勇者が救世主って誰が決めた
16_勇者と記憶と心理外傷
『……恐れずともよい』
彼は、そう言った。
聞き間違いかとも思った。気のせいだとも思った。
けれども。
『心配は要らない。彼らは、安全だ』
間違いでは、なかった。
―――安全。
長らく求めていたものが……安息が、やっと得られたのだ。
先程からいろいろと訊ねてくる、目の前の男性。……竜のような目が印象的な、変わった格好の男性である。
確か、『ディエゴ』と名乗った気がする。
彼は、僕が生まれ(変わっ)て初めての、言葉の通じる人物であった。
隊長たちとケリィさんが退室してしまってから、『ディエゴ』と『ギルバート』、そして僕の三人で、色々な話をすることが出来た。
とはいえ喋っていたのは主に僕とディエゴ。ギルバートは真剣な表情で、彼にとって見知らぬ言葉を交わしている僕たちを注視している。
……その真剣な表情は、心なしかリカルドに似ている気がする。正直かなりの男前だと思う。
その中で、色々と気づくことも出来た。
まず何よりも、何よりも残念なことなのだが………この身体の会話能力が、『お世辞にも優秀とは言い難い』という驚愕の事実だった。
そもそも前世の……まだ人族の鉄砲玉…『勇者』だった頃は、特に他人と会話をするようなことも無かった。そんな機会に殆ど恵まれなかったのもあるが、そもそも進んで会話を試みることが無かった。
……随分とこじらせた、コミュ障だった。
加えて、考えてみればこの身体で他人と会話をしたことなど殆ど無かったのであった。意思の疎通に成功したのは、なんと今回が初めてである。
ふと、魔王の言葉が脳裏をよぎった。
――まだ調整が効くうちに、しっかりと動かして、よーく身体を慣らしておくことだ。
――変に馴染んでしまうと、その癖を取り除くのは結構大変だよ。覚えておくといい。
それを思いだし、血の気が引いた。
ろくに会話をしないまま、気がつけばとうに一年以上が経過していた。口や舌、喉などといった発声器官を、殆ど使用しないまま………一年。
……口下手が治る希望は、きわめて薄いようだ。
『……そう気を落とすな、君はまだ幼い。今まで学ぶ機会に恵まれなかっただけだろう。これから少しずつ学んでいけば良い』
そんなに酷い顔をしていたのだろうか。気がつくとディエゴに慰められていた。未だ幼いうちに親族と死に別れ、満足な教育を受けられなかった。…彼にはどうやらそう写ったらしい。
……しかしながらその推測は誤りであり、本来の原因はもっと根本的なところであった。そのため彼の励ましは実を結ばないであろうことは、他ならぬノート自信が理解していた。
しかしながら……せっかく心配してくれているのを無下にもできず、曖昧な表情で頷くほかなかった。
とはいえディエゴとの会話は、無意味なことばかりでもなかった。中でも他者と意思の疎通を図るために、幾つか言葉を授かったのが大きい。
……今までは、『わからない』という言葉すら、わからなかったのである。
「わかった」
「…わ、たっ、た」
「わ、か、っ、た」
「んん……んいい、……わ、かった。……わたった」
「……まあ、そのうち慣れよう」
………ディエゴの反応を見るに、円滑なコミュニケーションはまだまだ当分先のようだった。
『……それと、君のような娘は『僕』など使わぬ方が良かろう。それは男子の一人称だ。女子の場合『私』が妥当だろう』
余計なお世話だ……とは、ついに言えず。またしても曖昧な頷きを余儀なくされた。
その見返りに、というわけでは無いのだろうが、自分の出自に関しても幾つかの質問を受けた。
これは妥当だろう。この時代の人々にとって、自分は明らかな異質である。警戒を抱かれこそすれ、無闇やたらと歓迎される筈はない。爪弾きにされないためには無理矢理にでも摺り寄り、媚びへつらうしかないのだ。可能な限りの誠意をもって答える。
