失敗しない寿命の使い方

ぽた

三人目と打開策

 思えば、可笑しな話ではあった。
 和平交渉こそ締結してはいなかったが、隣国とは上手くやっている。よく話あい、利害が対等になることしか実施してこなかった。

 未来で起こった侵攻も、今思えば急な話だ。
 布告のない夜襲は、確実に勝ちを取ろうとする際に有効で、隣国はそれをしてきた。
 そしてはっきりと記憶に残る、敵大将の「偽善者め!」という言葉。
 引っかかっていたその言葉の意味が、ようやく分かった。

「果心が襲われた場所――意図的に隣国へ行かせまいとしているのでしょうか」
「だろうな。だが、そうなれば樹達を襲った理由はどうなる?」
「意味がありませんね。少々面倒なことになっています――果心、ここから花の国へ行くルートは、迷いの森を抜ける道以外にありますか?」
「ない。一本道だ」

 珍しく果心は断言した。
 一人で行った以前の遠征では、迂回した先の崖を落ちて上るという荒業をやってのけたが、誰であれ連れがいるならそれが出来ない。だから今回は迷いの森を通り、結果襲撃に遭った。
 敵は迂回路を知らないだろうとは思われるが、間違いなく果心を隣国に行かせまいとしているのだけは確かだ。
 ただの快楽殺人集団だと神楽は言うが、もし仮に、その先を見越しての行動だとすると――

「果心さん、今回の遠征の目的を教えてもらっても?」
「和平を結ぶ前段階の話し合い。締結の式自体は『巡礼』と同日に行う予定だ」

 それはつまり、今までの遠征の中で既に和平締結の話が成っているということ。
 であれば、果心に対する襲撃の目的は、そういうことだ。
 人殺し目的なら、そこでなくとも、そのタイミングでなくとも良い。

 未来、樹が襲われることなく国が壊滅寸前にまで至ったのには、おそらく果心の犠牲があったからだろう。
 しかし今回、イレギュラーな襲撃があったことで、果心はこうして助かっている。

(未来では、俺が真っすぐ家に帰ったことで、俺に割く筈だった人員を果心さんへ――数による圧殺か。性質の悪い)

 気になるのは、そこで果心が殺されていたとした場合の、侵攻の遅さだ。
 隣国へ使いを出す際には、予め先方へ報せが行く。急な訪問による会談は成立しない。
 国がその使いを受け入れる体制が出来ていないと、中に入ることすら不可能なのだ。
 であれば、敵もすり替えた文は直ぐに相手へ届けるはず。
 しかし未来で、果心が殺された、行方不明になったという旨を樹は一切聞いていない。

(これでは違う未来が――)

 侵攻前に手を打つつもりだったが、これではいつ何が起こっても不思議はない。
 いくら未来を知っていようが、それが役に立たない可能性がある。
 だが、それに対して手を打とうにも、樹のことを話さぬ限りはまかり通らない。

