってしまう。これだけ愛しているのに。だから守らなくてはならない。彼らが傷つかないように。それは、当然だろう?」

 愛しているから守りたい。愛しているから救いたい。それは当然の感情だ。

 問題なのは、この男が理解を求めず一方的に愛してくることだ。

 それがもたらすものは、救済という名の支配に他ならない。

「私はすべてを愛している! ゆえに、すべてが欲しい! 人類一人残らず、私のものだ! 誰にもやらん、例外などない。すべて私の愛しい人類」

 それが慈愛連立の根底、生みの神の真意だった。

 ある者は言った。彼はバグだと。本来人間では持ちえないはずの精神構造。生まれた時から壊れている。人間を愛玩するなど偏愛にもほどがある。

 ある天羽は言った。話にならないと。その愛が強大過ぎるから譲れない。すべて自分の物にしなければ満足できない。駄目だと言われようが抑えきれないのだ。

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