軍隊の王様

井上数樹

詩比べ

 王様はがっくりと肩を落としてテントに戻りました。いつでも前向きな王様も、さすがにこの難問には困り果ててしまいました。

 それでも挑まれた勝負から逃げるわけにはいきません。王様は将軍や隊長たちを集めて作戦会議を始めました。

 王様の大きなテントの中で、皆は必死になって美しい詩を考えました。ですがいくら頭をひねっても、良い言葉は浮かんできません。何しろ皆王様と似たり寄ったりの人たちなので、詩とは縁の無い生活を送ってきたのです。

 とうの王様も、白髪で強面の将軍や、禿げ頭の砲兵隊長や、傷だらけの顔の切り込み隊長が膝を突き詰めて話しているのを見ていると「これはもう負けたかもしれない」と思ってしまいました。


「何も思いつかない私が言えた義理ではないが、お前たち、美しい言葉の一つくらい言ったことが無いのか?」


 あきれ半分に王様はそう言いました。将軍たちは恥じ入るしかありません。皆、若い王様よりもずっと年上の人たちばかりですが、王様の言う通り誰かに詩を読み上げることなどほとんど無かったのです。


「そもそも、美しい言葉とはどういうものだろう? どういう時に、人はそれを言うのだろう? まさか詩人だけの専売特許ではあるまい。どんな人間にも一度くらいは、詩を歌う機会があるはずだ」


 王様はそう思いました。しかしそれがどういう時なのか、若い王様には分かりません。

 その時、腕を組んで考え込んでいた将軍が重々しく口を開きました。


「王様、私に一つだけ心当たりがあります」


 将軍の一言に、居合わせた皆が一斉にざわめきました。経験豊富な将軍のこと、さぞや素晴らしい案を出してくれるに違いないと、皆口々に将軍を褒めました。

 ですが、とうの将軍はしわだらけの顔を真っ赤にして縮こまっています。気まずそうに咳払いを何度もしてから、将軍はその言葉を言いました。

 さて、それを聞くと、皆納得する反面、赤面して黙り込んでしまいました。ただ一人、王様だけが「それは名案だ!」と言って手をポンと打ち鳴らしました。そうしてテントを飛び出すと、一万人の兵士一人ひとりに一晩かけてたずねて回りました。もちろん、偉い人からただの兵隊まで、余すところなく聞いて回ったのです。王様が通ったあとには、将軍と同じように赤くなった兵隊たちが残されました。

 ところがそうして聞いて回っているうちに、王様はふと思いました。


「それなら、お前たちが私についてきたのは変ではないか?」


 王様にそう言われて、兵隊たちは顔を見合わせました。


「恐れ多くも、私たちは皆、王様のことが心配だったのです。なにしろ、王様はこういったことのご経験が無いでしょうから」


「それはおかしい。お前たちには、私よりも心配すべきものがあるのだろう。つき合わせてしまって悪かった。さあ、私のことは心配ないから、皆で家に帰りなさい」


 王様に命令されたら、兵隊たちは従うしかありません。皆、相変わらず王様のことが心配でしたが、夜が明けるころには王様を一人残して国に帰ってしまいました。

 さて、朝日の昇る平原に王様はたった一人で佇んでいました。

 頭の中には、これから会いに行く女王様のことしかありません。果たしてこれで良いのだろうか、と王様は思っていました。心細さはぬぐえません。

 それでも、もう日は昇りました。王様は行くしかありません。


「こうなれば、なるようになるまでだ」


 覚悟を決めて、王様は歩き出しました。いえ、兵隊も召使も一人もいない王様は、ひょっとした王様ですらなかったかもしれません。

 城門まで来ると、王様は大声で挨拶しました。すぐに衛兵たちが扉を開けます。ふと、王様は一人の衛兵に声をかけると、腰に吊るしていた剣を預けました。ここから先に剣はいらないどころか、邪魔だと思ったからです。

 衛兵たちは、王様が置いていった見事な剣を見て驚きましたが、何より武器を一つも持たずにずんずんと街の中を進んでいく勇気に心を打たれました。街の人たちも、朝早くから起き出して、大通りの真ん中を歩いていく王様を興味津々といった様子で見守っています。今回の王様も、きっと手ひどくやられるに違いないと皆思っていましたが、あの堂々とした態度は立派なものだと口々にうわさしました。

