私とあなたの異世界存亡

シロ紅葉

13

  豪雨が視界を遮り、ぬかるんだ地面が足を重くさせる。
 ただただ体力を奪い続けることに余念がない自然現象を受け止め、それでも足を動かし続ける。
 時折、怒り狂った雷鳴が瑠璃を脅し、天に走った閃光が俺の視界を良好にさせる。夜の帳に満ちた樹林の中では、唯一の光源とも言える雷鳴を頼りにして遠方にそびえ立つ異世界の城を目指す。
 しかし、そう簡単には到達できない道のりだった。
 俺の行く先を阻むのは何も豪雨だけではない。豪雨によって被害を受けた地表が土砂崩れを起こし、俺たちを迂回させてくる。
 瑠璃を腕の中に抱きかかえた俺は、別の道を探ってはまた土砂崩れに遭い、あるいは沼地のように雨に没した地面が遠回りをさせる。そして、少し進めば落雷による被害で木々がなぎ倒されている現場を発見する。
 だが、俺にとってはこの程度の障害はただ飛び越えるだけで済ませられる。これだけは俺の通行を邪魔することは出来なかった。
 度重なる二次災害が俺たちに迂回を選ばせてくるおかげで、距離は一向に縮まっているような気がしない。この分では到着は大幅に遅れてしまうことだろう。
 温もりを求める瑠璃は服にしがみ付き、寒さに耐えている。せっかく体調が戻りつつあったのに再発されてはかわいそうなもので、早く雨風が凌げる場所に連れて行かなければと思う。
 そんな時、川の流れる音が聞こえた。その音に導かれるように進んでいくと、やはり川があった。とはいえそれは最早、川と言っていいのかどうかも定かではないような有様だった。
 川辺が連日の降り続けた雨によって浸食され、湖のような広がりを見せていたからだ。

「と、とんでもないわね……」

 瑠璃が驚嘆の声を上げる。まあ、無理もないことだ。こんなもの、現実世界でも見たことがない現象だ。

「そのうち勝手に滅んでしまいそうな勢いだな」
「そうね。ちょっとかわいそうだけど、こればかりは仕方のないことかもしれないわ」

 同情の余地もない。俺たちが呼び出された最初の日、瑠璃に酷い仕打ちをした天罰が下ったに違いない。
 思えば、これだけの雨が降り始めたのは、その翌日からだったじゃないか。
 まさに天罰とも言える所業を目の当たりにしていた時、向こう岸に人影の気配を感じ取った。
 雷鳴が一つ響き、シルエット状に立っていた人が照らされる。
 俺は、その姿の正体を知っていた。

「兄さん、いまの人って……もしかして!」

 瑠璃もまた、その人物を知っていた。俺と瑠璃の共通した知り合いは数えるほどしかいない。ならば、自ずとして見知った姿は同業者の一人ということになる。
 そいつは、向こう岸から得意の武器である拳銃を取り出し、有無を言わさず発砲してくる。
 銃弾から瑠璃を腕でかばいながら、立て続けに撃たれる銃弾から逃げる。当然、相手も追いかけてくる。流れの速い川を挟んで、俺と襲撃者は互いに走り続ける。が、遠距離攻撃を行う手段を持ち合わせていない俺は、一方的な攻撃を許してしまっている状態になってしまっていた。
 このまま、引き下がって逃げた方が賢明かと思ったが、俺の予想が当たっていれば、同業者である奴は川を越えてどこまでも追ってくるだろう。
 ならばこの現状を打破するには、こちらから横幅の広い川を横断して直接対決に持ち込むしかない。

