連奏恋歌〜愛惜のレクイエム〜

川島晴斗

第三十九話

「沙羅のばかぁぁぁぁああああ!!!」

 私の名前を告げ、ののしる瑞揶。
 私も対抗して怒鳴り散らす。

「なによ! あんなの大したことじゃないでしょ!?」
「うるさいうるさいっ! 僕はずっとずーーっとアレを大切にしていたのにーっ!」

 リビングで飛び交う喧騒。
 こんなことは初めてで、私は若干戸惑いながら応対していた。

「そんなに怒ることないじゃない!」
「沙羅なんかっ!」
「!?」
「沙羅なんか、猫になっちゃえ〜!!!」
「はぁ〜?」

 そう捨て台詞を吐いて瑞揶は全力で逃げ去って行った。
 ドアが開く音も聞こえたから、家から出て行ってしまったのだろう。
 アレぐらいの事で……なんなのかしら?

「つーかなによ、あの捨て台詞。なんで猫なのよ。わけがわからないわ」

 そう言ってため息を吐き出すと、耳が憤慨を表してぴょこぴょこと踊る。
 あんなに怒ることでもないでしょうに……。

「……いや、ここは瑞揶が怒った事が問題よね。あの温厚で怒鳴り声が1ミリも似合わない瑞揶が頑張って声を張り上げたんだもの……」

 そう、瑞揶が怒るところなんて初めて見た。
 そう思うと、瑞揶にとってアレはよほど重要だったのかもしれない。
 こちとら泊めてもらってる身だし、家主に迷惑掛けちゃいけないでしょう。
 少しずつ反省してみると、心がしおれ、肩と尻尾を脱力してしまう。

 …………。

 ……ん? 尻尾?


「……はぁっ!?」

 驚嘆の叫びとともに、私は洗面所に直行した。
 電気を付け、すぐさま自分の姿を確認する。

 そこに写っていたのは、金色の髪に同色の猫の耳、そして尻尾が生えた私の姿だった。

「……猫っぽくなってる」

 しかし、手足はちゃんと人間の形だし、顔も今まで通り人間のもの。
 耳と尻尾が生えただけ。
 そう思うと、少し気が楽だった。

「……家から出なければ、大丈夫よね?」

 どうせ瑞揶はそのうち帰ってくる。
 そんな自信があったからこそできる発言だけど……。

「……帰ってくるかしら?」

 今日はだいぶ怒らせてしまった。
 もしかしたら帰ってこないかもしれないけど、どうなのかしら……。















 帰ってこなかった。

「というわけで、今日呼んだのは他でもないわ。瑞揶の捜索に協力してもらいたいのよ」

 現在私は、家にナエトを除いた部活のメンバーを呼んでいた。
 ナエトはどうせ誘ってもこないでしょ?
 というわけでリビングに集まってもらった4人は、猫耳と尻尾が生えた私を見て感嘆し、理優に至っては抱きついてきた。

「沙羅ちゃん可愛い〜っ」
「やめなさい理優っ!」
「この耳いいね〜。私も犬耳とか付けてみたいっ!」
「……それは瑞揶に言って」

 生やしたくてこの耳を生やしてるんじゃないし、勘弁していただきたい。

「沙羅は猫っていうより、犬って感じだよねー。ほら、【猛犬注意】とか書かれてそうじゃん?」
「なによレリ? 私にぶっ飛ばされたいなら言えばいいのに」
「冗談でーす! あっはっはっは!」
「……ったく」

 水色髪の天使は相変わらずこんなだし、まともに瑞揶を探せるか不安になってくる。
 そもそもの話、部活のメンバーは一致団結なんて柄じゃない。
 強いて言うなら私と瑛彦ぐらいじゃないかしらね?
 ギリギリ環奈が入るぐらい?
 ……なんか、呼んだだけ損した気しかしないわ。

「そもそもさー、なんで喧嘩なんかしたんだよ?」

 瑛彦にまともな疑問を投げかけられる。
 そう、喧嘩した原因がそもそもアレなのだ。
 というか、瑞揶がアレぐらいで怒るとは思わなかったし、怒った原因も理解不能だ。
 また買えばいいだけだし……。

 しかし、この事は瑞揶の尊厳を傷つける可能性もあるし、口が裂けても喧嘩の原因は言えない。

「……喧嘩の原因は、聞かないでくれる?」
「言えないならいいけどよ……」
「ありがと。とにかく、瑞揶が居ないの。瑛彦は親友なんでしょ? どっか居そうな所はないの?」
「こういう時は……そうだなぁ――」

 瑛彦が居そうな場所を1つ告げた。
 私も納得し、帽子をかぶって尻尾を胴体に巻きつけ、みんなの準備が整うと移動を始めた。

 所構わず喧騒が聞こえる。
 それは色とりどりな動物の鳴き声で、この場が動物園であることを表していた。
 全員の入場料は瑞揶の貯蓄からなのだが、当の本人は知る由もない。