 お城に入った王様は、そのまま侍女に案内されて、女王様の待っている後宮まで連れていかれました。

 後宮は立派なお城の真ん中に隠れるように建っていました。真っ白な大理石で出来た、小箱のような美しい建物でした。さらにその真ん中をくり抜くように四角形の小さな庭があり、色とりどりの花々が咲き乱れています。小さな噴水のかたわらに、これまた小さくて品の良い白いテーブルと、椅子が二つ置かれていました。女王様はそこに腰かけて待っていました。

 王様が庭の中に踏み込むと侍女は音も無く去っていきました。

 あたりが静まり返ると、とたんに王様はどきどきと胸が高鳴るのを感じました。緊張のせいでもありますが、はじめて間近で見る女王様の美しさに、今さらながら驚かされてしまったのです。絹糸のような髪といい、白樺の枝のように細い手といい、まるで夢でも見ているような心持ちです。


「ようこそおいでくださいました。さあ、どうぞおかけになって」


 女王様に促されるままに、王様は椅子に腰を下ろしました。大柄な王様には少し小さくて、居心地悪そうに何度も座りなおしてしまいました。そしてちらりと女王様の横顔をのぞくと、美しさを冷たさで譬たとえるのは正しいのだと思いました。

 女王様は勝利を確信しました。こんな見るからにうぶな王様に、自分を超えるほどの詩が歌えるとはとても思えません。

 それでも情けをかけるつもりは少しもありません。先に歌ってしまって、負けを認めさせることにしました。


「王様、泣いても笑っても、これが最後です。先に負けを認めた方が、勝った者に従うのです。異論はございませんね?」


「もちろん、承知しております」


「では、先にわたくしの方から歌わせていただきます」


 女王様は小さな胸いっぱいに息を吸い込むと、おごそかに歌い始めました。

 この時女王様が歌った詩がどのようなものであったのか、今日まで伝わってはいません。ただ、それが途方もなく美しく、神秘的な詩であったことだけは確かです。詩の名人どころか、天使でさえ思いつかないほど優れた詩だったのです。言葉の選びから並びに至るまで、わずかなほころびもなく、またそれをつむぐ声は歌の女神でさえ逃げ出すほど清らかでした。

 女王様の詩に聞き惚れながら、いつの間にか王様は涙を流していました。文学のことは全然知らない王様でも、女王様の詩の美しさに心を揺さぶられたのです。そして、それを歌う女王様の優美な姿に、あらためて目を奪われてしまいました。

 あるいは、王様が心から女王様のことを愛したのは、この時がはじめてだったかもしれません。王様は今になってようやく、誰かを好きになるということを知ったのでした。そして同時に、失恋の痛みも覚えたのです。こんなに優れた詩の前では、自分の用意してきた作戦などちっぽけなものに過ぎないと王様は思いました。

 女王様が最後の一音を歌い終えた時、王様は涙を流したまま動けませんでした。「いかがでしたか?」と女王様にうながされて、はじめて「素晴らしい詩でした」と口にできたくらいです。

 当然だわ、と女王様は思いました。自分に知らない言葉など無く、またどんな文章でもすぐに組み立てられる。泣くほど感激してくれるのは少し、ほんの少しだけ嬉しいけれど、賞賛の言葉なんて浴びるように受けている。自分がこの勝負に勝つのは当たり前。女王様はそんなふうに考えていました。王様だって恐れ入って逃げかえるに違いないと思いました。

 ところが、王様は逃げませんでした。もちろん女王様の詩に心から感動していましたが、何もしないで帰ったのでは部下たちに面目が立ちません。なにより女王様のことが本当に好きになっていた王様は、たとえ負けて追い返されるにしても、少しでも長く女王様と一緒にいたいと思ったのです。


「次は王様の番ですよ」


 女王様にうながされた王様は、意を決して歌い始めました。


「……貴女は湖に浮かぶ三日月、岸壁に咲く花」


 女王様は思わず笑ってしまいそうでした。王様が持ち出したのは、東の野原の国の、さらに東の地方で歌われている使い古された詩だったからです。いえ、詩とさえ言えないでしょう。男の人が女の人を褒める時に使うありきたりな言葉だったのです。

 まあ、褒められるのは少し、ほんの少しだけ嬉しかったけれど、王女様は慣れたものです。いまさらこんな言葉だけでのぼせたりはしません。

 それでも、まだ王様の下手な詩は続いています。せめて最後まで聴いてあげるのが礼儀だけれど、それまで笑うのを我慢できるかしら、と女王様は思いました。

 王様の詩は続きます。


「ああ、我が愛する者。
 貴女はなんと美しいのだろう。
 なんと美しいのだろう、貴女の目は真珠のようだ」


 あら、この句は昔流行った流行歌だわ、と女王様は気付きました。今となっては恥ずかしいくらいに時代遅れの歌ですが、当時の男の人は恋人にこの歌を歌うのが当たり前でした。

