勇者が救世主って誰が決めた
12_「しぬ」と「いきる」と「ありがとう」
『勇者よ……死んでしまうとは…情けない』
そんな言葉を、遠い昔に何度か聞いた。
その言葉を発した者は、ある国の重要人物だったのだろう。偉そうな衣装に身を包み、偉そうな態度で見下ろしてきた。
対等なものを見る視線じゃない。
仕方なく言葉を掛けている、といった態度。
……気に入らない。
『仕方のない奴めが………貴様にもう一度機会をやろう。せいぜい働くが良い。
……今後は、この様なことが無いよう、我々も祈っておるよ』
労いの態度を見せようともせず、そいつは吐き捨てた。
そうして僕は、薬槽から出された。
『あーあ。……次はうまくやらないと』
頭の中に、また別の声が響いた。
こちらの感情など気にも留めない口調。
……気に入らない。
死んだと思ったのに、死ななかった。
死ねたと思ったのに、死ねなかった。
そのときの僕は、確かに、………死にたかったのだ。
――――――――――――――――――――――
「しに…たく………なぃ……」
絞り出すような、声と呼ぶには弱弱しい『音』が、口から零れた。
………死にたくない。
安心できる場所が見つかった。
自分なんかを頼ってくれた。
やっと、笑顔で送り出して貰った。
「じに………た、ぐ………っ、ない」
途端に意識が浮上し始めると同時、ただでさえ血色の薄かった顔から、更に血の気が引く。
ボロボロの身体は、どうやら倒れ伏しているようだった。
目が開かない。指が動かない。脚が動かない。
起きなければ。起きなければ戦えない。
戦えなければ、……死ぬ。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
「じに………だ……ぐ……! ……ない゛……!!」
その直後、未だ痛みに蝕まれ続ける身体を、衝撃が襲った。
衝撃は二度、三度と身体を揺さぶり………
……そこから、世界に音が帰ってきた。
「馬鹿野郎!!動かすんじゃねえ!!殺す気か!!」
「意識戻ったぞ!!血清!血清急げ!!」
「布と湯だ!!もっと持って来い!足りねぇぞ!!」
いまだに黒一色の世界に、いきなり喧騒が飛び込んできた。
そこではまるで戦場のような怒号が飛び交っていたが、戦場にあるはずの音……剣戟の音や悲鳴は、聞こえてこない。
かわりに耳から入ってくるのは、怒号。
どんな意味なのか、何を叫んでいるのかは通じないが、
その必死さ、その懸命さは、伝わってきた。
戦場のようで、戦場でない場所。
……ここはいったい、どこなのだろう。
景色の滲んだような、霞がかった頭では、何も考えられなかった。
「大丈夫か!気をしっかり持て!寝るなよ!」
暖かい『何か』が、瞼の上に乗った。
驚き、振り落そうにも、首が動かない。
ならばと掴み取ろうにも……腕が、肘が、指が動かない。
身体が、自分のものではないかのようだった。
瞼を抑えていた暖かい『何か』が、下へとずらされる様に退くと、
真っ暗だった世界に、やっと光が溢れ………
「………まぶしい」
思わず、顔をしかめた。
――――――――――――――――――――――
無数に蠢く魔殻蟲の群れが街壁のすぐ目の前…ほんの眼前に迫ったそのとき。
轟音とともに魔殻蟲の後方……数百匹が、一気に弾け飛んだ。
予想だにしていなかっただろう事態に、動きを止めた魔殻蟲の群れ。
「!! 今だ放て!!手ェ緩めんな!!押せ押せ押せ押せ!!」
号令の下、矢が、ボルトが、石が、炎が、立て続けに放たれる。
手痛い反撃を受けた魔殻蟲はなんとか押し返そうと足掻くものの、勢いを取り戻した石壁の上からの攻撃に攻めあぐね、じりじりと下がり……矢の射程から逃れざるを得なかった。
「何だか知らねぇがチャンスだ!再装填!補充急げ!次に備えろ!」
原因不明の爆発で、魔殻蟲どもも動揺している。そりゃそうだろう、いきなり味方の半分近くが消し飛んだのだ。たとえ蟲頭でも、何かしら警戒するに決まっている。なまじ知恵が回るだけに、不慮の事態に備えざるを得なくなったわけだ。
とはいえ爆発の原因が解らないのはこちらも同じだ。先程は魔殻蟲の只中だったから良かったものの、次はそれがこちらで生じないとも限らない。
情報を得ようと、爆発の中心地へと視線を向け………目を見開いた。
「観測兵!あれは何だ!!」
目の前の魔殻蟲すらも意識の外に置き去りにして、爆心地の様子を食い入るように見つめる。そこでは黒い蟲を蹴散らすように、白い小さな姿が舞ってた。
「白い……子供……? 南砦の制服です!」
「ああ!?子供だ!?」
観測兵から遠見筒を掻っ攫い、その様子を確認する。魔殻蟲を相手取っているのは、紛れもなく子供……しかも少女のようだった。
(…強ぇ…けど……なんで子供が……! それにアイツ…!)
