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標識上のユートピア

玉子炒め

一話

   悪い夢を見ていた気がする。
肺が圧迫されて、ひどく息苦しい。身体を冷たいアスファルトに置いていたからだ。
地面での寝覚めは最悪だった。アルバイトが終わった後、そのまま居眠りしてしまったのだ。おれ、#柿市翼__かきいちつばさ__#はゆっくりと身体を起こした。
みんなの笑い声が聞こえる。クソ、馬鹿にしているのか。
「なんだよ、見せ物じゃねぇんだぞ」
 大きな声で言うと、周囲は異様なほどしんと静まり返った。  
ちょっと言い過ぎたかもしれない。後悔していると、肩をポンポンと叩かれた。 
一人の少女が、おれを見て笑っている。
「翼、カリカリしすぎ」 
「凛奈」
 #雪村凛奈__ゆきむらりんな__#。名前の通り色白で、肌はきめ細かい。目は大きく、その濡れっぽさは小動物を連想させた。頬には赤みが差して、苺のように愛らしい。全体的に化粧っけはないが、小さな唇にはしっかりとチェリーピンクのルージュが塗ってあった。おれがプレゼントしたものだ。
「お昼だよ、翼。カフェ行こ、カフェ」 
 凛奈はぐいぐいとおれの腕を引っ張った。小柄なのに、力が強い。
「分かった、分かったよ」 
 おれは立ち上がり、凛奈と連れ立って近くのカフェに入った。
メニューを見る。オレンジジュース、ラーメン、トマトサラダ、ナポリタン……。いつもの面々が勢揃いだ。
凛奈はお腹が空いていたらしく、うきうきしながら大盛りナポリタンとオレンジジュースを頼んだ。
小柄なのに、彼女はよく食べる。凛奈は見た目通りの女の子ではない。そのギャップに驚かされるばかりだ。
おれは並盛りのラーメンを頼んだ。
ちょっと薄めのスープが臓腑にしみる。麺が伸びきっているのはご愛嬌だ。
「翼、バイトはどうだった?ビラは何人に配れた?」
 フォークで器用にナポリタンを巻きながら、凛奈が尋ねてくる。
おれは美術大付属高校の学費を払うため、凛奈は暇な時間を縫ってビラ配りのバイトをしているのだ。
「どうだったもなにも、初日だったんだからできるわけないだろ」 
 人数すら口にしたくない。
凛奈はオレンジジュースを口に含んだまま、クスクスと笑った。
「お前はどうなんだよ」
 笑われたのが癪に障る。しかし、彼女はこともなげに言ったのだった。
「数え切れないよ」 
「……」 
 返す言葉がない。無言でラーメンを啜る。
凛奈は手を伸ばすと、おれの頭をくしゃくしゃとなで回した。
「いじけないでよ」
「いじけてないって」 
 今度は情けなくなり、顔を背ける。
中学時代、テストの成績は毎回彼女の方が良かった。苦手な科目について教えてもらったこともある。一度でいいから、教える側に立ってみたいものだ。 
「相変わらず仲が良いのう。羨ましいことよ」 
 大きな声が聞こえてきた。時代劇のようにお偉いさんかぶれで、尊大な声。主はすぐに分かる。
#岸本陸__きしもとりく__#だ。 
「平常運転だな、岸本」
 おれは後ろを向いて苦笑いする。凛奈は明朗に笑っていた。
岸本はいつも奇抜な服に身を包んでいる。バイトの規則など真っ向から無視だ。
今日は制服の上に虎柄のパーカーを羽織っている。だぼだぼのズボンのポケットからは、ゴールドの安っぽいチェーンが覗いていた。
いつもと同じなのは、靴底が異様に厚いブーツ位だろう。
お世辞にもセンスがあるとは言い難い。むしろダサい。本人の前では言い辛いが。   
「いつもオシャレだろう?このパーカーは、わざわざホワイトから自力で染めたのだ」 
 ホワイトのパーカーの方がよっぽどましだと思う。虎柄にしても、やたらくすんでいるので粗末と言う他ない。
本音をグッとこらえる。 
「ああ、パーカーもズボンもオシャレだよ」
 だいぶ無理なく言えたと思う。
ちなみにブーツは禁句だ。
岸本がブーツを脱いだら、凛奈よりも背丈が小さくなるはずだ。
「よく似合ってるよ、岸本くん。ただ、全体的にもう少し落ち着きがあった方がいいかも」 
 凛奈は柔らかい口調で言った。文句を言うときでも、彼女は事を荒立てない。岸本みたいなヘンテコリンなヤツでも上手く取り扱えるのだ。 
「ほほう。参考にするぞ、雪村よ。お主はいつも的確なアドバイスをくれる」
 岸本がたちまち舞い上がる。大物ぶっているが、所詮は単細胞生物なのだ。すぐ落ち込むし、すぐ舞い上がる。
「本当、雪村はいい女だ。柿市にはもったいないのう」 
 岸本が恨みがましい目でこちらを見る。調子に乗った発言にイラッとくるが、一応同感だ。
「なに言ってるの、岸本くん」
 今度は凛奈が苦笑いを浮かべる番だった。 
岸本が去った後、凛奈がおれに言う。
「ねね、この後、空いてる?」
「わりぃ、学校がある」
 ちなみに岸本と一緒だ。
「そっか……」   
 セミロングの黒髪が艶を放ち、項垂れる彼女も可愛らしかった。
岸本じゃないが、凛奈に魅力を感じる度、自分が恋人であることに違和感を感じる。
成績もよく、異性からも同性からも人気がある凛奈が、おれと付き合っているのは不思議だった。おれはクラスでも目立つ方ではなかったし、成績も中の中だった。
失礼な話だが、何で付き合い始めたのかすら思い出せない。気付くとおれたちは一緒にいたのだ。過程をすっ飛ばしたおとぎ話みたいに。
でも、おれは凛奈を愛している。凛奈もおれを愛してくれているはずだ。でなけりゃ、プレゼントのルージュなんてつけない。 
そうだ。きっと、そうだ。目の前を見つめる。
凛奈は、ストローを通しザクロジュースを啜った。流動体が赤色を帯び、勢いよく彼女に吸い込まれていった。

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