幸いにして、自分の本来の……今まで使っていた言葉での説明が可能だった。ディエゴ曰く『充分な教育を得ることのできなかった幼子のような言葉』で、であったが。
………ただ、自分が本来遠い昔の人間であったこと。この身体が魔王のものと同位であること。あの島の正体が元魔王城であることなど、『知られたら本格的に危険な情報』は、あえて隠しておいた。……何故か深くは追求されなかった。
少しずつではあるが会話が進み、双方とも収穫が出始めた頃。
表が、にわかに騒がしくなってきた。
感覚強化により感度の上がった聴覚が、扉の外で繰り広げられる、なにやら不穏なトーンの会話を拾った。内容までは伺い知ることは出来なかったが…なにやら穏やかではない雰囲気は、察することが出来た。
『……嫌な感じだな』
『………うん』
ディエゴも気づいたのだろう。言い争う声のうち三人は、よく知った声。ケリィとリカルド、そしてギムレットである。………他にも日頃言葉を交わす兵士や有志お手伝いさん等々、馴染み深い声も聞こえるが、
それらとは別の、聞き覚えのない、剣呑な声があった。
「勇者殿!そこは医務室です!!お止め下さい!」
けたたましい音ともに医務室の扉が開かれ、周囲の制止を振り切り、一人の男が押し入ってきた。
男…というには未だ若いだろうか。歳のほどは十代後半……あるいは二十代前半であろう、年若い青年。彼は探るような目付きで室内を見回し、その視線がディエゴを……そしてノートを捉えた。
「………魔族、か」
「……如何にも」
『ゆうしゃ』と呼ばれた青年が眉根を寄せ、その口を一文字に結ぶ。
『…此度の勇者は、随分と気が短いようだ』
苦笑しながらこちらに話しかけてくるディアゴを余所に、視線は一ヵ所に釘付けになっていた。
……彼の腰横下げられたものを目にし、
それを持つ者……ディエゴの言った『勇者』という概念を認識し……
「…けん? ……それ、……けん。 ………ゆう……しゃ…?」
「……ノート?」
ゆう……しゃ。 ――勇者。
『何故!あの子らを殺した!?』
――唐突に。
遠い遠い昔に消去された筈の、
……失った筈の記憶が甦る。
『何故だ!?答えろ!このゲス共が!!』
ともすると、それは消去ではなかったのか。単に封印されていただけであり、身体が替わったことで封印が解けたのか。……今は、どちらでも良い。
『貴様ら…!何が可笑しい……!何が!!』
『いや……なに。これが笑わずに居られるものか』
『何だと……!』
大切なのは、自分にとってそれが、
『勇者』が、どういう存在だったのかとういこと。
『良いだろう。頃合いだ。……特別に教えてあげよう、ドライツェーン。君の言う『あの子』らが何故、無慈悲に消費されなければならなかったのか』
『……なん……だと?』
僕にとって、勇者とは。
『何故か。君のその問いには、胸を張ってこう答えよう。……君のその身体を……『勇者』を造り出す為だ。なんと言うことはない、君のせいであの子らは殺されたのだ、とね』
『…………なに、を……いって……』
『とはいえ、これ以上刃向かわれても面倒だ。少し早いが…まぁ、許容範囲だ。………処置に回すぞ』
――勇者。
それは夥しい数の犠牲の上に造られた、
僕にとって赦しがたい、忌まわしきモノの名。
それを、 なぜ、 わすれていたのだろう。
けりぃさんが、ないている。
りかるどが、おこっている。
……ああ。やっぱりだ。
おもい、だした。
『ゆうしゃ』は、
「――勇、者」
突如として聞こえた底冷えのする声に、その場の誰もが一瞬耳を疑った。
「ゆう、しゃ、……ゆ、う、しゃ……」
今までの彼女からは想像もできない程冷えきった声色。そして……『勇者』を見据える狂気じみた視線に、息を呑んだ。
