椿姫
熊男
きっかけはささいな一言だった。
「麗玉ちゃんも秀麗ちゃんも年頃だねぇ。そろそろいい人見つけないとね」
   
豆腐屋の張おばさんの至極当然という言葉に、麗玉と秀麗は顔を見合わせてしばらく沈黙した。
「……え?」
秀麗と麗玉は照りつける暑い日差しをかきわけるように、家に向かって歩いていた。
「まーた、今年もこの季節がきたのね…」
「あっつーい…」
   
そういえば、と麗玉はある事を思い出して苦笑いした。
「最初は文だったわねぇ…」
   
と、しみじみと呟くと、秀麗の額に青筋が浮かんだ。
「……ったく、どうにかならないのかしらあのトンチンカン男」
   
王の根性叩き直し係を見事完遂して帰ってきてみれば、高級な料紙で文が届く。
差出人は『匿名希望』。
しかも一文のみで意味不明。
例えば__『今日は雨だったので池の鯉が元気だった』__だからなんなのか。
「その次は氷だったわね」
「…門に入らないくらい馬鹿でかいやつね」
「またある時は、卵」
「……茹でてあるやつが大量に。しかも腐ったしね」
「そういや、お花が届いたじゃない」
「………曼珠沙華。別名彼岸花」
   
秀麗は大きくため息をこぼした。
まったく、私が何をしたというのだろうか。
「秀麗、怒っちゃ駄目よ。水分の無駄、暑さが増すだけだわ。
    ひいては家計の無駄よ?」
「……麗玉が思い出させたからよ」
   
ふと秀麗は違和感を感じて歩みを止めた。
   
それにつられるように麗玉も歩みを止め、秀麗の視線の先を見る。
「………何、アレ」
「静蘭」
   
夕刻__帰り支度をしていた静蘭は、耳慣れた声に振り向いた。
そして軽く礼をとる。
「これは、藍将軍に絳攸殿」
「これから帰りなら、一緒しないかい?」
   
楸瑛と絳攸がそろって大きな風呂敷包みをかかげた。
静蘭はすぐに察して頷いた。
「ああ、今日はお夕飯の日でしたね。
   お二人がいらしてから家計が随分助かっているとお嬢様も喜んでいますよ」
   
すっかり恒例となりつつある紅家での"夕食の日"。
   
静蘭の呟きを聞いた楸瑛と絳攸は黙ったまま視線を交わした。
__秀麗と麗玉の手料理をご馳走になりたいと最初に静蘭に告げた時、
   まず返って来たのが『手ぶらでいらっしゃいますか?』であった。
『今年は猛暑で、お野菜が高いそうです』とも。
『お嬢様はお客様がいらした時は家計を顧みずご馳走をお出しするんですよ』とも。
まぁ、その後も淡々と嫌味というか指示というか。
彼らが今日も風呂敷包みいっぱいに食材を持ってきたのは静蘭の脅迫…もとい、"教育"の所以といえよう。
「……おや?」
   
邵可邸に帰ってきた静蘭は、ただよってくる匂いに首を傾げた。
「……お嬢様?どなたかいらっしゃるんですか?」
「あ、静蘭」
「お帰りなさい。絳攸様も藍将軍もお出迎えできなくてごめんなさい」
   
扉を開けた瞬間目に飛び込んできたのは、
   長すぎる前髪と伸び放題の髭に隠れた顔にせっせとご飯をかきこむ男の姿。
お世辞にも綺麗とは言えず、不審者にしか見えない。
   
