湯谷夜子の活動記録 ~二度目の人生は過ちから〜

ぽた

帰還、そして――

 目は口程に物を言う、と言うけれど、彼女――氷山美緒はその限りではなかった。

 今まで、色んな人の目を見てきた。
 弱いものを虐めて喜ぶ奴の目、好きな人に向ける誰かの目、俺を面倒扱いする親戚の目。
 何をするにもまずはとにかく顔色を伺って、そいつが嫌がったりする事を全て避けて、波風立てない無害な存在でいた。

 湯谷夜子。
 あの人は特別だ。
 変わり者で、それでいて人をよく見ていて、たまに怖いこともあるけれど、それ込みで真っ直ぐな瞳。
 波場安高。
 弟や妹を可愛がるように俺たちを見ている。
 夜子さん程ではなくとも、常人ならざる洞察力を持っている。けれど、優しいところは優しい人だ。
 保坂茜。
 とにかく裏表がない正直な瞳。
 それ以外に言うことがないほどだ。
 岩山紘輝。
 この人も真っ直ぐだ。
 ごつい見た目からは想像もつかないほど優しく、人思い。保坂さんといがみ合うのは、正直と正直がぶつかるからなのだろう。
 三浦倫也。
 まだあまり話したことはないけれど、この人の目に嘘や偽りの色はない。
 やはり、ここに所属するだけあって良い人なのだろう。

 そして今、氷山美緒。
 彼女の瞳は、俺には言って見れば正直さと正直さが混ざってぐちゃぐちゃになっている状態のように見えた。
 弟を守りたい強く真っ直ぐな思いと、それに呼応して現れた死霊達の強い思い。
 対象となった男たちを死に至らしめたのは、その正直さと正直さが強すぎたから。守りたい、守るためには相手を何としてでも止めないと、そんな気持ちに死霊たちの手が加わった結果だ。
 ネクロマンサー、いたこといった存在は、呼び出した死霊たちと少なくないつながりを持つ。
 記憶であったり、肉体の強度であったりと様々だが、美緒はその中でも"力"、ひいては統率力を得た。死霊たちを自らの腕、脚として使役し、その力を存分に振るえる形で。

 リンクの力を使った際、彼女の瞳には濁りがなかった。
 弟に対して向けられる強い思いは、それ自体歪んでおらず、真っ直ぐだったのだ。

 だからと言ってそれが、死霊たちが悪いという理由になる訳ではない。
 どちらかと言えば、幼く非力だった美緒に手を貸したといえる立場であるから、一概に彼らを悪だと決めつけ、責め立てることは出来ない。

 美緒を今の美緒たらしめない為には、思いの強さが向かった方向を、何でもいいから少し変えてやるだけでいい。

 春子に見せられたビジョンと照らし合わせると、男たちが攻め入ってくるにはまだ時間がある。
 無策と言えば無策で飛び込んできたから、心に余裕が出来るのは素直に喜ばしいことだ。

「それで芳樹、具体的にはどうするの?  記憶って言ったって、それを弄って今が――未来が変わるわけではないでしょ?」

 影から見守る中、保坂さんがそんなことを聞いてきた。

 確かに、おいそれと弄って変わるものではない。
 脳の、とりわけ記憶領域を外部から刺激なんてしようものなら、その人がその人で無くなる可能性は大いにある。
 その外部刺激たる俺たち三人は、既に美緒の記憶における異物。方法はどうあれ、じきに排除されかねない。

 そうなる前に、上手くやらなければ――

「三人……?」

 俺、

「三人だね」

 保坂さん、

「三人ですね」

 三浦さん。

 おかしいな。
 俺が行使した能力による記憶への侵入であるから、てっきり俺だけが飛ばされるものだと思っていたのだが。
 それはやはり二人にとっても意図しないところのようで。

「何で私たちもなんだろ?」
「うーむ…茜さんと自分、二人の能力を利用した芳樹さんのリンクだから、こちらにも影響が出た――といったところでしょうか」
「これは慣れが必要だ…」

 二人を利用しようとも、巻き込むつもりはなかったのだけれど、そうなってしまったものはしょうがない。
 前向きに考えれば、この二人はとても心強い人たちではあるから、むしろ願うところではあったけれど、余計な心配はかけたくないから出来れば一人が良かったのだが。

