勇者が救世主って誰が決めた
82_少女と少女と理想の勇者
――かちゃり。きぃー……と。
木製の扉が小さく軋みを上げながら開かれ、これまた小さな人影がひょっこり顔を出す。
扉の外は完全に夜の帳が下りており、そう遠くない位置の焚火でさえも充分な明かりとはなっていない。
狭い空間、三人が横たわる部屋の中。申し訳程度に室内を照らす、机上に置かれた洋灯の魔道具。
その頼りない明かりに照らされながら入ってきたのは……茜色の髪と、毛に覆われた三角形の耳を持つ少女。
「ん…………交代か」
「あっ……すみません、起こしちゃいました…?」
「大丈夫だ。気にするな」
今しがた入室してきた少女に応えたのは、長い耳の少女。
周囲にいまだ横たわる、すうすうと健やかな寝息を立てる二つの小さな姿を気遣い……ひそひそ声で言葉を交わす二人。
「悪かったな……初っ端頼んで」
「いえ、慣れてますから。お安い御用です」
いそいそと、それでいて衣擦れの音を最小限に防寒具を羽織り、支度を整えるネリー。
対して赤髪の少女アイネスは……着込んでいた衣類を脱ぎ、引き締まった身体のラインも艶やかな下着姿へ。
その姿を凝視する視線に気付かず……絞った布で身体を拭き始めた。
「何も無かったか? ヴァルのアホに手ぇ出されなかったか?」
「そんな! 滅相もないです、……とても労わってくれました」
「油断すんなよー? 嬢ちゃん可愛いからな」
「もっ……もー! ネリー様……!」
茶化すようなネリーの言葉に、顔を赤らめ応えるアイネス。
そんな彼女の初々しい反応を尻目に……ネリーは手をひらひらと振りながら出て行ってしまった。
――ぱたん、と。
小さな音とともに、再び静寂が満ちた小部屋。
「……勇者さま、……かぁ」
ぽそりと小さく零し、もぞもぞと寝袋に潜り込むアイネス。身を横たえ、一息吐いたところで……
自分を凝視している、銀色の瞳と目が合った。
「あ……ごめんなさい、起こしてしまいましたか? ノートさま」
「んんー! んんんんー!」
途端に眉根に皺を寄せて奇妙な唸り声を上げ、毛布に包まったままもぞもぞと蠢く……どうやら機嫌を損ねてしまった様子の彼女。
未だ大人とは言えない年齢の自分よりも明らかに幼い、白い少女の威嚇に……アイネスは狼狽した。
小さな子どものあやし方など、率直に言って解らない。
この歳で子育ての経験などある筈がない。子守りの経験すら数えるほどしか無い。幼子の世話の仕方など解らないし、もし気分を害してしまったのならどう対処すれば良いのかも解らない。
ましてや相手は他国の勇者……の(自称)従者である。現在すでに国際問題一歩手前なのだ、この上何か粗相があればそれこそ大問題に発展しかねない。
「ど、どうしました……? ノートさま?」
「…………さま、……いや」
「……えっ」
「んい……のーと、さま……いや」
特殊部隊の一員という位置付けであるものの、未だ高度な判断力が要求される場面に陥ったことのない彼女。そんな中で……他国の重役に対して仕出かしてしまった、粗相。
『処分』の二文字が脳裏を過ぎるアイネスにとって……その意を理解するのには若干の時間を要した。
「あーね、あーね。……わたし、のーと。…のーと」
「………ノート、さま?」
「やー! ……さま、ちがう」
「……………ノート、……ちゃん?」
「んい!」
アイネスの対応……『様』付けを止めての呼称に満足げに頷き、にんまりと笑みを浮かべるノート。
気難しい重要人物の機嫌が直ったことに……アイネスはほっと胸を撫で下ろしたのだった。
「あーね。あーね。……あるたー、どー?」
「え……?」
ふいに小さく囁かれた言葉に、思わず反応を返すアイネス。
問いの主ノートはもぞもぞと身をよじり、身体ごとアイネスに向き直り……尚問いを重ねた。
「あるたー、どー? ……ゆうしゃ、あーね、すき?」
……アーネ――アイネスは、勇者が好きか。