 誰かにそれを止められている訳ではないが、言うことに抵抗はある。
 信じてもらえないか、信じてもらえたとして寿命に関しては――

 目先の現実か、保身か。
 取るべきは決まっていた。

「あの……」

 恐る恐る控えめに手を挙げ、皆の視線を集める。
 樹の行動に反応したのは神楽だ。

 そこまで来ても、まだ抵抗がある樹は次の言葉が出てこない。
 何か、何か話さなければ――

「あの、俺――!」

 渇いた唇を何とか動かし、口を開いた矢先――

『はいはいちょっとごめんなー。かえでお姉さんのお通りや』

 呑気な女性の声とそれを引き止める見張りの声が、扉向こうから響いてきた。

『困ります楓様!いくら貴女とて、中では今重要な話し合いが…!』
『分かって来とるに決まっとるやろ。流石のうちでも、知らずにこんな無礼は働かんわ』
『ですが…!』

 数回飛び交ったその名前に、神楽が額に手を添えやれやれといった様子で悩む。
 神楽は少し様子を見たところで扉の方へと歩くと、

「右近、左近、構いません、通しなさい」

 廊下で控える二人の見張りを名指し、訪問者を中に入れる許可を出した。

『神楽様!?   わ、分かりました…!』

 応じる言葉のすぐ後で、重い扉が左右両方とも開かれ、その真ん中を堂々と歩いて訪問者が中に入って来る。
 一つ尾を揺らめかせ優雅に進むのは、三人目の守り人楓。サポーターを必要としない程の魔力を持ち、一人で精霊を降ろすことが出来る唯一の存在だ。
 しかし、その精霊と相性が良過ぎた所為である時を境に同化してしまい、以来ずっとその姿のまま。
 楓の話によれば、両者合意の元であるから不自由や苦はないと言う。

 普段はずっと研究室に籠って、魔法と一般人でも使える魔具の開発に勤しんでいるが、それはその姿をさらしたくないからではなく、単純に極度の研究好きであるから。
 たまの買い出しの際、子供たちに尻尾を触られるのは心地よくて癒しになるらしく、どちらかといえば外出は好きな方だ。
 その明るく大らかな性格から、大人たちからも奇異の目で見られることはない。

 珍しい来客に、樹と果心も小部屋から出て楓の近付く。
 楓は久しぶりに見る同僚の顔を順番に眺めて、最後尾にいる樹の姿を捉えるや、

「久しぶり樹はん!」

 抱きついた。
 入室を止めていた門番に指示を出して開けさせた神楽を無視して、その大きな身体で樹を隠してさえいる果心も無視して、樹に抱きついた。
 速度によって増した重さで飛びつかれ、反射的に「ぐえ」と情けない声を漏らすがお構いなしだ。

「元気しとった? 食事は? 紫苑ちゃんと上手くやっとる? あ、今度三人でごはん行こか! 楽しみやわー、いつにしよか?」
「ちょちょちょ、楓さん落ち着いて…!」

 随分と長い期間を開けての再開に、楓の舌は留まるところを知らない。
 必死の抵抗も虚しく、更に恋人だの将来のことだの、咄嗟に答えられないような話題へとすり替わっていく。
 眼鏡がズレることすら意に介さず頬擦りする楓の表情は心底嬉しそうで、樹も強い言葉で咎めることが出来ないでいた。
 仲良し二人のじゃれ合いを微笑ましそうな目で眺める果心は使いものにならない。
 そこで助け舟を渡すのは、いつも決まって神楽だった。

 神楽は背後から楓の襟を片手で引っ張って持ち上げると、自身を挟んだ反対側へ運んで下ろした。

「世間話なら後で幾らでも。貴女が研究室から出ればいいだけのこと」
「そないけったいなことは言いっこなしや。神楽はんも久しぶりなんやし、後で湯浴み酒とか行かへん? ええ酒肴しゅこう準備したるさかい」
「むっ……み、魅力的ですが、それはまた後です!」

 たまの誘いで楓が出す酒とつまみは逸品だ。
 自分が好きなものを用意しているだけだと楓は言うが、気を利かせて神楽の好きな物を選んでいる。
 それが結果的に楓の嗜好でもあるので、一緒になって飲んで食べるのだが。
 それだけに神楽の心も一瞬揺らぐが、すぐに一国を背負う者の顔に戻って「それより」と切り返した。

「用があって来たのではありませんでしたか?」
「あーそやそや。皆に有用なもんを持ってきたんや」
「……また『千里眼』を使いましたね?」
「まぁ細かいことは気にしやんで」

 精霊を降ろした時の特性として、楓は千里眼と呼ばれる能力を得る。
 限界距離一里内であれば、たとえ建物の中であろうとその様子を見、音声を拾うことが出来る。
 精霊と同化している楓はそれをいつでも使えるが、度々に魔力は消費するのであまり頻回には使用しない。
 曰く、自分的に本当に必要な時以外には使用しないのだとか。

 これでは、円卓が意味を成さないというもの。
 しかし、それを使用してまで来たからにはそれなりに理由があろうと、千里眼を使ったことを否定しない楓に、神楽は心を身構える。