「瑠璃。川を飛び越えるぞ。しっかりと捕まっていてくれ」
「うん」

 言葉通り、瑠璃は強く俺にしがみ付いてきた。今度は俺も手放すことのないよう、強く抱きしめ返した。
 川の中には流れに飲み込まれていない岩が点在している。あれを足場にして飛び移り、なおかつ相手の銃弾にも気を付けなればならない。
 幾度かの銃声が鳴ったあと、弾切れを起こしたようで相手からの攻撃が止んだ。
 この好機を生かし、俺は岩へと飛び移って川の中へと侵入が成功する。濡れた足場は状態も悪く、今にも激流に飲み込まれてしまいそうであった。
 だが、ここで怯むわけにもいかず、休む間もなく岩から岩へと飛び移っって距離を縮めていく。
 次で向こう岸に辿り着ける。そのタイミングに迫ったところに、再び拳銃が俺へと照準が合わせられた。
 あと一歩だというのに、間に合わせてきやがった。
 嵐のように吹雪く雨が互いの視界を悪くさせ、最後のタイミングを見計らう。
 俺がここでしくじれば、瑠璃と共にこの激流の中へと投げ出され、二度と大地を踏みしめることはないだろう。
 行けるか――。いや、行くしかないのだ! そこへ疑問を差し挟むのは俺の力量を疑うようなものだ。そう、確かに俺は飛び越えれる。心配そうに視線を彷徨わせる瑠璃の瞳には、一体どんな未来が写っているのか。
 俺はただ、結果だけを見据える。弾道を掻い潜り、五体満足で奴の目の前に立ち尽くす未来を――。その未来を確固たるものへと変えるため、奔流によって削られていく岩場の上で、俺は跳躍する予備動作を構える。
 そして、ついに時は来る――。
 天に白い亀裂が入り、それは眩いまでの閃光を伴う。今しがた……これ以上にない完璧な条件が整った。
 雷鳴を味方につけた俺は岩場から跳躍すると同時に、銃声が数発に渡って連鎖する。空中にまき散らされた銃弾が身体を掠めていくが、身を投げ出した時点で俺には防ぐ術などは持ち合わせてはいなかった。ただ、飛び去っていく銃弾とすれ違っていく中で、弾道が瑠璃へと当たることだけは避けねばと、体全体を使って守ることに専念した。
 乱れ撃たれた銃弾からの致命傷を免れながら、最後の岩から向こう岸にまで決死の思いで辿り着く。この奇跡のような一連を生み出したのは、閃光で照準が思い切り逸れてくれたことだろう。
 削り飛ばされた肉から溢れ出す流血に瑠璃が心配の声を上げるが、正直気にしていられないし、さしたる問題でもない。それよりも眼前に立ち尽くす男の方に俺の警戒はすでに奪われていた。

「久しぶり、いや……数日前に会ったばかりだったか。なあ朽月の後継者よ」
「やはり、あんたか。溝杭の殺し屋」

 黒いスーツを身に纏い、黒いサングラスをかけた黒づくめの男。
 殺し屋の世界では双璧を為す二つの家系の一つ。――溝杭。
 俺たち朽月の名と溝杭の名は、裏社会において知らぬ者はいないというほどに有名な家系だ。
 そして、死んだ親父と何度も仕事中に殺し合いをしてきた仲だ。
 俺と瑠璃もこいつとは面識があり、親父の跡を継いだあと、何度か殺し合ったことがあった。

「まさか、あんたまでもがこの世界に取り込まれていたとはな」
「おいおい、そりゃこっちのセリフだぜ。お前と仕事で殺し合った日以来、忽然と朽月兄妹が姿を消したってんで、ちょっとした騒ぎだったんだぜ」

 異世界に飛ばされた日、その日はちょうど仕事先で溝杭と殺しあったばかりだ。話からするに、あれから俺たちの存在は現実世界から消えたという扱いになっているらしい。
 そんな事情を知っているということは、溝杭が異世界に飛ばされたのは俺たちよりも後なのだろう。

「双璧を為す殺し屋が揃っていなくなったとなっては、いまごろ裏社会は騒ぎどころではなくなっていそうだな」
「違いねえな。きっと俺たちがいねえことを良い事に、これまで目立たなかった連中がこぞって裏の覇権を巡って争ってることだぜ」

