私とあなたの異世界存亡

シロ紅葉

18

 事態は悪化していた。
 溝杭との決着を付けた日から二日が経っていた。それなのに、俺たちはまだあの薄暗い洞窟の中で過ごしていた。いや、そうせざるを得ない状態となってしまった。
 昨日のことだ。熱を出して唸っていた瑠璃の容態は治ることはなく、より一層の苦しさを見ていた。正直、見ていられなく、昨日は一日体調を復活させるのに時間を費やしていた。
 その必死な看病も虚しく、今日になっても良くなることはない。むしろ、さらに悪化してきているのではないかとすら思える。
 咳き込む瑠璃は微笑んで、大丈夫だから。平気だから。と強気に振る舞う。だがしかし、そんなものは素人目からしても、全然大丈夫でないことぐらいは分かる。
 しかし、だ。体調が回復するまで、ここで待機し続けておくこともやはり無理がある。いつまた異世界人の襲撃に遭うのか分からないのだ。
 もっと言えば、体調が悪化していく原因として、淀んだ空気と不衛生な洞窟内の環境とろくな食事にありつけていないことが上げられる。
 ここに居続けるにも限界がある。それを当然瑠璃は分かっている。だからこそ、あんな辛そうなしながらも移動することを提案している。
 本当ならば、安静にしていたいはずだ。そこから一歩も動き出したくないはずだ。
 ぐったりとした身体を気力だけ突き動かして、俺に連れて行けと懇願する。
 俺は瑠璃の提案を受け入れることにした。
 瑠璃を一刻も早く楽にさせてやろうと思うのなら、異世界から脱出するか、どこかいい食事にありつけて、環境のいい場所で寝かせてやるべきだ。
 荷物をまとめ、外に出てみたはいいが、あいにくの土砂降りだ。いつまでこの状況は続くのか。いい加減に見飽きたし、うんざりしてきた。

「湖みたいになっちゃってるね」
「どうなっているんだ。この世界は……」

 大雨で川が氾濫している。で済まされるような規模ではなくなっている。一体どこに川があったのか、その原形すら失くされている有様だ。

「兄さん、足元気を付けてね」
「分かっている。瑠璃の方こそ、辛くなったらすぐに言うんだぞ。いつでも休憩は取ってやるからな」
「うん。ありがとう。兄さん」

 弱弱しい瑠璃の言葉を耳元で聞きながら、俺たちは雨の中を進む。
 一面が雨で水没し、もはや足場と言えるような場所などない。まるで水面を歩いているような感覚を味わいながら、時々瑠璃の様子を確認して歩く。
 せめて傘でもあれば、瑠璃だけでも雨に濡れずに済むのだが、残念ながらそういった類の物は持ち合わせていない。
 背中に抱いた瑠璃の荒い動悸。呼吸。苦しいだろう。辛いだろう。
 どうしてこうなってしまったのだ。
 俺たちはただ何気なく普通に暮らしていただけだ。だと言うのに、突然前触れもなく、こんな訳の分からない世界に連れて来られて、瑠璃をひどい目に合わせている。更には俺たちを殺そうとまでしている。
 一体何が目的で俺たちは呼び出されたのかは知らないが、もはやどうなろうと知ったことじゃない。
 こんな世界は滅んでしまえ。
 瑠璃の推察では、異世界は魔法で発達したもう一つの日本だというが、正直どうでもいい。同じ日本だと言われても、ここまで違いが出過ぎてしまっていては情なんて湧かない。
 いっそ、このまま雨が続いて自然災害で滅んでしまえ。
 やりようもない怨みを抱えていると、目の前から丁度いい団体が現れた。
 獣の耳と尻尾を備えて重装備をした一団。間違いなく、異世界の軍隊だった。
 お互いに相手を視認したところで、俺は背中に抱いている瑠璃を片手で強く支え直す。

「少し暴れるけど、我慢してくれないか」
「……うん。あんまり、無茶しないでね」

 瑠璃の了承を得て、俺は空いたもう片方の手にボウイナイフを構える。
 異世界人の軍隊も何やら喚いてから、魔法で攻撃を仕掛けてきた。
 こっちは背中に病人を抱いているのというのに、お構いなしということか。いや、むしろ奴らにとっては好都合とでも言いたいのか。
 だというのなら構わない。こっちだって、やりようのない怨みをぶつける相手が現れてくれて丁度良かったからだ。
 ぐったりとした瑠璃を抱いていては、大きな動きは出来ないが、こいつらが相手となれば、その必要はない。
 魔法による攻撃を全弾掻い潜り、敵の懐に到達した時点で勝敗は決した。
 向かい風が駆け抜けていくように、ボウイナイフ一本で異世界の軍隊を通り抜ける。
 腹部、頭部、胸部。捌くところはどこでも良かったし、自分でも意識して斬りつけてすらいなかった。殺せれたらそれで良かった。
 振り返れば、血に染まった街道に複数の異世界人の遺体が転がっていた。
 血の海に沈んだ異世界人から傘を一本拾い上げ、瑠璃の身体が濡れないようにさして先を急ぐ。
 ――が、都合三度。
 異世界人の軍隊と遭遇した回数と全滅させた回数だ。
 二度目は苛立ちがあった。またなのか、と。急いでいるときに入る邪魔ほど不愉快なものはない。
 傘を放り投げ、ボウイナイフ一本で異世界人の軍隊を全滅させる。それは、放り投げた傘が手の中に戻って来るまでの時間しかかからなかった。
 そして三度目の遭遇にもなれば、もう何も感じなかった。
 ひどく、冷めていた。記憶すら凍てつかせるほどに。
 ひどく、無感動だった。苛立ちも怨みも何も篭もらないほどに。
 あのときの状況を振り返ろうにも、思い浮かぶものはない。ほとんど無意識の内に事を終わらせてしまったからだろう。
 しかし、これだけは言える。
 俺たちの通ってきた街道には、誰一人として立っている者はいないということを。
 赤く汚れてしまった街道は、大雨のおかげですぐに綺麗に掃除されることだろう。異世界人の遺体を除いてだが。
 そうして、俺たちは小高い丘の上にまで到着する。

