オレンジの片割れ。

七瀬杏樹

はるだけのこる。

光を反射するけれど私の足の形になっている黒い合皮のローファー。それを薄暗くなっている昇降口でいつものように脱いで、靴箱の扉を開けてしまう。
こんな、いつも通りの動作さえも今日で終わりなのだ。
学年カラーの青のラインの入った上履きに履き替えて、人がまばらな校舎を歩いていく。
1、2年のフロアである一階と二階は人の気配すららない。
ワンテンポ遅れてから、ああそっか。とひとりごちた。在校生は毎年卒業式の直前まで準備をしているのだ。……懐かしい、たった1年前までだるいめんどいかったるいって思っていた準備さえ、楽しかった気がするのだから人の記憶とは不思議なものである。
階段をのぼっていくにつれ、人の気配が色濃くなる。3階の高校3年の教室にはもう登校している人も多いようだ。廊下にまで人はあふれていて、そこにはあたたかな談笑もあった。
「あ、サクライ!これこれ書いて!」
「ちょ、加藤。なに突然」
廊下で輪になって笑う同窓生をみてスルーしようとした私に紫色の分厚い冊子が差し出される。ん?加藤さん……これは?
他クラスの小柄な友人を見下ろす。こいつは150センチないらしい。
加藤は書くものでも探しているのか胸ポケットや、ブレザーの両サイドのポケットを弄っている。寝起きでセンチメンタルに浸っていた私は、まだ覚醒できていない。ごめんなさいただ口に出すのがかったるかったのでちらりと一瞥。なんだかんだと勘のいい加藤はあれ、と一言だけ呟いてから説明をしてくれた。わーさっすが加藤〜君は面倒見が存外いいよね、ほんとに兄さんのいる妹?だからどうってことないけど。
「卒アル。うちの4組は昨日配られたらしいよ。昨日は言ってないからLINEで聞いたけど。サクライは……2組か」
「昨日行ったけどもらってない。まぁせんせーいなかったし、書くのはいいけどせめて荷物は置かせろ」
「そりゃそーだわ。あ、戸倉だ。じゃ、サクライは後で書いて!戸倉〜」
「ういっす」
くぁあとあくびをしつつ友人の背中に返事を返す。そして小動物さながらに駆けて行く姿を微笑ましく見送ってから私のクラスまで急ぎ足で歩く。
2組教室の内装もピンクや赤や白で華やかになっていた。いつもよりも明るい色彩の教室の中でより私の視線を寄せた場所があった。
窓際の私の席。その右隣の席に座って、青い空____どこかを見つめるオオヤ。
教卓の上に積み重ねられたアルバムと文集を一冊ずつ手にとって、ゆったりと彼の隣の自分の席に着く。
そして、私はなんともないようにオオヤに問うた。おはよう、という朝の挨拶の代わりに。
「アルバムに寄せ書きしていい?」
鞄を机の横に引っ掛けたり、油性マジックをペンケースから出したりしてオオヤの返答を待った。ふっ、と小さく呼吸《いき》をする音ののちオオヤは私の方にアルバムを寄越して笑った。
「……絵はいらない」
「はぁ、なんでまたそんな不思議な条件を……?」
「この惨状を見ても言えるの、サクライ……」
視線の先にはオオヤの卒アル。そして寄せ書きに使われるフリーページは某国民的ネコ型ロボットが正座している姿だったり、米軍の戦闘機だったり、最近の流行りの美少女萌えアニメのヒロインだったりがぽつんと描かれていた。思わず私も苦笑い。
「はは、文字書くよ。なんなら大好きな小説の一文にでもしようか?」
「それはそれでどーだか」
「まぁね、でもプロの言葉はやっぱり素敵だよ『僕らその季節を忘れずに大人になる』って」
「たしかにいいね。なんの本なの?」
「『青くて、痛くて、脆い』……とかいいつつ書くとかなんとかは冗談」
オオヤは今日も私の存在を認識していた。なんていうか意外。別に記憶能力に難ありとか一切思ってないよ?でも、6年間機会がなかったとは言えども一度も名前を呼んでくれなかった男だ。どう信用せよと。
私は、彼のためだけに書きたい言葉がある。君だた1人に贈る言葉。
『Tu eres mi media naranja!』キュ、とつるつるの紙と油性マジックの先が擦れる音が響いた。

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