 想像に難くないことだった。これまで裏側で猛威を振るっていた勢力が消えたとなれば、雇用主は新たに使える人材探しに躍起になることだろう。
 俺たちが圧倒的な力で捻じ伏せていたせいで、標的になった勢力だけが滅ぶような結果になっていたが、これからは争った両勢力に多大な被害が及ぶことはあきらかだ。
 そうなれば必然的に凄惨な現場が散見する。俺たちの存在はある意味で裏社会を鎮圧させていたのだ。

「元の世界の現状がどうなっていようが俺には知ったことではない。いまはただ、元の世界に戻る。それしか眼中にないな」
「本当にいいのかい? お前はその手に抱えた妹のために朽月を継承したのじゃなかったのかよ。戻ったとしても、お前たち居場所はないかもしれないぜ」
「居場所がないというなら、取り返してやるだけだ。瑠璃のためにもな」

 たとえ、俺たちの名が廃れてしまっていようとも、過去の栄光が消えることはない。それが在る限り、現場復帰など造作もない。

「そこまでして現実世界に執着するたぁね。いっそのこと、こっち側に永住してしまえばいいじゃねえか。へんてこな技術がある世界だ。もしかしたら、妹の病を治す力もあるかもしれないぜ」

 瑠璃がその言葉を聞いて、腕の中で反応をみせたことが分かった。確かに、現実世界では不治の病とされるような物であっても、魔法でなら治せる可能性もあるかもしれん。あの闇医者が魔法でもかかれば治るかもなと、世迷言をほざいていたが、ここではそれが現実味を帯びているような気もしなくもない。
 しかし、そんな力に頼る気など毛頭ない。

「……かもしれんな。だが、それだけはごめんだ。どこの馬の骨とも分からない輩には、何人たりとも瑠璃には触れさせん」
「万に一つの可能性があれば、それに縋り付きたくならねえのか。妹を溺愛してるぐらいのお前なら、そっちの手段を選ぶと思ったんだけどな」
「それだけは絶対にあり得ん。奴らは、瑠璃を泣かせたのだ」

 この世界で最初に遭遇した村での一連の顛末。異世界人にトラウマを植えつけられた瑠璃にとっては、思い返したくもない出来事のことだ。
 ロープに縛られて無抵抗な瑠璃に対して、あろうことか奴らはこぞって怒声と物を投げつけ、暴力の限りを尽くしてきた。
 あのときの悲痛な叫びと泣きはらした瑠璃の顔はもう二度と見たくはなかった。

「俺と瑠璃はこの世界にやってきて、異世界人の奴らから非道な仕打ちを受け、更には病が悪化していくばかりだ。瑠璃を救うためには、まずは元いた場所へ帰る。それを邪魔するというのであれば、一切の容赦なくぶち殺す」
「……異世界を蹂躙する理由はそういうことか。やれやれ、とんだ世話を焼いちまった見てえだな」
「気遣いありがとう。だけど、私も兄さんの言う通り、この世界の人たちには頼りたくはないわ」

 俺たちは現在の継承者である溝杭舜華といまは亡き親父が対立しあっていたころから面識がある。
 親父とは仕事で殺し合う仲であってもプライベートでは気の合う友人関係であり、当時は幼かった俺たち兄弟ともこいつは気にかけてくれていた。
 見た目は完全に強面であり、屈強なSPのような出で立ちをしているが、意外と中身はその反対になっている。普段は厳つい頑固な爺さんが、孫を相手にしたときだけ見せる優しさのようなものだ。そういったギャップがこいつにあった。
 だからこそ、恐怖に震える瑠璃の挙動を敏感に見て取ってくれる様子を見せてくれた。

