魔女がいない森と落としモノ

Vib

予期せぬ落としモノ1

 



 ピィーッ、ツィチチチチと小鳥がさえずり、その声に応えるかのように別の小鳥が可愛らしい声を上げる。風が吹くたびに葉が擦れ、軽やかに唄う。
 それらを耳にしながら慎重に足を進めていく。落ちている小枝を踏み締めるとパキリ、パキリと小さく音を立てて折れた。
 木々が生い茂っている森の中を歩き回りながら、ブランは執拗とも言える程に周囲を確認した。目を凝らして辺りを警戒する。今のところ目につく異変はないが油断ならない。
 今朝方、森の中奥から深部の境界に張り巡らせていたはずの結界の一部が破損した気配がしたため、ブランはこうして見回りと確認を兼ねて哨戒しょうかいし続けているのだ。
 ならまだしも、。これは異常事態だ。誰かが無理やり結界を破り深部への侵入をこころみたということになる。

 歩を進めていくと、ふとなにかが視界の端をかすめた。地面に視線を落とすと、ごく一部がきらりと光っている。

 興味を惹かれて近付いて見てみると、そこには一本の短剣が落ちていた。

 柄の部分に色とりどりの宝生が埋め込まれているそれは、施工を凝らした逸品のよう。成長した木々が作っている陰の下で存在を主張するかのように煌めいていて、思わず魅入ってしまう。最早芸術とも呼べる美しさだった。
 しばしのあいだ見惚れていたブランだったが、ハッと我に帰ると慌ただしく視線を彷徨わせる。何故こんな森の中腹に短剣が転がっているのだろうか。あまりにも不自然過ぎる。
 ブランがキョロキョロと周囲を見渡すと、輝石を散りばめた短剣の近くに随分と大きい塊も転がっていることに気が付いた。何やら黒い。魔物の類が死んでしまったのだろうか? と考えたブランはその物体に近くに行こうとして────その場で固まった。

 魔物の亡骸なきがらなどではない。────子供だ、のだ!


 「────は?」


 堪らず、声を上げる。滅多なことでは動揺しないと自他共に認めているブランだが、流石にこれは動揺しないほうが無理なはなしだった。イレギュラーなことが起こっているのは分かっていたが、想像していたイレギュラーとは別物だ。何というか、異常さが予想の斜め上をいっている。
 そもそも普通の人間は中奥と深部の境界に辿り着くのも困難なはずなのだが、これはどういう状況だろうか?

 それは、見たところ12、13歳くらいの男児だった。全体的に火傷と裂傷が目立ち、その身体からは血が流れ続けている。おそらくは結界に織り込まれていた迎撃術式で負った傷だろう。小声で「もしもーし」と話し掛けてみたが気を失っているのか、返事はない。
 意識がないらしいことを知って近寄ってみた。ジッと観察してみるが少年の呼吸は浅く、そして荒い。


 「出血多量に加えて焼け爛れケロイド状態、か。これは長くはたないね」


 冷静に分析する。この状態だと少年が生き長らえる確率は限りなくゼロに近い。いわゆる虫の息、だ。
 この森の最奥に住居を構えて生活しているブランにとって、森全域が自分の家の庭のようなものだ。誰だっておのが家の庭先を遺体安置場にしたくはないだろうし、ブランだって遺体を野晒しにしておく趣味はない。そして、この少年は放っておけば半日と保たず死体と化すだろう。そう思わざるを得ないほどの傷をこの少年は負っている。

 つまりは。このまま捨て置けばこの場が遺体安置所に様変わりしかねないことを意味していた。それは御免被りたい。


 「ねえ、キミ。ここで死なれても困るのだけれど」


 距離を詰めて様子を窺ってみる。駄目元で声を掛けてみるものの、意識を失っている少年からは当然応答は無かった。
 小さな身体から血が流れ出ている様を見下ろしたブランはハァ……と溜息を吐く。頭を覆っていたフードを深く深く被り直すと、とある名前を呼んだ。


 「────クロウヴィス」

 『どうした。我らが愛し子』

 「来て」

 『嗚呼ああ


 短い呼び掛けに即座に応えたのは、若い男の声だった。艶のあるテノールボイスは、もう随分と耳に馴染んでいる。威厳を感じさせるこの声の持ち主は自分にとって絶対的な存在であると同時に、自分の忠実な僕だ。