 内心の愚痴もそこそこに、保坂さんの質問に答える。

「何かを変えるつもりはありません。いえ、変えられないでしょう」
「なら、ここで何をするの?」
「記憶の修正――本来その目に映っていた筈の光景を、正しい記憶として美緒の記憶に刻み込みます」
「それって……」
「ええ、本人にとっては酷なことです。出来ればやりたくない――けど、他の方法で説得したとして、それが長く続くとは思えない。この先のことを考えるのなら、前を向いてもらわないと」

 覚悟の旨を伝えると、保坂さんも波場さんも、それ以上は何も言わないでおいてくれた。

 そう、記憶に直接潜ることが出来た今、この方法が一番早く、何より効果的なのだ。
 言葉を尽くして説得を試みようとも、真実を二度とその目に見せられない以上は本当の意味で美緒を変えることは出来ない。正気に戻すには、どんな方法よりもリスキーではあるが、これを克服してもらう他ない。

 美緒には悪いが、今の俺にはそのくらいのことしか出来ない。
 戻るかどうかを最終決めるのを、本人の意思に委ねるしかない。

 おごるな、と自分でも言いたくなるが、それ以上の力になれない自分の非力さが、どこか恨めしく思える。

「保坂さん、波場さん。これから美緒の弟に関する惨状が繰り返されます。見たくないならーー」
「なーに言ってんの。一番辛いのがあの子本人だって分かっている以上、こっちが竦んでどうすんのよ」
「ええ。乗りかかった舟、と言うつもりもありません。仕事ということを抜いても、今は美緒さんを助けたいと思っていますから」

 今思い出しても吐き気を催すほどの光景。
 それを見せたくなくて言ったことだったのだが――意外な答えが返ってきた。
 いや、二人に言わせれば、それは当然のことなのかもしれないな。

「助かります」
「良いって良いって――って私が言うのもおかしいね。両親があれである以上、やっぱりこれは私たちにしか出来ないことだと思うし」

 保坂さんは明るくウインクを、波場さんは眼鏡を直す仕草で応じる。
 本当に、心強い。

 ―――

 一時間が経過し、そろそろといった時間に差し掛かった時だ。
 一枚の大きな紙を広げた三男の男たちが歩いてきた。

 遠目に見えるそれはこの辺りの地図。
 春子に見せてもらった中で言っていた"追跡"と、どうやってかは分からないが関係しているのは明らかだ。
 足取りは軽く――否、迷いがない。
 進路から、真っ直ぐこちらを目指しているらしかった。

 問題は事後。
 その場面も大きな話だが。
 男たちの悲鳴が聞こえてくるまで、あるいは満留の能力が発動するまで待つ必要がある。

 そこからの数分が、ただただ歯痒かった。

『う、うわ…うわぁぁぁぁぁあああ…!!』

 悲鳴が上がった。
 まだ記憶に新しい、男の内一人のものだ。

「行きましょう…!」

 合図を送った俺に、頷く仕草で二人が応じる。
 それを受けて、迷わずその場から駆け出した。

 近付くにつれ、気分が悪くなってくるのは俺の方だった。
 あの惨状を思い出して胸が痛くなり、あの人ならざる塊を思い出して吐き気がして、情けなくもその場に倒れてしまいそうになる。

 それを支えたのは、もういい加減迷惑をかけすぎている保坂さん。俺の手を取って、力強く引っ張っていく。
 背中に控えさせておこうとしていた手前、それがとにかく恥ずかしくもあるが、その好意に今は甘えた。

 扉の前まで来た時、中から美緒の笑い声が聞こえてきた。
 楽しいわ、おかしいわと連呼しながら、同時に無惨で無慈悲な音も響く。
 思わず逸らしたくなる目で辛うじて前を向き、力の限り扉を強く開け放った。

 まずは美緒の意識をこちらに向けること。

「だぁれ?」

 ぐるりと首だけで振り返る死霊使い。
 ひとまずの目的はクリア。

 とはいえ既に肉塊と化している男たちは声を上げない。
 ぐちゃぐちゃになった赤の上で、鮮血をその身に浴びながら高らかに笑う少女の姿が、今はただ悲しい。

 ふと仰ぎ見れば、その傍らには氷山三留の姿がある。
 痛々しい程のその姿で後に美緒の名を呼ぶかと思うと、その気力たるや、姉を思う気持ちの強さたるや、尋常ではない。
 事の顛末を知るだけに、これがただ一方的な虐殺でないことは分かっている。

 今の美緒の目は、三留の姿を捉えていない。
 受け入れ難い、いや受け入れてはいけないと思う意識が強すぎて、そこに三留がいないものと判断し、脅威を排除する為だけに動いている。