本人は知らないのか気づいていないのか、剥き出しの腕や足には魔殻蟲のおぞましい体液がべったりと付着しており、……それの意味するところを知っていた彼の顔からは、血の気が引いて行った。
「非戦闘員に伝えろ!血清!解毒薬!それと医療布だ!!ありったけ集めさせろ!!」
彼の言葉に、伝令兵…と呼ぶには戦い慣れしていない、彼――住民有志の連絡員は頷き、走り去っていった。
魔殻蟲の恐ろしい点。……それは、その体液に致死性の高い神経毒が含まれている点であった。
矢を射れば刺さるし、剣で叩き斬れば、切れる。『倒せる』という点で見れば、脅威は少ないかのように思える。…だが、完全に遠距離から駆除できるならまだしも、近づかざるを得ない場合においては、脅威そのものと化す。
返り血を一切浴びずに、何十何百と押し寄せる魔殻蟲を駆除し切るなど、不可能に近いからである。
目や口から侵入したら、絶望的。傷口に触れようものなら、血管を通って全身に行き渡る。剥き出しの皮膚に付着すれば、やがて火傷のように爛れる。
そうして毒が体内に侵入したら、焼けるような患部の痛みとともに徐々に神経の働きが鈍り出す。次第に身体が動かせなくなっていくとともに、呼吸や鼓動そのものも麻痺し、……やがて死に至る。
魔殻蟲どもの真っただ中で死闘を繰り広げる少女。彼女の身体が遠からず、取り返しのつかないことになるのは、明らかだった。
「魔法使い殿。あのガキまで道を作ってほしい。…出来るか?」
「やるさ。あれを見殺しにするなんて後味悪い真似……出来るものかよ」
満足のいく返事を受け、彼は大きく頷くと、事の成り行きを見守っていた兵士……弓や弩を持たず、眼前の蟲の到達に備えていた、重装兵達を見やった。
「テメェら出番だ!仕事は簡単!火ン中突っ切ってあのガキを抱えてここまで戻る!そんだけだ!!」
近接用の装備を着込んだ兵士、およそ十五名。皆一様に頷く。
「アイツは恩人だ!恩人を死なせる奴ァ俺が赦さねェしこの街も赦さねェ!!死んでも助けろ!!気合入れろやァ!!!」
「「「応!!!」」」
開門を告げる声と……魔法使いの放った爆炎を合図に、彼らは駆け出した。
自分たちよりも遥かに小さく、
自分よりも遥かに膨大な敵に立ち向かった、
……救世主を救うために。
…………
……………………
「いき、てる」
生きている。
視界を取り戻して初めて解ったことだが、ここは街の中のようだった。
身体は相変わらずぴくりともせず、首すらも動かないが、視線を巡らせ得られた情報から、どうやら最悪の事態を免れられたらしいことを知った。
こちらを見て、笑顔で語りかけてくれる、人。
何があったのか、笑いながら泣き崩れる、人。
口々になにかを喋っているものの、相変わらず何を言っているのかは解らない。
きっと楽しいことのはずなのに。嬉しいことのはずなのに。
「………かな、しい」
……自分は、それがわからない。
――――――――――――――――――――――
街へと担ぎ込まれた少女は、目を覆いたくなるような酷い有様だった。
