魔女がいない森と落としモノ
予期せぬ落としモノ 2
あれから。
少年を拾って来てから2日が経過したが、依然として少年が目覚める気配はなかった。死んではいない。だが、未だ目覚めもしない。そんな昏睡状態が続いているが、別に焦りはしなかった。そんなものか、と楽観視すらしている。
そもそも、人間の自己修復能力なんてものは高が知れているのだ。自分や同胞のように驚異的な自己再生能力を持ち得ない人間の自己治癒、自己修復なんてものは自分たちにとっては気休め程度のものにしか思えない。
「────そうだ」
蝋人形のような顔色をしている少年の寝顔を見ていたブランは椅子から立ち上がると、自分の洋服一式を引っ掴んで持ってきた。
血塗れの服なんて衛生的に問題があるし着替えさせてやろうかと思い立ったのだが……いやいやいや、とすぐに首を横に振る。よくよく考えれば、まだ未成熟のものとはいえ不用意に異性の肢体を見るべきではない。そう考えたブランは早々に着替えさせることを諦めた。……起きるか死んだかした時にでも着替えさせればいいだろうか?
せめて清拭くらいしてやろうと、魔法で濡らしたタオルを片手に少年の服を捲って────。
「…………っ」
思わず息を呑んだ。二の句が告げられない。
少年の身体全体には無数の傷の痕が在った。裂傷や火傷の痕は結界の防御装置働いたが故のものだとして────この打撲痕はなんだろうか。範囲が小さいものから大きいもの、黄緑色になっている箇所や青紫色になっている箇所があった。
一目見て理解した。これは、日常的に暴行を加えられている痕だ。
ブランは無意識のうちに己の唇を噛んだ。あまりにも強く噛み過ぎたのか、プツリと唇の端が切れる。それをはしたなくも舌舐めずりで拭ってみせれば、口腔内に鉄錆の味が充満した。……自分の血はなんとも不快で、どこまでも忌々しい味をしていた。
黒髪の子供。それすなわち、忌み子。
いくら時代が移り変わろうとも、変わらず忌み子は虐げられ迫害されているのだと、まざまざと感じさせられた瞬間だった。
痛々しい身体を優しく丁寧に拭いたあと、ブランはサイドテーブルに置いたままの羊皮紙を手に取った。その紙をまずふたつに、そして続けざまにもう半分に折り、そっと唇を寄せる。
それは────接吻。
チュッと軽いリップ音を立てたブランは口早に簡易詠唱を吐いた。身体から魔力が抜けていく感覚がして、術式が正常に展開し始めたことを知る。
刹那。紡、と輝く光がブランの口から溢れ出した。外へと出た光は数秒のあいだ宙を舞い、吸い込まれるようにして羊皮紙の中に入っていく。光を粗方吐き出したブランは、仕上げに羊皮紙へと息を吹き掛けた。すべての光が羊皮紙に吸い込まれる様子を見届けたあと、羊皮紙を封筒に入れて封をする。
すると、見計らったかのように封筒の表面にじわじわと文字が浮かび上がってきた。炙り出しのように浮かんでくる文字を見ると『アズールの森の魔女 様』と書いてある。
「うん、問題ないね」
滞りなくことを終えて、ひとり頷く。そして、お使いを頼むべく従属魔を呼び出す。
「クロエ」
『はいなのねっ』
「クロチカ」
『はいなのだっ』
「────おいで」
待ってましたと言わんばかりの喜色を滲ませた年若い男女の声が聞こえる。直後、ブランの影が不自然に揺れて黒い塊が飛び出してきた。
『来たのねっ!』
音を拾っているのか長い耳をピコピコと動かすクロエが足元に擦り寄ってくる。
『来たのだっ!』
大きな尻尾をゆらりゆらりと揺らしているクロチカがワフッと一鳴きした。
きらきらと透き通るあげはのような羽を持つクロエと、額に一対の五角水晶を持つクロチカはクロウヴィスの下位存在にあたる。クロウヴィスと同様に姿を模しているだけであって、これが本来の姿ではない。近しい生物で言えばクロエは精天兎、クロチカは黒狗だ。
「ふたりでこの手紙を届けてくれる?」
クロエに封筒を渡す。前足で器用に受け取ったクロエが封筒に書かれている宛名を見るとゲッと難色を示した。その声に反応したクロチカが封筒を覗き込んで────クロエとまったく同じ反応をしてみせる。
『えー……イヤなのねっ、クロチカだけ行けばいいのねっ!』
『クロチカも嫌なのだっ! クロエだけ行けばいいのだっ!』
『あんなやつのとこに行きたくないのねっ! か弱い女の子のクロエを気遣ってほしいのね!!』