アイネスの脳裏を過るのは、夕刻の問答。
彼女の愚兄、テオドラから冷やかし交じりに放たれた『ヴァルターはノートのイイヒトなのか』との問い掛けである。
今でこそ『勇者』はリーベルタ王国の専売特許であるかのように語られるが、時代を遡ればリーベルタ以外にも『勇者』を保有している国々は少なくなかった。そのためフェブル・アリア育ちのアイネスも、『勇者』にまつわる伝承や御伽話を耳にする機会も多くあった。
隣国の民であるとはいえ……『勇者』という存在に対する憧れも、正直少なくなかった。
ましてや自分達がリーベルタ入りして早々に勃発した、勇者一行による湖賊征伐と人質の解放。水辺の町カリアパカから道中、そしてアイナリ―に帰還してからも、アーロンソの目は引き続き一行を注視していたのである。
勇者と目されていたノートほど監視の目は割かれていなかったが、ついで程度に収集された情報を見た限りでも……彼の人となり、人格の程は少なからず推して見られた。
加えて……整ったながらに鍛えられた体と、あの端正な顔立ちである。
色恋沙汰に興味の出てくる年ごろの少女にとって、正直気にならない筈は無かった。
―――だが。その意見を表に出すのは……さすがに憚られた。
兄に引き込まれる形で参画したとはいえ、自分はれっきとした諜報部隊の一員である。惚れた腫れたにうつつを抜かしているなどと思われたくないし、色事に耳聡い愚兄にからかわれるのは目に見えている。
それに。先刻のやり取りを……勇者について誇らしげに語っていた彼女――真白い小さな女の子の様子を見れば。
彼女が勇者ヴァルターに入れ込んでいるのは……アイネスから見ても一目瞭然であった。
であれば、自分が割込むわけにはいかない。
自分よりも幼い彼女の、けなげな恋路を邪魔するわけにはいかない。
「わたしは………そうですね、格好いい人だと思いますが……」
「………すき、ちがう……?」
「ええと………そう、ですね」
「んい……んい………」
しかしながら、アイネスの思惑とは裏腹に。
『勇者が好きではない』と聞いたノートの反応は、芳しくないようだった。
アイネスは当初、当然のように困惑したが……よくよく考えてみれば解らないでも無かった。
ノートにとっては、自分が慕う相手を『好きじゃない』と言われたのだ。しょんぼりするのは当然なのかもしれない。
「あーね………あるた、すき、ちがう………んんー」
見るからに悲しげに顔をしかめ、唸り始めてしまった従者の少女。小さい子を悲しませてはいけないという、なかば強迫観念に近いものを感じつつ……アイネスは必死の弁解を試みる。
「で、ですが………まだ会って間もない方ですし! そうですね、なんといっても勇者さまですもん! きっとステキな方ですよね!」
「んい………んい! あるたー、ゆうしゃ! いいひと!」
自らが慕う勇者を誉められたことがお気に召したのか、顔をぱっと輝かせ食いつく幼女。思わず声のトーンが上がってしまい、傍でうずくまるシアがもぞもぞ身じろぎするのを見て……あわてて口をつぐむノート。
思わず、アイネスの頬が緩んだ。
「ゆうしゃ、つよい。あと、やさしい」
「ノート……ちゃんは………勇者さまのこと詳しいんですね」
「んい。わたし、あるたー、くわしい」
ここぞとばかりに勇者を推すノートに半ば苦笑しつつ、アイネスは続きを促す。このテの話したがりの子は話したいだけ話させてあげるのが良いと、半ば直感的に悟っていた。
眠たそうな目を輝かせ、活き活きと勇者を褒め称える……小さな女の子。
可愛らしい勇者の従者、その健気な様子に……
「勇者さまのこと……もっと教えてほしい。…いい?」
「んい。やうす」
……つい、深入りをしてしまった。
そんな些細なことが原因となって、彼女らを大いに苦しめることになろうとは。
ノートも、アイネスも、このときはまだ思ってもいなかった。