「……居ないわね」
「それより、なんでこんなエグいコーナーに居るわけ?」

 環奈が疑問符を浮かべながら尋ねてくる。
 周りには魔界にいる棍棒を持った鬼やヨダレをぶちまけたケルベロスがおり、ドロドロとしたBGMが流れている。
 私にとっては見慣れたものだし、ケルベロスなんて可愛いんだけど……。

「……他のところに行きましょうか」

 みんなにとってはあまりよろしいものではないようで、私はもっと可愛いものがいるコーナーに移った。
 BGMは人間界コーナーに入ると打って変わって陽気なものになり、人も賑わっている。
 中でも白と黒のモジャモジャな熊が人気なようで、私達はそこを訪れた。

「パンダ可愛いね〜」

 理優がほっこりした笑顔で言う。
 コイツは絶対目的を忘れて楽しんでるわね。
 つーか、こんなところに瑞揶が本当に――

「あっ! いたぞ!」
「えっ!?」

 瑛彦の張り上げた声に私はすぐさま反応し、柵越しにパンダ共を見渡す。
 その中に、明らかにひとまわり分ぐらい小さいパンダが居た。
 否、パンダの着ぐるみを着て、顔だけ瑞揶の顔をした奴がいた。
 まさか、本当に居るなんて……。
 つーか警備員はアイツに気付かないの!?
 なんの警備もしてないじゃない!? アホか!
 ……と、こうしちゃいられない!

 私は柵を飛び越える。
 制止する警備員の声、響くアラートを無視し、突破した。

「むぐぅ!?」

 異変には瑞揶が気付き、食べている(?)笹を喉に詰まらせている。
 今のうちに――!

「瑞揶ぁぁぁあああああ!!!」
「いやぁぁああ! 助けてぇぇええ!!」
「!?」

 瑞揶がか弱い女性のように悲鳴を上げ、姿を消した。
 影もなく忽然と消え去り、私の取り越し苦労となってしまう。
 ……まさか、ここまで避けられるとは。

 少しずつ心に申し訳なさが降り積もりながらも、現れた警備員から逃げ出すのだった。



 ◇



 場所は変わって保育園。
 なんでこんな所に来たかはお察し。
 受付でボランティア活動ということと高校の名前を名乗ると、案外すんなり通してもらえた。
 今現在、ホールで子供達が陽気な音楽に合わせて踊っている。
 一見、瑞揶の姿は無いが……。

「……居たわね」

 私は見つけていた。
 こんな所に、本当に居るなんて……。

「……というか彼は何してんの?」
「おもちゃにでもなりたいんじゃねーの?」

 環奈の疑問に、不正解としか考えられない答えを出す瑛彦。
 とは言えど、本当に何をしているのか理解不能なんだけど。
 だって、瑞揶はおもちゃ箱の中に入り、頭だけ出しているのだから。

「……さっきは出しゃばったけど、今回は慎重に行くわ」
「沙羅ちゃん、頑張って〜っ」
「無論よ」

 理優の応援を受け、私は気配を消し、静かに飛んで天井に張り付く。
 逆さに映る光景の中、足音を立てず、1歩1歩足を天井にゆっくりと這わせて進む。
 足首を柔らかく、慎重に、音を立てずに。
 やがておもちゃ箱の真上に辿り着く。
 そこから2、3歩手前に引き返し、天井にクラウチングスタートの体勢を取った。
 ここからは一瞬で勝負を決める!

「セィッ!」

 天井を蹴りつけ、即座に身を翻して着地する。
 私の事を認知させる前に、おもちゃ箱の中に手を突っ込んで瑞揶の頭を鷲掴みにした。

「!?」

 瑞揶の驚愕の声がする。
 しかし、もう遅い。

「おりゃあぁぁぁあああ!!」
「わぁぁぁぁぁああ!!?」

 瑞揶の体を引っ張り上げる。
 ……いまだにパンダの着ぐるみを着ていたけど、それはいいだろう。
 とりあえず、捕獲は成功した。
 なんか知らんがしくしく泣いてるけど、それは気のせいであろう。

「捕獲!」
「うぅ〜……」

 瑞揶を掲げる。
 刹那、ドッと歓声が湧いた。
 何事かと思って見てみると、子供達が私の方に走りかけてきていた。

「パンダだー!」
「パンダー!」

 子供達の声でハッと気付く。
 そう、今のコイツはパンダの姿をしているのだ。
 ヤバい、ここで手を離すとまた逃してしまう。
 だけど、子供達がコイツを求めている以上、離さないわけにもいかない。
 究極の二択、我欲と良心の裁量によるものだけど、良心に軍配が上がった。

 瑞揶の頭を放してやると同時に、幼児達が瑞揶に抱きつく。
 瑞揶の驚嘆と幼児の喜びの声が私の目の前で巻き起こり、瑞揶も状況を察したのか、アホみたいな顔をして「パンダ〜」と言っている。
 もうしばし、幼児達がニセパンダに飽きるまで待ったのだった。







