いずれ地に咲く

作者 ピヨピヨ

とある兵士の話 十三話

白い花畑がある。
御伽話のように、ファンタジックで幻想的な場所だ。       
こんな美しいところは、初めて来た。

いや、初めてではないな…

思い出したくもないところだ。

「よお、また会ったな。」

聞き覚えのある声に振り返ると、案の定、あの血に錆びた軍服が見え、青年は密かにため息をついた。
自分の顔は毎日見ているようなものだが、しかしこうまでも歪な笑みを浮かべられるものなのかと思った。

「お前には会いたくなかったな。」
「随分な言い草だなぁ?せっかくこの俺が呪いを解くいい方法を提案しようっていうのに。」

もう一人の自分は腰に手を当て、偉そうに青年を見下した。
青年はといえば、それとは正反対に無反応なまま全く興味がないようだった。

「聞きたいか?聞きたいのなら、迷える子羊には道しるべを解かなければな?」
「それで?」
「…あ?」
「お前に何か利点があるのか?呪いを解いたら困るのはお前の方だ、お前にとってそれは都合の悪いことじゃないのか?」

思えば呪いが忠告だの、提案だのするはずはない。
何か裏がある…そう直感し、青年は睨みながらそう尋ねると、意外にも彼は拍子抜けたような顔になって、青年に向けていた視線を少しそらした。
それはとても短い間だったが、彼は彼なりに考えをまとめたようだった。

「お前が哀れだからだ。」

彼はそう言った。

しかし青年はそれでも無感情なまま、彼へ向けていた視線を逸らして、遠く地平線の向こうまで続く白い世界に顔を向けた。

ため息とこちらに近づいてくる足音が聞こえた。

「子供の頃、お前はここであの神父に汚された…肉欲の餌食なりかけ、そして精神の一部を亡くした…覚えているだろう?あの時のお前は、まだ随分と小さかった。」

肩に冷たい手がスルリと蛇の様に這いずり、細い指が頬を撫でた。
その手は無機質で生き物に触れられているようには感じられない、まるでモノのような感覚だった。
やがて聞きたくもない、気持ちの悪い記憶を彼は楽しそうに語り始める。
絶えず彼から漏れる鉄の匂いに吐き気を覚え、口元に手を置いた。

「神父を撃ち殺した時、俺はとっても楽しかった…人を殺めるのは凄く心地がいい、何よりお前と俺は相性が良かった。だからお前を理不尽な存在から守ってやった、安心して暮らせる世界に誘った、俺は俺の持てるだけの××をお前に与えてやった。」

そう言いながら、彼は青年の前に躍り出た。
その姿は先程の血濡れた軍服の男ではなく、黒髪のかつての自分の姿だった。
少し長めの髪、紫色の瞳、全て自分と瓜二つ…
白く眩しいくらいの花畑に佇めば、その輪郭はより一層はっきりと濃くなった。

「それなのに、お前はいつも同じまま…何も変わらない……それが哀れだ。」

無邪気に笑う悪魔のような少年は、その場でくるくると意味もなく踊り出した。
汽車な四肢が柔らかく風を切る、蹴り上げた花が空中に花弁を散らす。
踏み荒らされたスイセンの茎からあの濃い匂いが辺りに充満する。

やめてくれ…

それ以上、思い出させるな…

あの匂いも、感触も、感覚も、気持ちも、

どうか…忘れさせたままにさせてくれ…

「駄目だ。」

突然、手首に鈍い痛みが走った。
視界が回転して目の前に紫色の瞳が見える。
押し倒されたのだと気づいた時には、俺は身体中がガチガチに固まって動かなかった。
少年だったはずの彼は、また青年の姿に戻っていたが、逆光で妙に濃い影が顔に広がり、目以外表情が読み取れない。

「お前は気づかなければならない…じゃなければ、いつまでたっても、俺たちは幸せには慣れない。」

恐怖から、頭が痛くなって、吐き気を覚えた。
フラッシュバックするあの記憶が、ガリガリと喉を引っ掻き回す。
青年は目を閉じ、必死に夢が冷めるのを待った。

息の音が聞こえる。

だいぶ近くに、人の気配を感じる。

気持ち悪い… 

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!