剥き出しの肌は至るところが爛れ、その皮膚からは更に血が滲み、身体中を真っ赤に染め上げていた。手や足はさらに酷く、細かな裂傷や打撲も多く、内出血でどす黒く変色した個所もあった。焦点の合っていない瞳には血が混じり、ともすると中枢まで回っているのかもしれない。胸の鼓動も弱弱しく、整った脈を刻んではいなかった。既に意識も半ば飛びかけており、声を掛けても反応はなく、時折虚ろに呻き声を上げるばかり。
どこを見ても、末期の様相を呈していた。
症状を見せた十人中十人が、さすがにもう駄目だと思った。
それでも、せめてもの償いにと、惜しげもない懸命な治療が施された。
少女が奇跡的な回復を見せたのは、それからおよそ一刻後のことであった。
……………………………
そこから更に数刻後。
どっぷりと暮れた空の色と、家々から溢れる人々の生活の音。…そしてそれとは別の、多くの人々の楽しげな声が、窓から入ってくる頃。
清潔感のある敷布と、病人用の簡素な衣類に包まれた、小柄な姿。この街の救世主たる少女は今、街の兵員詰め所…その医務室で、絶対安静を言い渡されていた。
その傍らには、この街の防衛部隊隊長…瀕死のノートを安全地帯まで連れ帰った、ギムという名の男と、先程到着した増援部隊の隊長…リカルドが、寝台をはさんで向かい合って…
……睨み合っていた。
(…………めっちゃこわい)
正直逃げ出したい。…逃げ出したいが、首から下が動かせない現状では、逃げ出せる筈もない。オマケにこの部屋の外では、ものすごい人がなにやら集まっているらしい。……さっきからなにかを言い争うような問答が、断続的に聞こえる。
(ひと……いっぱい……)
この雑踏の中、逃走を図るのは……無理だろう。
「何が、不満なんだ?」
ギムと呼ばれた……自分を助けてくれた(らしい)男が、口を開いた。
「何が、だと?…この有様を見て『何が』だと?」
リカルドが絞り出すように、吐き捨てるように言葉を返す。…相変わらず内容は理解できないが、その表情と声色から、その感情を察することは出来た。
「こんな身体に……ボロボロにされて!死ぬ間際まで行ったんだぞ!?むしろ生きているほうが奇跡だ!それを」
「だから、それの何が、不満なんだ?」
「……ッ!?」
怒りを圧し殺したリカルドと、…表面上は、淡々としたギム。その視線が真っ向からぶつかり合い、とてもここから逃げ出したい気持ちでいっぱいです。たすけて。
「解ってねェならもう一回言うぞ。その子をそんな身体にしたのはクソ忌々しい魔殻蟲共だ。そして俺ら……いやこの街は、奴等に喰い尽くされるとこだった。それがこの子のお陰で、……ほんの僅かな犠牲で、生き延びた」
ほんの一瞬、ギムは凄まじい表情を見せた…ような気がした。怒りと悲しみと、嘆きを圧し固めたような、…こわい、表情。
「勿論、この子が助からなかったなら話は別だ。お前のご立腹は尤もだし、…俺らも平静では居られねェよ。
……だが実際はどうだ。街は助かった。この子も大怪我したが助かった。…これが不満か?……テメェはこの街が死ねば良かったってか!?それともこの子が死ねば良かったってのか!?」
「そんな訳があるか!!」
「じゃあ不満なんざ無ェじゃねえかよ!!この現状はその子自身が望んだことなんだろう!誰に指示された訳でもなく!!自分から死地に飛び込んだ!!そしてこの街を救って見せた!!
