天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

不安があるとすれば

 両側に木々が植えられた道をルシフェルが歩き、その隣には手帳と筆を持ちミカエルが必死に歩いていた。青空から降り注ぐ光が青葉を照らし、木漏れ日が二人を包む。

「ルシフェル様。ジュルーム国ですが、依然として我々との関係を築くことには否定的です。ですが、王族の中には内政干渉の条件として我々天羽の知識を望んでいる者もいます。それ次第では」

「うーん、知識の譲歩じょうほは禁止されている。製造法は秘匿ひとくし、我々の道具を貸し出すなどで融通を図ってみよう」

「道具の貸し出し……、はい!」

 ルシフェルの言葉を手帳に書き記し元気に頷く。

「次にアッタル国との会談が一週間後に控えています。アッタル国も否定的な姿勢を崩していません。翌日私が先行して外交官と話をしてきますが、どう話をつければいいものか……」

「あの国は隣国のバザル国と親しい。幸いバザル国は我々に好意的だ。ミカエル、バザル国王に一週間後の会談に参加し我々の意向に助力してもらえるよう頼んできてくれ。見返りは用意する」

「それはいいですね! これからすぐにでもバザルに向かいます」

 元気よく返事をする。ルシフェルからの提案に瞳を輝かせて。まるで子犬のように無邪気な顔を見せる。

 そんなミカエルを見てルシフェルは快く頷いた。

「うん」

 彼は仕事熱心だ。今もこうしてつき従ってくれている。

 ルシフェルは足を止めた。

「ミカエル」

「はい」

 突然立ち止まるルシフェルにどうしたのか疑問に思いながらミカエルも立ち止まった。

 ルシフェルは柔らかな表情でミカエルに尋ねた。

「仕事は大変じゃないか?」

「え?」

 何事かと身構えていたミカエルにとって、その質問は予想外だった。

「いいえ、そんなことはありません!」

 咄嗟に否定する。もしやミスでもしたか? 無理をしているような振る舞いでもしてしまったのだろうか。不安が過ぎるがルシフェルは小さく笑った。

「いや、不安がらせる言い方をしてすまなかったな」

 必死なミカエルにルシフェルは苦笑した。そんな態度を取られてはどんな風に返せばいいのか分からずミカエルは困ってしまう。

「ただ慣れない仕事で苦労は多いだろうと思ってな。君とはまだ十分話し合っていない。そうしたこともあってさ」

 慣れない部下を気遣い声をかける。彼の思いやりにミカエルは緊張していた顔をほころばせた。

「いえ、大丈夫です。ご心配には及びません。むしろこの仕事にやりがいを感じています」

 慣れないのは事実だ。判断に迷う時やうまくいかない時もある。けれど天羽として生まれた意義、それを果たすいわば第一線で活躍できるという名誉と喜び。

 ミカエルの胸には苦労に負けないほどの充実感があった。

「不安があるとすれば」

「なんだ、言ってみてくれ」

 そんな彼に不安があるとすればそれは仕事とは別のことだ。ミカエルはわずかに表情に陰を差しルシフェルの様子を伺った。

「なぜ、ルシフェル様はこのような大役を私に? ルシフェル様も知っての通り、私はしがない大天羽に過ぎません。識天羽や、そうでなくても権天羽の方々もいたはずなのに。それなのになぜ?」

 天羽の階級を位置づける九のヒエラルキー。天羽長の補佐官という立場なら当然選任される天羽は最高位の識天羽か二番目の権天羽が妥当だろう。

 しかしミカエルは大天羽。下から数えて二番目という、お世辞にも高位の天羽とは呼べない階級だった。

 ミカエルの不安はそれだ。なぜ自分が? 選ばれたことはうれしい。やりがいもある。けれど理由が分からない。

 ルシフェルがなにを考え自分を補佐官に指名したのかまるで分からないのだ。

 それが不安。ミカエルが抱く唯一の悩みだった。

 ミカエルは心の重石を吐露した。それを聞いてルシフェルは顔を正面に向けた。その目は遠くを見るように細められ、懐かしそうにつぶやいた。

「君を見つけたのは偶然だったんだ」

「?」

 ルシフェルは話し続ける。 

「遠見の池で地上を見ている時にね、干ばつがひどく作物が取れない土地があった。そこへ有志の天羽たちが彼らに食料を渡していたんだ。私はその様子を見ていた」

「え、天羽長がご覧になっていたんですか!?」

 ルシフェルの話にすぐさにミカエルが反応する。まだ自分の名前は出てきていないが心当たりがあった。この場で出てくるということは間違いない。

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