天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

未来に希望を抱いていた心は、されど沈み。

 それは最初に天羽殺害を起こした国だった。そこには天羽の迎合げいごうを反対する一派があり、その保守派が起こした犯行だった。

 存在自体は天羽側も認識していたがここまでする派閥ではなかった。しかし、最近の天羽の好調を受け武力による排除を行ってきたのだ。それにより再び悲劇は繰り返された。

 自分たちの運命を、人生を、第三者に委ねたくない。そうした気概は理解できる。

 しかし、望んだのは平和だったはずだ。罪のない者が亡くなることなど、望んでなどいなかったはずなのに。

 なのに――

「なぜだ!?」

 会議室でルシフェルは大声で叫んでいた。座っている椅子が軋む。ここにはルシフェルとミカエルの二人きりであり、他の四大天羽もすぐに来る予定だ。

「なぜ……」

 大声から打って変わり、ルシフェルから弱気な声が漏れる。胸の中で憤りと落胆が忙しなく交代してはルシフェルを苛んでいる。

 変われると信じていた。

 よくなると思っていた。

 犠牲を受け入れ、苦難を乗り越えて、わかり合えるはずだった。

 しかし現実は理想を、人間は夢を裏切った。

 悔しい思いが胸を満たす。落胆はルシフェルの希望を打ち砕いた。それほど大きな期待だった。

 どうすればいいのか分からない。

 ルシフェルは、自分の道を見失いかけていた。机に両肘を立て、手の甲に額を乗せる。ルシフェルはうなだれた。

 そんな彼を背後から立って見ているミカエルは我慢出来ずにいた。

「ひどい」

 言葉が漏れた。言わずにはいられなかったのだ。普段は温厚な彼でも、今回ばかりは。

 目の前で落ち込んでいる彼がどれだけ人類の平和のために尽力したか。仲間を殺害されたことに胸を痛める天羽の説得という汚れ役。

 もっとも困難な役を引き受けて。一番辛いことを成し遂げた。誰より、自分が傷ついていたはずなのに。

 それを堪えて、みなを説得していた彼を、彼の平和にかける情熱を、私欲でしか考えられない人間は裏切ったのだ。

「すみませんが、私の立場からも言わせてください」

 ミカエルの声は、怒りに震えていた。

「天羽長。これは、明確な裏切り行為です! 私は、今回のことは許せません!」

 ミカエルから熱の籠もった声が飛ぶ。当然だ、こんなことをされて許せるものか。殺害された天羽がなにをしたという。なんの罪があった。なぜ殺されなければならない。

 なぜ、平和の祈りが、こうも嫌われなければならない。

「ミカエル」

 ルシフェルが半身だけを向ける。その表情は憔悴している。よほど今回のことがショックだったのだろう。そんな彼を真っ直ぐと見つめ、なおミカエルは主張する。

「ルシフェル。迷うことなどありません。一度は許した、しかしニ度目はない。前回はともかく、今回は天羽殺害を処罰する法があります! これを適用すれば――」

「そうじゃない」

 ミカエルは熱弁するが、ルシフェルの寂れた声が中断させた。

「そうじゃないんだ……」

「ルシフェル……」

 ルシフェルの顔は下を向いている。天羽の中で誰よりも美しい横顔が、この時ばかりは沈んだ太陽のように陰が差していた。

「分かり合えると、思っていたんだ」

 未来に希望を抱いていた心は、されど沈み。

「心を持つもの同士、痛みも、悲しみも」

 期待は溶けて、涙に変わる。

「なのになぜ、罪のない者を手にかけた……!」

 ルシフェルは、泣いていた。彼の涙をミカエルは初めて見た。

 いつも気丈で、聡明で、明るい彼が。

「それが、私は、悲しくて仕方がない。辛くてしかたがないんだ」

「ルシフェル……!」

 泣いていたのだ、涙を一つ、頬に這わせて。

 ミカエルは泣きそうだった。両手を握り力を入れてグッと我慢した。それでも気を抜けば泣きそ出しそうだ。

 あれほど頑張ってきた彼が、憧れの者が、失意に泣いている。それがあまりにも悲しくて、悔しくて。この気持ちを言葉では表現できない。それほどまでにミカエルは激情していた。

 ルシフェルは一滴の涙をこぼすと、そのまま話しかけてきた。

「なあミカエル。私たちがしていることは、けっきょくは差し出がましい正義でしかないのだろうか……」

「それは」

 彼から出た言葉。それは弱音だった。初めて聞いた、彼の弱音など。

 天羽の行い。それは天上の神イヤスの命であり、人類の平和という理想だ。そのために天羽は創られた。

 彼らは神の使命を全うすることに名誉を感じているし、意義あるものだと思っている。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品