木製の扉が小さく軋みを上げながら開かれ、これまた小さな人影がひょっこり顔を出す。
扉の外は完全に夜の帳が下りており、そう遠くない位置の焚火でさえも充分な明かりとはなっていない。
狭い空間、三人が横たわる部屋の中。申し訳程度に室内を照らす、机上に置かれた洋灯の魔道具。
その頼りない明かりに照らされながら入ってきたのは……茜色の髪と、毛に覆われた三角形の耳を持つ少女。
「ん…………交代か」
「あっ……すみません、起こしちゃいました…?」
「大丈夫だ。気にするな」
今しがた入室してきた少女に応えたのは、長い耳の少女。
周囲にいまだ横たわる、すうすうと健やかな寝息を立てる二つの小さな姿を気遣い……ひそひそ声で言葉を交わす二人。
「悪かったな……初っ端頼んで」
「いえ、慣れてますから。お安い御用です」
いそいそと、それでいて衣擦れの音を最小限に防寒具を羽織り、支度を整えるネリー。
対して赤髪の少女アイネスは……着込んでいた衣類を脱ぎ、引き締まった身体のラインも艶やかな下着姿へ。
その姿を凝視する視線に気付かず……絞った布で身体を拭き始めた。
「何も無かったか? ヴァルのアホに手ぇ出されなかったか?」
「そんな! 滅相もないです、……とても労わってくれました」
「油断すんなよー? 嬢ちゃん可愛いからな」
「もっ……もー! ネリー様……!」
茶化すようなネリーの言葉に、顔を赤らめ応えるアイネス。
そんな彼女の初々しい反応を尻目に……ネリーは手をひらひらと振りながら出て行ってしまった。
――ぱたん、と。
小さな音とともに、再び静寂が満ちた小部屋。
「……勇者さま、……かぁ」
ぽそりと小さく零し、もぞもぞと寝袋に潜り込むアイネス。身を横たえ、一息吐いたところで……
自分を凝視している、銀色の瞳と目が合った。
「あ……ごめんなさい、起こしてしまいましたか? ノートさま」
「んんー! んんんんー!」
途端に眉根に皺を寄せて奇妙な唸り声を上げ、毛布に包まったままもぞもぞと蠢く……どうやら機嫌を損ねてしまった様子の彼女。
未だ大人とは言えない年齢の自分よりも明らかに幼い、白い少女の威嚇に……アイネスは狼狽した。
小さな子どものあやし方など、率直に言って解らない。
この歳で子育ての経験などある筈がない。子守りの経験すら数えるほどしか無い。幼子の世話の仕方など解らないし、もし気分を害してしまったのならどう対処すれば良いのかも解らない。
ましてや相手は他国の勇者……の(自称)従者である。現在すでに国際問題一歩手前なのだ、この上何か粗相があればそれこそ大問題に発展しかねない。
「ど、どうしました……? ノートさま?」
「…………さま、……いや」
「……えっ」
「んい……のーと、さま……いや」
特殊部隊の一員という位置付けであるものの、未だ高度な判断力が要求される場面に陥ったことのない彼女。そんな中で……他国の重役に対して仕出かしてしまった、粗相。
『処分』の二文字が脳裏を過ぎるアイネスにとって……その意を理解するのには若干の時間を要した。
「あーね、あーね。……わたし、のーと。…のーと」
「………ノート、さま?」
「やー! ……さま、ちがう」
「……………ノート、……ちゃん?」
「んい!」
アイネスの対応……『様』付けを止めての呼称に満足げに頷き、にんまりと笑みを浮かべるノート。
気難しい重要人物の機嫌が直ったことに……アイネスはほっと胸を撫で下ろしたのだった。
「あーね。あーね。……あるたー、どー?」
「え……?」
ふいに小さく囁かれた言葉に、思わず反応を返すアイネス。
問いの主ノートはもぞもぞと身をよじり、身体ごとアイネスに向き直り……尚問いを重ねた。
「あるたー、どー? ……ゆうしゃ、あーね、すき?」
……アーネ――アイネスは、勇者が好きか。
アイネスの脳裏を過るのは、夕刻の問答。