身体中がその感覚に強く反応して、喉が締まるような息苦しさを感じ、青年は思わず体を起こした。
すると額に硬い何かがぶつかり、物理的にゴツっと音が聞こえた。

「いっっだぁ!!」

聞き覚えのある声が聞こえ、青年はハッと目を開けた。
目の前にはあの白い花畑はなく、あの男もいない。
あるのは暗い部屋を照らすランプの明かりと、額を抑え涙目になったシオンだけだ。

「うぅ……」
「…だ、大丈夫か?すまない、急に起き上がったりして。」
「だ、大丈夫…」

シオンはそう言いと、心配そうにこちらの顔を覗き込んだ。

「君こそ大丈夫?…随分とうなされていたようだけど…」
「大丈夫だ…ただの夢だ。」
「なんの夢を見てたの?」
「覚えていない。」

軽く嘘をつくと、シオンはそう?と言って濡れタオルを青年に渡した。
どうやらだいぶ汗をかいていたらしく、湿っぽく気持ち悪かったので、遠慮なくそれを受け取り汗を拭う。

「僕も時々昔のこと、夢に見ることあるよ…僕変だったから、よく、いじめられた。」

ランプの灯りが揺らぐ。

「僕さ…女々しいだろ?力もないし、銃も飛行機の操縦さえ上手くできない…しかも戦場にいながら人も殺せない…みんなが死体を踏みつけながら駆けて行くのを見て…足がどうしても竦むんだ…そしてこう考える、僕はなんでこんなところにいるんだろうって…」

シオンはぎゅっと手を握りしめる。
青年はその様子を見つめた。

「恐ろしいんだよ…自分がこれを当たり前だと思うようになるのが…いつか、心を支えてくれているなにかが外れて、バラバラになってしまう…そんな気がして…夜が怖い。」

心を支えてくれているなにか…
青年はそれが自分にはないものだと知っていた、かつての自分がなくしたものだ。

「君は何かを恐ろしく感じたことはないの?…」
「…俺は…」

思ってもないような質問に青年は、たじろいだ。
自分が恐れているもの…それは…
気づけば自然と口から出ていた。

「…人の××が恐ろしい。」

××…それは自分でも聞き取れないような、不思議な言葉だ。
意味は知っている、しかしわからない。
シオンはとても不思議そうな顔をした、当然だろこんなこと言われたら、誰だって困る。
そう思ってるのに口が止まらなかった、あんなに拒否していた記憶が濁流のように膨れ上がる。

「子供の頃、俺は神父に犯されそうになった…」

シオンが息を飲む音が聞こえる。

「花を見に行こうって…森の奥に連れていかれて…人気のない場所で無理やり押し倒されてわけのわからないこと言われて、凄く怖くて、俺そいつを殺したんだ。」
「こ、殺したの?神父様を?」

シオンが心配そうに青年の肩に触れようとする…しかしなにかを思いとどめ、その手は彼の膝の上に置かれる。

「罪を償うために…村に帰ったら、みんな魔物に殺された後だった……笑えるよな、俺それまで震えが止まらなかったのに、みんな死んでるの見たら安心したんだ…あーこれで、俺は殺されなくて済んだって…みんなが死んだのに、悲しいとも思わなかった……俺はあの時死んでいれば良かった、心も体も死んでしまえば、よかった。」
「……。」

最初の方は嘘を、最後の方には本音が出る
自然とあの時の光景がフラッシュバックする…いつまでたっても消えない、幼い夢。
その時の感触を覚えている。
生臭い新鮮な死臭が辺りに立ち込めたあの日、心がバラバラになった感覚。
そう、俺はあの時死んでしまった。
精神が一部おかしくなってしまった。
シオンはしばらく無言でこちらを見ていたが、やがて大粒の涙を流し始めた。
思わずびっくりして、目を少し見開いてその様子を見る。

「…そんなこと言わないでよ…死んでしまえばなんて、死にたいなんて思っちゃだめだよ…」
「シオン…」
「僕、君が生きててくれてよかった…ほんとうによかった。」

シオンは泣きながら、繰り返しそう言う。

息を少し乱すような小さな嗚咽が部屋を満たす。
まるで彼のドロドロになった様々な気持ちが海のように満たしていくように…
青年は何を言っていいかわからず、ただ黙っていた。
ランプの灯りはゆらゆらと揺れていた。





シオンとの毎日は長くは続かなかった。
ある時部隊全体で健康診断が行われた。
どうやら、疫病が発生したとのことだった。

青年の診断結果は陰性。

先に寮に帰ったシオンにそれを伝えようと、彼は自室の扉を開ける。












そこにシオンはいなかった。

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