「こんなことは言いたかねえんだけどよ。お前ら、本当にこの世界に敵対するつもりなのか」
「そうだ」

 迷いなく答えてやった。これは嘘偽りのないことだからだ。

「そうかよ。悪いが、俺はこの世界に残るぜ」

 驚きだ。わざわざこんなところに残るなんて言い出すとは、血迷ったのか。

「――どうして? 元の世界が恋しくないの。こんな世界にいたって、言葉も通じないのに、怖くないの?」
「さっきも言ったがよ。戻ったところで居場所がないかもしれないんだぜ。それならいっそのこと、こっち側で俺の力を振るわせてもらおうと思ったわけだ。それに、向こうでは一度頂点にまで登り詰めちまったしな、今度はこっち側でなんとかやっていこうと思ってるわけだ」

 酔狂な奴だと思った。こいつにとっては元の世界などはどうでもよく、興味本位でこちら側に残るだけだ。
 ならばそれならそれでいい。残りたければ勝手にすればいい。
 長年、関わりのあった商売敵がいなくなってしまうのは正直のところ寂しくはあるが、特別引き止めてやりたいわけでもない。
 こいつは異世界を新しい商売の地としてやっていくのだ。俺たちがそれを止める権利なんてあるわけがない。

「好きにすればいいだろう。俺たちは帰らせてもらう」
「……それなんだが、お前ら本気で帰るつもりでいるのか?」
「無論だ」

 俺たちには残る理由がない。こんな胸糞悪い世界で生きて行く気なっている、お前とは違う。

「……そうかい。じゃあ、仕事に移らせてもらうとするぜ」

 溝杭舜華は手にしていた拳銃を俺に狙いを定めてこう言った。

「最初の依頼だ。異世界を蹂躙する悪鬼を退治してこいだとさ」
「やはり、そう来たか。だが、あんたに退治されるほどこの鬼の首は容易くないぞ」

 こいつが異世界側に肩を入れた以上、ここで争うことになるのは自然の流れだ。
 もう、プライベートな時間は終わった。ここからは溝杭舜華の商売が始まり、俺はそれに否応がなく答えてやらなければならない。

「ガキの頃よりも随分と吠えるようになったじゃねえか。そういうセリフを吐けるようになったつーことは、腕に自信があるってことだな」
「私の兄さんを甘く見ない方が良いわよ」

 元々、負ける気などはないが、瑠璃が声援を送ってくれている以上、尚更みっともないところは見せられないな。

「そうかい。だがよ、まずはその手に抱いているにもつを降ろせよ。邪魔だろ」
「……」

 いま、こいつは瑠璃の存在を邪魔だとほざいたか。俺にとって、この命は何よりもかけがえのない物だ。
 どれだけ俺が不利な状況に追い込まれようとも。この命、手放せるわけがないに決まっている。

「んな怖い顔するなよ。俺が引き受けた依頼は悪鬼を殺せってだけだ。で、俺の中での悪鬼ってのは、お前だけだ――朽月玻璃。一対一の全力で、完膚なきまで叩き潰してやるよ」
「……いいだろう。親父から引き継いだ朽月の名を存分に味わうといい」

 瑠璃を降ろし、両手にボウイナイフを構える。
 武器を選ばない朽月が先祖代々引き継いできている得物。
 数え切れない程の肉を裂き、血を啜ってきた二刀のボウイナイフ。凡作だが、手入れを欠かすことなく、長く付き合ってきたこの二刀は、もはや名刀の域に達していると言えよう。
 これと腰に差した鎖鎌を併用することで、朽月の技は完成される。
 これが、朽月を継承した俺の姿だ。

「様になっているじゃねえか。思わず、お前の親父と姿を重ねちまったぜ」
「朽月は一子相伝。姿を重ねるも仕方がないことだ」
「そうだな。だからきっと、ここで親父の最期も重なるのだろうよ」