……それを不満だっつうならなァ!それがその子の意思を!覚悟を!!冒涜してるんだって気付きやがれボケが!!」
……ギムが本格的にブチギレた。声が大きい。めっちゃこわい。もうだめだ。しぬ。
「俺らが!!何も感じてないとでも思ってンのか!!こんな幼子に助けられて!!それなのに俺らはコイツをこんな目に遇わせて!!
……だからってそれを否定したら!コイツの意思を否定しちまったら!!それこそ誰も!誰も浮かばれやしねェんだよ!!」
「……ッ、 ………その……」
「八人だ」
突然切り出された言葉に、場の空気が止まる。
「は…? !!………まさか、」
「ジグハルト、ウルリヒ、ルドルフ、ラトール、オイゲン、カール、アンゼル、…ギース。
……現状が満点じゃねェコトくらい解ってるさ。だからって不満ばっか溢してたら…アイツらに申し訳立たねぇんだよ!……アイツらは誰一人、恨み言なんか遺さなかった。『その子を守れた』って満足気に、最後まで笑ってやがった。……少なくとも俺は、それを無下になんて出来ねェ。現状を受け入れて、無理やりにでも満足するしか無ェんだ」
先程まで飛び交っていた声が、止む。
……ギムが、物凄く悲しそうな顔をしている。
「………ええあ、 ぎむ、……だい…じょ…ぶ?」
二人の視線がこちらを見下ろす。さっきまでの相手を射殺さんとする視線ではなく、どちらかというと驚いたような…心なしか穏やかな視線。
……よかった、危うく目で射殺されるとこだった。
「……なぁ。本当に言葉通じて無ェんだよな?」
「……その筈だが……」
「う? ………ん…んい………??」
何やらこちらを見て言葉を交わしている。…なんだか眉根にしわが寄っている。よくわかならないけど気分を害してしまったのだろうか。
「う、う…………ごねん、なさい」
よくわからないが、とりあえず謝っておこう。そうすればこれ以上立場が悪化することはない……はず。
「違うぞ。嬢ちゃん。ちがう」
『ちがう』?
首を左右に振りながら発せられた、言葉。
おそらくは否定の、言葉。『ちがう』。
……どうしよう。やらかした。殺される。
「う、うう…………ごめ、なさい」
「違ぇんだがなぁ……おいリカルド教えてやれ。テメェんとこの娘ッ子だろ。こういうときお嬢に何て言えば良いんだ?」
「あ、…あぁ」
ギムに諭されるように、リカルドが身を屈める。
顔を近づけ、見下ろすのではなく、顎を引いて視線を合わせて。手をこちらの頭に軽く乗せ、そのまま左右に。軽く、揺するように。
これは………この手つきは、しってる。
心地のいい、どこか心安らぐ感触に目を細め、知らず知らず吐息がこぼれる。
「ありがとう」
やがて穏やかな顔で、リカルドが口を開いた。
「ありがとう。……力を貸してくれて…ありがとう。………助けてくれて……ありがとう。………ッ……生きて、いてくれて……ッ、ありがとう…!」
「?、!? う?…うう!?」
穏やかだった顔がどんどん険しさを増し、ついにはなんと顔を歪めて泣き出してしまった。
そのまま肩を震わせ、ありがとう、ありがとうとうわ言のように繰り返す。
なんでだ。どうしてこうなった。
「ん、んい………ご……ごね」
思わずごめんなさいしようと口を開くと…苦笑しつつもこちらを見守るギムと目が合った。
彼は首を左右に振る。『ちがう』と。
『ごめんなさい』は、『ちがう』。
となると、なんだろう。
さっきリカルドは、なんと言っていただろうか。
それは、どんなときに使う言葉だっただろうか。
………ああ。わかった。
「んい……やうす。
……ありがとう」
頬が、ほころぶ。
思えばそれは、一番最初に、
彼らから教わった言葉だった。
そんな言葉を、遠い昔に何度か聞いた。
その言葉を発した者は、ある国の重要人物だったのだろう。偉そうな衣装に身を包み、偉そうな態度で見下ろしてきた。
対等なものを見る視線じゃない。
仕方なく言葉を掛けている、といった態度。
……気に入らない。
『仕方のない奴めが………貴様にもう一度機会をやろう。せいぜい働くが良い。
……今後は、この様なことが無いよう、我々も祈っておるよ』
労いの態度を見せようともせず、そいつは吐き捨てた。
