私とあなたの異世界存亡

シロ紅葉

14

 溝杭流の戦術は一丁の拳銃とテコンドーを組み合わせた“ガンドー”と呼ばれる特殊な銃術を使いこなす殺し屋だ。
 溝のような傷跡を創る弾丸と杭のように打ち込まれる足技が、溝杭という名を表しているらしい。
 距離を取った相手には銃を。近づいた相手には得意の足技が炸裂するという仕組みだ。
 そんな相手に俺が取れる戦略は接近戦しかない。鎖鎌如きで鉛弾を凌げるわけもなく、先ほどの川でのやり取りの二の舞にしかならん。
 だから、自然と俺は距離を縮めることを選んだ。
 速度では奴よりも遥かに上回る朽月の前では、照準をまともに合わせて撃つことは簡単なことではないのだろう。弾丸はすべて俺よりも一歩遅れて着弾し、瞬く間に距離が縮まっていく。
 ここまでは造作のないことだ。奴も想定の内なようで、接近された時点で銃を下げて足技の構えに移った。
 俺の体術が奴の足技を上回るかどうか。この戦いで証明してやる。
 真正面からボウイナイフを疾く抜き放ち、斬りつけようとした刹那――その判断に強烈な間違いを感じ取る。
 あろうことか俺の駆ける速度に適応し、カウンターの飛び回し蹴りが顔面に襲い掛かる。
 思考時間は零に限りなく近い。いや、そもそも思考はしていない。許されてもいない。
 ただ、カウンターが直撃する寸前で反射神経と動体視力で防御を間に合わせた。
 足技の射程範囲が広いため、わずかながらの距離が開いている。だが、このわずかな距離を埋め合わすための手段を持ちあわせている俺は次を仕掛けた。
 鎖鎌による投擲だ。
 しかし、実行に移そうとした瞬間には相手の持つ拳銃の銃口が俺に向いていた。
 そう、奴もまた。埋め合わすための手段を持ち合わせていたのだ。
 裂傷と銃創。
 どちらが速かったかは最早どうでもいいこと。
 互いに攻撃をまともに受け止め、苦痛と共に隙が生まれる。この一瞬こそが決め手であり、踏ん張りどころでもある。
 必死で次の手を打とうと痛みを振り払って、ボウイナイフで突き刺そうとした。
 その焦った判断が間違いだった。
 地面に叩きつけられ、衝撃は痛みへと変換される。俺の身に何が起きたのか理解出来たのはその後のことだ。
 どうやら俺は踵落としを脳天に喰らわされたらしい。俺の頭を踏みつけていやがった足がどけられたことで明らかになった。
 視界にはあいつの足元が見え、俺は地面と一緒に雨に打たれ続けている。

「威勢がいいのは口だけかよ」

 うるさい。黙れ。そんなわけがないだろ。
 こいつとは何度も殺し合ってきた仲だ。ただ単に挑発しているだけだ。ここで吠え掛かったところで思うつぼだ。
 俺はゆっくりと立ち上がり、口の中に入った砂利を吐き出した。中も切れていたようで血の味がした。まだ口の中が気持ち悪いが、そんな物を気にしてやる余裕などない。

「フラフラじゃねえか。お前の実力ってのはその程度か?」
「……っ!」

 片手に携えていた鎖を引っ張り、投げ飛ばした鎌を引き戻す。それは丁度こいつの後ろにあり、背中から真っ二つにしてやれる位置にあった。
 だが、こいつはそんなものは眼中に入れずに気配を察知して、宙返りで避けた。それと同時に拳銃が発砲されるが、すでに手元に引き戻されていた鎖鎌で斬り伏せてやった。

「後ろに刃物をちらつかせるなんてよう、怖えじゃねえか」
「別に狙ったわけじゃない。たまたまお前がいただけだ」

 別にこいつを斬ってやろうと思ったわけではない。武器さえ手元に帰ってくればそれで良かった。だが、その通行上に障害物がいただけだ。ついでに致命傷の一つでも負ってくれれば良かったんだが。そうは上手くいってくれなかった。

「でかくなって可愛げがなくなったことで」
「ほっとけ。余計なお世話だ」

 わざわざこいつに指図されなくとも自覚している。

「しかしまぁ……さっきの一撃が中々に効いているみてぇだな。立っているのがやっと……て雰囲気だぜ」
「……」

 それも指図されなくても自覚している。
 揺れる視界。曖昧な前後左右。殺された平衡感覚。聞き分けのない神経。失われた思考力。奪われた五感。
 どいつもこいつも俺の思い通りに動いてくれやしない。
 この身体は一体誰の物なのか。俺の物だろう。だと言うのにこの感覚には苛立ちを覚えてくる。
 更には頭から流れてくる血がうっとうしく、余計に苛立たせる。
 いくら拭いても止まる気配すら見せないから、もう流れるだけ流しておく。放っておけばそのうち止まることだろうしな。
 限界まで極められた武術は、異世界の環境と相まって達人級を凌駕し、人の域を飛び抜けた一撃だった。
 俺の置かれている状況はあまり良いものではないが、まだ負けを認めているわけではない。
 むしろ勝気が上回っている。
 窮地に立たされて、何もかもどうでもよくなってしまっているせいか、戦う意志だけは一層強くなっている。
 血が流れていようが、足元がふらついていようが関係ない。勝たなければならないのだから、最早なりふり構っていられなかった。

