天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

もう、十分だ

 アモンの言葉を聞きながらルシフェルは考えていた。

「今も泣いてるんだ。無理矢理部屋に押し込まれて、出してくれと今も叫んでる」

「…………」

 自分の、これまでのことを。

「こんなのってあんまりだろう」

「…………」

 それがもたらした現状を。

「なぜ、あいつらは平気なんだよッ」

 アモンの叫びが、自分の思いと重なる。

 目の前の慟哭に、憤怒の波が押し寄せる。もう、怒りでおかしくなりそうだった。

 目指したものはなんだ?

 思い描く理想はなんだ?

 使命? 名誉? 必要な犠牲?

 綺麗事は十分だ。そんなもの、とっくに足りている。

 人の救済? 永遠の平和? 寝言にしても質が悪い。

 今まさに、人が泣いているのに。

 罪のない者が、泣いている。苦しんでいる。

 そんなことは許されない。

 そして、悲劇を生み出す者を、許せない!

「アモン」

「兄貴?」

 静かな、けれど押さえ込まれた怒りがあった。地下で流動するマグマのように、灼熱だけど隠れた感情。

「お前はもう帰れ」

「でも」

「帰るんだ」

 反対するアモンに一拍の間も置かず再度促す。

 ルシフェルの感情が思考に浸透していく。多くの嘆きが、怒りが、救済を求める声が、この時彼の思考方向を完全に変えた。

 だからこそ、ルシフェルは決断したのだ。

「私は明日、ここを出る」

「兄貴!」

 大声で叫ぶ。ルシフェルの発言に驚いていた。

「でも、それじゃ兄貴が!」

「いいんだ」

 アモンは言うがルシフェルの意思は変わらない。

「もう、十分だ」

 むしろ、遅すぎたくらいだった。

「私は、迷っていたのかもしれない。天主の意思を遂行する天羽として、その理想に共感していた。誇りに思っていた。だが、今回のことで考えが変わった」

「兄貴」

 ルシフェルは、決断した。それは最大の変化にして最大の過ちだったのかもしれない。

「兄貴、本気ですか?」

 アモンからの質問に、ルシフェルは答えず正面を向いていた。

 ルシフェルの決断。それはあってはならない、己の地位もすべてを捨てるものだった。

 それでもいくのか、名誉とは真逆の道へ。高みを上るのではなく地へと下っていくのか?

 そう、墜ちていくのだ、叶えたい理想がそこにあるから。誇りもいらない。名誉もいらない。神を貶める悪魔となっても構わない。

 あるのは彼らを救いたいという、怒りのみ。

「神へ、反逆する」

 宣言したのだ。取り返しのつかないことを。最大の禁忌を。

 それは天主イヤスへの反抗。神と敵対する最悪の裏切り者として。

 この時、ルシフェルは天羽であることを捨てた。

「兄貴……」

 それだけを口にしてアモンは口を噤んだ。本来ならばすぐにでも捕らえるべきだ。目の前にいるのは天羽長ではない、すべての天羽の敵なのだから。

 けれど、アモンは動けなかった。

「もう、私の前に現れるな。一人で行く」

 ルシフェルは背を向けた。拒絶の姿勢、別れの証だ。

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