そうして僕は、薬槽から出された。
『あーあ。……次はうまくやらないと』
頭の中に、また別の声が響いた。
こちらの感情など気にも留めない口調。
……気に入らない。
死んだと思ったのに、死ななかった。
死ねたと思ったのに、死ねなかった。
そのときの僕は、確かに、………死にたかったのだ。
――――――――――――――――――――――
「しに…たく………なぃ……」
絞り出すような、声と呼ぶには弱弱しい『音』が、口から零れた。
………死にたくない。
安心できる場所が見つかった。
自分なんかを頼ってくれた。
やっと、笑顔で送り出して貰った。
「じに………た、ぐ………っ、ない」
途端に意識が浮上し始めると同時、ただでさえ血色の薄かった顔から、更に血の気が引く。
ボロボロの身体は、どうやら倒れ伏しているようだった。
目が開かない。指が動かない。脚が動かない。
起きなければ。起きなければ戦えない。
戦えなければ、……死ぬ。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
「じに………だ……ぐ……! ……ない゛……!!」
その直後、未だ痛みに蝕まれ続ける身体を、衝撃が襲った。
衝撃は二度、三度と身体を揺さぶり………
……そこから、世界に音が帰ってきた。
「馬鹿野郎!!動かすんじゃねえ!!殺す気か!!」
「意識戻ったぞ!!血清!血清急げ!!」
「布と湯だ!!もっと持って来い!足りねぇぞ!!」
いまだに黒一色の世界に、いきなり喧騒が飛び込んできた。
そこではまるで戦場のような怒号が飛び交っていたが、戦場にあるはずの音……剣戟の音や悲鳴は、聞こえてこない。
かわりに耳から入ってくるのは、怒号。
どんな意味なのか、何を叫んでいるのかは通じないが、
その必死さ、その懸命さは、伝わってきた。
戦場のようで、戦場でない場所。
……ここはいったい、どこなのだろう。
景色の滲んだような、霞がかった頭では、何も考えられなかった。
「大丈夫か!気をしっかり持て!寝るなよ!」
暖かい『何か』が、瞼の上に乗った。
驚き、振り落そうにも、首が動かない。
ならばと掴み取ろうにも……腕が、肘が、指が動かない。
身体が、自分のものではないかのようだった。
瞼を抑えていた暖かい『何か』が、下へとずらされる様に退くと、
真っ暗だった世界に、やっと光が溢れ………
「………まぶしい」
思わず、顔をしかめた。
――――――――――――――――――――――
無数に蠢く魔殻蟲の群れが街壁のすぐ目の前…ほんの眼前に迫ったそのとき。
轟音とともに魔殻蟲の後方……数百匹が、一気に弾け飛んだ。
予想だにしていなかっただろう事態に、動きを止めた魔殻蟲の群れ。
「!! 今だ放て!!手ェ緩めんな!!押せ押せ押せ押せ!!」
号令の下、矢が、ボルトが、石が、炎が、立て続けに放たれる。
手痛い反撃を受けた魔殻蟲はなんとか押し返そうと足掻くものの、勢いを取り戻した石壁の上からの攻撃に攻めあぐね、じりじりと下がり……矢の射程から逃れざるを得なかった。
「何だか知らねぇがチャンスだ!再装填!補充急げ!次に備えろ!」
原因不明の爆発で、魔殻蟲どもも動揺している。そりゃそうだろう、いきなり味方の半分近くが消し飛んだのだ。たとえ蟲頭でも、何かしら警戒するに決まっている。なまじ知恵が回るだけに、不慮の事態に備えざるを得なくなったわけだ。
とはいえ爆発の原因が解らないのはこちらも同じだ。先程は魔殻蟲の只中だったから良かったものの、次はそれがこちらで生じないとも限らない。
情報を得ようと、爆発の中心地へと視線を向け………目を見開いた。
「観測兵!あれは何だ!!」
目の前の魔殻蟲すらも意識の外に置き去りにして、爆心地の様子を食い入るように見つめる。そこでは黒い蟲を蹴散らすように、白い小さな姿が舞ってた。
「白い……子供……? 南砦の制服です!」
「ああ!?子供だ!?」
観測兵から遠見筒を掻っ攫い、その様子を確認する。魔殻蟲を相手取っているのは、紛れもなく子供……しかも少女のようだった。
(…強ぇ…けど……なんで子供が……! それにアイツ…!)
