オブリビオン

ーユーザー

忘却曲線のエピローグ

微かに声が聞こえた、形を留めぬこの現実にそぐわない心地良い響き。その異質が世界を塗り替えてゆく。崩れ行く世界とは裏腹に意識は鮮明となり、秩序の崩壊と共に意識は肉体と同調する。「…ねぇ先輩、先輩?ちょっと…大丈夫ですか?」救済のは後輩の柚子ユズからだった。
「ああ、悪いなちょっと疲れてるみたいだ」伏せていた体を起こし隣の席にいる柚子を見て笑顔を取り繕う、こちらとしては笑顔のつもりだったが、はたから見れば、世紀末な苦笑いにしか見えないことは、加賀谷自身も重々承知の上でいた。
「ここ最近はあまり休めてないからなぁ、もう11時かユズは…」帰れ、とは言えなかった、俺からすればこんな時間までユズが研究室に残るのは好ましく無かったが、俺が寝ている間もA-mdプロジェクトをすすめていてくれたのだ、そんな不躾な事は言うまいと口を閉じる。歯切れの悪さに何気なく呟く「何時間位寝てた?」
 「知らないですよそんなの、私一人残して自分は仮眠だなんて。明日なんですよ期日、ほんと頼れる先輩ですこと」柚子は怒った様子でいたが、半日も作業をしっぱなしの柚子にいつもの様な元気はなく冗談もどこか投げやりな印象を受けた。
 「悪かったな心配かけて、それに一人で作業続けてくれてありがとな、頼れるし、可愛いし、ほんといい後輩を持ったよ、俺は」本心から出た言葉だったが、彼女はそっぽを向いて黙り込んでしまった。「可愛い」はまずかったのだろうか、しかし可愛いものは可愛いのだ背丈は俺より頭一個分小さくて160位だろうか、引き締まった尻に手に収まるくらいの小さな胸、ほんの少し垂れた目に、微かに膨らむ涙袋がより幼さを演出する。影を作らぬ柔らかな鼻梁びりょうは少女の造形の最美に相応しく、くちびるには薔薇蕾ばらつぼみのような艶やかさを纏っている、そんな彼女を可愛いと形容せず何と表せば良いのだろうか。
 そんなことに思考を巡らせている間にも、沈黙は深きを増していた。何と声を掛けるべきか、そんな逡巡を掻き分けて、声を出す。
「あのっ」「なあっ」かぶった、一番よくないパターンだ、こんなのが長引くと互いに気まずくなってそのまま疎遠になって…何てことはユズに限っては絶対にないが、互いにとってメリットの少ないこの時間を続ける気にはなれなかった。
「礼に飯でも奢るよ」再び声を掛ける、昼から研究室にこもっていたせいで、まともな食事をしていないが故の提案だった。
「食事…」ユズは俺の言葉を反芻する「そ、それって!ッデートってことですか」予想とは相対あいたいするベクトルに驚きを通り越して呆れの念すら抱いた、ゆとりの考えることはいまいち・・・・よく解らん、俺も1990年生まれの若干20歳でゆとりなわけだが。「こんな時間に女性を食事に誘うなんて、本当に乙女心がわかっ…」彼女が言い切る前にこう続ける「なら一人で行ってくるか」「そんなのずるいです」言い切ってから口元を抑え睨み付けてくる「卑怯ですぅ」睨むと言うか、ただの上目使いと言うか、俺からすればよっぽどユズの方が卑怯だと思う、が全然気にしてはいない、だって可愛いから。
 弱った彼女もまた一興だが、俺が弱らせた以上取れる責任は取るべきだと思う、男として。
なんて脳内会議をしていると、訝しげにこちらを覗き込んできた「先輩?やっぱりもう少し休みますか?」彼女なりの心配なのだろうが、全くもって逆効果である、カジュアルに身を包む彼女の、より鋭角な上目使いからは、鈍角165度のその先、双極特異点、通称乳首が後光を率いて一足先に夜明けを迎えようとしていた。迫り来る緊張感に息を飲む、事は無かった。彼女の3第奥義の一角、記憶喪失のビンタオールデリートによって、幕末の夜明けは幻想にに終わった。
「いってーーーッ」親父にもぶたれたことないのに、何て思ってはみたものの、この情景を拝む為だと思えば、アムロの倍は軽くいけた。「っえ…エッチなのはダメです……それは付き合っ……」「え?」最後の言葉に思わず首をかしげるが、暇を与えず続けざまに色々な事を口走っては訂正し、挙げ句の果てには「もうお嫁に行けません」などと言って泣き出す始末、いよいよ収拾がつかなくなった頃、救世主の如く比屋定ひやじょう先輩が現れた、先輩は状況を察し、的確にユズを慰にかかった、最年長なだけあって頼りがいがあるってもんだ、年が一つ上ってだけだが。
 ユズが落ち着いた頃には同僚の牧瀬が顔を出していた、ちょうど牧瀬も食事に行く所とのことだったから、4人で夜食会になった。比屋定先輩たっての希望で、ワクドナルドに行くことになった、このタイミングで自分の行きたい店に行くとは抜かり無く最初こそ流石と思ったが、時間も時間な上に、この周辺に日本人の舌に合う店が少ないのがもっともな理由なのだろう、と一人で納得した。
「じゃあ行きますか」と比屋定先輩が音頭をとり、研究室を後にする。
 鍵を閉める前にメールの通知音が鳴っていたが、聞かなかった事にしよう、と心の中で呟き先を歩く先輩を追いかける。


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