「どこに目を付けている。俺はまだ、戦える」

 武器が握れたらそれで十分だ。それだけで戦えるという意志が見せられる。
 それを見て取った奴は、すかさず戦闘を再開させてきた。
 旋風を引き起こしそうな回し蹴りや疾風の如き凄まじき蹴りの一撃が次々と繰り出されていく。加えて、合間に差し込まれる銃声が戦場に響き渡る。
 俺はそれらの蹴りを躱し続け、度々向けられる拳銃は、銃弾が撃ち出される前に奴の腕を掴むか、あるいは弾くことによって狙いを逸らしてやった。
 奴ら溝杭にとっての武術とは、相手の命を奪うための下ごしらえに過ぎない。より確実に殺すには、出来るだけ相手が弱っている方が良い。
 つまり武術は商売道具のようなものだ。そして止めはやはり、拳銃を使うのが一番だということだ。
 武術の精神論とは何か、奴の一族に誰か説いてやってほしい。どうせ聞く耳は持たないだろうが。
 ここまで奴の動きについてこられていたが、傷口からあふれ出る血が視界を邪魔してくるせいで、蹴りが身体を掠めてくるようになっていた。
 このままでは長くは持たないだろう。早々に何か反撃の一手を打たなければならなくなっていた。
 丁度、そのころには動き続けていた奴の方も体力を消耗してきている様子だった。まあ当然のことか。如何なる武術でも長時間に渡って動き続けていれば、心身共に疲れてくるものだ。それに意外と生き残る俺に焦りも生じてきているせいか、乱暴な蹴りになってきてもいた。
 そろそろ頃合いだろう。次の一撃を見極めてこちらから仕掛ける。
 だが、またしても拳銃の照準が俺に向く。ダメだ。今じゃない。銃弾が吐き出される前にやつの腕を弾いて照準をずらす。
 続いて回し蹴りが放たれる。
 そう。そうだ。今しかない。この時こそ俺の反撃をするしかないと判断し、鎖で奴の回し蹴りを防いだ。
 突然の奇妙な行動に戸惑いを見せた一瞬が奴の命取りとなった。
 鎖を足に巻き付け、そのまま引きずり倒すように引っ張ってやる。が、バランスを崩した奴は地面に両手をついて身体を支え、空いたもう片方の足で蹴りを入れてきた。
 しかし、執念とも言える一撃は俺に届くことはなかった。
 俺に触れるよりも早く、蹴りを腕で薙ぎ払ってやり、その反動でとうとう自分の身体を支えきれなくなった奴は地面に倒れ伏した。
 仕返しに伏した奴の背中を足で踏みつけてやる。

「今度は……お前が這いつくばったな」
「ガキが……言うねえ」

 この期に及んでもまだ強気でいられている奴に止めを刺すべく、鎖鎌を取り出して脳天へと振り下ろす。
 身動きが取れなくなっている以上、狙いを外すことはないはずだった。
 ――しかし。
 俺が脳天に振り下ろしたのと同時に、奴は片手を頭上に掲げ上げる。奴の手のひらを貫く感触が俺に伝わり、そこで止まる。
 奴が鎖鎌から俺の腕を鷲掴んでいるせいで、先端から血が滴り落ち、背中を赤く濡らす。
 あともう一歩のところで決着が付きそうだったが、そう簡単にはいかせてもらえないらしい。
 下に踏みつけられている奴は力の限りを持って、転がる様に横転してくれたおかげで、釣られて俺も地面に転げてしまう。

「……ぐっ!」

 手元から鎌が離れ、奴とは鎖で繋がった状態になる。
 奴の手のひらには貫通した鎌。俺の手には鎖。
 このまま鎖を引っ張ってやろうとしたが、その前に貫通した鎌を抜き取られてしまう。おかげで鎌と釣りとして奴の悲痛が返ってきた。

「ちっ……!」

 再び距離が空いてしまう。
 奴はいま、片手は完全に使い物にならない状態だ。対して俺の方は、強烈な蹴りを数発喰らってしまっており、全身が軋みを上げていた。
 これ以上、時間をかけて更に致命的なダメージを負う前に決着を付けるべきだ。
 その判断とともに、俺は無の境地へと立つ。
 何も感じない。いや、そもそも感じる必要はなく、いまの俺に必要な要素は何もない。まるで潮が引いたような静けさが満ちる。
 それは自然との一体化。
 荒ぶる風雨はこの場では飾りと思え。だがしかし、整えた静謐な環境に邪魔が入る。

「……! させるかよ」

 俺の気の変化を俊敏に感じ取ったであろう奴が怒号にも似た声を上げ、続いて銃声が轟いた。
 弾丸は頬を掠め、それが開始の合図となった。

“散華”

