椿姫
帰路
茶太保の陰謀の件からすでに一月が経とうとしていた。
「はやいわねぇ。もう一月も経つのね」
「私ももうここにいる意味はないんですけれどね」
「だめよ!一日で回復した私達と違って、静蘭は重傷だったんだから」
「そうよ!麗玉の言う通りよ、静蘭。
    それに王様持ちの完全看護なんだから遠慮することもなし!」
   
ぐっと握りこぶしをつくる秀麗に、麗玉は笑った。
   
茶太保はあの後、死体で発見された。
しかし彼の指についていた茶家の当主たる証の指輪は忽然と消えていたという。
あの事件はうやむやにされ、茶太保自身の死も、原因不明の頓死ということで片付けられた。
「ねぇ、二人とも。明日家に帰りましょ?」
   
静蘭と麗玉は顔を見合わせた。
「主上が寂しがりますね」
「なんて伝えるつもり?」
「もう伝えたわ。それがね?『そうか』としか言わないのよ!?」
   
怒る秀麗を静蘭が宥めている隙に庭院に降りた。
きっと最後になるだろうから、見ておこうと思ったのだ。
   
ふらふらと歩いて、ある一本の椿の前で歩を止めた。
   
だから、彼が来ても驚かなかった。
「この椿……本当に綺麗ですね。藍将軍」
「うん。ここの椿、見せてあげたかったんだ」
「本当に綺麗………。教えていただいてありがとうございました」
「いや、麗玉殿の為ならいくらでも」
   
二人とも自然と無言になる。シンとした空気が心地よかった。
楸瑛はちらりと麗玉を見た。
麗玉は嬉しそうに椿を眺めていた。
「……明日、帰るんだってね」
   
麗玉は少し驚いて隣を見た。
楸瑛と目線があって、にこりと微笑まれた。
慌てて目線を逸らした。
   
この飄々とした将軍なら、どんな情報でも手に入れるだろう。
「今度手料理を食べに行ってもいいかな?」
「私はいいですけど…。
    秀麗は『材料費持ってきてくださったら喜んで☆』って言いますよ?」
   
楸瑛は妙に納得してしまった。
……確かに某屋敷を切り盛りする主婦と化している秀麗なら、多分、いや、絶対そう言うだろう。
「それじゃあ、また後で」
   
そう言うともと来た道を戻って行った。
「お世話になりましたーっ!」
   
秀麗の元気な声が空に響く。
城門には国王劉輝、吏部侍郎絳攸、楸瑛、珠翠が見送りに来てくれた。
   
しかし、依頼主の霄太師がいない。
「でも、残念だわ。霄太師にもご挨拶をしたかったのに」
「秀麗、あのくそじじいに騙されてたいかんぞ…」
「え?騙すって…?
   あぁ!もしかして霄太師、約束の謝礼金を踏み倒すつもりじゃないわよねぇーー!」
   
劉輝はふっと鼻で笑い、目を逸らした。
「秀麗は金目当てで余に嫁いだうえに、余を弄んで捨てるのだな…」
「ちょっと人聞きの悪い事言わないでちょうだい!正当報酬と言いなさいよ!」
   
もはや痴話喧嘩にしか見えないのは何故だろう。
「秀麗、あのくそじじいに掴まされた手切れ金はいくらだ」
   
秀麗はえっへんと胸を張った。
そして右手をずぃっと突き出した。
「金五百両よ」
「安い!秀麗待つのだ!余ならその三倍__」
「はーいはいはい、そこまで」
   
暴走しだした劉輝の口を楸瑛は手で塞いだ。
むぐぐ!?と劉輝は抵抗する。
その耳元で楸瑛は囁いた。
「しつこい男は嫌われますよ。再挑戦、するんでしょう?」
   
そういうと、劉輝はぐっと黙った。
その肩を抱いて、楸瑛は秀麗に笑いかけた。
「秀麗殿、今度手料理をご馳走してくれるかな?」
   
秀麗はにこりと笑い、言い放った。
「材料費持ってきてくださったら喜んで☆」
   
楸瑛は黙った。
そして麗玉を見る。
目があって二人でこっそり、吹き出した。さすが双子である。
「嘘ですよ!いつでも来てください!」
(絶対嘘だ…!目がマジだ…)
   
秀麗はその間にも珠翠に話しかけていた。
   
最後に秀麗は劉輝に向かい合った。
彼に言う言葉はもう決まっていた。
「…さよなら」
「……」
   
劉輝は穏やかに微笑む秀麗の顔に、すばやく顔を傾けて近づけた。
   
静かな雰囲気の中、ちゅっと音がなる。
   
絳攸はげっと顔をしかめ、楸瑛は興味深そうに二人を見つめ、
   珠翠・邵可は目を丸くし、静蘭は麗玉の目を覆った。
   
劉輝がそっと唇を離すと、秀麗は我にかえり、真っ赤になって怒った。
「あああ、あんた!こ、こんな公衆の面前でぇぇ!」
「余は悪いことをしたと思っていないから、平手は受け付けぬ」
   
そして、これは黙っていたゆえ平手は甘んじて受けよう、といい、爆弾を投下した。
   
ばちーーんと乾いた音が蒼空に響いた。
____彼は両刀なのだという。
__始まりのはこうして終わる。
   
王を支え導いた貴妃も、妓楼を渡り歩いた左羽林軍将軍の心を射抜いた王宮楽士の存在も人々に知られることはなかった。
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