当の『勇者』に至っては当然の反応とでも言うべきか……魔族の密会に割って入ったと思った矢先、突如として向けられた異様な気配に気圧され、……そして、
警戒感、………そして僅かな殺気を、放ってしまった。
それが、引き金となってしまった。
(ゆうしゃ。……いまわしい、ゆうしゃ)
僅かに身を屈めて腰の剣に手を伸ばし、警戒を露にする、目の前の『勇者』。
勇者のせいで、あの子たちは死んだ。勇者のせいで、ケリィさんは泣いている。勇者のせいで。……勇者などという存在のせいで。
……それは違う。忌まわしき『勇者』は遠い昔に滅んだ。世界もろとも燃え尽きた。他ならぬ、自分が滅ぼしたのではないか。
ここは違う世界だ。彼は違う勇者だ。もう世界を、勇者を呪う必要はない。自由気ままに生きるって決めたのだろう。
……それこそ関係ない。『勇者』はリカルドを怒らせた。ケリィさんを悲しませた。僕の安全を脅かした。
……ノートの心が、…幼少の期に塗り潰され、終ぞ情緒の育たなかった未熟な心が、揺れ動く。
「……勇者殿!どうかお止め下さい…! 彼女はまだ幼子なのです、あまり怖がらせては…」
「この殺気が……ただの幼子の放つものか…!?」
「言葉が通じないのです!恐れもしましょう!どうかお引き下さい!これ以上は…!」
「……っ、しかし、これでは…」
『勇者』とリカルドが、なにやら言い争っている。
リカルドば必死になにかを訴えようとしているが、『勇者』は険しい顔のまま。………やはり、聞き入れるつもりは無いようだ。
「んい……だーる、たぅ」
よく、わかった。
「……えあ、いす、んい、……ふぇいあ」
「……ッまずい!ギルバート彼女を」
抑えろ、とディエゴが指示を飛ばす前に、ノートは跳んだ。寝台を軽々と飛び越えた先……サイドテーブルとは寝台をはさんで逆側の壁に立て掛けられていた白一色の剣へ手を伸ばし、
――突如として部屋中に……いや、詰所中に甲高い音が響き渡った。
ノートはほんの一瞬で距離を詰め、白塗りの剣を鞘ごと『勇者』へと叩きつけていた。
それを同じく白い剣で防いだ勇者の技量たるや。リカルドやギムレットをはじめ、一線で戦っている兵士すら、対応できた者は居なかった。
「……とー、で。……とー……で。………とぉー、で」
何ごとか呟きながら、鬼気迫る表情でギリギリと押し込まれる白の剣を、白の剣で受けたまま勇者は呻く。こんな小さな体躯のどこに、こんな馬力が潜んでいたのか。
「ッ……ここは………マズい」
ここは屋内。しかも医務室。周囲には何事かと人が大勢集まってしまっている。こんなところで剣檄など打ち合った日には、怪我人程度では済まないかもしれない。
――瞬間強化。在れ。
距離を稼ぐように剣を押し返し、踵を返して駆け出す。目を見開き硬直する者たちを避け、飛び越え、目指すは建物の外の広い空間……練兵場である。
あの子が彼らを斬り捨てはしないと思いたい……そう願いつつ魔力を剣へ、能動探知を放つと………壁や天井を走るかのように彼らを飛び越え、物凄い速度でこちらに迫る少女を捉えた。
「嘘だろ!?」
咄嗟に屈む。頭上スレスレを白光が駆け抜け、一瞬置いて彼女が壁に着地する。いくら鞘ごととはいえ想像を絶する速さで振り抜かれたそれは、人体を破壊して有り余る威力を秘めているだろう。
嫌な気配を感じ、咄嗟に前方へ跳躍。直後にそこへ少女が飛来する。僅か一拍、息を整えるように構え直し、またしても追撃を開始する少女。
床や壁、周囲の人々を破壊しないよう配慮している点を見ると、『正気を失っている』というわけでは無さそうだが……言動や目付き、そしてなによりその殺意は明らかに異様だ。足を緩めたつもりは無いのに、距離がどんどん詰められる。
こちら瞬間強化を使っているにも関わらず、この有様。彼女も身体強化魔法を使っているのは明らかだろうが…その出力は同じ人族のものとは思えない。人間離れした容姿といい…やはり魔族なのか?