 ゾルリ。不意に体内からなにかが抜かれた感覚がした。────彼が来る、そう悟った刹那。

 突如として、ブランの影が。ウゴウゴとまるで意思をもっているかのように動く影はどんどん伸びてはを増していく。膨張を繰り返した影はただの虚影から確かな質量を持つ巨大な漆黒の塊と化し、その数秒後にパァン! と大きな破裂音を伴って勢い良く弾ける。

 そうして、


 『逢いたかったぞ、我が伴侶』


 弾けて消えてしまった巨塊の代わりかのように、いつの間にか一頭の漆黒の馬が佇んでいた。……否、馬と呼ぶには少々語弊があるだろう。この生物に近しい生き物が、馬の他にもあるのだ。

 ────その名も、一角聖獣ユニコーン

 幻想魔獣、通称:幻獣に指定されている一角聖獣ユニコーンは本来純白の巨躯に透明水晶の一角を持っているのだが、この一角聖獣ユニコーンの体毛は星月が一切ない夜の空を切り取ったかのように黒く、また潔白の証拠足らしめるはずの角は禍々しくも美しい真紅色スカーレツ・トリカだ。彼こそがブランの良き理解者であり共生者のクロウヴィス。ちなみに一角聖獣《ユニコーン》の姿はあくまで模しただけであって、彼自身が一角聖獣そうなわけではない。


 『尊き我が花嫁────なにが望みだ。我が叶えてやろう』

 「この子を家まで運んでほしいのだけれど」


 足元を指差しながら呼び出した用件を伝える。


 『……この子、だと?』


 現在居る場所は中奥で、家がある最奥地からは少し距離があるのだ。転移魔術を行使すれば一瞬で着くのだが、魔力の消費量が凄まじくて術後は疲労感と酷い睡魔に襲われてしまうため避けたい。かといって少年を担いで家に帰るだけの腕力などブランは持っていない。

 そう素直に白状すれば、一角聖獣クロウヴィスの声が一段階低くなった。血のように赤い瞳をすがめて少年を睥睨へいげいしている。


 「そう、その子。ああ、ひづめで蹴り飛ばしたりしないでね?」

 『……愛し子よ、我にコレを運べと言ったか?』

 「うん。流石にこの距離は運べる気がしないんだもの。お願い」

 『ハァ…………わかった』


 嫌悪に塗れた声で、それでもなんだかんだ言いつつ願いを聞き届けてくれるクロウヴィスに礼を言う。クロウヴィスはその場で身体を低く屈めて、ふと思い出したようにこちらに問いを投げてきた。


 『連れ帰るのは構わないが、コレに慈悲を懸けたとして代償はどうする』

 「ああ、これはボクの勝手な事情にこの子を巻き込むだけだから。代償も対価も不要だよ」

 『そうか。くれぐれも見誤るなよ』


 それは短い忠告だった。
 そう言ったきり口を閉ざしたクロウヴィスにひとつ頷いてみせたブランは「よい、せ……っと」という掛け声と共に少年を地面から掬い上げると、そっと巨躯の上に乗せる。少年の身体は予想よりも軽かった。


 「ありがとう」

 『まったく、よもや高貴な我のはいに下等生物の最たる人間を乗せることになるとはな』

 「下等生物って。……でも、キミには申し訳ないことをしたと思っているよ。ごめんね」

 『……よい、我らが愛し子にけがれさえ移らぬのなら。あとはどうとでもなるからな』


 不遜で不穏なクロウヴィスの言葉に、短剣を拾いあげようとした手を一瞬止める。いったい何をするつもりなのやら。ブルルルッと興奮気味に鳴く一角聖獣クロウヴィスに苦笑を返したブランは、止めていた手を動かして短剣を拾い上げた。

 ────その短剣には、強いしゅが絡み付いていた。




 *・゜ .゜・*. ゜:。* ゜.




