天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

荒れるな

 険しい表情で視線の先を睨みつける。

「私が降りた後すぐにヘブンズ・ゲートを閉じろ!」

 背後にいる部下にそう言いルシフェルは空間転移でヘブンズ・ゲートに飛んだ。

 広大な青空に浮かぶ巨大な門、ヘブンズ・ゲート。その全長は十メートルを超える。扉の先は光が溢れており見ることができない。

 通過は許可制であり多くの天羽が運営、管理を行ってる。現在も扉の周りを天羽たちが巡回している。

 その門の前にルシフェルは現れた。見てみれば門の前は騒々しい。どうしようかとみなが焦っているように見える。

 そこへ現れたルシフェルに警備していた天羽が近づいてきた。

「ルシフェル様! 今しがたウリエル様が――」

「退いてくれ!」

 が、取り合っている暇はない。ルシフェルは近づいてきた天羽を強引に退かしヘブンズ・ゲートへと突っ込んだ。

 全身が光に包まれる。そのまま落下していく感覚が全身を覆う。これは次元移動を可能とする装置だ。高位次元宇宙である天界から、最下層である天下界へと落ちていく。

 青白い空間を下へと降りていく。感覚としては落下に近い。しかし空気抵抗がないからか純粋に引力に引っ張られている感じだ。

 すると出口である光が見えてきた。その光に全身から突っ込む。

 光から出た先、それは天下界の青空だった。背後には今し方自分が出てきたヘブンズ・ゲートがある。

 ルシフェルはここの警備していた天羽に慌てて声をかけた。

「ここをウリエルが通ったはずだ! どこに向かった!?」

「あ、あちらです天羽長!」

 警備の者は動揺こそしていたが指を指し教えてくれた。ルシフェルは礼を言うのも忘れすぐさま飛んだ。

(間に合え!)

 彼の胸は焦燥に急かされ、危機感が警報を鳴らしていた。

 ルシフェルが向かう地上ではすでにウリエルが人間の衛兵たちと対峙していた。

 槍や弓で武装した人間たちを前にしてウリエルは天羽の証である翼を広げ、その手には巨大な剣が握られていた。その目は灼熱の怒りに燃えている。

「なぜだ……」

 絞り出された声は怨嗟えんさの塊で、人間たちを前にして笑顔を浮かべていた彼女はここにはいない。

「なぜ!?」

 その目は今にも泣きそうで、それでいて怒りを発している。

「止まれ! 動くな!」

 人間たちから制止の声が届く。武器はすべてウリエルに矛先を向けているが彼女は意に介さない。そんなもので止まらないほどの怒りが燃えている。

「なぜ、どうしてぇ!」

 彼女は叫んだ。涙が飛んだ。

 愛していた、愛していたはずだったのに。彼らの笑顔と幸福に幸せすら感じていたというのに。

 なのに、なぜ? なぜこんなことをする?

 数少ない友人は殺された。その悲しみも痛みもまだ癒えていない。それを飲み、許そうとまでしたのに。

 なのになぜ? なぜまたこんな目に遭わねばならない?

 なぜ、誰かを苦しめる?

 彼女が叫んだ直後、彼女の背後から炎の柱が噴き出した。十メートルにもなるその炎は轟音をとどろかせ天に伸びていく。

「うわああああ!」

 その迫力と熱量に人間たちから悲鳴が上がる。こんなものを見せられて平然でいられるわけがない。殺される。誰もが彼女に恐怖していた。

 ウリエルは剣先を人間たちに向け、振り上げる。

「止めろ!」

 そこへ声がかけられた。ルシフェルはウリエルの背後に立ち剣を彼女の首筋に当てていた。

 議論の余地はない。今の彼女はなにをしでかすか分からない。今もルシフェルが止めていなければ本当に人間を殺していたところだ。

「ウリエル。すぐさに剣を捨て投降しろ。さもなくば天羽長権限によりお前を堕天羽とする」

 ルシフェルは初めて威圧的な態度でウリエルに告げた。それを受けてウリエルが小さく振り返る。

「……私が、堕天羽ですか?」

 その顔は、悲しそうだった。

 愛する人間に裏切られ、友人を失った。それだけでも耐えがたい悲劇だったというのに。

 人間は、またしても裏切った。

 耐えられない。もう。こんなことがあるか。こんなことが許されていいものか。

 だから彼女は行動したというのに。

「そうだ」

 ルシフェルは言った。彼女の気持ちは分かる。だが、それとこれは別だ。

「……ふ、ふふ」

 それを聞いてウリエルは笑った。もう喜劇きげきだ、こんなものは。滑稽こっけいにすら思えてくる。

「ふふふ」

 この舞台では誠実さも純粋な願いにも価値はなく、なのに理不尽に怒るだけで堕天羽にされるのか。

 この世界では、平和を願う祈りすら道化なのか。

 人を愛する心も、幸福を願う気持ちも。そのために死んでいった友人の命すら無駄だというのなら。

 ここはなんて、救いようがないほどに悲しい場所なのだろう。

「……う、う、ううう」

 その時、ウリエルは泣いた。

 剣が、手から落ちる。

 ウリエルはその場にうずくまり、力なく俯いた。頬を通る涙がいくつも地面に落ちていく。

 ルシフェルの来た道から何体もの天羽がやってきた。ルシフェルは剣をしまい部下に告げる。

「彼女を監査庁に引き渡してくれ。……手荒な真似はしないように」

「はい。了解です」

 部下たちはうなだれるウリエルを起こしヘブンズ・ゲートへと連れていった。ルシフェルは彼らを見送りながら険しい顔でつぶやく。

「荒れるな」

 人間による二度目の天羽殺害。これから起こる激動の予感に、ルシフェルは今から危機感を感じていた。


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