「私も春子さんから見せてもらったんだけど、もうすぐこの子の能力が発動して家が壊れるんだよね。どうしよう…!」
「出て行けとは言いませんが、二人はやはり下がっていてください。俺がやります」
「やりますって…想像以上に危ない空気だと思うんだけど…!」
「それでも――背丈も顔も声も性格も、何の共通点もない俺を、ただ歳下だからって三留呼ばわりするんです、危ないのは俺じゃない」

 早く一人の人間――少女に戻って欲しいと願う。否、これからそうするのだ、自分の手で。
 ここで及ぼしたアクションがどれほど本体にに反映されるかは分からないけれど、そこはもう丸っきり運や神に任せてある。今はただ、目の前の現実に向き合うだけだ。

「無策も無策、何も考えてない。だから、俺にはこんくらいしか出来ないぞ…!」

 暴れ狂う死霊の波をかき分け前へ進む。
 最中、それら多くの手が、牙が、三留を確実に避けていることに気がついた。

 どれだけ理性を失おうとも、自分を見失おうとも、狂ったかのように思えていた心は、最愛の存在だけはどこかで認識していた。

 氷山美緒。
 恐ろしい程のブラコンっぷりだ。

「みつる…み、つる…」

 合わない焦点で虚空を見つめ、ただ一人の名前を呼び続ける。

「辛かったろ。今も、未来も。弟を殺されて恨んで、それを成して何も無くなって、心の行き場がなかったんだよな」

 俺と美緒とでは、境遇がまるで違う。
 けれど、そんな美緒の姿に、妹の手をすぐ握ってやらなかったあの日の俺自身の情けない背中を、無意識の内に重ねてしまっていた。
 たったの数日、言葉こそ殆ど交わさなかったけれど。

 だからこそ。

「そんだけ大切な存在ならな…どんな理不尽に見舞われても、その最期は、ちゃんと見なきゃダメだろうが」

 それがどれほど酷なことでも。
 それがどれほど痛いことでも。

 最愛の弟を殺されて狂う気持ちも分かる。
 それが過去となった今更、未来を変えようなんて不可能な話だ。
 それでもやはり、憎いそいつらと同じところまで落ちてしまえば、一番悲しむのは守ろうとしていた弟――他でもない三留自身だ。

 既に形の無くなった男たちを前にしてそんなことを言うのこそ、今更といった話ではあるのだが。
 すぐに前を向けなんて言えたことではない。それは分かっている。それでも、ずっと引き摺って、ずっと苦しむよりかは――。

「恨むなら新しく俺を恨め……だから今は、しっかりと弟の最期を見ろよ。痛みに耐えてはいないだろうけど、そんな中でお前を助けようとした、勇気のあるやつだ」

 声にならない声でもって、最後まで姉の名前を呼んでいた。

「俺じゃない。ちゃんとその目で見ろよ、氷山三留の姿を…!」

 数歩手前まで来たら、あとは飛び込むだけだった。
 力の限り踏み込み、右手を美緒の顔に伸ばす。

 現実なら大いに怒られようが、幸いここは記憶の中。
 あらん限りの力を込めた渾身の一撃が、華奢だが力強い存在の頬を捉えた。

 痛みに声を上げて倒れた美緒の視線の先には、横たわる三留の姿。
 刹那、狂気に染まっていたその瞳に、光が戻る。

 倒れる寸前で踏み留まった美緒は、そのまま三留の元へと駆け寄り、力の限り抱きしめた。そうされた三留は、もう痛みも感じなくなっているのか、あるいはそれ以上に愛情が嬉しかったのか、とても穏やかな顔をしていた。

 これが、これこそが、本当の姉弟の形なのだ。
 言葉を交わさず、ただ別れていくなんて悲しすぎる。 

「お、ね……」
「三留…三留…!  大好きよ、愛してるわ!  せっかく出来たお友達だからって、それで貴方を蔑ろにする意味にはならなかったのに…本当は、お姉ちゃんお姉ちゃんって慕ってくれる貴方が、何より大切だったの…!  本当よ、嘘じゃないわ…うぅ…」

 それは、決して俺には"理解"することのできない、不用意に"理解した"だなんて口にしてはいけない、彼女たちの間だけの愛情。言葉の数々。
 過去に戻った記憶の中で氷山美緒は、ただひたすらに泣き、謝り、愛を叫ぶ。

