連奏恋歌〜愛惜のレクイエム〜

川島晴斗

第十話

 環奈とも別れ、明日の買出ししないとと思いながらスーパーに寄ってから帰宅する。

「ただいまだよ〜っ!」

 大声で帰りを告げ、靴を脱いで玄関を上がる。
 リビングの電気が点いてたから沙羅がいるなぁと思い、僕は買い物袋を手に提げてリビングに直行した。
 リビングに入ると、入り口すぐには沙羅が立っていた。
 ちょっと驚いたけど彼女の前で立ち止まる。
 僕の顔を見ると、沙羅はニコリと笑った。

「おかえりなさい、瑞揶くん・・っ。私暇だったから、洗濯物畳んじゃったよ?」

 その口調は彼女らしくない、物腰柔らかな女性のものだった。
 沙羅らしくない姿に驚きのあまり、学生カバンも買い物袋も落としてしまう。
 …………。
 ……。
 ……これは大変だ!!!

「にゃ、にゃーです!! 緊急事態だ! どうしよう! どうしよう!」
「えっ? なっ、なにか変……かな?」
「沙羅が壊れちゃった!!! あああっ、きゅっ、救急車!? いや、違う!? あわわ、どうしよう!?」
「……もーっ、瑞揶くん? 私は壊れてないよ? 人聞きの悪いこと言わないでくれる?」

 慌てる僕になごやかな口調で叱りつけるてくる。
 こんなのはおかしい。
 こんなのは沙羅じゃない!

「……沙羅、落ち着いて。ほら、この指が何本に見える?」

 僕は右手で3本の指を差し出し、沙羅に見せつけた。
 だけど、彼女は可愛らしく小首を傾げて、それからクスリと笑う。

「クスッ。もうっ、数遊びなんて子供だなぁ……。3本。これで満足〜?」
「せ、正解!? そんな! これで正常だなんて……沙羅、僕がいない間に何が……」

 僕は崩れ落ちた。
 こんな沙羅は沙羅じゃない。
 いつもなら僕が帰ってきたらちょこちょこと寄ってきて何買ってきたのか見て、一緒に話す。
 そんな日常があるはずなのに……!

「……沙羅、どうしてなの? 僕は日常が欲しかっただけなのに、どうしてこんな……」

 もう泣きたかった。
 しきりに日常を求めているのに、あの日々はもう帰ってこないのだろうか。
 なだらかに過ごしたあの日々の幸せが、僕にとって最高位の宝物だったのに……。

 こうなったら、仕方ないのかな……?
 できれば身内には、超能力を使いたくなかったけど、使うしか――

「……あの、瑞揶?」

 そのとき、頭上から声があった。
 それは普段の沙羅の口調のもので、僕はすぐに顔を上げる。

「……沙羅?」
「いやあの、演技だから……。というか、そんなに私が変わるのって嫌なの?」
「……えん、ぎ?」
「ええ、演技よ」
「…………」

 バタンと僕は倒れた。
 一気に訪れた脱力感に完敗し、床にへばりつく。
 演技、だったかぁ……よかったぁ……。

「……そんなに嫌だったの?」
「嫌だよ、沙羅が変わったら。僕は夏休み前みたいな日常に戻りたいんだもの」
「……私は瑞揶と進展した中になりたいのよ。でも、普段の私がいいならこれはやめるわ」
「…………」

 僕には、自分の眼に映る沙羅がわからなくなっていた。
 彼女は僕といると、これからも変わってしまうかもしれない。
 僕の事気持ちを今も考えず、僕の恋人になろうと自分を変えて頑張るのだろう。
 そしたら、僕の願いは永劫に叶わない。
 休むことなんて、できない――。

「――ねぇ、沙羅」
「……なによ?」
「僕はしばらく、瑛彦の家に泊まるよ」
「…………は?」

 僕の言葉の意図が理解できなかったのか、彼女は目を見開いて固まった。

「……なん、でよ?」

 沙羅が言葉を絞り出し、切れ切れに呟く。
 僕は立ち上がって返事を返した。

「僕は昔に戻りたい。沙羅は先の関係になりたい。僕たちは平行線だ。だったら――時間を置いて、一度考え直したい。そうでしょ?」
「……そ、そん……な……」

 沙羅の口元が歪む。
 ……悪いとは思う。
 好きなんだから、一緒にいたいはずだろう。
 だけど、僕には今、休む時間か本当に欲しいんだ。
 疲れたら休む、休まないと壊れる。
 それが当然なのだから。