本人は知らないのか気づいていないのか、剥き出しの腕や足には魔殻蟲のおぞましい体液がべったりと付着しており、……それの意味するところを知っていた彼の顔からは、血の気が引いて行った。
「非戦闘員に伝えろ!血清!解毒薬!それと医療布だ!!ありったけ集めさせろ!!」
彼の言葉に、伝令兵…と呼ぶには戦い慣れしていない、彼――住民有志の連絡員は頷き、走り去っていった。
魔殻蟲の恐ろしい点。……それは、その体液に致死性の高い神経毒が含まれている点であった。
矢を射れば刺さるし、剣で叩き斬れば、切れる。『倒せる』という点で見れば、脅威は少ないかのように思える。…だが、完全に遠距離から駆除できるならまだしも、近づかざるを得ない場合においては、脅威そのものと化す。
返り血を一切浴びずに、何十何百と押し寄せる魔殻蟲を駆除し切るなど、不可能に近いからである。
目や口から侵入したら、絶望的。傷口に触れようものなら、血管を通って全身に行き渡る。剥き出しの皮膚に付着すれば、やがて火傷のように爛れる。
そうして毒が体内に侵入したら、焼けるような患部の痛みとともに徐々に神経の働きが鈍り出す。次第に身体が動かせなくなっていくとともに、呼吸や鼓動そのものも麻痺し、……やがて死に至る。
魔殻蟲どもの真っただ中で死闘を繰り広げる少女。彼女の身体が遠からず、取り返しのつかないことになるのは、明らかだった。
「魔法使い殿。あのガキまで道を作ってほしい。…出来るか?」
「やるさ。あれを見殺しにするなんて後味悪い真似……出来るものかよ」
満足のいく返事を受け、彼は大きく頷くと、事の成り行きを見守っていた兵士……弓や弩を持たず、眼前の蟲の到達に備えていた、重装兵達を見やった。
「テメェら出番だ!仕事は簡単!火ン中突っ切ってあのガキを抱えてここまで戻る!そんだけだ!!」
近接用の装備を着込んだ兵士、およそ十五名。皆一様に頷く。
「アイツは恩人だ!恩人を死なせる奴ァ俺が赦さねェしこの街も赦さねェ!!死んでも助けろ!!気合入れろやァ!!!」
「「「応!!!」」」
開門を告げる声と……魔法使いの放った爆炎を合図に、彼らは駆け出した。
自分たちよりも遥かに小さく、
自分よりも遥かに膨大な敵に立ち向かった、
……救世主を救うために。
…………
……………………
「いき、てる」
生きている。
視界を取り戻して初めて解ったことだが、ここは街の中のようだった。
身体は相変わらずぴくりともせず、首すらも動かないが、視線を巡らせ得られた情報から、どうやら最悪の事態を免れられたらしいことを知った。
こちらを見て、笑顔で語りかけてくれる、人。
何があったのか、笑いながら泣き崩れる、人。
口々になにかを喋っているものの、相変わらず何を言っているのかは解らない。
きっと楽しいことのはずなのに。嬉しいことのはずなのに。
「………かな、しい」
……自分は、それがわからない。
――――――――――――――――――――――
街へと担ぎ込まれた少女は、目を覆いたくなるような酷い有様だった。
