話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

標識上のユートピア

玉子炒め

二話

   おれは旧校舎の一室にいた。美術の勉強があるためだ。
古びた木材のニオイと埃っぽさが入り交じり、部屋にはやけにノスタルジックな雰囲気が漂っている。窓から差し込んだ斜陽が、無造作に立て掛けられたキャンバスに橙色の影を落としていた。
岸本は先に来ていた。いつの間にか虎柄のパーカーは消え、至ってノーマルな白シャツ姿になっていた。 
「どうしたんだ」 
「ヤツだ。佐久間にパーカーを奪われたのだ。力作のパーカーを!」
 岸本は、不機嫌そのものといった表情でキャンバスに筆を走らせる。
佐久間……佐久間尊は、岸本の幼馴染で、ビラ配りのバイトリーダーも務めているという。
会ったことはないが、四角四面の真面目な性格だと聞く。彼が明らかな規則違反を見逃すはずがない。  
……ただ、岸本に虎柄のパーカーがいらないのは確かだ。
岸本の作品を見る。未完成とはいえ、黒一面の背景に赤が塗りたくられた不気味なモノにセンスを見いだせない。
なんとなく聞いてみる。 
「そういえば岸本、英語の抜き打ちテストは何点だった?」 
 美術コースとはいえ、一応必修科目はあるのだ。
「そんなの0点に決まっておる」 
 ためらいなく岸本は答えた。0点といえば、普通はもう少し恥ずべきものなのだが。
彼はこちらを見ると、いきなり満面の笑みを浮かべ、ピースを突きつけてきた。
「テストの点数などどうでもよい。身どもはファッションデザイナーになりたい。だから、その道にだけ邁進すればよいのだ」 
 自信満々な態度を見て思う。
こいつは救いようのない馬鹿だ。冷静に自分の絵を見てみろと言いたい。
同時に、夢だけに向かって努力する岸本が眩しかった。センスがないとはいえ、確かに彼は努力しているのだ。
きっと、夢を叶えるだけの自信があるのだ。対して、おれは……。 
中途半端だ。凛奈に対しても、自分に対しても。 
沸々と身体の奥から湧き出るこの感情はなんだろう。嫉妬だろうか?尊敬?嫌悪?急にムカついてくる。
自分で自分が分からなくなることがたまにある。    
岸本が憎い。なんでこんな気持ちになるのか分からないが、憎い。 
思いっきりその絵を引き裂いてやりたい。
岸本、お前はコンプレックスの塊だ。シークレットブーツなんか履くな。お前には裸足がふさわしい。 
椅子に座っている岸本を見下ろす。彼は困惑したような目でこちらを見ていた。
いっそのこと言ってやろうか。お前には才能がないと。お前の夢ごときのために、いちいち気を遣うなど馬鹿らしいんだよ。 
ブーツに視線が向く。それを剥ぎとって、頭をひっぱたいてやりたい……。 
絵の具がこぼれて、我に返る。
赤い水性の絵の具。白いワイシャツに染み付いて、傷のような跡をつくる。
岸本は張り切って赤い絵の具を塗り始めていたが、不意におれのキャンバスを覗き見して言う。
「お主はまだ描き始めてないのか?」 
「ああ。アイディアが浮かんでこなくてな……」 
 真っ赤な嘘だ。やる気がないだけである。
なんで自分が美術大付属に入ったのか分からない。別に絵を描きたいわけじゃないし、画家に憧れているわけでもない。岸本みたいにデザイナーの仕事に就きたいわけでもない。
きっと、他にやりたいことがなかったからだろう。成り行きだ。
「そうか。まだ時間はあるんだから、ゆっくり考えるがよい」 
 疑うわけもでもなく、そう岸本は言った。  
おれは、下書きをすべく鉛筆を取り出した。
隣で岸本が手をぶらつかせて始めた。
「どうした?」
「最近、どうも手が痺れてきてたまらん。デッサンのしすぎかのう」
 岸本は首をかしげていた。
「さあ。あんまり無理をするなよ」
 適当に答えて、再び下書きに専念する。下絵が完成する頃には、外はすっかり暗くなっていた。

「標識上のユートピア」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「その他」の人気作品

コメント

コメントを書く