天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

そして、激動が始まる

 神愛と恵瑠えるがペトロを撃退した頃。

 人類と天羽てんはの争い、そのキーとなる人物もこの戦いにおける思いをたかぶらせていた。

 サン・ジアイ大聖堂の一室で、神官長ミカエルは椅子に座り足を組む。金髪に輝く美貌びぼう醜悪しゅうあくに歪め、ミカエルは片手を前へと伸ばした。

「さあ、時はきた。雌伏しふくの時を経て再び天羽てんはは舞い戻る。その時、貴様ら人類の歴史が終わるのだ」

 ミカエルは笑っていた。楽しみで仕方がない。愉快で仕方がないと。

 ミカエルは謳う。

 歓喜せよ。

 歓喜せよ。

 すべての天羽てんはよ、歓喜せよ。

 時はきた、ついに神の愛に応える時だ。

天羽てんは長』ミカエルは謳うのだ、戦場に響き渡る角笛を。

 開戦の号砲だ。

「今度こそ、二千年前の使命を果たし、名誉を勝ち取ってみせる! 貴様ら残念な人類は地面に這いつくばっているがいい。ふっ、ハッハッハッハッハッハ!」

 彼の哄笑こうしょうが部屋を震わせる。かつて失敗に終わった使命を果たせることに、喜びを感じているように。



 そしてもう一方では。

 神愛との戦いを終えたペトロは片膝を付き頭を垂れていた。室内は広く純白だ、学校の体育館ほどの広さはある。フロアの正面には階段状の台があり、それを前にしてペトロは声をかけた。

「ただいま戻りました」

「おお、君か。首尾しゅびはどうだ」

 頭上の台からしわがれた男性の声がフロアに響く。老いてなお威厳があり、けれど親しみを覚える柔らかい声だった。

「すみません、取り逃がしました」

「そうか……」

 その声がわずかに落胆らくたんしたかのように声色を落とした。

「君とはいえ、相手は天羽てんは。そうそう上手くはいかんか」

「それもありますが、誤算が」

「誤算?」

 頭上から響く声にペトロは平静を保ったまま答える。

「ウリエルの護衛ごえいに、第四の信仰者がいます」

「第四の信仰者が? なぜ?」

「どうやら同じ学校らしく、友人だと思われます」

「その彼が、人が、天羽てんはを守っていたのか」

「はい」

「皮肉な少年だ。人が天羽てんはを守るとは」

「その少年ですが……」

「……? なんだ」

「いえ、ただ」

 ペトロは冷静沈着な男だ。感情的になることなく、その顔はつねに戦士の威厳を保っている。
 そんな彼が、ここに来て初めて口元を持ち上げた。

「俺の友達に手は出させないだの、俺の守りたいものを守るだの」

 その顔は笑っていた、まるで懐かしいものに触れたように。

 それで、聖騎士第一位、誰もが認める慈愛連立じあいれんりつの信仰者は言ったのだ。
「まるで、話しに聞き及ぶあなたの兄のようでしたよ」

 初めて顔を上げる。そこにいる、一人の老人を見つめて。

「教皇エノク様」

 そこにいたのは純白豪奢な椅子に腰かけている老人だった。ゆとりのある白の祭服に長い布が伸びた帽子を被っている。

 白い髪と髭、シワのある顔は高齢である証拠だが、その目は輝きを失ってはいなかった。

 ペトロの言葉に教皇エノクも懐かしさを覚えたのか、声を零した。

「ほお、エリヤと同じとは」

 裏切り者としてこの世を去った義兄の名前にエノクは僅かばかり意識を過去へと向けているようだった。

 誰からも愛された気さくな騎士の最後は、単身サン・ジアイ大聖堂に乗り込み戦死したものだった。その凶行に裏切り者と非難され人気は地に落ちた。

 今までの評価とは正反対。そして、その後教皇となるエノクとは対照的な人物。

 それがエリヤ。

 その彼が亡くなったのが、ちょうど『六十年前』。

 エノクは小さく笑った、かつての兄の姿を思い浮かべながら。

「はっはっは。楽しみな少年だな」

 しわがれた声を震わせて、教皇は笑うのだ。

「直に、会ってみたいものだ」

 笑い終えるとエノクは椅子の肘掛に手を乗せ起き上がった。台の前にまで歩み寄ると、そこから眼下がんかを見渡した。

 教皇宮殿の純白のフロア。一番手前には聖騎士ペトロが立ち上がった姿。

 その後ろには、武装した連隊が並んでいた。ずらりと整列する千を超える騎士が並んでいる。全員が戦仕立てを整え精悍な表情をしている。

 この場の雰囲気は緊張感に包まれていた。その光景は圧巻だ。誰しもが戦いの心構えをしている。

 そう、これは戦争だ。その準備は整えた。

「諸君」

 エノクが口を開く。眼下がんかの騎士へと向け言葉を贈る。

慈愛連立じあいれんりつの意思は揺るがない。愛する者のため、家族のため。そしてこの世界に生きるすべての民のため、我らは崇高すうこうなる信仰のもと命をかける」

 騎士は見上げ教皇の言葉に耳を傾けていた。蔑ろにする者はここには一人もいない。

「諸君。この戦いは厳しいものになるだろう。相手は人ではない、生きる奇跡だ。だが、今の我々はかつて惨敗ざんぱいきっした時とは違う」

 教皇の言葉に、騎士の一人一人が身を引き締めていく。

 そんな中、エノクは緊張を解き、柔らかな声で問いかけた。

「諸君。人を守るというのは、それだけでいいことだと思わないか?」

 優しい声だった。戦場に赴くには戦意の欠けた、けれど温かい言葉だった。

 その優しさに、騎士は奮えた。この戦いに不安と恐怖を感じていた者は恥ずかしいとさえ思った。

 そして、エノクは表情を切り替えた。

 歴代最高の聖騎士として名を馳せた男。聖画に描かれた威厳は色褪せることなく、教皇エノクは宣言する。

 人を助けることは素晴らしいと。それに誇りを持てると。そう信じ今まで研鑽けんさんしてきたのなら、それは今こそ発揮すべきもの。

「そう思うからこそ、我らはこの神理しんりを信仰するのだ。胸に誇りを宿せ、その剣で守ってみせろ。諸君」

 エノクは言うのだ。

 奮起せよ。

 奮起せよ。

 信じた誇りを、証明する時だ。

「この戦い、我ら慈愛連立じあいれんりつが制す!」

『うをおおおおお!』

 エノクの言葉に騎士は拳を振り上げた。静かだったフロアに激しい熱気が噴出する。
 この場は一体感に包まれていた。人を救うという当たり前の正義のために。

「始めよう。『六十年前』の、約束を果たす時だ」

 エノクは、小さく呟いた。

 人類と天羽てんはの争い。ウリエルという名の天羽てんはを巡る戦い。
 そこで発生する第四の信仰者というイレギュラー。

 神官長ミカエル。

 教皇エノク。

 無信仰者神愛。

 数々の思惑が入り乱れる中、この戦いがどのような様相ようそうを呈するのか、まだ誰も知らない。

 戦いは、始まったばかりだ。

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