その時、絳攸の持っていた鶏が覚醒し、暴れ始めた。
絳攸は驚いて手を離し、静蘭は捕まえようとして反射的に手を引いた。
   
ぶぅんと低い音がしたと思ったら、鶏が空を飛んだ。
そのまま不審者男の手を収まる。
「往生際の悪ぃ鶏だなぁ」
   
鶏は気を失っていた。
静蘭は男の手に長棍が握られているのに気付いた。
   
武人にしかわからないが、彼はとてつもなく強い。
   
棍で鶏の足を払い、空中で殺さない程度に急所を打ったのだ。
「……誰です、あなた」
「なんだよ、怖い目ぇして。せっかく鳥くん捕まえてやったのに」
   
ほい、と鶏を受け渡す時、男は静蘭の顔をとっくりと眺めた。
「………何か…」
「いやいや………もしかしてお前……"小旋風"…」
   
その呟きを聞いた途端、静蘭は男の襟首を掴み、扉の外に投げ、鶏を楸瑛に投げ渡した。
この間3秒。
   
男を壁に追い詰め、ぐいっと髭をかき分け、左頬を見る。
   
痛いとか男がぼやいているが気にしない。
左頬には十字傷があった。
静蘭には嫌というほど覚えがあった。
「お前……もしかしなくても燕青か」
「当たり〜。いやぁまじで久しぶりだなぁ」
「なんっっで貴様がここにいる!今すぐ出てけ。なんなら紹介状も書いてやる」
   
燕青は大袈裟に驚いて顔をしかめた。
「うぇー冷たいお言葉。仮にも親友にむかって」
「誰が__」
「静蘭?どうしたの突然」
   
静蘭が言葉を発する前に、秀麗がひょっこり顔をのぞかせた。
「いいえ、何でもありませんよお嬢様」
   
静蘭は実に久しぶりに表情筋を総結集させて笑顔を作った。
「まったく、こんなものを迂闊に拾っては駄目でしょう」
「え、だって、お腹すいて死にそうだっていうんだもの」
「はははは。死にませんよええ保証します。
   ですから今すぐ捨ててきましょう今すぐに」
   
 
何だかいつもと様子が違う。
笑い方も乾いている。
   
すると、その後ろからひょこりと麗玉も顔をのぞかせた。
「ちょっと静蘭。絳攸様も藍将軍もお待たせしてるんだから。えと…」
「あ、俺燕青」
「そう、燕青さんもどうぞ入って?今日はご馳走なの。秀麗も。早く手伝ってー」
「あ、うん!じゃあ、静蘭も早くね」
   
麗玉の一言で秀麗も居間に戻っていった。
   
燕青はふっと笑った。
「…静蘭……か。いい所に拾ってもらえたじゃん」
「いいか、昔の事をちらとでも言ってみろ。貴様の首をかっ飛ばす」
   
燕青は破顔した。
「麗玉ちゃんも秀麗ちゃんも年頃だねぇ。そろそろいい人見つけないとね」
   
豆腐屋の張おばさんの至極当然という言葉に、麗玉と秀麗は顔を見合わせてしばらく沈黙した。
「……え?」
秀麗と麗玉は照りつける暑い日差しをかきわけるように、家に向かって歩いていた。
「まーた、今年もこの季節がきたのね…」
「あっつーい…」
   
そういえば、と麗玉はある事を思い出して苦笑いした。
「最初は文だったわねぇ…」
   
と、しみじみと呟くと、秀麗の額に青筋が浮かんだ。
「……ったく、どうにかならないのかしらあのトンチンカン男」
   
王の根性叩き直し係を見事完遂して帰ってきてみれば、高級な料紙で文が届く。
差出人は『匿名希望』。
しかも一文のみで意味不明。
例えば__『今日は雨だったので池の鯉が元気だった』__だからなんなのか。
「その次は氷だったわね」
「…門に入らないくらい馬鹿でかいやつね」
「またある時は、卵」
「……茹でてあるやつが大量に。しかも腐ったしね」
「そういや、お花が届いたじゃない」
「………曼珠沙華。別名彼岸花」
   
秀麗は大きくため息をこぼした。
まったく、私が何をしたというのだろうか。
「秀麗、怒っちゃ駄目よ。水分の無駄、暑さが増すだけだわ。
    ひいては家計の無駄よ?」
「……麗玉が思い出させたからよ」
   
ふと秀麗は違和感を感じて歩みを止めた。
   
それにつられるように麗玉も歩みを止め、秀麗の視線の先を見る。
「………何、アレ」
「静蘭」
   
夕刻__帰り支度をしていた静蘭は、耳慣れた声に振り向いた。
そして軽く礼をとる。
「これは、藍将軍に絳攸殿」
「これから帰りなら、一緒しないかい?」
   
楸瑛と絳攸がそろって大きな風呂敷包みをかかげた。
静蘭はすぐに察して頷いた。
「ああ、今日はお夕飯の日でしたね。
   お二人がいらしてから家計が随分助かっているとお嬢様も喜んでいますよ」
   