 欲したのは極められた速度だ。
 誰よりも速く。弾丸よりも速く。風よりも速く。
 ただ、真っ直ぐに。
 磁石の陰と陽のように。引き付けられるような。誘われるような。
 ただ、標的へと。
 定められた道筋を疾風迅雷の如く駆け抜ける。それはまさしく一陣の風のように。終点となる標的を捕えて走り去り、ようやく収まりがついた。
 全てが終わった時、無心に浸っていた世界に音の洪水が押し寄せてくる。
 大粒の雨が肌を暴力的に打ち鳴らし、俺という一個人の感覚が蘇る。
“散華”を完遂させた証拠だ。
 この手には確かに敵を斬った感覚がある。だが、それと同時に腹部に痛みが走る。
 思わず手で触れてみると、そこには大量の血が流れていた。
 まさか、この一瞬の間に俺が負傷したというのか。
 振り返ってみれば、同じく腹部を抑えてうずくまる奴の姿があった。そして、その手には硝煙を吐く拳銃が一丁。

「……朽月の秘義“散華”……打ち破ってやったぜ」

 あの野郎。まさかとは思うが、“散華”をたった一丁の拳銃で見切ったと言うのか。

「“散華”はただ純粋に速さだけを追求した技だ。それゆえに、一直線上という限定された行動しか出来ない技でもある。だったら、向かってくる位置にどっしりと構えて待ち伏せておけばいいだけの話しだ」

 それがカウンターの正体か。俺が向かう道筋が分かっているのなら、そこにタイミングを合わせて銃を撃てばいい。
 可能ではあるが、そう簡単に行くことではない。
 そもそも目で捉えることが出来ない攻撃に対して、カウンターを入れること自体が不可能に近い所業だ。
 音や光の速度に対応できない様に。
 それらと比べると“散華”は遅いが、せいぜい何かが横切ったぐらいの錯覚を感じ取れることが出来るかどうかと言った速度だ。
 もはや、自覚して対応することが可能な程度ではない。
 たまたま反応したら、運よく捉えることが出来た。そういったものに近い。それも含めて実力の内なのかもしれないが。

「さすがは双璧を為す溝杭といったところか。恐ろしい才能だ」
「まあ、俺にとっても賭けのようなものだったけどな。上手く行って良かったぜ。失敗なんてしちまったら、今頃くたばってたかもな」

 偶然が重なって命拾いしやがって。ふざけるなと言いたいところだが、そんな気力も湧いてこない。
 血を流しすぎた。だが、それは奴も同じ条件だ。
 俺もそうだが、奴だって立っていることも億劫に感じるほどだが、止めを刺すまでは倒れるわけにいかない。
 無情に、奴は拳銃を向ける。
 こんなとき、遠距離攻撃を持ち合わせていない俺には為すすべもない。
 俺は負けるのか。瑠璃を置いて、俺は先に逝ってしまうのか。
 生きることを渇望した。このままでは終われない。終わらせてたまるか。しかし、何も打つ手がない。

「じゃあな、先に逝って妹でも気長に待ってな」

 俺の敗北を告げる、最後の銃声が響く。その刹那――。

「やめてぇぇーーーー……っ!!」

 瑠璃の悲鳴が銃声を上書きした。
 死が来る。
 そう俺は直感していたはずだったが、身を挺して庇ってくれた瑠璃のおかげで外れたのだ。そして、死を免れた代わりに神は更なる絶望を俺に与えた。
 温かな鮮血が顔面に降りかかり、紅く濡らした瑠璃の身体が俺に覆いかぶさる。
 言葉が出なかった。掛けるべき言葉が見つからないのだ。
 痛いのだろう。いまにも泣き出しそうな辛い痛みを、唇かみしめて必死に耐える瑠璃の姿は見ているこちらの胸も締め付けた。

「……瑠璃。お前……どうして……」

 拳銃で撃ち抜かれた腹部の出血を手で抑えてやりながら、かろうじて吐き出した言葉。

「ごめんね……私のために傷つく兄さんを見ていたら、思わず体が動いちゃったの」

 この期に及んで俺の心配をしてくれる瑠璃。病弱なのに無理をして、更には吐血までしておいて、そんな余裕がこの小さい身体のどこにあるって言うのか。

「そんな顔をしないで。こんなの全然平気よ。寝込んでいる方が辛いぐらいだわ」

 俺がよっぽど不安そうな顔をしているのか、紅く染まった手を空に伸ばす瑠璃。俺はそれを強く握り返してやる。
 強く、強く。
 瑠璃が生きていることを確かめるように。命の温もりを感じるように。
 そうして、瑠璃は笑った。
 瑠璃もまた、俺が生きていることを感じて安心したのだろう。だから、俺も気持ちを緩めて瑠璃に向かい合った。
 そうして呼吸が整い始めて落ち着きを取り戻した瑠璃は、眠りに就く前のような静けさに包まれる。
 俺はそんな瑠璃を、為すすべのない悔しさを噛みしめながら、強く手を握って見届けるしかなかった。

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