頭を思考に回した僅か一瞬の間に、反応が一気に迫る。慌てて剣を振り抜き、飛来する彼女の剣に合わせて力任せに押し返す。彼女の軽い身体は、大きく後方へと流される。
周囲に響く甲高い衝撃音を余所に、全力で駆け出す。
余計な考え事をしている余裕はない。
気を抜けば一瞬で殺られる。
長らく感じることのなかった死の予感に、身の毛がよだつ。
命がけの壮絶な鬼ごっこは、
周囲に被害が及ばないであろう、開けた場所……練兵場へ辿り着くまで続いた。
彼は、そう言った。
聞き間違いかとも思った。気のせいだとも思った。
けれども。
『心配は要らない。彼らは、安全だ』
間違いでは、なかった。
―――安全。
長らく求めていたものが……安息が、やっと得られたのだ。
先程からいろいろと訊ねてくる、目の前の男性。……竜のような目が印象的な、変わった格好の男性である。
確か、『ディエゴ』と名乗った気がする。
彼は、僕が生まれ(変わっ)て初めての、言葉の通じる人物であった。
隊長たちとケリィさんが退室してしまってから、『ディエゴ』と『ギルバート』、そして僕の三人で、色々な話をすることが出来た。
とはいえ喋っていたのは主に僕とディエゴ。ギルバートは真剣な表情で、彼にとって見知らぬ言葉を交わしている僕たちを注視している。
……その真剣な表情は、心なしかリカルドに似ている気がする。正直かなりの男前だと思う。
その中で、色々と気づくことも出来た。
まず何よりも、何よりも残念なことなのだが………この身体の会話能力が、『お世辞にも優秀とは言い難い』という驚愕の事実だった。
そもそも前世の……まだ人族の鉄砲玉…『勇者』だった頃は、特に他人と会話をするようなことも無かった。そんな機会に殆ど恵まれなかったのもあるが、そもそも進んで会話を試みることが無かった。
……随分とこじらせた、コミュ障だった。
加えて、考えてみればこの身体で他人と会話をしたことなど殆ど無かったのであった。意思の疎通に成功したのは、なんと今回が初めてである。
ふと、魔王の言葉が脳裏をよぎった。
――まだ調整が効くうちに、しっかりと動かして、よーく身体を慣らしておくことだ。
――変に馴染んでしまうと、その癖を取り除くのは結構大変だよ。覚えておくといい。
それを思いだし、血の気が引いた。
ろくに会話をしないまま、気がつけばとうに一年以上が経過していた。口や舌、喉などといった発声器官を、殆ど使用しないまま………一年。
……口下手が治る希望は、きわめて薄いようだ。
『……そう気を落とすな、君はまだ幼い。今まで学ぶ機会に恵まれなかっただけだろう。これから少しずつ学んでいけば良い』
そんなに酷い顔をしていたのだろうか。気がつくとディエゴに慰められていた。未だ幼いうちに親族と死に別れ、満足な教育を受けられなかった。…彼にはどうやらそう写ったらしい。
……しかしながらその推測は誤りであり、本来の原因はもっと根本的なところであった。そのため彼の励ましは実を結ばないであろうことは、他ならぬノート自信が理解していた。
しかしながら……せっかく心配してくれているのを無下にもできず、曖昧な表情で頷くほかなかった。
とはいえディエゴとの会話は、無意味なことばかりでもなかった。中でも他者と意思の疎通を図るために、幾つか言葉を授かったのが大きい。
……今までは、『わからない』という言葉すら、わからなかったのである。
「わかった」
「…わ、たっ、た」
「わ、か、っ、た」
「んん……んいい、……わ、かった。……わたった」
「……まあ、そのうち慣れよう」
………ディエゴの反応を見るに、円滑なコミュニケーションはまだまだ当分先のようだった。
『……それと、君のような娘は『僕』など使わぬ方が良かろう。それは男子の一人称だ。女子の場合『私』が妥当だろう』
余計なお世話だ……とは、ついに言えず。またしても曖昧な頷きを余儀なくされた。
その見返りに、というわけでは無いのだろうが、自分の出自に関しても幾つかの質問を受けた。
これは妥当だろう。この時代の人々にとって、自分は明らかな異質である。警戒を抱かれこそすれ、無闇やたらと歓迎される筈はない。爪弾きにされないためには無理矢理にでも摺り寄り、媚びへつらうしかないのだ。可能な限りの誠意をもって答える。