「瑠璃……見えるか。もう少しで城に着くぞ」
「わぁ、本当だ。……近くで見ると、やっぱり大きいね……」

 小さな声で驚きを示す瑠璃。やはり相当弱っている。だが、それもあともう少しで解決できるところまで迫っていた。

「体調はどうだ? しんどくはないか?」
「……平気」

 こう返事を返すことは分かっていたが、聞かずにはおられなかった。

「もうちょっとの辛抱だからな。それまで、耐えてくれ」
「……耐えるのは、慣れているから。気にしないで」

 早速、丘から降りようと移動を開始したところで、瑠璃が肩を叩いて呼び止める。何事かと思い、頭を動かして瑠璃を見る。

「どうした……?」
「兄さん、アレを見て」

 瑠璃が指を差した方向に目を向ける。さっきは目的地となる城しか視界に収まっていなかったからか、とんでもないことに気づけてすらいなかった。
 それは、異世界の異常さをこれ以上にないほどに見せつけられる光景だった。

「驚いたな……。まさか、ここまでの被害になっていようとは……」
「夢でも見ているみたいだわ……。この世界、本当に滅びてしまうのじゃないかしら」

 止むことなく降り続けた雨によって、水没してしまっている地域があった。森林なのでは、半分ほどが水に浸かっているような状態だ。かろうじて葉の付いている部分だけが水に浮かぶようになっている。
 このまま収まることがなければ、異世界は雨に飲まれて沈んでしまうことだろう。

「……? アレは、なんだ?」

 うっすらと遠くに見えるぼやけた景色。雨によって視界が遮られているのがうっとうしい。だが、それでも明らかな違いがあった。
 そこに何かがある。そう思わせるには十分すぎるほどに。

「なに……かしらね。まるで、透明の板のような物が張られているような感じがするわね……」
「ああ、変な違和感だ。水滴が空に張り付いているようにも見えるな」
「それだわ。もしかすると、窓ガラス……じゃないかしら」

 途方もない考えだが、そう形容するしか他にないような光景だった。

「異世界の魔法ってやつだろうな」

 俺たちの常識では測りきれない現象は、魔法と割り切ってしまった方がいい。

「変な気分だわ。まるで私たちが、水槽の中に入れられているような気分ね」

 瑠璃の表現は恐ろしいほどに的確と言える。
 窓ガラスのような魔法は四方を囲うようにして張り巡らされており、上空だけが開かれている。そこから土砂降りの雨が降り注がれることによって、水量がひたすらに増し続け、水没の危機に瀕している。
 信じがたいことだが、瑠璃の例え方通り、水槽の中に異世界そのものが入っている。
 一体何がどうなってそうなっているのか、いやそもそもそういう成り立ちとなっている世界なのか。どうでもいいが、ともかくそれが異世界の現状だ。

「異世界が滅ぶのが先か、俺たちが元の世界に戻る方が先か。いよいよもって、時間に限りがみえてきたな」

 この調子で降り続けられれば異世界は数日も待たずに大半が水の底だ。そうなってしまえば、元の世界に戻るという目論見も潰えてしまうかもしれない。なにせ、異世界人が居なければ俺たちは戻る手段がないのだから。
 更にもう一つ。口には出しはしないが、瑠璃の体調が持つかどうかも不安だ。もう相当な負担が身体にかかっているはずだ。
 荒い呼吸。生気のない身体。俺の背中にしがみ付いているのが、やっとと言えるような体力しか残っていないのかもしれない。
 ここまで衰弱してしまった瑠璃の様子は、さながら命を削っているかのようだった。その姿を見るのは俺にはもう耐えられない。事態は一刻を争っていた。
 始めから無いに等しい時間だったが、ここにきてより一層の焦燥感に掻き立てられる。

「辛いだろうけど、もう少し頑張ってくれ。絶対に元の世界に戻れるようにするから」
「うん。もちろん、信じているわ……。だって、私の兄さんだもの……」

 俺の肩に顔を乗せている瑠璃の頬を撫で、たった一人の肉親を肌で感じる。
 安心したのか、疲れたのか。緩ませた表情で身を預ける瑠璃。
 生きている。その確かな命の重みを背中に背負って、俺は目指すべき城へと向かった。

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