 親父の最期だと……溝杭舜華の発言に引っ掛かりを覚える。

「一発の銃弾によって、穿たれた心臓。それが親父の最期だったな。彼の朽月を冠した男でも、死ぬときは意外とあっさり逝っちまうもんだったぜ」
「……今更、親父の名を出して一体何が言いたい?」

 回りくどい言い方に苛つきを覚える。つまり、こいつが言いたいことは、こういうことなのだろう。

「分かんねえか。お前らも親父同様、この俺の手によって、心臓に風穴開けてくたばるってことだよ」

 瑠璃は、驚きのあまり声を失ってしまっていたが、俺の反応は逆に冷めたものだった。
 ある程度はそうではないのかと予想は付けていたからだ。

「当時、親父が失敗した仕事にあんたも関わっていたのか」

 俺たちは互いに武器を納め、語りに身を浸すことにした。

「……あの日、お前らの親父である朽月宗玖の標的は俺の護衛対象だった。ただ、それだけの関係だ」

 親父は仕事中にヘマをして、心臓を穿たれて死んだ。その他にも肉体に過剰な暴力の跡が残っていた。
 そして、遺体となった親父を家に連れてきたのは、何を隠そうこの溝杭舜華だ。
 その事を知っているのは、あの日、葬式に参列していた俺たち兄妹と親しい親父の友人だけだった。
 いま思い返してみれば、あのときの溝杭舜華は悲しみに打ち震えている様子は見せず、むしろ興味すらなさそうだった。いくら、仕事中では殺し合う関係だとは言っても、プライベートでは気の合う友人であることは間違いなかった。なのに、その態度はあまりにも冷たすぎやしないかと喰ってかかろうとした子供時代を思い出した。
 だが、自身の手で殺したのなら、興味なさそうな態度にも合点がいった。

「お父さんを殺したあなたが、今度は兄さんまでも殺そうと言うの?」

 親父の葬式が行われた日、幼かった瑠璃は悲しみに明け暮れていた。
 毎晩、涙は枯れるまで流し。
 毎晩、疲れ果てるまで悲しみ。
 しかし、それでも日中は平気な顔して強がっていた。
 俺は俺で、そんな瑠璃を満足になぐさめてやることも出来ずに。ただ、自分の無力さに為すすべもなく、悔しくて苦しんだ。そうして、気づけば最後には、瑠璃の立ち直りを神にすがっていた。
 こんな情けない俺が殺し屋を引き継ぐと決意した時、瑠璃は親父と同じ道を行くことを止めなかった。それどころか、殺し屋となった俺を支えなければという責任感を自分に押し付け、無理やりにでも立ち直ったのだ。
 その日以来、俺たち兄妹と溝杭舜華との関係は薄れていた。顔を合わせるとすれば、仕事先でのみだ。
 元々、親父と関わりがあっただけで、本来商売敵だ。親父がいなくなってまで、俺たちと親しくする道理がなかったのだろう。
 溝杭舜華と瑠璃は久しく顔を合わせてはいないし、俺もこいつと殺し合っていることは知らせていない。
 何も知らない瑠璃が、俺を必死になって庇おうとしてくれていた。

「……」
 溝杭は無言だった。こいつもまた、あの日のことが引っかかっているのかもしれない。
「お願い……っ。そんなのは止めてよ。私たちの事情は知っているでしょう」
「もちろんだ。病弱なお前と兄は仲がよく、いつだって二人一組だったっけな。まるで一個体を分裂させたような、両方揃って初めて生命として成り立っているような関係だった」
「だったら、私には兄さんがいてくれないと生きていけないってことは理解してよっ! ……私から、大切な人を奪うようなことは言わないで……っ」

 瑠璃の悲痛な声が響く。
 溝杭舜華は瑠璃の身体のことを当然知っている。それがきっかけで、俺が殺し屋業を引き継いだこともだ。
 俺がいなくなれば、瑠璃には手を下さなくとも勝手にくたばってしまうことは承知なことだろう。

