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標識上のユートピア

玉子炒め

十三話

 凛奈は先に着いていた。 
「ごめんな、待ったか?」 
「ううん、私も着いたばっかりだったから」 
 凛奈の唇には、今日もチェリーピンクのルージュがひかれていた。セミロングの髪はほどよく巻かれており、手間がかかっていることが伺える。
対して自分はどうだろう。昨日と同じしわくちゃの服装に、小汚ない顔面。
しかもこれからみんなに粛清されるかもしれない。
「翼も何か頼まない?」 
 メニュー片手に凛奈が勧めてくる。ちょうど喉が渇いていたので、ジュースを注文した。凛奈は大盛りのナポリタンを食べようとしていた。相変わらずの大食いだ。
運ばれてきたオレンジジュースを飲む。たちまち気分が悪くなった。
血の味がした。鉄っぽく、腐敗したような味だ。 
床にグラスを叩きつける。オレンジ色の液体が飛び散った。
荒く息を吐きながら、床を見る。
オレンジ色の液体は、真っ赤な流動物に変動を遂げていた。マグマのように沸騰し、修羅の如き怒りを投げかけてくる。
じゃりっ。 
割れたグラスを踏みつけていた。足の裏から血が流れて、マグマに合流する。マグマはパーカー人間の形に膨れ上がり、ついにはおれの顔面を貫いた。熱さはなく、焼けつくような戦慄だけが後には残る……。

「……翼?」
 凛奈の声がして、ふっと何かが溶けた。目の前にはオレンジジュースがある。まだ口をつけていない。足の裏に痛みはないし、床にはマグマもなかった。
「翼ったら、上の空なんだもん」 
 凛奈はぷくっと頬を膨らませた。
「わりぃ」 
 なんとか平静を装い、頭をかく。
「チケット、くれるんだよね?」
「ああ、そうだったな」 
 鞄から展示会の入場券を取り出して、凛奈に渡した。
「ありがとう翼っ、楽しみにしてるからね」   
 凛奈が子供のようにはしゃぐ。その微笑ましさに思わず笑顔が浮かびそうになる。が、口元がひきつって出来損ないの人形みたいになってしまった。
「翼はどんな作品を展示するの?」 
「さあな。それを言ったら見に来る意味なくなっちゃうだろ」 
  女の肖像画だ。凛奈をモデルに描き進めていったつもりだが、結局なんだか中途半端な作品になってしまった。
でも、凛奈に喜んでもらえたら嬉しい。
おれにはもう、凛奈しかいないのだから。
「それもそうだね。楽しみにしてる! 岸本くんの作品も展示されるんだよね」
 唐突に岸本の名前を出され、ジュースを吐き出しそうになる。それでも嘘をつかなければならないのが辛かった。
「ああ、そうだな。どんな作品かは分からないけれど楽しみだ。岸本本人は急用があって来られないらしい」
 一応、岸本が来ないことの保険も用意した。
凛奈と長く過ごして癒されたかったが、あまり長居もできない。ここにいればみんなに殺されてしまうかもしれないからだ。
最後に、大事なことを凛奈に警告する。
「凛奈、ひとつ言っておきたいんだけれど」
「なあに」
 彼女は、あどけない表情でおれを見る。また胸が痛んだ。
メールの件を伝えたかったが、岸本の件も伝えなければならなくなる。それだけは避けたかった。
「学校に来ても、誰とも話したりするんじゃないぞ」 
 凛奈はクスリと笑っただけだった。
「……嫉妬?」
「違う、真面目な話をしているんだ。みんながおれを殺そうとしているんだ。赤いパーカーを着たヤツが、みんなが、おれを殺そうとしているんだ。話しかけるときっと殺されるんだ」  
 力説するが、凛奈に訝しげな表情をされてしまう。
なんで? 本当におれのことが好きなら、信じてくれるはずなのに。
「……なんでおれを信じてくれないんだよ?」    
 絞り出した声は、自分でも予想外なほど悲痛な響きを伴っていた。
凛奈はおれの額に手を当てる。重病人に対する確認そのものだった。
「翼のことは信じているよ。でも最近、あなたは疲れていると思う。みんなが翼を殺すなんてこと、あり得ないよ」
 止めろ凛奈。あり得ないなんて言わないでくれ。みんながおれを責めるんだ。赤いパーカーを着たヤツは、おれを憎んでいるんだ…………。
今度こそグラスを叩きつけ、逃げるように店を出た。凛奈が何か叫んだが、よく聞き取れなかった。
店を出た後、うずくまって一人泣いた。
なにもかもを喪失してしまった。凛奈まで失ったら、おれには何が残っているというのだろう。 
もうじきおれは殺される。 
 
 
凛奈。おれを見捨てないでくれ。

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