8番目の神さま

古田八曜日

第2話 dive to skyhigh

 
 母さんの葬儀は静かに、速やかに行われた。

 母さんは朝、ひっそりと息をひきとった。定期的に見回る看護師さんも気づかないくらい静かに、いつの間にか…。
 だからボク達家族は臨終の場には居なかった。駆けつけた病院のいつもの病室に入ると、いつものように母さんは眠っているようだった。違いは、酸素吸入をされていないことと、点滴を外されていたこと、そして、苦しそうにしていない母さんがいたことだった。
  
 父さんはしばらく母さんを眺めていたが、震え出し、肩を落として泣き始めた。父さんが泣くのを初めて見た。

 母さんの遺言はない。ボクに話したあの言葉達が最後になっていた。が、ボクはその事を父さんにも誰にも話さなかった。いや、話せなかった。

 葬儀が始まると喪主である父さんは少し落ち着いたようだった。準備で忙しくしていたのもあるが、実際ほっとしたのは事実だろう。父さんにとっても母さんの入院は長く辛い日々だった。

 通夜、火葬、本葬と終わり、最後の夜は近親者のみの宴が催された。その頃からボクはなんだか違和感を感じていた。なんと言っていいかうまく説明がつかないが、心と身体が離れた状態で、自分の思うように身体が動かなくなっていた。何か話そうとしても言葉が出て来ない。体が痙攣する、食欲が無い、…など、様々な体の異変を感じていた。なにより、それまでの記憶が曖昧になっていた。親戚連中にはボクが悲しみにふさぎ込んで静かなんだいるのだと思われていた。

 宴会の最中、拓郎叔父さんが父さんと杯を交わしていた。叔父さんは母さんのすぐ上の兄で、警察官で柔道の師範代だった。熱血漢でいつも叱言が多く、ボクは苦手だった。
 拓郎叔父さんはかなり酔っていた。

「だから言ったんだ、佳乃には…。」

『佳乃』は母さんの名前だ。叔父さんはすぐ下の妹が心配でならなかったらしく、しょっちゅう時間があれば病院にも来ていた。火葬の時も棺に突っ伏して、誰よりも号泣していた。

「あいつは、あいつは…。」

叔父さんはまた感情が昂ぶってきたのか、涙声になった。父さんがなだめるようにいちいち頷きながら、叔父さんのコップにビールを注ぐ。

「小さい時から、佳乃は体がそんなに丈夫な方じゃなかったんだ。だから結婚して、妊娠して…止めるべきだったんだ。」

 ボクは胃のあたりがキリキリと痛み始めるのを感じた。ツンと鼻の奥に痛みをともなった刺激臭が湧き上がる。一旦は沈んだ嫌な記憶がよみがえる。

 叔父さんの感情は最高潮に達した。
 突然叔父さんは立ち上がると「佳乃!」と叫んだ。その勢いで御膳がひっくり返り、その場にいた親戚連中は水を打ったように静かになった。気味の悪い緊張感が支配する。

「だから、だから俺は言ったんだ。子供なんかやめておけって!お前の体じゃ負担が大きすぎるって、なのに、なのに、お前は…。」

 (この匂いは…)ボクは思い出した。暗闇の中で古い映画の一コマ一コマが巻き戻されるような感覚におちいる。

「お前は、どうしても産みたいって、兄さん産みたいって…幸助、お前の母さんはそんなやつなんだ、お前が産まれたから、お前の母さんは死んだんだ!」

 そう言って叔父さんはボクの方を見ながら母さんの遺影を指差し、フラフラと祭壇に近づこうとしたが、酩酊して手前で前倒しに倒れた。あたりは騒然となった。泣き出す者、叔父さんを介抱する者、怒りだす者が入り乱れた。



…お前が産まれたから、お前の母さんは死んだんだ。

ーーそうだ、この匂いは、母さんのいた病室の匂いだ、消毒液の匂い。

…私はあなたを産んでしまった。

 暗闇の病室のベッドの上で恐ろしい形相の母さんが蘇った。母さんの断末魔の声が、サラウンドスピーカーのように脳内で反響する。胸の辺りが急に重くなり、小さなブラックホールが出来て陥没してゆくような感覚におちいった。強烈な吐き気がこみ上げ、ボクはトイレへ走った。

 便器に嘔吐していると父さんが様子を見にきた。父さんはボクの背中をさすりながら、「気にするな」と弱々しく言った。

(気にするな?何を?ボクが産まれたことで母さんが死んだことを?)

最後に残っていた心のカケラが全部弾け飛び、空虚な穴だけになった気がした…。













 中学校の新学期が始まった。母さんの葬儀と重なったため、ボクは入学式に出席することができず、一週間遅れての学校生活のスタートとなった。

 学校生活にボクは馴染めなかった。一週間の時間の差はかなり大きく、クラスの連中との温度差を感じていた。
 
 
 身体の不調もずっと続いていた。
 同じ小学校の顔見知りの同級生の佐藤が突然登校してきたボクに遅れてきた理由を色々聞きたがった。だが、ボクは答えなかった。というか答える事が出来なかった。何か話そうとしても誰かに操られたように言葉がなぜか出なかった。母さんが死ぬ前後からこんな状況だった。