「……んな言われてもな」
「そんな、だって子供の頃はあんなにも私たちと親しくしてくれたじゃない。お父さんの葬式の日だって――」

 声を荒げた瑠璃が咳き込む。それを見た溝杭舜華は罰の悪そうな顔を作った。
 瑠璃の気持ちが分からん男ではないのだが、俺たちが生きている世界でそんな都合の良い勝手が利くわけがない。

「それ以上は止めておけ、瑠璃。親父の死は仕方がなかったとしか言えないだろ。この男を責められる道理などないことは、頭のいい瑠璃なら分かるだろう」

 感情のタガが外れそうになっている瑠璃を落ち着かせるように言った。だが、

「そんなのは分からないわよ。だって……この人は、お父さんと気の合う酒飲み仲間で、いいライバル関係だったのに……。殺し屋って……仕事が関われば、そんなにも冷酷になれるものなの? ねえ兄さん!」
「昨日の敵は今日の友。俺たちが生きている世界はそういうものだ。分かってくれ」

 こんな汚れ仕事を引き継いでしまった以上、運命に左右されやすくなることは甘んじて受け入れるべきだ。
 誰かを殺さないと生きてはいけない。
 誰かと関わりを持たないと生きていけない。
 この極端な世界で生きていくしかないのだ。

「あとになって、お前らには悪いことをしたな。とは思ったけどな。だが、殺す相手にいちいち情けをかけてたらよ、仕事なんて完遂できねえだろ。まあ、妹の方には理解出来ねえかもしれねえけどよ、兄の方は別だろ」
「ああ、あんたの言う通りだ」

 親しい友人を殺すなんて経験はないが、贔屓にしていた取引相手の命ならある。心を鬼にして、家で帰りを待っている瑠璃のためだと割り切るしかなかった。
 あいつは惜しい奴だったと、悔やむなら後になってから悔やむ。最初のころは辛かったが、段々と慣れていった。
 人殺しは、人格をおかしくさせた。

「兄さんのバカ……っ!」
「ああ、お前の兄はバカだ」

 泣きついてきた瑠璃が、そのか細い手で俺の胸を叩く。
 おかしくなっていく一方で、いつも変わらずにいてくれた瑠璃。俺の心の拠り所。だからこそ、俺にとっては必要な存在。

「兄さんは……兄さんは死なないよね……?」
「ああ、もちろんだ」
「絶対に負けたりしないよね」
「こいつとは何度かやりあったことがある。手の内は知れているさ」

 異世界に飛ばされた丁度その日にも、溝杭舜華とは殺し合っている。実に数日ぶり再戦だ。
 瑠璃が見守っているからには、絶対に負けるわけにはいかない。

「おいおい、そりゃなんの冗談だ? 妹がいるからって格好つけすぎじゃねえか」
「真実を語ったまでのこと。親父のようにいくと思うなよ」
「ぬかせ……。宗玖ですら手の内を読めなかったお前に、俺が殺せるとでも思ってんのかよ」
「親父には無理でも俺なら可能だ。あんたは、まだ俺の実力のすべてを知っているわけではないだろ」

 そう、俺は成長している。異世界の環境に適応し、連日に渡って死闘を繰り広げた今の俺なら、更なる境地にも辿り着けているはずだ。

「おもしれえな……! そこまで言うなら見せてもらおうじゃねえか。そのうえで俺は、お前を宗玖の元に送ってやるぜ」

 瑠璃を下がらせ、ボウイナイフを構える。おそらく、こいつは瑠璃に手を出すことはないはずだ。
 なぜなら標的は俺だけだからだ。こいつは決して金にもならない殺しはしない。それが分かっているから、瑠璃に手を下されることがないと確信できる。
 勝って瑠璃を安心させるために。瑠璃の希望となっている俺がくたばるわけにはいかない。
 そのためだけに、俺はこいつを全力で迎え撃つ――!

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