『クロエが女の子なら、クロチカは紳士的にレディファーストをするのだ! さっさとあの変態のとこに行ってこいなのだ!!』
『……やるのね?』
『……やるのだ?』
『『────やる』』
そう言うや否や、バチバチと放電をし始めるクロエと氷の礫の生成に入るクロチカ。互いに殺気を隠さず────もはやダダ漏れ状態────対峙する擬似動物たちを見たブランは肩を落とした。苦笑を零しつつ眼下で繰り広げられている光景を眺めていると、いまのいままでささくれ立っていた感情が落ち着いていくのを感じた。
「結局そうなるんだね?」
ちなみにこのふたりの言っているやるは殺す的な意味合いを持つほうの、やるだ。
クロエやクロチカに限ったことではないが、彼等に類する存在に死という概念は存在していない。大元が消滅しないかぎり何度でも蘇る事が出来るのだ。そのせいなのかは分からないが、このふたりは互いの意見が食い違った時は相手を殺す勢いで喧嘩をする。
『負けたほうがアズールの森に行く刑なのね!』
『いいのだっ、負けたほうが罰ゲームなのだ!』
「ボクのお使いは刑罰かなにかの類なの?」
『ぜーったいクロエが勝つのね!!』
『クロエなんか瞬殺なのだっ。クロチカが勝つに決まってるのだっ!!』
「聞いているかい?」
聞いていない。
もう両名ともブランの言葉に聞く耳なんぞ持っていなかった。というよりかは、とっくに捨てていた。
ハァ……と嘆息する。普段はとても素直で愛らしい子たちなのだが────アズールの森に赴くのが相当嫌らしい。いや、あの森に行くことを拒否しているというよりは、アズールの森の魔女に対して相当なトラウマがあるように思える。
いったいなにをされたというのだ。
自分にとって、かの森の魔女は長い付き合いのある友人のようなものだ。こんなに嫌がっているふたりを無理やりお使いに行かせるような真似をせずとも、自ら出向いて用件を伝えればいいだけのこと、なのだが。
────この子供を放っておくわけにもいかない。
「敷地内で死なれたら困るから」という自分勝手な都合で少年を拾ってきた手前、放置して出掛けることに気が引けていた。かと言って、留守番としてクロエとクロチカを残して行くわけにも行かない。
クロエとクロチカはただの動物などではない。自分が使役している魔物なのだ。魔物に友好的な人間をブランはただの一度でさえも見たことないし、おそらくはこの少年も魔物に好意を持ってはいないだろう。そんな彼の元にふたりを残してみろ、寝室がアカに染まる。誰のアカなのかは言わないが。
運悪く容体が悪化して死んでしまった場合は速やかに埋葬しなければならないし……何より、あの呪詛に塗れた短剣と少年がなんの結び付きもないとは思えない。僅かながらにも関係があるはずで、そしてその仮定が合っていた場合はなんかしらの対処をしなければならない。
確認するまでは目を離すわけにはいかないのだ。
仕方ない、と腹を括ったブランはふたりのそばに蹲み込む。
「ねえクロエ、クロチカ。……お願い」
そして声音を一段階高くして話し掛けた。優しく、穏やかに。滅多に出さない、おねだり声。
甘えるように「キミたちだけが頼りなんだよ」と言えば、一触即発状態のふたりがピタリと止まった。怒るように迸っていた雷も、空気すら裂けそうだと思わせるほど鋭利な氷柱も一瞬で霧散する。
『……ご主人様はクロエを頼りにしてくれているのね?』
『……主様はクロチカを頼ってくれているのだ?』
しれっと片割れを蹴落とそうとしているクロエとクロチカに小さく頷いてみせる。
「うん、ふたりとも凄く頼り甲斐がある。とても頼りにしているよ」
ふたりの言葉をさらりと流しつつ持ち上げれば、兎と狼は側から見ても分かるほどにデレーッと顔を緩ませる。嬉しそうに瞳をキラキラ輝かせる様は、本当に素直な子供そのものだ。
クロエはぴょーんっとその場で何度も跳躍し、クロチカはブランの周りを忙しなく走り回ってみせた。
そして、
『行ってくるなのねっ!』
『行ってくるなのだっ!』
「うん、行ってらっしゃい。気を付けてね」
ふたりはピューンと音がしそうなほどの勢いで出掛けて行った。さながら突風のようだった。
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