彼女の愚兄、テオドラから冷やかし交じりに放たれた『ヴァルターはノートのイイヒトなのか』との問い掛けである。
今でこそ『勇者』はリーベルタ王国の専売特許であるかのように語られるが、時代を遡ればリーベルタ以外にも『勇者』を保有している国々は少なくなかった。そのためフェブル・アリア育ちのアイネスも、『勇者』にまつわる伝承や御伽話を耳にする機会も多くあった。
隣国の民であるとはいえ……『勇者』という存在に対する憧れも、正直少なくなかった。
ましてや自分達がリーベルタ入りして早々に勃発した、勇者一行による湖賊征伐と人質の解放。水辺の町カリアパカから道中、そしてアイナリ―に帰還してからも、アーロンソの目は引き続き一行を注視していたのである。
勇者と目されていたノートほど監視の目は割かれていなかったが、ついで程度に収集された情報を見た限りでも……彼の人となり、人格の程は少なからず推して見られた。
加えて……整ったながらに鍛えられた体と、あの端正な顔立ちである。
色恋沙汰に興味の出てくる年ごろの少女にとって、正直気にならない筈は無かった。
―――だが。その意見を表に出すのは……さすがに憚られた。
兄に引き込まれる形で参画したとはいえ、自分はれっきとした諜報部隊の一員である。惚れた腫れたにうつつを抜かしているなどと思われたくないし、色事に耳聡い愚兄にからかわれるのは目に見えている。
それに。先刻のやり取りを……勇者について誇らしげに語っていた彼女――真白い小さな女の子の様子を見れば。
彼女が勇者ヴァルターに入れ込んでいるのは……アイネスから見ても一目瞭然であった。
であれば、自分が割込むわけにはいかない。
自分よりも幼い彼女の、けなげな恋路を邪魔するわけにはいかない。
「わたしは………そうですね、格好いい人だと思いますが……」
「………すき、ちがう……?」
「ええと………そう、ですね」
「んい……んい………」
しかしながら、アイネスの思惑とは裏腹に。
『勇者が好きではない』と聞いたノートの反応は、芳しくないようだった。
アイネスは当初、当然のように困惑したが……よくよく考えてみれば解らないでも無かった。
ノートにとっては、自分が慕う相手を『好きじゃない』と言われたのだ。しょんぼりするのは当然なのかもしれない。
「あーね………あるた、すき、ちがう………んんー」
見るからに悲しげに顔をしかめ、唸り始めてしまった従者の少女。小さい子を悲しませてはいけないという、なかば強迫観念に近いものを感じつつ……アイネスは必死の弁解を試みる。
「で、ですが………まだ会って間もない方ですし! そうですね、なんといっても勇者さまですもん! きっとステキな方ですよね!」
「んい………んい! あるたー、ゆうしゃ! いいひと!」
自らが慕う勇者を誉められたことがお気に召したのか、顔をぱっと輝かせ食いつく幼女。思わず声のトーンが上がってしまい、傍でうずくまるシアがもぞもぞ身じろぎするのを見て……あわてて口をつぐむノート。
思わず、アイネスの頬が緩んだ。
「ゆうしゃ、つよい。あと、やさしい」
「ノート……ちゃんは………勇者さまのこと詳しいんですね」
「んい。わたし、あるたー、くわしい」
ここぞとばかりに勇者を推すノートに半ば苦笑しつつ、アイネスは続きを促す。このテの話したがりの子は話したいだけ話させてあげるのが良いと、半ば直感的に悟っていた。
眠たそうな目を輝かせ、活き活きと勇者を褒め称える……小さな女の子。
可愛らしい勇者の従者、その健気な様子に……
「勇者さまのこと……もっと教えてほしい。…いい?」
「んい。やうす」
……つい、深入りをしてしまった。
そんな些細なことが原因となって、彼女らを大いに苦しめることになろうとは。
ノートも、アイネスも、このときはまだ思ってもいなかった。
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