 佐藤は最初は小首を傾げて不思議そうにしていたが、ウンともスンともこたえず、ただ顔を凝視しているボクに気分を悪くしたらしく、
「なんだよ、シカトすんなよ。」
と捨てゼリフを吐いて去って行った、これがボクの孤立の始まりだった。佐藤から伝播した悪いボクの噂は昼休みにはクラス中に広がり、「アイツはオレのことをシカトした」→「アイツは上からモノを見るタカピーなやつだ」→「アイツはタカピーでクラス中をバカにしている」と増幅していき、ボクは一日にして、クラスのサイテーでキモい奴ランキング1位になっていた。

 次の日からボクはこの残酷な思春期コミュニティの中で様々な仕打ちを受け始める事になる。

 最初は無視されたり、陰口を叩かれる程度だったが、そのうち内ばきを校庭の木の上に投げられたり、体操着を隠されたりするようになった。女子からは(この歳頃の女子は世界で最強に辛辣だ)ボクが触ったものは「キモい菌」が繁殖しているからと素手でさわるのを嫌がる態度をみんながした。
 
 ボクは学校に行かない日が多くなった。イジメが嫌だったのもあるが、この身体の不調が無気力にさせていたのが一番の理由だった。

 父さんはボロボロになったボクの体操着や鞄を見て学校に抗議をしに行ったが、担任は、トラブルをさけたがる弱気な中年男で、「暖簾に腕押し」な対応ばかりで父さんを呆れさせた。

 結局、ボクは夏休み前には学校に行かなくなり、完全なる引きこもりになるのである。








 ーーそれから一年後、ボクはこの橋の柵の上に座っている。

 今日は母さんが死んだ日だ。

 この一年、母さんのあの言葉が頭から離れた事はなかった。

 …あなたを産んでしまった…


 ーー母さんは死んで、なぜボクは生きているのか…ヒトはなぜ生まれて死んでゆくのか、死んだらどうなるのか…

 ボクはひたすら考え続けた。本を沢山読んだし、タブレットで(父さんは何も話さないボクに意思疎通の方法としてこれだけは渡した)色々検索して調べたりもした。

答えは結局見つからなかった。平凡な13歳の頭では、カミュもソクラテスもアインシュタインも理解できない。

でも…ひとつだけボクが出来る事がある事に、ある日気付いた。それは…


 ーーボクは死ねるという事だった。

死ぬのはもちろん怖かった。どんな方法で死のうが、苦しいんだし、痛いんだろうと思った。それに死んだ後はどうなるのか疑問があった。死んだら全てが終わりなのかあるいは死後の世界があって地獄に落ちちゃうんじゃないかとか、それがボクの最大の悩みだった。

 この世に未練もない訳ではなかった。もっとポジティブに生きていけたなら、リアルを充実させてみるとかしたかった。例えば女の子とデートとかしたり…。ただ、それがボクにとってはもっともリアルじゃないが…

 でも、このまま生きていてもボクの苦しみはずっと続くだろう。母さんへの罪の十字架を背負い、学校では除け者にされ、父さんに負担をかけ、引け目を感じながら生きる人生…。

 ーーそんなボクなら、この世界に存在する価値などないーー

 そして、ボクが選択する方法は一つ…。





…青空が広がっている。とても天気が良くて気持ちがいい。死ぬにはとてもいい日だ。

 もしかしたら、ここから落ちてもそのまま空高く飛べるかもしれない。そのくらいの、吸い込まれそうな空だ。そしてもしかしたら、別の次元世界に生まれ変わって、なにもかもやり直せるかもしれないし、もう一度母さんに会えるかもしれない。

ボクは最後の深呼吸をすると、「せーの!」と叫びブランコでする「明日天気になあれ」の要領で柵を飛び出した。ほとんど発したことがなかったのに、なぜかスムーズに声は押し出された。





 ーー地面と空が逆転する。強烈な圧力の風が下から吹き上げる。水面までは何秒くらいかなと思う。3秒もあるかな。
ボクは目を閉じてカウントする。


…1 ……、2 ……、3……



 

……、4………?、5…???


 なにかおかしくないか。とっくに水面は過ぎたはず。



そっと目を開ける。
 周りの空間は真っ暗闇だった。ボクはまだ落ち続けている。

 あれ?もしかしてボク、死んだのかな?水面に落ちた衝撃も痛みもないけど…。

 死ぬってこんな感じなのかな。普通に意識とかあるんですけど…。だけど暗いのは、もしかして…

 (地獄行き!?)

 ボクの頭を地獄の鬼たちが様々な拷問をしている姿が思い浮かぶ。

(い、いやだー地獄は嫌だー!)

そう思った瞬間、柔らかく、生暖かい、ヌメっとしたゼリー状の膜のようなものにボクは落ちた。膜はゴムのように伸びて衝撃を吸収しながらボクを包み込んでゆく。ベトベトで生臭いゼリーの深い深いプールに飛び込んだみたいだ。鼻や口にもゼリーは侵入し、ボクは息苦しくなった。

(苦しい!助けて!しぬぅ!)

しばらくゼリーの中でもがいていると、今度は急激にゼリーの流れが変わり、逆流し始めた。伸びきったゴムが戻るようにボクは押し戻され、膜から弾き飛ばされた。
 そして地面だと思われる平地に落とされ、やっと落下は終わった。

 目を回していると、ボクの落ちたその平地のすぐそばで誰かの気配を感じた。ボクはフラフラになりながらも出来る限りの防御態勢をとった。

「おやおや、珍しいのお。」



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