「……しくしくしく」
「……なによ、その泣き方?」
「この状況で泣かない方がおかしいよぅ〜!しくしくしく……」

 瑞揶が目の前で滝のよう涙を流している。
 状況? 瑞揶を縛り上げてみんなで囲んでいるだけじゃない。
 しかも幼児達の殆どは帰ったか外で遊んでるし、部屋には園児も居ない。

「そもそもなんで僕は縛られてるのーっ?」
「逃げないように、よ」

 とは言ったものの、能力を使われれば縄なんて意味がないのはわかっている。
 だけど、瑞揶はアホだからこんな説得でも納得してしまうだろうと踏んだのだ。
 現に逃げないしね、瑞揶。アホなのね、瑞揶。

「うぐぐぐぐっ、沙羅の鬼ーっ! 僕はもう沙羅なんて嫌いだもんね!」

 瑞揶は割と心に来る言葉を言い、プイッとそっぽを向いた。
 ……なんだろう、このショックの大きさは?
 飼っていた小動物が突然懐かなくなったような……うん、ほんとにそんな感じね。

「……そんな子供みたいな事言わないでよ」
「僕の【猫ボイスの出るボタン】を握り潰しといて、何を言うのさーっ!!」
「…………」

 怒鳴られるが、動じる気にもなれなかった。
 そう、喧嘩の理由は私が猫の鳴き声が出るおもちゃの丸いボタンを、勢い余って握り潰してしまったからだ。
 本当にこれだけのことだし、怒られる方が理解に苦しむ。

「……瑞っち、そんな事で怒ってんのかよ?」

 瑛彦も呆れ半分に尋ねる。
 すると瑞揶は瑛彦に食いかかった。

「そんな、事……? 僕にとってアレがどんなに大切かもわからないくせにぃー!!」
「それって、そんなに大切なものだったのん?」
「大切だよっ! 小学校からずっと一人暮らしで寂しい日々を、猫の人形を作ってあのボタンで励まされてたんだから! 君達にはわかんないだろうけどね!」
「あー、ウチはなんとなくわかるわ。ウチもラジオぶっ壊されたらソイツをぶっ殺すし……」

 瑞揶の意見に、今現在一人暮らしの環奈が同意を示す。
 ……そんなに重要なのかしらね、寂しさを紛らわせる物。
 つーかおもちゃなんだから、また買えばいいじゃない……。

「僕にとって、あのボタンと人形は1人の家族だったんだ……。それをっ、ぐすんっ、壊されてっ……」
「……まぁ、うん。事情を知らなかったとはいえ、壊して悪かったわ。ごめんなさい、瑞揶」
「ぶーぶー! そんな平謝りじゃ許さないんだから !家族を亡くした僕に、怖いものなんてない!」
「無機物を家族と呼ぶのは、今の時代を行き過ぎてる気がするわ……」

 最早相手にするのも面倒になってきて、テキトーなツッコミを入れる。
 怒っても全然怖くないのは良いんだけど、ここまでふてくされられるのも困りものね……。

「まぁまぁ、瑞揶くんっ。沙羅ちゃんも反省してるんだから、許してあげてよ」
「……むー。理優まで沙羅の味方につくの? なんで僕が悪いみたいに――」

 言いかけて、瑞揶が目を見開かせた。
 言葉は誰も発せられず、静寂が広がる。
 …………?

「……瑞揶?」
「……。そうだよね。ごめん、僕が悪かったよ」

 そして、急に自分の意見を変えて謝り出した。
 少し寂しそうに笑い、その潤んだ瞳から雫がこぼれ落ちる。

「……どうしたのよ、瑞揶?」
「……瑞揶くん?」
「なんで泣いてんだよ、瑞揶?」
「なんでもない……ごめんね、みんな。手間かけさせたよね。今度何か、この埋め合わせはするから……」
『…………』

 悲壮に満ちた瑞揶の声に、誰も反応することができなかった。
 なんて冷たい声を出すのだろう。
 いつも陽気な少年なのに、声のトーンがずっとずっと低くて――。

 いつの間にか瑞揶は縄を消し去り、スッと立ち上がる。
 私の元へ歩み寄ってくるのを、私は一歩だけ後ずさった。
 だけど、彼は私の手を取り、ぎゅっと握りしめる。

「ごめん、沙羅。仲直りしよう。家に帰ったら……帰ったら、元通りだから……」
「……本当に、どうしたのよ……?」
「気にしないで。僕はそう、元からこういう人間だった。なんで忘れてたんだろう……」
「……元から?」

 私には何を言っているのかわからなかった。
 私の知る瑞揶は、こんな悲しい声をしないし、こんな悲しそうな涙も流さない、優しい人。
 なのに、どうして泣いているの……。

「じゃあ、僕は少し行かなきゃいけないから、またね」
「えっ、ちょっと瑞揶!!」

 瑞揶は私の制止も聞かずに走り去っていった。
 その後ろ姿を見て思う。


 ……あ、パンダだ。

 全てが台無しだったが、それはそれで仕方がない。
 そんな中、環奈だけがずっと黙していた。

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