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標識上のユートピア

玉子炒め

四話

 今の言葉を聞く限り、詳細な会話を聞いていたわけではないらしい。
岸本はおれの隣まで来た。二人で夕暮れの空を見上げる。雲には、夜の前兆と言うべきか若干の黒みがかかっていた。
凛奈とのやり取りの中で、ふと気になったことを尋ねてみる。 
「そういえば、岸本はなんでファッションデザイナーを目指しているんだ?」
「そりゃ、服をデザインするのが楽しいからに決まっておる」  
 楽しいから。率直な理由は、いかにも岸本らしいものだった。謎の安堵すら込み上げてくる。
また二人で空を見上げる。沈黙が空気を包んだ。
「……まあ、理由は他にもあってのう……」  
 沈黙に感化されたのか、岸本にしては大人しい声でぽつぽつと話し始める。
「どんな理由なんだ?」 
「……いや、哀れんでもらいたい訳じゃないのだ。すまぬ、忘れてくれ」
「なんだよ、勿体ぶんなよ」 
 急激に苛ついて地面を蹴りつける。砂ぼこりが散って目や鼻に入り込んだ。
「み、身どもには生まれつき親がいなかったのだ」  
 岸本は呻くように言った。その声はどことなく震えていたが、理由は全く分からない。
「で?」 
「それで施設で育ったのだが、前はまともな服を着られないことも多くてな。だから、分かるのだ。普通にお洒落できることが、どんなに贅沢なことなのか」 
 岸本は落ち着きを取り戻しつつあるようだった。滑舌はずっとよくなっていた。
「世界のどこかで、着る服がなくて困っている人がいる。お店のショーウインドウにしがみついて、『あんな服が欲しいな』って一人呟いている子供もいるだろう。身どもは彼らに希望を届けたいのだ。身どもがデザインした服を着て笑顔になってほしいのだ」
 岸本は澄みきった目で空を振り仰ぐ。自分に酩酊しているように見えたのは、おれの心が穢いからだろうか。
コイツはおれと違う。惨めな敗北感がわが身を焼き焦がす。
おれに岸本のような大義はない。誇れる夢もない。ビジョンもない。凛奈がどんなに取り繕うと、おれは自らの意思を持たぬ操り人形でしかないのだ。
おれは、自分の本質をありありと実感していた。クズの本質を。……クズ?
……違う。認めたくない。認めたくない。
気付くと、目一杯の自己保身に走っていた。 
「才能もないくせに、よくそんな大義を掲げるもんだ」   
 おれは醜い。
今まで気を遣ってきたのに、友人すら祝福できなくなってしまった。 
岸本は怒るだろうか。彼は息をひとつついて、おれをまじまじと見つめた。
「身どもも自信をなくしたことはある。自分には才能がないんじゃないのかと、何度も思った」  
 意外にも、岸本に動揺の色は見えなかった。甲高い声で幼い印象を与えていた彼は、その時ひどく熟達した人物としておれの目に映った。  
「でも、人間が挫折するのは才能が不足しているからではないのだ。才能のせいにして、自分の気持ちを無視するからだと思う」  
 おれは黙るしかなかった。
「身どもの尊敬するガンジーも言っておった。自らの恐れを乗り越えることが大切だと」 
「そうか」 
 訂正する。コイツは単細胞などではない。おれよりもよほど複雑な思考回路と確固たる信念を持ち合わせている。
おれは再び、無力と絶望のるつぼに突き落とされた。
おれは、何者だ?意志も目標も持たないで、一体何がしたいと言うんだろう。
昔、誰かに言われた。
「考えない芦に生きる意味などない」 
 そうだ。考えないと。考えないと。
おれはなんのために高校に行っているのか。どんな信念があるのか。
しかし、いくら捻り出そうとしても、フィルターがかかったかのように思考はぼやけ、やがて停止してしまう。
そうだ。凛奈はどこにいる。凛奈に聞けばいいんだ。彼女は?
「柿市、大丈夫か?」  
 岸本が覗き込んでくる。
「凛奈は?凛奈はどこにいる」 
「なんだ?さっきまで一緒にいたではないか」   
 分かった。トイレだ。
おれは、近くの公園にトイレがある。きっとそこだ。
廃れた公園目掛け走り出す。呼び止められた気がするが無視だ。
公園そのものに負けず劣らず、公衆トイレはおんぼろだった。用具は痛み、便器は黄ばんでいた。排泄物の臭気が凄まじく、催すより先に吐きそうだった。 
凛奈はそんな悪環境の中、濁った鏡を見てルージュを塗っていた。
「凛奈」 
 呼び掛けると、彼女ははっとしたように振り向いた。
凛奈の顔を見た途端、安心感が全身に染み渡った。 
「ごめんね、待った?」 
「いや、平気。ちょっと心配になったから見に来ただけ」  
 大事な話があったような気がするが、すっかり忘れてしまった。
「二人ともいた。全く、いきなり駆け出すからびっくりしたぞ」  
 岸本が息を切らしながらやって来た。おれはその時初めて、彼が手袋をはめているのに気付いた。手が痺れるとか言ってたしな。
おれが配っていたビラが落ちている。踏まれたのか、足跡だらけだ。
「じゃ、三人で一緒に帰ろうか」
 凛奈がおれの手をとる。
ゆうやけこやけのチャイムが遠く聞こえる。そうか、もう十七時か。
チャイムに乗って、女性のアナウンスも微かに響く。

 
 
『不審者が周辺を徘徊しています。パーカーを被った人物にご注意を……』

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