 そんな中で、既に意識を失っていた筈の三留が、弱々しくも口を開き、はっきりと言葉を紡ぐ。

「おねえ、ちゃん…」
「三留…!?」

 未来では聞き流していたその音を、美緒はしっかりと拾っていた。

「新しい学校の制服、とっても似合ってた…大好きなお姉ちゃんに、ぴったり、だったよ…」
「三留…」
「高校は、また新しい制服で…大学って、お洋服なんだよね…?  ぜんぶ、見たかったな…」

 新しい制服に身を包み、また新しい洋服に身を包む姉。
 それは三留なりの、美緒には未来を進んで欲しいというメッセージ。生きてくれ、と伝えているのだ。

「ええ…ええ、見せてあげるわ、いくらでも。飽きるくらい毎日、毎日、見せびらかしてあげるから…」
「うん…ありが、とう…」

 あの日受け取れなかった美緒からの返答。
 それが、美緒が理性を保っていたと仮定した未来での台詞であったかは分からない。

 けれど、

「寒いでしょう。ゆっくりお休みなさい、三留。暖かいお布団を用意してあげるから…」
「ありがとう……だい、すき…」

 崩壊が始まる前に、伝えたかった言葉を告げ、また告げられた二人。

 涙を流し、光の粒となって消えた三留を、未だ抱きしめる美緒を眺めながら――
 俺の意識は現実に引き戻された。

―――

 瞬間途切れ、戻った意識。
 眼前には、目元を腫らすほどに涙を流す美緒の顔があった。

 そうか。
 思い出したのか。

 リンクを発動させる寸前のままだった体勢。握っていた手を離すと、美緒の身体は力なくその場にへたり込んだ。
 自身の両腕で互いの肩を抱き、俯き、雫は止まらない。

「みつる…みつるぅ……」

 意識を切り替えてみれば、屋敷に漂っていた異質な空気はなく、美緒の能力の本質が変わっているであろうことを伺わせた。

 ふと持ち上げられた美緒の顔。
 その真ん中にあるビー玉のような瞳が、俺を捉えた。

「暖かな光……私の中にいたのは、あなたなの?」
「ちょっと強引だったけど。氷山美緒、俺の名前が言えるか?」

 俺の問いに美緒は「ええ」と頷き、

「永禮芳樹さん…三留は私の弟、あなたじゃないわ」

 眩しい笑顔でそう言った。
 なんだ、そんな笑い方も出来るんじゃないか。

 俺がもっと賢かったら、人生の経験値が多ければ、あるいは夜子さんなら――より良い手を考えられたことだろう。
 そんなことをつい考えてしまうが、今の俺に後悔はなかった。

「死霊たちは…?」

 すぐ背後、こちらも力が抜けたというか、腰を抜かしている穂坂さんがぽつり呟いた。

 言われてみれば。
 異質な気配は確かに消えているけれど、それはイコール死霊たちが消えたということなのだろうか。

「美緒ちゃん?」

 近くに歩み寄ってくる小さな影。
 美緒が、穂坂さんの方へと近づいていた。

 やはりまだ少し抵抗があるようで穂坂さんは少し身体をこわばらせるが、美緒はその手を優しく取り、自身の胸元にあてがった。
 そして、今まで聞いたことのないような声で、

「迷惑をかけてしまいました、貴方にも、そちらの方々にも」
「お前、覚えてるのか…!?」

 死霊たちを使役していたつい数時間前までの美緒の意識は、あらゆるものものと混濁し、正常ではなかったように見えていたのだが。上手いこと上書きが成された今、その時までの美緒の記憶は、失われるか変わる者だとばかり思っていた。

 美緒は怪訝な表情を浮かべる俺に、

「はい。恥ずかしい話ですけれど、全部……本当に、何と謝ればいいのか」

 それは別に、いつでも構わないのだけれど。
 しかし、こうもガラっと変わられると、何だか居心地が悪い。

 と、美緒は「パパ、ママ!」と短く残して、部屋を出て行ってしまった。
 後を追って走り、一階に辿り着くと――ある一室、二つのベッドが置かれた部屋に入っていく美緒の姿があった。何をそんなに慌てて、と思ったのも束の間、美緒の自室からここに至るまで、俺はどの死霊の姿も見なかったことに気が付いた。

 そしてそれは、この部屋も同様。
 小さな写真立ての中に春子と清の二人が映っている写真があるここは、あの両親二人の部屋。

「やっぱり…いなくなっちゃった」

 美緒が呟くように洩らした。
 父、母を使役している記憶があるなら、当然もう一度会い、話の一つでもしておきたいところだったのだろう。
 しかし、アニメやドラマのように、最後に一言という別れ方にはならないようで――

 以降、二人が姿を現すことはなかった。


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