天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

神に反対したら堕天羽だって、あんなの恫喝だぜ

 アモンは扉を閉めた。ここに来るために一週間要したのはこうしたことがあったからだ。

 だが、こんな芸当が可能なのはアモンが働いただけではない。

「兄貴、あんたはもっと自分の人望に自信を持っていい」

 アモンはフッと笑う。彼を称える時、アモンは嬉しそうだった。

「あんたは天界の誇り、明けの明星。天羽長ルシフェル、だろう?」

 自らの誇りを自慢するように。

 そんなアモンに、ルシフェルも照れたように笑う。

「ふっ……。そう呼ぶ者もいるというだけさ」

 雰囲気がじゃっかん温かくなった。昔を懐かしむような温かさがある。

「話を戻すぜ」

 けれどそれを振り払い、アモンは本題を持ち出した。

「ガブリエルは天主イヤスの決定を忠実にこなしている。あの女らしい実直で優秀な指揮だ。しかし、そのせいで地上はひどい有様だ。力付くで弾圧している、兄貴が指揮していた一週間前までとは比べものにならない。地上は今や、牢獄だ」

 それは、ルシフェルにも分かっていたことだった。聞こえてくる人々の声。夢に出てくる凄惨な映像。そのすべてが物語っている。

 今の地上は悪夢だ。

 空気が沈んでいく。聞かされる内容は鬱々とし、ひどいものだ。

「兄貴、やつらのやり方は度を超えている。問答無用だ。やり方が当初と違いすぎる。慈悲もなにもない、ただの侵略だ。それによぉ」

 アモンは視線を下げる。声は、今にも泣きそうなほど悲痛に満ちていた。

 耐えられないのだろう、彼も。このあまりの惨状に。彼の正義と優しさは燃料となって怒りを燃やす。

「人間たちがな……、見ていられねえ。あいつら女子供も容赦なしだぜ? ふざけた話だ、子供なんてこのこととなんの関係がある? そうだろう!?」

「アモン……」

 感情が弾ける。人たちへの悲しみ、その原因へと怒りをぶつける。

「ガキどもが殺されているんだ、誰かが守ってやらなきゃいけないってのに。ただそこにいたってだけで、こんなふざけた話があるかよ!」

 叫んだ、理不尽を前にして。思いが溢れて止まらない。

 アモン。彼も正義感の強い男だ。義理人情に厚く、そんな彼をルシフェルも認めている。

「こんなことは間違ってるって、俺も頑張ってみたんだ。だけど、神に逆らう異端者だとして非難されちまう。俺はただ、人間をこれ以上苦しめたくないだけだってのに、神に反対したら堕天羽だって、あんなの恫喝どうかつだぜ」

 アモンの苦しみにルシフェルは瞳を閉じた。

 正しいと信じていることをしても悪だとして反対される辛さ。正義が否定される憤り。その苦心は想像以上に辛いものだ。

「兄貴……。悔しいんだ……!」

 ついに、アモンは泣き出した。拳を痛いほどに握りしめ、頬を大粒の涙がこぼれ落ちていく。

「俺たちが目指してきたのは、こんなもののためだったのかよ!? このまま罪のない人間が弾圧されていくのを黙って見ていろってのか!? 悔しいんだ、今までの正義が否定されて、それを笑われるのがッ」

 ルシフェルはアモンに近づいた。肩に手を乗せる。

「アモン、大丈夫だ。私も気持ちは同じだ」

 アモンは「すまねえ」と言いながら涙をふき取っていく。その後充血した目で見てきた。

「謁見の間で天主と話をしたって聞いた」

「ああ……。だが駄目だ、話にならない。あれはもうそういうものじゃない。不変であるが故に神なんだろう、よって方針を変えることは不可能だ」

「そうか……」

 ルシフェルの答えにアモンは残念そうに顔を下げた。期待していたのだろう、もしかしたらと。けれどそれは叶わぬ願いだ。落胆しているのが顔で分かる。

「兄貴、どうすればいい? 俺は、俺たちはこんなことをするために生まれてきたってのか!?」

 今の天羽は平和を調停する者ではない。

 力で弾圧する暴虐の者だ。

 なぜ、こんなことになってしまったのだろう。理想を実現しようと思っていたはずなのに、していることはその真逆。走れば走るほど逆走していくというその矛盾。

 アモンが口にする思いの吐露に、その嘆きに、ルシフェルは気づけば拳を握り締めていた。

 なぜ、こんなことになってしまったのだろう。始まりは人間側の責任だったかもしれない。

 けれど、今の状況はそれだけか? それだけのために、罪のない者まで涙を流さなければならないのか?

 そんな者になりたかったわけではない。

 そんな者になるために、努力してきたわけではない。

 ルシフェルは、地上でのことを思い出していた。恐怖の中、刃物を手に立ち向かってきた少年を。

 その気持ちを思うと、息が詰まりそうになる。

『黙れ偽善者が!』

 自分に向かって叫んできた兵士を思い出す。綺麗事だけの理想が如何に無力か思い知る。彼の怒りを思えば、至高だと信じてきた理想すら恥じる。

「なにより、これ以上あいつらの泣いてる顔は見たくない……」

「…………」

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