アップスタートデイズ

深谷シロ

第2話 冷たい目線で最悪だっ!

僕と母親に待っていたのは地獄だった。


父親が逮捕されたのは昨晩。まさに僕の発熱と同時で母親は動転したらしい。嬉しくないトラブルばかりだ。唯一、前世の記憶が蘇った事により、少しばかりこの世界とは違う知識を得た。それだけが僕の取り柄だろう。だがこの状況においては、何の役にも立たない。最悪のスタートだな。


母親は先程買い物に行ったが、周囲から向けられるのは冷たい視線ばかりだった。情報の出回りは速かったようだ。この世界には新聞がないが、地域ネットワークは伝達が速いらしい。どうでも良いが。


口に出して罵る人もいたらしい。冤罪であるかないかなど考える事もしないか。僕の心を渦巻くのは怒りを通り越して諦め。この調子では外にも出られないようだ。母親は市場で買う時に値段を跳ね上げられたらしい。わざわざ兵士に通報することも出来ずにその値段で払ったようだ。


この状況から逃げたい。他の街に逃げたい。どこか遠くに。そう思ったけど無理だ。この街に父親が捕まっているのだ。僕と母親だけが逃げる訳にはいかない。どうにかして父親が無罪になってほしい。だけど裁判が終わるまでは犯罪者一家だ。これが冤罪を被る気持ちか。よく思い知ったよ。


僕は取り敢えず家から出るという選択肢を省いた。いつかは向こう側からわざわざ来てくれるとは思うが、その時の対策を考えるとしよう。石を投げられたらその石をそいつに投げ返す、とか?まあ、家にはガラスが無いから割るものも無いけど。泥棒が入られるのは勘弁だ。寝る時は近くにナイフでも置いとくか。


残忍な5歳児だな。前世でもこんな5歳児は流石にいなかったぞ……。自分で自分に呆れてるよ。


結局、その日は侵入者対策を考えるのに必死で何もせずに終わった。少し猶予が欲しいよ。


僕の母親は逞しかった。帰ってきて泣いてしまったが、それからは苦しげな表情すらしない。僕に向けるのは笑顔だ。凄い女性だと思う。父親は素敵な女性を選んだと思うよ。残念な子供ですみませんと僕が言いたい気分だ。


夕食を食べて水浴びをしようと思ったが、流石にこの状況で水を外から汲みに行くのは危険だろう。不審者を装って襲われては一溜りもない。僕は5歳だ。抵抗する手段がない。いや、ナイフを持って行っても別にいいんだけどさ。仕方なく寝る事にした。


母親は寝た後も何かをしていた。何をしていたのかは知らない。だけど一生懸命だった。僕はできるだけそんな母親を応援して手伝いたい。僕は母親の味方だよ、と言ってあげたい。


そのまま僕は目を閉じた。




次の日は雨だった。違う意味で外には出れないがまあ良い。僕は起きてリビングに行った。椅子が4つある理由は分からないけど、それを聞ける状況ではない。父親があんな事になってるのだ。万が一の事がないとも限らない。聞くのはよしておこう。


朝食は丁度完成したようだ。僕は母親に挨拶をする。


「おはよう。」


「おはよう。」


母親は相変わらず笑顔だ。僕も笑っておこう。ぎこちない笑顔を返して僕は席に着いた。そして食べ始める。母親も僕が食べ始めたのを見ると食べ始めた。二人の間に会話はない。黙々と口に運んでいった。食事は美味しい。だけど沈黙が味を悪くした。その沈黙は少し気まずい沈黙だった。


しかし、その沈黙は長くは続かなかった。


「……少しいい?」


母親が僕に問いかけた。内容は僕は知らない。もう悪い出来事には懲り懲りだ。


「……ルクセルトの街に行きなさい。」


そうとだけ母親は伝えた。それだけだ。食事はどちらも止まっている。母親は僕の目を見て言った。戯れ言ではないという事だ。しかし僕にはその内容が分からない。


「どういう事……?」


「この街の場所に私達の居場所は既に無いわ。恐らくお父さんも長くは無いでしょう。あなたは王都へ行きなさい。私の実家でお世話してもらいなさい。あなたのお兄さんも既にそこにいるわ。暮らしは大変でしょうけど、こちらでの生活に比べたら楽な筈よ。今すぐ支度をしなさい。」


母親は問答無用といったようにそこで言葉を切った。


「お母さんは……?」


私は納得がいかなかった。父親だけを残すわけにはいかない。それは分かってる。だけど母親だけがこの街に残るのも……。


恐らく母親は僕の考えに気づいたのだろう。静かに首を振った。そして優しい笑顔を僕に向けた。これが最後だろう。母親に会うのも。僕は嫌だ。だけどそれを母親は許さない。僕に勝ち目はなかった。


実際には僕の用意なんて無い。貧乏だ。私物なんて服が数枚だけだ。他は何も無い。それだけを持って僕はリビングに戻った。母親は動かずに待っていた。何かを思い詰めた表情をしていた。しかし僕が戻ってくるとすぐに笑顔になった。必死に笑顔になっているのだろう。別れを出来るだけ辛くしないために。


僕は母親に言った。


「準備出来た。」


その一言には色んな意味を込めた。5歳の言葉だ。どこまで汲み取ってくれたか分からない。……だけど母親は頷いてくれた。分かってくれたのだ。どこまで優秀なんだ……僕の母親は。呆れ笑いが出そうになった。


少しばかりの沈黙があったが、母親の決断は早かった。母親はエプロンのポケットからステッキを取り出した。魔術師が使うステッキだ。母親は魔女のようだ。


「幸せになれますように。」


一言だけ。母親が言ったのはこの一言だけだ。だけど気持ちは伝わった。僕には分かる。家族だから分かる。他の人にこの気持ちを分かれだなんて言わない。だけど僕だけは知っている。


「……うん。」


僕の返答を聞くと母親はステッキを振った。この世界に詠唱などいらないようだ。気持ちだけで世界は……魔法は動く。僕は王都へ転移した。

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