 『着いた。この汚物を放るぞ』

 「え、少し待ってクロウヴィ────あ」

 「が……、っ!……はぁ……ぅ!」



 家の前に到着すると同時に大きく身体を振るわせたクロウヴィスは勢い良く小さな身体を振い落とした。短い悲鳴が少年の口から零れる。突然のことで反応出来なかったブランは一部始終を見ていることしか出来なかった。
 衝撃と痛みで小さく呻く少年を嘲笑うかのようにフンッ! と鼻息を荒くしたクロウヴィスは、口早に「我は戻る」とだけ告げると、融けるようにブランの影の中へと還っていく。
 目の前で起こった暴挙に呆然としつつも、人間嫌いのクロウヴィスに運ばせた自分にそもそもの原因と責任があるかと思い至ったブランは心の中で少年に謝ると、手にしていた短剣を玄関棚に置いて転がっている身体を拾い上げた。足早に寝室へと向かう。

 自分のベッドが汚れるのを承知で傷だらけの身体を横たえたブランは、すぅ、と息を吸い込んで腹に力を入れた。


 「────《 Examen de la guérison 1》」


 少年の上に掌をかざしながらそっと呪文を唇に乗せる。すると、すぐさま術式が展開して無数の淡い蒼翠そうすいの粒子が出現した。淡麗な色の光は一瞬のうちに少年の身体を包み込み、またたく間に血に塗れた身体を清め、傷を塞いでいった。

 ────複合型魔術式【癒刻ゆこく調しらべ】。

 これはどんな傷をも完全に治癒させる魔術で、上位魔術に部類するものなのだが────ブランが今しがた少年に向けて使ったのは同じ『癒刻ゆこく調しらべ』でも、出力を極限まで落としたレベル1だ。レベル5が完全治癒なことに対し、レベル1は傷口の浄化と止血行為、それと痛みの緩和かんわ程度の効果しか見込めない。傷を塞ぐことしか出来ないのだ。
 彼に対して行使出来る力には制約があり、それに縛られているがゆえに、出力を上げることも出来なければ満足に力も振るえない。────いや、出力を上げようと思えばいくらでも上昇させられるし、思いきり力を振いたければ存分に振るうことだって出来る。ただそうした場合、彼からは対価を貰わねばならなくなる。

 色々としがらみがあるのだ。


 「……ぅ……んっ」


 少年が小さく呻く。幼いながらも整った顔を苦痛に歪めて眉根を寄せた彼はおもむろに片腕を持ち上げると自分の胸元に手を持って行く。そして────大部分が赤に染まっている服をぐしゃり、と握り締めた。

 そこは胸骨の中心、心臓が有ると云われている場所だ。

 まるでえぐり出して握り潰さんとばかりに力が込められていく拳を見ながら、ブランは嘆息をする。
 痛みに苦しんでいるのだろうか? 或いは悪夢に悩まされているのだろうか? それとも、全くの別案件に苛まれているのだろうか?


 「これはだいぶ厄介な拾い物をしてしまったのかも」


 わずかに眉を下げ、独り言ちる。
 血染めになった黒髪の子供など本当に厄介極まりない拾得物だし、想定外にもほどがある。基本的に人間は中腹より奥には近寄れないというのに、この子はどんな手段を用いてあの場所にいたのだろうか。……あの短剣といい、この少年といい結界の破損に関与しているようにしか思えない。


 「キミはいったいなんだろうね」


 思わず訊ねてしまう。
 当たり前だが昏睡こんすい状態の相手に問い掛けても答えは返ってくるわけもなく。自分と少年、ふたり分の息遣いだけがよく聞こえた。

 このまま一命を取り留めたとして、この子はいつ目覚めるのだろうか?

 はなから返事を期待していなかったブランはベッドのすぐわきに置いている椅子に腰を下ろすと、少年を見つめながら密かに口元をゆるませた。「ふふっ」と小さく笑みを浮かべて、少年が意識を取り戻した時のことを考える。
 彼が目を覚ましたら、なんて声を掛けよう。こういうのは初めの挨拶が肝心なのだ。印象操作の為にも、好感を持てる言葉にしなければならない。
 そうして挨拶ファーストコンタクトを終えたあとは────出来得できうる限り甘く優しい声で言ってあげるのだ。




















 ようこそ、ブランシェの森へ────、と。




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