すっかり恒例となりつつある紅家での"夕食の日"。
   
静蘭の呟きを聞いた楸瑛と絳攸は黙ったまま視線を交わした。
__秀麗と麗玉の手料理をご馳走になりたいと最初に静蘭に告げた時、
   まず返って来たのが『手ぶらでいらっしゃいますか?』であった。
『今年は猛暑で、お野菜が高いそうです』とも。
『お嬢様はお客様がいらした時は家計を顧みずご馳走をお出しするんですよ』とも。
まぁ、その後も淡々と嫌味というか指示というか。
彼らが今日も風呂敷包みいっぱいに食材を持ってきたのは静蘭の脅迫…もとい、"教育"の所以といえよう。
「……おや?」
   
邵可邸に帰ってきた静蘭は、ただよってくる匂いに首を傾げた。
「……お嬢様?どなたかいらっしゃるんですか?」
「あ、静蘭」
「お帰りなさい。絳攸様も藍将軍もお出迎えできなくてごめんなさい」
   
扉を開けた瞬間目に飛び込んできたのは、
   長すぎる前髪と伸び放題の髭に隠れた顔にせっせとご飯をかきこむ男の姿。
お世辞にも綺麗とは言えず、不審者にしか見えない。
   
その時、絳攸の持っていた鶏が覚醒し、暴れ始めた。
絳攸は驚いて手を離し、静蘭は捕まえようとして反射的に手を引いた。
   
ぶぅんと低い音がしたと思ったら、鶏が空を飛んだ。
そのまま不審者男の手を収まる。
「往生際の悪ぃ鶏だなぁ」
   
鶏は気を失っていた。
静蘭は男の手に長棍が握られているのに気付いた。
   
武人にしかわからないが、彼はとてつもなく強い。
   
棍で鶏の足を払い、空中で殺さない程度に急所を打ったのだ。
「……誰です、あなた」
「なんだよ、怖い目ぇして。せっかく鳥くん捕まえてやったのに」
   
ほい、と鶏を受け渡す時、男は静蘭の顔をとっくりと眺めた。
「………何か…」
「いやいや………もしかしてお前……"小旋風"…」
   
その呟きを聞いた途端、静蘭は男の襟首を掴み、扉の外に投げ、鶏を楸瑛に投げ渡した。
この間3秒。
   
男を壁に追い詰め、ぐいっと髭をかき分け、左頬を見る。
   
痛いとか男がぼやいているが気にしない。
左頬には十字傷があった。
静蘭には嫌というほど覚えがあった。
「お前……もしかしなくても燕青か」
「当たり〜。いやぁまじで久しぶりだなぁ」
「なんっっで貴様がここにいる!今すぐ出てけ。なんなら紹介状も書いてやる」
   
燕青は大袈裟に驚いて顔をしかめた。
「うぇー冷たいお言葉。仮にも親友にむかって」
「誰が__」
「静蘭?どうしたの突然」
   
静蘭が言葉を発する前に、秀麗がひょっこり顔をのぞかせた。
「いいえ、何でもありませんよお嬢様」
   
静蘭は実に久しぶりに表情筋を総結集させて笑顔を作った。
「まったく、こんなものを迂闊に拾っては駄目でしょう」
「え、だって、お腹すいて死にそうだっていうんだもの」
「はははは。死にませんよええ保証します。
   ですから今すぐ捨ててきましょう今すぐに」
   
 
何だかいつもと様子が違う。
笑い方も乾いている。
   
すると、その後ろからひょこりと麗玉も顔をのぞかせた。
「ちょっと静蘭。絳攸様も藍将軍もお待たせしてるんだから。えと…」
「あ、俺燕青」
「そう、燕青さんもどうぞ入って?今日はご馳走なの。秀麗も。早く手伝ってー」
「あ、うん!じゃあ、静蘭も早くね」
   
麗玉の一言で秀麗も居間に戻っていった。
   
燕青はふっと笑った。
「…静蘭……か。いい所に拾ってもらえたじゃん」
「いいか、昔の事をちらとでも言ってみろ。貴様の首をかっ飛ばす」
   
燕青は破顔した。
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