剥き出しの肌は至るところが爛れ、その皮膚からは更に血が滲み、身体中を真っ赤に染め上げていた。手や足はさらに酷く、細かな裂傷や打撲も多く、内出血でどす黒く変色した個所もあった。焦点の合っていない瞳には血が混じり、ともすると中枢まで回っているのかもしれない。胸の鼓動も弱弱しく、整った脈を刻んではいなかった。既に意識も半ば飛びかけており、声を掛けても反応はなく、時折虚ろに呻き声を上げるばかり。
どこを見ても、末期の様相を呈していた。
症状を見せた十人中十人が、さすがにもう駄目だと思った。
それでも、せめてもの償いにと、惜しげもない懸命な治療が施された。
少女が奇跡的な回復を見せたのは、それからおよそ一刻後のことであった。
……………………………
そこから更に数刻後。
どっぷりと暮れた空の色と、家々から溢れる人々の生活の音。…そしてそれとは別の、多くの人々の楽しげな声が、窓から入ってくる頃。
清潔感のある敷布と、病人用の簡素な衣類に包まれた、小柄な姿。この街の救世主たる少女は今、街の兵員詰め所…その医務室で、絶対安静を言い渡されていた。
その傍らには、この街の防衛部隊隊長…瀕死のノートを安全地帯まで連れ帰った、ギムという名の男と、先程到着した増援部隊の隊長…リカルドが、寝台をはさんで向かい合って…
……睨み合っていた。
(…………めっちゃこわい)
正直逃げ出したい。…逃げ出したいが、首から下が動かせない現状では、逃げ出せる筈もない。オマケにこの部屋の外では、ものすごい人がなにやら集まっているらしい。……さっきからなにかを言い争うような問答が、断続的に聞こえる。
(ひと……いっぱい……)
この雑踏の中、逃走を図るのは……無理だろう。
「何が、不満なんだ?」
ギムと呼ばれた……自分を助けてくれた(らしい)男が、口を開いた。
「何が、だと?…この有様を見て『何が』だと?」
リカルドが絞り出すように、吐き捨てるように言葉を返す。…相変わらず内容は理解できないが、その表情と声色から、その感情を察することは出来た。
「こんな身体に……ボロボロにされて!死ぬ間際まで行ったんだぞ!?むしろ生きているほうが奇跡だ!それを」
「だから、それの何が、不満なんだ?」
「……ッ!?」
怒りを圧し殺したリカルドと、…表面上は、淡々としたギム。その視線が真っ向からぶつかり合い、とてもここから逃げ出したい気持ちでいっぱいです。たすけて。
「解ってねェならもう一回言うぞ。その子をそんな身体にしたのはクソ忌々しい魔殻蟲共だ。そして俺ら……いやこの街は、奴等に喰い尽くされるとこだった。それがこの子のお陰で、……ほんの僅かな犠牲で、生き延びた」
ほんの一瞬、ギムは凄まじい表情を見せた…ような気がした。怒りと悲しみと、嘆きを圧し固めたような、…こわい、表情。
「勿論、この子が助からなかったなら話は別だ。お前のご立腹は尤もだし、…俺らも平静では居られねェよ。
……だが実際はどうだ。街は助かった。この子も大怪我したが助かった。…これが不満か?……テメェはこの街が死ねば良かったってか!?それともこの子が死ねば良かったってのか!?」
「そんな訳があるか!!」
「じゃあ不満なんざ無ェじゃねえかよ!!この現状はその子自身が望んだことなんだろう!誰に指示された訳でもなく!!自分から死地に飛び込んだ!!そしてこの街を救って見せた!!
