8番目の神さま

古田八曜日

第1話 前日

 
 また、四月が来た…らしい。
 外は暖かい風がゆるく吹き、澄んだ青空に春の陽の光が照射している。 
 花はカラフルに彩られ、草原は青々として、小鳥たちはさえずり、長い髪とたおやかな胸を揺らしながらあの娘は走り寄ってきてボクに…














 何かしてくれる訳なんかあるか!ボケ!


 と、一人ボケツッコミをボクは今毛布の中でしている。正確には、毛布の中で寝起きでタブレットを操作していて、画面の日付をみて四月になったのを確認し、春になったんだなとデジタル的に実感し、いつもの妄想シネマタイムが始まり、いまのくだりがあるのだが。
 
 カーテンを閉め切って照明も点けず部屋に誰も寄せつけない状態でいる自分…世の中では引きこもりと一般的にいう…が今のボクだ。だから季節なんてわからない、どころか、今日が何月何日で何曜日かもよくわからない事がある。
 かろうじてこのタブレット型端末がボクの唯一の世界を知る手段だ。

 ーー朝メシ作ったぞ、ちゃんと食べろ、仕事行ってくる。

クリック音がなって父さんからのメッセージがバナーに表示された。父さんとの唯一のコミュニケーション。ボクからは返答はしない。

 父さんが嫌だとか、学校生活に馴染めないとか、イジメられてるとか、世の中のダークサイドに気づいて大人になりたくないとか、ボクが引きこもっているのはそんな大層な理由じゃない。
 学校で何かあったわけではないし、たった13年11ヶ月ほどしか生きてないボクに世の中の事なんてよくわかるはずないし。そんな事に意味を求めてはいない。
 ただ、ひとつだけ意味ある事が確定している。それは…



 ーーボクは明日死ぬ


ということだ。








 母さんが、死んだ。

 1年前の事だ。急性リンパ性白血病。最新医学をもってしても治らない不治の病気だった。ボクはその時は病名を知らせれていなかったし、父さんからも「母さんは貧血がちょっとひどいだけで、いずれ元気になる」といわれたけど、まわりの大人達の雰囲気をみれば母さんの病がどれだけ重いかわかったし、父さんの落ち込み様が激しかったから母さんは長くは生きられないんだな、と思っていた。

 何より、母さんが可哀想だった。総合病院の無菌室にとじこめられ、母さんは死ぬまでの1年をそこで過ごした。24時間点滴を受け、酸素吸入器をつけ、ベッドにいつも横たわってひとつだけある窓の方を向いて外を眺めていた。

 毎日、一時間だけの面会にボクは行った。日に日に衰弱してゆく母さんの姿が子どものボクの眼にも痛々しかった。抗生剤で髪が抜けたらしく頭にバンダナを巻き、顔は頰がこけ目が虚ろになっていた。肌は黒ずんだクリーム色になり、時々苦しそうに体を震わせていた。

 でも、母さんはボクが来ると精一杯の笑顔でいつも手を振った。そして、ボクに関するあらゆる事を聞きたがった。「学校はどう?」「友達は仲良くしてくれる?」「ご飯はきちんと食べてる?」「背が伸びたね。」
 でも、ボクは「うん…」とか「まあ…」とかしか言えなかった。自分でも分からない、照れ臭さと同時に質問責めにウンザリしてたのもあったし、なにより母さんの姿を見ているのが辛かった。
 そんなあまり反応がよくないボクに、母さんはいつも寂しそうな苦笑いをした。その表情が未だにボクの脳裏からはなれない。

  母さんはベッドで寝たきりで起き上がる事も困難な事が多くなっていった。面会に行っても眠っている事が多く、そのままそっと帰る事もあった。

 その日も面会に行くと母さんは眠っていた。一緒に来ていた父さんは母さんの様子を見て、いつもの様にボクに医者に話を聞きに行くと言って部屋を出た。
  その日ボクは今度進学する中学校の制服を着ていた。母さんに見せるためだ。とても照れ臭かったが、母さんがそうする事をとても望んでいたし、小学校の卒業式にも来ることが叶わなかったから、せめて…という事だった。