「……悪く思わないで。別に、沙羅に愛されたくないってわけじゃない。ただ、こんなに疲れる日々が続くなら……そして、沙羅が僕のせいで変わっちゃうというなら、僕は一度、沙羅から離れるよ」
「い、嫌よ! 嫌!」

 沙羅が抱きついてくる。
 僕の制服に、彼女の涙が染み込む。
 酷いことを言ってる自覚はあるし、彼女の涙に良心が痛む。
 けれど、どうしても――

「僕には、霧代を忘れられない。けれど、この世界では新しい恋はするんだ。その前に前の気持ちを忘れさせとく。その時間が欲しいだけなんだ。わかって……」
「わかんないわよ!! わ、私を……1人にしないで……!」
「――――」

 沙羅の言葉が僕の胸にストンと落ちる。
 1人で寂しくさせてしまう。
 そうだ、僕と沙羅しかこの家にはいない。
 瀬羅だって、帰ってくるのはまだ10日ある。

 沙羅は僕と暮らして、1人で家に居たのは日曜日ぐらいだ。
 ずっと一緒だった。
 離れることなんてなかった。
 だから、離れるにんて考えられなくて――それだけは、どうしても嫌なんだろう。

「……なんでっ――私はこんなに好きなのに、どうして私から離れようとするの!?貴方を傷付けてたなら謝る!だからっ……だから――っ!!!」
「……沙羅」

 胸の中で少女が泣きじゃくる。
 こんなに、僕なんかの事を愛してくれているのか。
 僕なんかと離れたくないのか。
 …………。

「沙羅。僕は沙羅と離れたくてこう言ってるんじゃない。少しだけ、ほんとに少しでいいの。お願いだから……時間をちょうだい」
「……私から離れるの?」
「……少しだけ。絶対に戻ってくるから、少し時間をちょうだい」
「……絶対また戻ってきてくれる?」
「あはは……ここは僕たちの家だよ? 戻るさ……」
「……そう」

 問答の後、また強く抱きしめられた。
 これだけ、これだけ激しい愛情を持ってくれてるなら、そうだな――。
 ――僕も心を決めよう。

「……それとさ、沙羅」
「……なに?」
「次に家に戻ったら、君に伝えたい事があるんだ」
「……え?」

 彼女の体を抱きしめ返して告げる。
 もうこんなのは、言ってるようなものじゃないか。

「えっと……言いたいことがわかってくれると、嬉しいんだけど……」
「……瑞揶。ちょっと待って? それ、本気……?」
「そうだよっ……。だから霧代との気持ちにも決別しなきゃって思うんだし……」

 沙羅の事をこんな風に思うようになったのはいつからだったのか、僕は覚えていない。
 だけど、沙羅に抱きついて、心が落ち着いて、体がポカポカするようになっていた。
 普通に可愛いと思えるようになってから、特別な存在だとも思っていた。
 まだ霧代と仲直りしてない頃からだったから、この気持ちを見ないようにしていただけなのか、あるいは――。

 ともあれ、僕は沙羅と一緒に居たいと思える。
 だけど、もう少しだけ、その時まで休息を――。

「……もうっ、本当に……仕方のない男ね……」
「だって、恋愛だってするか悩むんだよ? 霧代みたいな悲劇を起こしたくないし……」
「瑞揶なら、絶対に私を嫌いにならない。そう信じてるから、悲劇なんて無いわよ……」
「……そっか」

 彼女の言葉は弱々しいのに力強かった。
 そうだね、僕は沙羅を嫌いになることはあり得ない。
 逆に、これだけ愛してくれる沙羅が、僕を嫌いになるのもあり得ない――。

「……ごめんね。僕だって離れたくないから、なるべく早く戻る」
「ええ。いってらっしゃい。帰ってきたときの言葉を楽しみにしてるわ」
「あはは……ありきたりな言葉だと思うけどね」
「そのありきたりな言葉さえ言われれば、安心するものよ」
「…………」

 安心。
 その言葉の意味はわかる。
 沙羅は僕の気持ちがわからないから安心できてなかったはず。
 いや、でももう、わかったはずだよね――。

 好きです、その言葉はもう少しお預けになりそうだ。

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