……それを不満だっつうならなァ!それがその子の意思を!覚悟を!!冒涜してるんだって気付きやがれボケが!!」
……ギムが本格的にブチギレた。声が大きい。めっちゃこわい。もうだめだ。しぬ。
「俺らが!!何も感じてないとでも思ってンのか!!こんな幼子に助けられて!!それなのに俺らはコイツをこんな目に遇わせて!!
……だからってそれを否定したら!コイツの意思を否定しちまったら!!それこそ誰も!誰も浮かばれやしねェんだよ!!」
「……ッ、 ………その……」
「八人だ」
突然切り出された言葉に、場の空気が止まる。
「は…? !!………まさか、」
「ジグハルト、ウルリヒ、ルドルフ、ラトール、オイゲン、カール、アンゼル、…ギース。
……現状が満点じゃねェコトくらい解ってるさ。だからって不満ばっか溢してたら…アイツらに申し訳立たねぇんだよ!……アイツらは誰一人、恨み言なんか遺さなかった。『その子を守れた』って満足気に、最後まで笑ってやがった。……少なくとも俺は、それを無下になんて出来ねェ。現状を受け入れて、無理やりにでも満足するしか無ェんだ」
先程まで飛び交っていた声が、止む。
……ギムが、物凄く悲しそうな顔をしている。
「………ええあ、 ぎむ、……だい…じょ…ぶ?」
二人の視線がこちらを見下ろす。さっきまでの相手を射殺さんとする視線ではなく、どちらかというと驚いたような…心なしか穏やかな視線。
……よかった、危うく目で射殺されるとこだった。
「……なぁ。本当に言葉通じて無ェんだよな?」
「……その筈だが……」
「う? ………ん…んい………??」
何やらこちらを見て言葉を交わしている。…なんだか眉根にしわが寄っている。よくわかならないけど気分を害してしまったのだろうか。
「う、う…………ごねん、なさい」
よくわからないが、とりあえず謝っておこう。そうすればこれ以上立場が悪化することはない……はず。
「違うぞ。嬢ちゃん。ちがう」
『ちがう』?
首を左右に振りながら発せられた、言葉。
おそらくは否定の、言葉。『ちがう』。
……どうしよう。やらかした。殺される。
「う、うう…………ごめ、なさい」
「違ぇんだがなぁ……おいリカルド教えてやれ。テメェんとこの娘ッ子だろ。こういうときお嬢に何て言えば良いんだ?」
「あ、…あぁ」
ギムに諭されるように、リカルドが身を屈める。
顔を近づけ、見下ろすのではなく、顎を引いて視線を合わせて。手をこちらの頭に軽く乗せ、そのまま左右に。軽く、揺するように。
これは………この手つきは、しってる。
心地のいい、どこか心安らぐ感触に目を細め、知らず知らず吐息がこぼれる。
「ありがとう」
やがて穏やかな顔で、リカルドが口を開いた。
「ありがとう。……力を貸してくれて…ありがとう。………助けてくれて……ありがとう。………ッ……生きて、いてくれて……ッ、ありがとう…!」
「?、!? う?…うう!?」
穏やかだった顔がどんどん険しさを増し、ついにはなんと顔を歪めて泣き出してしまった。
そのまま肩を震わせ、ありがとう、ありがとうとうわ言のように繰り返す。
なんでだ。どうしてこうなった。
「ん、んい………ご……ごね」
思わずごめんなさいしようと口を開くと…苦笑しつつもこちらを見守るギムと目が合った。
彼は首を左右に振る。『ちがう』と。
『ごめんなさい』は、『ちがう』。
となると、なんだろう。
さっきリカルドは、なんと言っていただろうか。
それは、どんなときに使う言葉だっただろうか。
………ああ。わかった。
「んい……やうす。
……ありがとう」
頬が、ほころぶ。
思えばそれは、一番最初に、
彼らから教わった言葉だった。
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