 手持ち無沙汰になったので、ベッド脇の椅子に座り、父さんが戻るのを待った。
 母さんと二人きりになると、酸素吸入器のシューシューと鳴る音が急に耳障りに感じた。母さんの細い腕に二つの点滴の容器から管がぶら下がっていた。ひじの内側は点滴のし過ぎか青痣のようになっていた。食事もほとんどできないのかさらにやせ衰え、眠っていても息が浅く時々苦しそうに唸ったりした。
 ボクはそんな母さんを見ていて自分も息苦しくなり、感染予防のためのマスクを外したくなった。部屋を出たい、早くもどらないかな、と父さんが部屋に来るのをもどかしくおもった。

 夕闇が病室に怪しい影を落とし始めていた。なんだかとても嫌な気分だった。今母さんが突然死んだらどうすればいいんだろう。ボクのせいになるのかな?そんなのイヤだなあ…などと、へんな恐怖心が芽生え、ボクはアタフタし、椅子を立ってキョロキョロした。
 そうだ。部屋を明るくしよう、そうすれば気分も違うはず…ボクは扉の近くのスイッチに指を伸ばした。

 …!?

 「…ダ、メ、…だめよ!!」

 突然大きく唸ると、母さんはさけんだ。

 ボクは驚いた。あまりにもビックリしすぎて、全身の毛が逆立ったのが分かった。

「電気はつ、つけ…ない、で…お願い」

 母さんは一言一言、振り絞るように話した。ほとんどしわがれてかすれていたが、ボクにははっきり聞き取れる事ができた。

「か、母さん、大丈夫?」

ボクの声は弱々しく消え入るようにしか響かなかった。母さんに聞こえたかは分からない。

 母さんは顔をゆがめて、全てのエネルギーを使ったかのように息を荒くしている。

「い、い、い…たい、痛い、苦しい!苦しい!」

母さんは目を閉じていた。まるで悪夢にうなされているようだった。そして次はシクシクと泣き始めた。

「もう、イヤ…もう、こんなの、イヤ…どうして私がこんな目にあわなくちゃいけないの?…どうして?」

 誰に話しているのだろう。ボクに言ってるのかな?抱えきれない疑問と不安がボクのなかで充満して行く。こんなに弱い母さんを初めてボクは見た。ボクはどうすれば良かったのだろう?何か話題を逸らすためにも話すべきだったのだろうけど、ボクは呆然としているだけが精一杯だった。
 

 母さんはうなり続けている。
 まるでこの世を全て呪うかのように…。
  
 「幸ちゃん…。」

母さんは目をそれ以上開きようがないほど大きく開けると、突然ボクの名を呼んだ。そして…次に話し始めた言葉たちが、今もボクを苦しめ続けている。

「死にたくない、死にたくないよ、幸ちゃん、私は死にたくない。まだ、沢山やり残した事が私にはあるの…幸ちゃん、なんで私が死ななくちゃならないの?教えて…幸ちゃん、あなたを産んでから私はずっとずっとこんななの。病気ばかりして、入退院を繰り返して…父さんや拓郎叔父さんやおじいさんやおばあさんにも、あなたの体では出産は無理なんだから、産むのはやめときなさいって言われたの…でも、でも私は…」

 ボクの中を静かな衝撃が過ぎて行く。母さんの苦しいまでの本音の言葉が、まるで錆びた刃物のように、ゆっくりと、ボクの心の柔らかい部分を切り刻んでゆく。鈍い痛みが全身を包む。

「…あなたを産んでしまった。」

 そういうと母さんはグッタリとして、また眠ってしまった。
 
 病室は暗闇が支配していた。ボクをゆっくりとなにかバリアーの様なモノが包み世界から隔離してゆく。まるでかくれんぼをしていて、オニからみつけられずにそのまま忘れ去られたような気持ちだった。


ーー次の日、母さんは死んだ。


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