幸いにして、自分の本来の……今まで使っていた言葉での説明が可能だった。ディエゴ曰く『充分な教育を得ることのできなかった幼子のような言葉』で、であったが。
………ただ、自分が本来遠い昔の人間であったこと。この身体が魔王のものと同位であること。あの島の正体が元魔王城であることなど、『知られたら本格的に危険な情報』は、あえて隠しておいた。……何故か深くは追求されなかった。
少しずつではあるが会話が進み、双方とも収穫が出始めた頃。
表が、にわかに騒がしくなってきた。
感覚強化により感度の上がった聴覚が、扉の外で繰り広げられる、なにやら不穏なトーンの会話を拾った。内容までは伺い知ることは出来なかったが…なにやら穏やかではない雰囲気は、察することが出来た。
『……嫌な感じだな』
『………うん』
ディエゴも気づいたのだろう。言い争う声のうち三人は、よく知った声。ケリィとリカルド、そしてギムレットである。………他にも日頃言葉を交わす兵士や有志お手伝いさん等々、馴染み深い声も聞こえるが、
それらとは別の、聞き覚えのない、剣呑な声があった。
「勇者殿!そこは医務室です!!お止め下さい!」
けたたましい音ともに医務室の扉が開かれ、周囲の制止を振り切り、一人の男が押し入ってきた。
男…というには未だ若いだろうか。歳のほどは十代後半……あるいは二十代前半であろう、年若い青年。彼は探るような目付きで室内を見回し、その視線がディエゴを……そしてノートを捉えた。
「………魔族、か」
「……如何にも」
『ゆうしゃ』と呼ばれた青年が眉根を寄せ、その口を一文字に結ぶ。
『…此度の勇者は、随分と気が短いようだ』
苦笑しながらこちらに話しかけてくるディアゴを余所に、視線は一ヵ所に釘付けになっていた。
……彼の腰横下げられたものを目にし、
それを持つ者……ディエゴの言った『勇者』という概念を認識し……
「…けん? ……それ、……けん。 ………ゆう……しゃ…?」
「……ノート?」
ゆう……しゃ。 ――勇者。
『何故!あの子らを殺した!?』
――唐突に。
遠い遠い昔に消去された筈の、
……失った筈の記憶が甦る。
『何故だ!?答えろ!このゲス共が!!』
ともすると、それは消去ではなかったのか。単に封印されていただけであり、身体が替わったことで封印が解けたのか。……今は、どちらでも良い。
『貴様ら…!何が可笑しい……!何が!!』
『いや……なに。これが笑わずに居られるものか』
『何だと……!』
大切なのは、自分にとってそれが、
『勇者』が、どういう存在だったのかとういこと。
『良いだろう。頃合いだ。……特別に教えてあげよう、ドライツェーン。君の言う『あの子』らが何故、無慈悲に消費されなければならなかったのか』
『……なん……だと?』
僕にとって、勇者とは。
『何故か。君のその問いには、胸を張ってこう答えよう。……君のその身体を……『勇者』を造り出す為だ。なんと言うことはない、君のせいであの子らは殺されたのだ、とね』
『…………なに、を……いって……』
『とはいえ、これ以上刃向かわれても面倒だ。少し早いが…まぁ、許容範囲だ。………処置に回すぞ』
――勇者。
それは夥しい数の犠牲の上に造られた、
僕にとって赦しがたい、忌まわしきモノの名。
それを、 なぜ、 わすれていたのだろう。
けりぃさんが、ないている。
りかるどが、おこっている。
……ああ。やっぱりだ。
おもい、だした。
『ゆうしゃ』は、
「――勇、者」
突如として聞こえた底冷えのする声に、その場の誰もが一瞬耳を疑った。
「ゆう、しゃ、……ゆ、う、しゃ……」
今までの彼女からは想像もできない程冷えきった声色。そして……『勇者』を見据える狂気じみた視線に、息を呑んだ。
当の『勇者』に至っては当然の反応とでも言うべきか……魔族の密会に割って入ったと思った矢先、突如として向けられた異様な気配に気圧され、……そして、
警戒感、………そして僅かな殺気を、放ってしまった。
それが、引き金となってしまった。