 それにしても、なんと下手くそな詩なのでしょう。女王様はだんだんと恥ずかしくなってきました。まっすぐに愛の言葉を向けてもらえるのは少し、ほんの少しだけ嬉しかったけれど、いつまでも聴き続けるのは照れくさくて仕方ありません。

 それでも王様の詩は続きます。


「女のなかで最も美しい人よ。
 どうか振り向いて、私を見てください。
 たったそれだけで、私は天にも昇る心地です」


 王様の詩は延々と続きました。最初は小馬鹿にしていた女王様も、恥ずかしいくらい率直な言葉を聴いているうちに、だんだんと照れくさくなって、くらくらしてきました。

 女王様は褒められることなんて慣れっこです。けれども、こんなに長い間褒められたり、好きだの愛しているだの言われ続けるのは初めてでした。

 それは王様も同じです。顔は熟れたトマトのように真っ赤でした。けれども逃げることをしらない軍隊の王様は、自分の恥ずかしい詩からも決して逃げませんでした。

 とうとう、たまらなくなった女王様は「中断、中断!」と叫びました。


「いったいあと、どれくらい続くのですか?」

「あと七〇〇〇と四三七人分です」


 あれ、と女王様は思いました。王様は「しまった!」と言いたげに頭をぺたんと叩きました。


 賢い女王様はすぐに気がつきました。


「あなたの詩は、ひょっとして、あなたの軍隊の兵隊たちの言葉ではありません?」


「……その通りです」


 つまり、王様の詩というのは、王様の兵隊たちが奥さんに告白した時の言葉を集めたものだったのです。


「まあ、まあ、まあ」


 呆れるやら、逆に感心するやらで、女王様も目を丸くしてしまいました。


「でも、王様。こんなのは反則ですわ」


 女王様は言いました。詩は自分の言葉を使うからこそ本物なのです。王様の詩は、他人の言葉の寄せ集めに過ぎません。

 ところが、王様はこう言い返しました。


「いいえ、私はズルなどしていません。なぜなら、言葉は全て借り物だからです。
 女王様、貴女は世界の誰よりも優れた詩を作ることができます。けれども、貴女の詩を形作る言葉は、やっぱり借り物に過ぎないのです。それなら、私の詩も、貴女の詩も……質の差はあっても、同じものではないでしょうか?」


「たしかに、それはそうかもしれません。わたくしも生まれた時から言葉を知っていたわけではありませんから。
 でも、王様。言葉を集めただけでは、詩にはならないのですよ?」


「ですが、嘘は一つとして言っていません」


 そう言う王様の瞳は、たしかに一片の嘘の影も宿していません。女王様は少しだけ、本当の本当に、ごくごく少しだけ、胸が弾むのを感じました。

 だから、女王様はこう言いました。


「勝負はわたくしの勝ちです。きっと王様の詩を最後まで聴いても……お互いに死ぬほど恥ずかしいだけで、結果は変わらないでしょうから」


 王様はがっくりと肩を落としました。


「……でも、王様のこころはしっかりと伝わりました。ですから、今度は正真正銘、王様自身の作った詩を聴かせてくださいな。
 ぜひ、また遊びに来てください。正しい詩の作り方を教えて差し上げます。それでもし、わたくしの認める詩が出来たのなら、その時は王様の求婚をお受けします」


 女王様の言葉を聞くやいなや、王様は飛び上がって喜びました。これまで数多くの戦いに勝ってきた王様ですが、今日の敗北は、これまでのどんな勝利よりも嬉しいものでした。

 西の国を抜けて東の国に入っても、まだ王様の心はうきうきとしたままでした。心配で待っていた兵隊たちが、馬に乗って楽しそうに帰ってきた王様を見た時、「きっと勝ったに違いない」と思いました。ところが、とうの王様は「負けた!」と楽しそうに言うものですから、皆ふしぎそうに顔を見合わせました。

 王様は勝負に負けてしまいましたが、今度は女王様に会いに行くという楽しみが出来ました。

 週末になると王様は馬を駆って西の国をたずね、女王様の後宮で詩の勉強をしました。そうして会うたびに、ますます女王様のことが好きになり、好きになるごとに詩の腕前も上達していきました。

 軍隊の王様は、女王様を感動させるような詩を書けたか?

 そんなこと、今では誰だって知っていることです。

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