天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

友は、現れた

 ウリエルが落下するのをルシファーは見続けていた。また、かつての仲間を斬った。楽しかった思い出を破り捨てるように。

 いくつもいくつも、黒い絵の具で過去を塗りつぶしていく。彼の人生はもう真っ黒だ、裏切り者に相応しい罪悪にまみれた自分になってしまった。

 なにを守りたかったのか、なにを成したかったのか、それすら見失いそうになる。かつての友を斬り、仲間を道ずれにするだけの理想。そんなものになんの価値があるのか。

 それでも。

 目をつぶれば思い出す。青い空と隣に立つ彼を。

 共に目指した理想があったこと。それだけは決して忘れない。そのためにここまでを歩いてきたのだから。

 そして、それは自分だけじゃない。

 並んで立ち、同じ場所を目指した友がいたこと、同じ理想に従事した相棒がいたことを。忘れてなんかいない、忘れるはずがない。

 あの、輝いていた瞬間を。

 彼もまた、その瞬間を忘れられない者だった。

「ルシファー」

「来たか」

 ついに、その時がきたのだ。

 ルシファーはゆっくりと頭上へ視線を向けた。上から声をかけてきた男の姿を確認する。

 懐かしい顔だ、五年前に比べて少しだけ髪が伸びたように見える。表情もあどけない青年ではなく凛々しい顔つきとなっていた。でも彼だ。変わらない、思い出の中にいる彼のまま。

 友は、現れた。

「ミカエル」

 天羽長ミカエル。天羽軍の総司令官直々に、最前線たるこの場所へと赴いていた。

 それは本来なら愚の骨頂。司令官自ら戦線に出るなどもしものことがあれば軍そのものが機能しなくなる。

 でも、それを言えばルシファーも当てはまる。そして、それはミカエルも承知の上。すべて覚悟の上で立っていた。

 ルシファーを前線に引っ張ってくる。それがこの作戦の意義。こうでもしなければ彼とは出会えない。それは実を結び、この大一番で二人は五年ぶりの再会を果たしていた。

 ミカエルはルシファーの正面へと降り、そこで止まった。互いに相手を見つめている。複雑な空気が漂っていた。多くの思いが入り交じり混濁となった、濃密な沈黙が続く。

 ミカエルも、ルシファーもなにを言えばいいのか分からなかった。久しぶり? 違う。相手は敵だ、適切ではない。討伐の宣言? いや、今更だ。

 ではなんだ? なにを聞きたい? なにを言いたい? 分からない。たくさん聞きたいこと、言いたいことがあるはずなのに。言葉がなかなか出てこない。

 この五年は、言葉で表すには大き過ぎた。二人の溝は、五年間で広がりすぎた。

 それでも始めなければならない。最初に口を開いたのは、ミカエルだった。

「なぜ、仲間に剣を向けた?」

「私たちは、すでに仲間ではない」

「…………」

「…………」

「そうだったな」

「…………」

「…………」

 重苦しい。呼吸をするのも躊躇われるほどの空気だ。険悪とも気まずいとも違う、緊張感が漂う。

「天羽長になったんだな」

「まあな」

「…………」

「…………」

 短い言葉を交わし、長い沈黙が続く。

 胸の中のわだかまりは言葉にできず消化不良のままだ。

 やらなければならないことは分かっているのに、なんであろうか、この時間は。無駄なやりとりだと分かっているのに、同時にもう二度と手に入らない貴重な瞬間だと分かってる。

 どれだけ望んでも、これから先この時間はない。

「五年だ」

 ミカエルは言った。二人が別れてからそれだけの時間が経った。天界紛争が始まり、いくつもの戦いを経て、二人は決戦の地に立っている。

「お前が離れてから五年になる。その間ずっと考えていたよ、いろいろと」

 長かった、そしていろいろあり過ぎた。嫌なことばかりが多すぎて、そのたびに胸を痛めた。目の前の事実を否定したくても現実は変わってくれない。

 失ったものは、あまりにも大きい。

「お前のせいで、どれだけの犠牲が出たと思ってる」

「いいや、犠牲ならすでに出ていたさ」

「言い訳だ」

「正義だ」

 淡々と話すミカエルだったが、ここで目つきが険しくなった。ルシファーのセリフがミカエルの逆鱗に触れる。

「正義……?」

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