「えらい物騒な話しとるさかい、たまには手助けしよう思て」
「手助け?」
「そや。なんや、花の国に行かなあかんとかって聞こえてんけど」
「ええ。文を奪われないよう、手傷を負わず――というのが理想ですが、道は一本ですから」

 打つ手なし、といった表情を浮かべ視線を下げる神楽。
 そこでようやく、蚊帳の外と化していた果心が、楓が背負っている大仰な荷物を指さして尋ねた。

「これがその『打開策』や」

 自慢げにそう言って無造作に、荷物を果心投げて寄越すと「広げてみ」と指示した。
 果心は言われるがまま袋から中身を取り出し、広げたそれは、果心の巨躯をも優に超える程大きく分厚い、顔まで覆う真っ黒なローブだった。

「これが何だって言うんだ?」
「いっぺん着てみてからのお楽しみや」
「着る?」

 訝りながらも頭からかぶり、袖を通し、裾を伸ばす。

「温かいし肌触りがいい。でも、これで何が……おい?」

 果心の視線の先、着替えている間ずっとその姿を見ていた筈の神楽と樹が、辺りをきょろきょろと見渡している。
 再び「おい」と声を掛けるとそちらの方を向くが、やがて難しい表情をして、また左右、前後と見回す。
 すると、自身では何が起こっているのか分からず混乱する果心の肩を、楓が叩いた。
 振り返ると得意気に、

「何が起こったか分からはる?」
「いや……樹と姉さん、まるで俺が見えてないみたいに――」
「そや。ほれ、鏡」

 楓は力強く頷くと、果心の眼前に手鏡を構える。
 そこには、あるはずの、映るはず自分の顔がなく、代わりにその後ろに立つ樹の姿が映っていた。
 楓が打開策と豪語するそれは、周囲にいる者がローブを見た時、使用者を中心とする反対側の景色を周囲の者に投影するよう構築されている。
 主体的に透明人間になるシステムをどうしても構築出来ず辿り着いた、逆説的で疑似的な透明化。
 使用者が透けるのではなく、対象がそう錯覚するよう仕向けるものだ。

「ええ、もう脱いでええで」
「お? お、おう」

 裾を挙げて腕を抜いて、と先と逆の手順で脱ぎきると、まるで急にその場に顕れたかのような驚き方出会い付きと神楽が声を上げた。

「前々から考えとって時間かかったけど、まさかまさか、ええタイミングでのお披露目や」
「こりゃ凄いな……俺たちはおいくら万で買い取ればいいんだ?」
「アホ、商売とちゃうわ。言ったやろ、協力するて。壊さん限りはお金なんか取らへん」

 試運転と銘打ってちゃっかり商売をしてきた楓の、珍しい真面目なトーン。
 千里眼で会話を把握していたとあって、その内容を多少なりとも良くは思っていないらしい。

「ただ、透明っちゅーても姿だけや。それ以外は普段通り周りにも影響する」
「以外って何だよ?」
「先ず一つは音や。さっき果心はんの声には二人とも反応したので分かってると思う。で、あとは臭いと熱気。良い香り、臭い匂い、発熱なんかの急激な体温の上昇って感じの情報は、その場にそぐわんものなら直ぐにバレる。こと、これから行こうとしてる『森』なんかはそれが顕著や」
「音、臭い、熱気か……気を付けるが、いや、姿を隠せるだけでも十分過ぎる。有効に使わせてもらう」

 実際、如何にして隠れながら隣国へ行くかと協議しようとしていたところだ。
 目下、一番大きな課題と考えていたものがこうもあっさりと片付くなら、残るリスクは無いも同然とばかりに神楽と果心は喜びの笑み。
 残る樹は少しどこかない表情。

  既にやる気を出している果心に、このまま任せて行って貰ってもいいのだろうか。
 あれだけの手練れが果心の臭いを把握していない筈がない。一度殺されかけている手前、動かせば必ず気取られる。
 言いかけて言えなかった事情もある――

「俺がやります…」

 独り言のように呟いた瞬間、部屋中の視線が樹へと注がれる。

「果心さんは既に顔と匂いを知られている筈です。だから俺が代わりに、花の国へ文を届けます…!」

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