(ゆうしゃ。……いまわしい、ゆうしゃ)
僅かに身を屈めて腰の剣に手を伸ばし、警戒を露にする、目の前の『勇者』。
勇者のせいで、あの子たちは死んだ。勇者のせいで、ケリィさんは泣いている。勇者のせいで。……勇者などという存在のせいで。
……それは違う。忌まわしき『勇者』は遠い昔に滅んだ。世界もろとも燃え尽きた。他ならぬ、自分が滅ぼしたのではないか。
ここは違う世界だ。彼は違う勇者だ。もう世界を、勇者を呪う必要はない。自由気ままに生きるって決めたのだろう。
……それこそ関係ない。『勇者』はリカルドを怒らせた。ケリィさんを悲しませた。僕の安全を脅かした。
……ノートの心が、…幼少の期に塗り潰され、終ぞ情緒の育たなかった未熟な心が、揺れ動く。
「……勇者殿!どうかお止め下さい…! 彼女はまだ幼子なのです、あまり怖がらせては…」
「この殺気が……ただの幼子の放つものか…!?」
「言葉が通じないのです!恐れもしましょう!どうかお引き下さい!これ以上は…!」
「……っ、しかし、これでは…」
『勇者』とリカルドが、なにやら言い争っている。
リカルドば必死になにかを訴えようとしているが、『勇者』は険しい顔のまま。………やはり、聞き入れるつもりは無いようだ。
「んい……だーる、たぅ」
よく、わかった。
「……えあ、いす、んい、……ふぇいあ」
「……ッまずい!ギルバート彼女を」
抑えろ、とディエゴが指示を飛ばす前に、ノートは跳んだ。寝台を軽々と飛び越えた先……サイドテーブルとは寝台をはさんで逆側の壁に立て掛けられていた白一色の剣へ手を伸ばし、
――突如として部屋中に……いや、詰所中に甲高い音が響き渡った。
ノートはほんの一瞬で距離を詰め、白塗りの剣を鞘ごと『勇者』へと叩きつけていた。
それを同じく白い剣で防いだ勇者の技量たるや。リカルドやギムレットをはじめ、一線で戦っている兵士すら、対応できた者は居なかった。
「……とー、で。……とー……で。………とぉー、で」
何ごとか呟きながら、鬼気迫る表情でギリギリと押し込まれる白の剣を、白の剣で受けたまま勇者は呻く。こんな小さな体躯のどこに、こんな馬力が潜んでいたのか。
「ッ……ここは………マズい」
ここは屋内。しかも医務室。周囲には何事かと人が大勢集まってしまっている。こんなところで剣檄など打ち合った日には、怪我人程度では済まないかもしれない。
――瞬間強化。在れ。
距離を稼ぐように剣を押し返し、踵を返して駆け出す。目を見開き硬直する者たちを避け、飛び越え、目指すは建物の外の広い空間……練兵場である。
あの子が彼らを斬り捨てはしないと思いたい……そう願いつつ魔力を剣へ、能動探知を放つと………壁や天井を走るかのように彼らを飛び越え、物凄い速度でこちらに迫る少女を捉えた。
「嘘だろ!?」
咄嗟に屈む。頭上スレスレを白光が駆け抜け、一瞬置いて彼女が壁に着地する。いくら鞘ごととはいえ想像を絶する速さで振り抜かれたそれは、人体を破壊して有り余る威力を秘めているだろう。
嫌な気配を感じ、咄嗟に前方へ跳躍。直後にそこへ少女が飛来する。僅か一拍、息を整えるように構え直し、またしても追撃を開始する少女。
床や壁、周囲の人々を破壊しないよう配慮している点を見ると、『正気を失っている』というわけでは無さそうだが……言動や目付き、そしてなによりその殺意は明らかに異様だ。足を緩めたつもりは無いのに、距離がどんどん詰められる。
こちら瞬間強化を使っているにも関わらず、この有様。彼女も身体強化魔法を使っているのは明らかだろうが…その出力は同じ人族のものとは思えない。人間離れした容姿といい…やはり魔族なのか?
頭を思考に回した僅か一瞬の間に、反応が一気に迫る。慌てて剣を振り抜き、飛来する彼女の剣に合わせて力任せに押し返す。彼女の軽い身体は、大きく後方へと流される。
周囲に響く甲高い衝撃音を余所に、全力で駆け出す。
余計な考え事をしている余裕はない。
気を抜けば一瞬で殺られる。
長らく感じることのなかった死の予感に、身の毛がよだつ。
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