天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

堕天羽

 それはいつものおどけた恵瑠えるの声ではなく、落ち着いた大人の声だった。

 なにも言えなかった。頭が真っ白で。本当ならいろいろ聞くべきことがあるはずなのに。だけど言えなかった。それは聞くべきことが多過ぎて混乱していたのもあるが……。

 圧倒されていたんだ、その美しさに。

 夕日で輝く空に浮かぶ純白の天羽てんは。まるで聖画のようなその光景に。

 ウリエルと名乗った恵瑠(える)は、誰よりも美しかった。

天羽てんはであることを止めて人と関係を持ち、けれど人ではないもの。どちらにも交われない半端な存在」

 彼女の声は、表情は、寂しそうだった。

「私はね、神愛君。天羽てんはを裏切り、そして、ずっと君たち人間を騙して生きてきたんだよ」

「…………」

 彼女の告白を黙って聞く。その思いを、俺は正面から受け止めている。

「私は人間ではない。天羽てんはですらない。そんな私を」

 彼女は一拍の間を置くと、そっと、傷口に触れるように聞いてきた。

「君はまだ、友達だとそう言えるの?」

 悲しい響きだった。

 まるで、すべてを諦めているように。

『神愛君だって、ボクのことを知ったらきっと離れていく。ボクの味方になんて、なってくれるはずがない』

 そう言っていたのを思い出す。

 恵瑠えるは、天羽てんはだった。

 仲間である天羽てんはを裏切り人間として暮らし、だけど本物の人間でもない。

 どちらでもないもの。

 孤独だったんだ。恵瑠えると同じ者なんて、どこにもいない。どこにも属さない。ずっと一人ぼっちの存在。

 それが、恵瑠えるだった。

 だけど、俺は言うんだ。

 心の底から思いを込めて。

「ああ!」

 俺は言った。力強く。恵瑠えるをまっすぐに見上げながら。

「たとえなにがあろうと、俺たちは友達だ!」

 大声で。偽りなんてない。この一言に、俺の気持ちを乗せた。

「そうだろう、『恵瑠える』?」

 俺は言ったんだ、目の前で浮かぶ恵瑠えるに向かって。

 そう言うと恵瑠えるはわずかに驚いたようだった。今まで諦めていたような顔が少しだけ動く。

 恵瑠えるはゆっくりと前に進みながら降りてきた。

「本当に?」

 怯えるように、凍えているように、恵瑠えるは聞いてくる。

「ああ」

「本当に……?」

 声は震えて、目には涙が浮かんでいた。

「ああ!」

 そんな彼女に言ってやる。

「人間とか天羽てんはとか、そんなこと関係ない! 俺たちは友達だ」

 俺の言葉に、恵瑠えるは泣き出した。

 美人な顔をくしゃくしゃにして、恵瑠えるは俺に歩いてくる。そのまま近づいてきた。距離がほとんどなくなっていく。

 そして、恵瑠えるは俺に抱きついた。

「え、恵瑠える?」

 体が密着する。恵瑠えるは俺の背中に両腕を回し、俺の顔の横に恵瑠えるの顔があった。

 彼女のすすり泣く声が耳元で聞こえる。白い髪が頬に当たりそこから漂ういい香りに包まれる。抱きつかれることで大きくなった恵瑠えるの胸が押し付けられた。

「ありがとう、神愛君」

 恵瑠えるの抱きしめる力が強くなる。体は微動し、声も震えていた。

「ありがとう……! ありがとう……!」

 そこに込められた思いを感じる。

 仲間なんていないと、味方なんているはずがないと、恵瑠えるはそう思っていた。

 だけど俺が今でも友達だと知って、恵瑠えるは嬉しかったんだ。

 変わらないものはある。

 終わらないものはある。

 現実に天国も楽園もなくたって。

 ずっと続いていくものはある。

「う、うっ」

 恵瑠えるの泣き声が聞こえる。すぐ近くから聞こえてくる。

「う、ううう……!」

 それほどまで辛かったのか。

 自分が天羽てんはだということ。人間とは違うということ。それにとても苦しんでいたのか。
 俺は恵瑠えるの背中に腕を回した。

 俺と同じくらいの体に違和感を覚えながらも、俺は優しく抱き返した。

「まったく……。当たり前だろ、アホ」

 恵瑠えるはそのまま泣いていた。長い間ずっと。

 恵瑠えるが泣き止むまで、俺たちは抱き合っていた。

 夕日に輝く噴水がある広場で。

 ずっと。


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